【 薬物乱用、依存症、200人の証言−第3部 】     赤城高原ホスピタル 



【 幻覚妄想、精神症状 】


[シャブと幻覚] 1、2回だったら大丈夫だなんて本に書いてあったから、試しにアブリをやってみたら、最初の1回で、ギンギンに幻覚と妄想が出ました。やくざと警察の両方からつけねらわれて、はめられて、追われていると思い込んで、大騒ぎになりました。私が男で周りに武器があったら、間違いなく誰かを傷つけていたと思います。
 あんな怖いことは2度としたくありません。仲間は、嘘だろう。本当は数カ月前から隠れてシャブを使っていたのだろうと言いますが、本当にシャブは1度だけです。ガンジャ(マリファナ)は数カ月前からたまにやっていましたけど。(22歳女性、1995年)

[初回から幻覚妄想?]
 マンションのベランダに座り込んでガラ管でシャブのあぶりをしました。最初の使用から幻覚がありました。すごい頭痛がして、ケイタイが鳴り続け、私の名前を呼んでいる声が聞こえました。2回目はマンションの下から私を呼んでいる気がして、わざわざマンションの周りを歩いてみました。(21歳女性、1999年)

[シャブと幻覚、平均コース] 仲間の話だと、覚せい剤をやり始めて4、5回ではまってしまうようです。使い続けると、3−4カ月で幻聴が聞こえ始めるという人が多いようです。ボクも平均コースです。5年使うと、かなり本格的に狂ってしまうのだそうです。それまでにはやめたいな。(24歳男性、2002年)

[シャブの後遺症、ガンマン?] 15歳から18歳まで、覚せい剤を使いました。やめて2年経つのにまだ後遺症があります。自分の後ろで仲間や他人が私を指差して笑っていたり、私の悪口を言っていたり、じっと見ているのじゃないか心配になるのです。だから不意に後ろを振り返って確かめる癖が抜けません。後ろが壁だと少しだけ落ち着きます。仲間からは西部劇のガンマン(私は女性だからガンパーソン?それとも、女スパイナー?)みたいだ、と言われます。ちっともかっこよくない。(20歳女性、1998年)

[LSD体験] LSDを使用すると、公園の樹木の全てが、金色に輝き、その中を緑がかった蛍光色の樹液が脈動しながら流れているのが透けて見えました。木々に近づくと、静電気の放電のように、ほとばしり出た樹液が空間を飛んで、私の血液に流れ込みました。(23歳女性、2000年)

[シンナー、透視メガネ] ボクが シンナーを始めたのは14歳.。とにかく最高でした。嫌なことは全て忘れられるし。それに、これはホントは内緒にしておきたいんだけど、ボクはシンナー吸っていると、目の前にいる女性の服の上から裸を見ることができたんです。シンナーは魔法の透視メガネでした。うまくトリップできたときは、本人がそこにいなくても、想像するだけで自由自在に女性を呼び出すことができました。だからシンナー吸っている時はいつでも、純情そうな女友達やちょっと生意気な女の子や美人の先生の姿を想像していました。イメージするだけで目の前に裸の姿が見えるんです。ここだけの話だけど、細部までモザイクなしでした。こんなことができるのは、仲間うちでもボクだけだったので、ボクは特殊能力だと思っていたけど、シンナー仲間は、頭が余計壊れているだけだ、と言っていました。ウーンよかったなあ、あの頃は。

 その頃ボクに付合ってくれた先生やお友達、本当にごめんなさい。今はそんなこと想像してません。 それに楽しかったのは、最初の数カ月だけ。なぜか、そのうちに、いくら集中しても、見たくないブス女とか男のイメージしか出てこなくなり、1年後には想像もしないような化物や魔物が出てくるようになりました。ああ、二度とかえらない青春の日々。(29歳男性、1997年)

[覚せい剤、醜貌恐怖] 24歳から1週間に1、2回覚せい剤を使い始めました。なめるんです。3カ月くらいしたある日、自分の顔を見て愕然としました。変な顔になっているんです。両目が離れすぎて、左眼が腫れて突出しているし、右目の下も赤くなっています。恥ずかしくてサングラスなしでは外出できません。精神科に行ってみたら、醜貌恐怖と言われました。(26歳男性、2001年)

[覚せい剤、被害妄想、110番]  22歳から覚せい剤をやり始めました。あぶりです。半年で幻聴が聞こえるようになりました。それでも使い続けて5年。ついに自分は殺されるに違いない、と思い始めました。恐怖で気が狂いそうになり、自分で110番しました。すぐに逮捕されて、拘置所、裁判。判決は懲役1年2カ月、執行猶予4年でした。(28歳男性、2004年)

