嗜癖のいろいろ 】   赤城高原ホスピタル

(改訂: 03/11/06)


以下の記事は、院長、竹村道夫が、ある団体機関誌に書いたものです。元文は、日本キリスト教婦人矯風会発行「婦人新報」2003年11月号(2-5ページ)にあります。転載を許可してくださった矯風会に感謝します。
「婦人新報」11月号は、「いろいろなアディクション」特集号です。私の記事以外にも、アディクション関連の解説記事や対談が収載されています。お勧めです。
「婦人新報」は、平和、女性の性と人権、酒・たばこ・薬物などの問題に取り組む矯風会の月刊機関誌です。会員だけでなく、活動に関心のある方なら、どなたでもお求めになれます(一部230円+送料60円、年間購読料、3480円)。お問い合わせは矯風会まで、お気軽にどうぞ(電話 03-3361-0934、FAX 03-3361-1160)。


[嗜癖とは何か] 

 「嗜癖」という言葉を聞いたことがない人、聞いたことはあっても理解できない人は多いことでしょう。「嗜癖」の「嗜」は、「嗜好品」の「嗜」、「嗜む」は、「たしなむ」と訓読みされます。広辞苑で「嗜癖」を調べると、「あるものを特に好きこのむ癖」と書いてありますが、この説明は簡単すぎて、「困った事態」というニュアンスが欠けています。「嗜癖」は英語の「アディクション」に相当しますが、「嗜癖」という漢字が難しいためもあって、「アディクション」というカタカナ語も関係者やマスメディアの間でよく用いられます。
 いずれにしても、ここでいう「嗜癖」は単なる「習慣」や「嗜好」よりは少し強い意味があり、「ある習慣への耽溺」を意味します。耽溺(たんでき)は、対象物にふけりおぼれることです。現代日常用語で言うと「はまって」しまった状態です。嗜癖は、嗜癖者本人あるいは周りの人に都合の悪いことが起こっているのに、その習慣にとらわれてしまって、止められない状態を意味します。「嗜癖問題」、「嗜癖行動」、「嗜癖性疾患」というような熟語で用いられることもあります。
 嗜癖の重症例は病気とされ、「依存症」と呼ばれますが、嗜癖はもう少し軽症例から重症例までを含めた広い概念で使われます。「中毒」も似たような意味で使われることがありますが、中毒は本人の好みや意志に関わらず、「体内に摂取された毒物による生理学的反応」を意味するので、「仕事中毒」、「ギャンブル中毒」などは医学用語としては不適切です。また、嗜癖は病的な癖であるので、「病的賭博」、「窃盗癖」のように、「病的」や「癖」をつけて呼ばれることもあります。
 「強迫観念」とか「強迫行為」にみられる「強迫」は「嗜癖」と類似点がありますが、同じではありません。たとえば不潔恐怖への対抗策としての「強迫的洗浄」、不安を抑えるための「強迫的な戸締まり確認」のように、「強迫」は不快を避けるための行為であって、嗜好品や好きこのむ行動、習慣が変質した「嗜癖」とは違います。それゆえ「アルコール依存症」や「病的賭博」の本質を「強迫的飲酒」とか「強迫的賭博」であると定義することは、正確な用語法からは不適切です。


[三種類の嗜癖、多重嗜癖] 