[覚せい剤、幻覚妄想] 覚せい剤を始めて1年後には、幻覚妄想が出てきました。道路を走る車が、私の名前を呼びながら、わざとらしく、私の前でブレーキをかけたり、急発進したりするのです。そして最後に「殺せ!」とか、「自殺しろ!」と声が聞こえます。恐怖で頭が硬直します。天井から、壁から、四方八方から、敵が襲って来ます。(25歳男性、2002年)

[覚せい剤、7色の光] シャブを始めて3カ月。窓の外から、いきなり7色の光がやってきて、蛍のようにお部屋の中を飛び回るの。かわいいー! 楽しかったなあ、あの頃は。でも、ペットにしようと思って確かに閉じ込めたのに翌日にはいないの。
 そんなある日の真夜中。ドン、ドン、とドアを叩く音。な、な、なんとお巡りさんが私の部屋までやってきて、「おまえを逮捕する」って言うの! 私びっくりしちゃって、「逮捕するんだったら死んでやる」って言おうと思って、化粧品ポーチの中にあったカッターを首に当てたままドアを開けて外に出たのね。そしたら、だーれもいないんだよ。覚せい剤を始めて4カ月。あぶりを5回、ポンプを20回位しただけなのに、もう立派なシャブ中ね。(19歳女性、1999年)

[シャブ中の妄想男] 暴走族にいた時、出刃包丁を持ったシャブ中の妄想男に、「どうしてオレの悪口を言うんだ」と因縁をつけられて追いかけられました。妄想男でも先輩だから逆らうと大変です。その男が警察に捕まった時には、正直ホッとしました。(27歳男性、2003年)

[シャブ、幻聴] シャブのあぶりを2年間やっていました。「お前はあまい」、「生意気言うな」、「黙ってろ」など、複数の男女の声が頭の中で聞こえます。入院して3ヵ月たちました。抗精神病薬をいろいろ飲んでいますが、まだ消えません(25歳男性、2002年)。

[シャブ、尖端恐怖、虫歯] シャブを始めてから2カ月目くらいから、なぜか先の尖ったものが怖くなりました。尖端(せんたん)恐怖とか言うのだそうです。私の場合は、そればかりじゃなくて、少しだけ見知っている人が怖いという症状があります。レイプ被害の後遺症かもしれません。両方が重なると最悪です。だから虫歯の治療も、同じ歯科医に続けて通えず、次から次へ歯科医を変えてしまいます。そのため、いつまでたっても虫歯が治りません。(22歳女性、1998年)

[鳥になる] ヘヤースプレーにはまって3年、ある日私は、「鳥になれるのよ」と言いながら部屋を走り出しました。マンション3階のベランダから飛び出そうとした時、走ってきた母が私の足にタックルしました。その時母がいなかったら、私は死んでいたはずです。(18歳女性、1998年)

[ラッシュ、幻覚、錯覚] ラッシュ(Rush)という合法(脱法)ドラッグを2年間使っていました。やめて5ヵ月になりますが、ざわざわとした人の話し声(幻聴)と頭のぼーとした感じが続いています。時には確かに座っているのに自分が立ち上がって動き回っているような錯覚がして、錯覚だと分かっていても怖くなります。(20歳女性、2002年)

[覚せい剤、暴力、逮捕]  もともと暴力的傾向がありましたが、22歳で覚せい剤を使い始めてからの彼女に対する暴力は、けたはずれにひどくなりました。彼女が父親に話して、父親が警察に届けたので25歳で私は捕まりましたが、逮捕されなければ、彼女を殺していたかもしれません。覚せい剤乱用、依存からの回復に3年かかりました。逮捕されて以来、彼女とは別れ、連絡は取っていません。29歳の今では彼女に謝罪し、また私の回復のきっかけを作ってくれたことを感謝したい気持です。 (29歳男性、2003年)

[覚せい剤、不安、妄想、幻聴] 覚せい剤をやり始めて1年。漠然とした不安が頭に居座るようになりました。やがて、周りの人たちは私を見張っているのではないか。すきを見せたら襲おうとしているのではないか。私を付け狙っているのではないか、という疑念が払っても払っても取れなくなりました。そしてある日、「殺せ!」という声が聞こえました。次の日も、次の日も。初めは、これは幻聴だ、と分かっていたけれど、最近では、幻聴なのか本当の声なのか、区別が困難です。悪い連中に取り囲まれている、スパイされている。盗聴されている。殺されるに違いない。という恐怖で頭の中が破裂しそうになります。この1週間は、幻覚と妄想で、目をギラギラさせて周りに注意を払っている時以外は、大抵ボーとしているか寝ています。エネルギーを使い果たしてしまうんです。(28歳男性、2004年)

[扇風機が喋りだしました] 高校1年のときです。ボンドにはまって数ヵ月目でした。突然、扇風機が喋りだしました。「人間にもどりたいなあ」と言うんです。自分でも変だと思うのですが、確かにそう聞こえました。バイト先の上司に話したらすぐにクビになりました。(17歳男性、1995年)

[オルゴール、殺人予告、ゴミの山] ある日、オルゴールの音楽が聞こえ始めました。でも部屋中捜しても、そのオルゴールが見つかりません。そしてなぜか突然、その音楽が私を殺しにくる予告に違いない、という確信を持ちました。天井裏から足音がしたり、壁の穴から私を見張っている目玉が見えたりします。カーテンの陰にも人影が見えます。 覚せい剤を使い始めて2年でしたが、自分では、覚せい剤と幻覚の結び付きには、全く気づきませんでした。外出も怖いので、アパートの隣の店で買ったコンビニ弁当ばかり食べ、ゴミ出しにも行けなかったら、部屋は胸の高さまでゴミの山になりました。私はその中で恐怖に駆られながら包丁を横に置いて寝ていました。(22歳女性、1998年→回復して7年後、結婚されました)

[覚せい剤、幻覚] 覚せい剤を使い始めて2年目に幻覚が出始めました。自分の両手、両足から白い粉が吹き出すのです。それを指でつまんで一晩中とり続けていたら、朝になると、手足が血だらけになっていました。今では、私の手足は傷だらけです。自助グループの仲間や専門医の話では、これに似た幻覚はコカインや覚せい剤の乱用者には多いみたいです。腕の血管の中を虫が這っているとか、血管が蛇のようにうねって動くとか、シャブが血管内で再結晶しているとか、皮膚から綿が採れるとか、腕からミカンのように白い皮がボロボロ落ちるとか。・・・(28歳男性、2001年)

[覗き穴] エクスタシーを使い始めて2年、ある日、玄関ののぞき穴から室内を覗いている人影に気づきました。ひとりではなく、4、5人はいるようです。声をかけるとさっと隠れます。逃げ足が速くて影だけしか見られません。覗き穴から見ると影が見えるのに、ドアを開けるといません。玄関にいすを置いて、ドアを開けたり閉めたり、2時間も見張るのが日課になってしまいました。友達から、「幻覚だよ」と言われましたが、信じられません。(21歳女性、2004年)

[夢か現実か] MDMA(エクスタシー)を服用して、3日間徹夜で踊って騒ぎまくり、ホテルに帰ってロヒプノールとハルシオンを合計6錠くらい飲んで寝ました。夢を見ました。離れ小島に住んでいて、薪(たきぎ)拾いに出かける夢です。24時間以上眠って目が覚めました。足の裏に何かがついていました。手を伸ばして取って見ると、木の葉でした。他にも木片や土がついていました。周りを見回すと知らない場所でした。台所には紐でくくった薪の束がありました。都会のホテルに泊まったはずなのに、山小屋風の一軒家にいました。夢だと思ったことが実際の出来事でした。知らない男が一緒にいました。何とかごまかして、荷物をまとめて逃げ出しました。奥多摩の方面にいたようですが、正確にはわかりません。どこからが夢でどこからが現実だったのか、1ヵ月後の現在でも分かりません。(19歳女性、2002年)

[リタリンで正反対の性格に] 息子は、大学を卒業して就職、入社2年目に友人に「リタリンを使うと緊張がとれる」と教えられました。リタリンを始めた息子は、たちまち大量に服用するようになりました。それまでおとなしく控えめだった息子は、乱用し始めた頃から正反対の性格になりました。すぐにイライラしてケンカ早くなり、会社も自己退職してしまいました。それ以来何度就職しても、些細なことで激昂して退職してしまいます。何度かリタリン使用を止めましたが、長続きせず、隠れて使用し始めます。でもリタリンを飲み始めるとすぐに被害的になるので、家族にも分かります。ある日、大暴れをして、警察沙汰になりました。何とかして、元の優しい息子に戻してください。(30歳のリタリン乱用息子の両親、2003年)

[シャブ使用中は怖いものなし] 脱法ドラッグから覚せい剤に移行しました。私の場合、シャブを使うと気が荒くなり、怖いものなしの状態でした。23歳頃、アブリをやって高揚した状態で、ヤクザ男と喧嘩になりました。私の倍くらい体重がありそうな30代のヤクザ男に私のほうから殴りかかっていきました。素手で殴りあいましたが、勝てるわけはありません。血だらけになってぶっ倒されました。見ていた友人に後で聞いたところでは、ほとんど失神状態でしたが、結局最後まで謝らず、強がりを言っていたとのことです。眉間に残っている傷はその時のものです。今から考えるとぞっとします。(27歳女性、2002年)