 アルコールと薬物、食物摂取への嗜癖をまとめて「物質嗜癖」と呼びます。このほか、ギャンブル依存症(病的賭博)、借金癖、買物依存症、ワーカホリック(仕事中毒)なども嗜癖性の症状ないし病態と考えられ、これらは「行動プロセスへの嗜癖」と呼ばれます。さらに共依存、恋愛依存、暴力的人間関係などは「人間関係への嗜癖」と呼ばれます。
 これらの嗜癖性疾患は表面的な姿は違っていても同じ空虚感から同じようなメカニズムで発症しているので、同時に二つ以上の嗜癖が合併することは少なくありません。たとえば酒と摂食障害、酒とギャンブル、酒と暴力的傾向といったものです。これは「多重嗜癖」とか「クロス・アディクション」と呼ばれ、近年臨床場面で出会うことが増えてきました。また時間をずらして、摂食障害から恋愛依存に、恋愛依存から薬物に、薬物からアルコールに、アルコールからギャンブルにというように対象を代えて個人の嗜癖問題が続くこともよく見られます。さらにまた、嗜癖には家族内で固まってみられ易いという特徴があります。たとえば父親がアルコール症、母親が共依存、娘が摂食障害、息子が薬物乱用というのは極めてよく見られる嗜癖家族のパターンです。
 治療という観点から見ると、アルコール症の治療現場では、多重嗜癖の患者を避けられませんし、家族病としての嗜癖問題に取り組み始めると、いろいろな「嗜癖性疾患」の治療が否応なしに必要になります。嗜癖者の家族への教育やカウンセリングをするためには、共依存概念が必須です。このように嗜癖問題の臨床家は、治療現場で必要に迫られていろいろな嗜癖問題に対応してきました。その中で、嗜癖の対象は、物質から行動プロセスへ、そして共依存など人間関係へと拡大され、嗜癖概念が広義に用いられるようになってきました。
 しかし広義の嗜癖概念は、伝統的な既成の精神医学から全面的に受け入れられている訳ではありません。嗜癖を限定的に考える人はアルコールと依存性薬物以外を対象とする嗜癖問題を認めないかもしれません。またギャンブルの嗜癖性を認める人でも、共依存という概念に否定的な研究者もいます。
 現実に、精神障害の代表的な分類体系である、国際疾病分類でも、アメリカの精神障害診断マニュアルでも、「嗜癖性障害」という分類項目はなく、いわゆる嗜癖性問題はいろいろな疾患群にばらばらに分類されていたり、嗜癖問題に対応する診断名が分類体系の中に見つからなかったりします。
 以下、広義の嗜癖問題あるいは嗜癖性疾患といわれるものの中から、臨床的によく見られるものをいくつか挙げて解説しました。


[摂食障害] 

 摂食障害の中でも、拒食症よりも過食症で、過食症の中では、非排出型よりも排出型(嘔吐や下剤乱用を伴う症例群)で嗜癖性疾患としての傾向が顕著に見られます。摂食障害を嗜癖性疾患と考える見方が一般精神科医に受け入れられている訳ではありません。ただ嗜癖問題の臨床家は、この疾患が、他の嗜癖性疾患と密接な関係があることを経験的に知っています。
 実際に、摂食障害は他の嗜癖性疾患と合併しやすく、しばしばアルコール依存症(乱用)、薬物乱用、窃盗癖(万引癖)、買い物癖、自傷行為癖(特に手首または前腕の切傷)、性的逸脱行動(恋愛嗜癖、セックス嗜癖、売春行為など)、家庭内暴力などが合併疾患としてみられます。過食症患者の三分の一は物質嗜癖(アルコール薬物乱用など)を合併しています。さらに摂食障害患者の親や親族にアルコール依存症がみられることも少なくありません。また比較的治療困難なこの疾患に対しては、集団療法、認知行動療法、自助グループなど、他の嗜癖に用いられるのと同様の治療が有効です。


[病的賭博]

 ギャンブラー本人および周囲の人々にとって有害な行為であるのに、持続的で反復的な不適応賭博行為が続いている場合にこれを「病的賭博」といいます。成人人口の一ないし三%が病的賭博者といわれています。
 国際疾病分類やアメリカの診断マニュアルでは、病的賭博は、衝動制御の障害の中に、窃盗癖、放火癖、抜毛癖などとともに含まれています。
 アメリカの診断マニュアルでは、病的賭博の診断基準はアルコール依存症のそれに極めて類似しています。疾病分類上も、病的賭博を衝動制御の障害でなく、依存、あるいは嗜癖性疾患とみなすべきではないかという意見があります。
 病的賭博の臨床場面では、物質依存症者と同じような、渇望、耐性(賭け金がどんどん増えること)、離脱症状(賭博を止めたときの著明ないらいらなど)、がしばしばみられ、また、アルコール依存症の「連続飲酒発作」に相当するような、数日間、食事も睡眠もほとんどせずに、賭博をやり続ける行動も時に見られます。このように、抑制不能な強迫的行為、慢性進行性の病気、問題の否認、家族を巻込むという点では、病的賭博はアルコール症と同じです。実際にアルコール症と病的賭博の両方の問題を持っている患者さんは少なくありません。欧米の調査では、病的賭博者の約半数がアルコールか薬物の乱用者でした。


[窃盗癖、盗癖]

 「窃盗癖」は、代表的な疾病分類では、病的賭博と同じ、衝動制御の障害の中に含まれています。
 アルコール依存症の人が飲酒欲求をコントロールできないように、病的盗癖者は、窃盗行為への衝動、欲望、誘惑に抵抗することができません。アルコール症と窃盗癖の両方の問題を持っている患者さんは少なくありません。ただ実際の臨床場面では、アルコール症よりも、摂食障害、とくに過食症の方で、窃盗癖を合併する方が目立つようです。
 赤城高原ホスピタルでは、過食症患者に多い万引問題に対処するために、万引・盗癖ミーティングという自助グループを三年前に発足させ、ある程度の治療効果を上げています。


[共依存] 

 共依存は、アルコール症者の配偶者による「強迫的世話焼き」や「愛情という名の支配」に典型的にみられる人間関係の様式を示す用語としてアメリカで一九八〇年代に誕生しました。その中核には、「相手に必要とされる」ことでしか自分の価値を見出せない「自己喪失」があるとされます。しかし共依存は、研究者の立場によって定義や解釈が大幅に異なります。明確な定義のないまま嗜癖問題の治療関係者や患者、家族の間で使用されているうちに、「共依存」概念はどんどん拡大されてきました。この現象は、アダルトチルドレン概念が拡大されたのと似ていますが、共依存概念の場合にはもっと極端です。共依存概念はアダルトチルドレンやイネイブラー概念と密接な関係がありますが、現在ではもっと広義の人間関係のあり方を示す用語になってきました。広義の共依存は「人間関係の嗜癖」の同義語です。
 「共依存」はもともと医学的な疾患名や診断名ではないし、また共依存概念が、個人の精神的問題というより、対人関係の病理に重点があるので、従来の個人中心の診断体系になじまないためもあって、一般の精神医学診断体系の中には、「共依存」に対応するような診断名はありません。嗜癖問題の専門家以外の精神科医はほとんどこの語を使いません。
 しかし、嗜癖問題本人とかかわる家族や援助者が、自分たちを問題の当事者と考えて、自分たちの問題点を吟味する際には、共依存は重要な概念です。
 共依存を重視する立場からは、これこそが一次性の嗜癖であり、物質嗜癖やプロセス嗜癖はむしろ二次性の嗜癖であるとさえ言われます。


[嗜癖問題という視点] 

 以上、ここで取り上げた嗜癖問題以外のいろいろな社会問題も、嗜癖関連問題として挙げられることがあります。たとえば、恋愛依存、セックス依存、ドメスティック・バイオレンス(配偶者やパートナー間での暴力)、虐待、エクササイズ嗜癖、スピード嗜癖、自傷行為癖、喫煙問題(ニコチン依存症)、仕事依存、コンピューター依存、ポルノ依存、カルト嗜癖などです。もちろん、嗜癖問題という視点は万能ではありませんし、これらの問題を治療可能な嗜癖とみなすからといって、このほかの視点(道徳、犯罪、人権、経済問題など)からの対策を否定するものではありません。

筆者: 竹村道夫 特別・特定医療法人群馬会 赤城高原ホスピタル 院長 精神科医師 

(転載記事は、読みやすくするために、また他のHP文章との調和を保つために、一部改変してあります。竹村)[TOPへ]


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AKH 文責:竹村道夫(初版:03/10/23) 


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