[覚せい剤による幻聴] 18歳から2年間、覚せい剤を使用しました。幻聴が始まったので、使用を中止しました。それから5年後(25歳)の現在でも、静かな部屋でいる時だけですが、小さな声が聞こえます。精神科の薬を服用しているとあまり気になりませんが、やめると幻聴が再発します。自助グループに行ってみて、私のように、覚せい剤を止めた後も、長期間幻聴が取れない人が多いことを知りました。「死ねー、死ねー」という幻聴があると嘆いていた仲間が最近自殺しました。「覚せい剤を止めて3年経っても消えない、一生消えないなら死んだほうがいい」と言っていた仲間です。一方で、10年以上も治療して、やっと幻聴がなくなったという人がいます。私も、いつか幻聴が消えることを信じて治療を続けようと思います。(25歳男性、1997年)

[血管内を寄生虫が] シャブをポンプで10年間やっていました。注射器をきちんと消毒しないで使用していたので血管の中に何か寄生虫のような異物が入ってしまったようです。その異物が血流によって動き回っています。夏の暑い日や、スポーツした時には、異物の動きが激しくなります。心臓にその異物が詰まると動悸がひどくなり、頭の血管に詰まると頭痛が始まります。私は本人だからよく分かります。第一、この半年間はシャブをやっていませんよ。そして症状が強くなったのは、シャブを止めてからですよ。ほら、もう静脈炎の痕もほとんど消えているでしょう。それなのにこの私がいくら詳しく説明しても、今の主治医は、私が薬物中毒性精神病だ、と言い張るのです。それで今日は、セカンド・オピニオンをうかがうために赤城高原ホスピタルを受診しました。実は、ここへ来る前に、先週も、他の精神科クリニックを受診したのですが、ほとんど相手にされませんでした。私は薬物中毒性精神病でしょうか? 覚せい剤使用の後遺症で幻覚妄想状態になったのでしょうか? <うーーん。お気の毒ですが、どうやらそのようですね。> (35歳男性、覚せい剤関連の前科3犯、06/03) [TOPへ]


【 薬物関連医学問題(身体的問題・多重嗜癖・感染症) 】


[ヘロイン、静脈炎、蜂窩織炎] ヘロインの静脈注射をし始めた頃には、きちんとアルコールで注射器や皮膚の消毒をしていましたが、薬が切れたときにはそんな気持の余裕がなく、水道水でさっと洗った注射器を使うようになりました。最後は消毒なんかもうどうでもよくなり、拾った注射器を使ったりしていました。やがて左肘が静脈に沿って紫色にただれてきました。麻薬使用がばれるのが怖くてそのままほって置いたら、左腕全体が腫れ上がり、とうとう大腿と同じくらいの大きさになりました。気が狂うくらい痛くなったので、整形外科を受診しました。医者は「静脈炎から蜂窩織炎になっている。骨髄炎や敗血症になる可能性が高い。命が惜しかったら切断しかない」と言いました。別の病院を探し、「死んでもかまいません。切断しないで治療してください」と懇願し、本人、保護者ともに、「治療結果は受け入れる。死んでも異存はない」、と署名捺印して、切断しない治療をしてもらいました。排膿のため腕にメスを入れると悪臭のある膿と血が1リットル以上吹き出しました。強力な抗生物質の点滴を24時間やり続けました。敗血症を併発して高熱に苦しみましたが、約1ヵ月で奇跡的に生還しました。4ヵ月後にヘロインを再使用し始めた時、母親が警察に通報しました。(32歳男性、2002年)

[シンナー+タバコ=?] シンナーでラリッた状態でタバコを吸おうとして引火してしまい、カーテンに燃え移って、火事になりました。自宅を全焼、私は全治2ヵ月の火傷で入院中です。(18歳男性、2002年)

[シンナー、視力障害] シンナー乱用歴6年です。最近は純トロのドリンク瓶2本(トルエンをドリンク剤に入れて売っている)を毎日吸っていました。この数ヵ月間で視力障害が急速に進行したので眼科を受診したところ、視野に中心暗点があり、シンナー乱用による視神経炎と診断されました。外出時には白い杖が必要になりましたが、それでもシンナーが止められません。(25歳男性、2001年)

[シンナー、スプレー、視神経炎] シンナーと車のマフラー修理用スプレーを5年間吸い続けたら、両眼の視神経炎になり、視力がどんどん落ちてきました。今では、眼前30cmの人の顔がようやく区別できる程度です。(22歳男性、1998年)

[きっかけ、海外留学、過食症] マサチューセッツの高校にいたころ、ルームメイトがブリミック(過食症)でした。その娘の友人がヤク中で、その娘も時々薬物を使っていました。私ももらったり、買ったりして、マリファナ、マッシュルーム、エクスタシー、アシッド(LSD)など、一通り経験しました。日本に帰ってきてからはやめていたんですが、なぜか、私も軽い過食症になり、やせるために覚せい剤を使い始めました。(19歳女子大生、2003年)

[覚せい剤、ポンプ、静脈炎] あぶりからポンプに移って6ヵ月、注射の瘢痕が化膿して、リンパ腺が腫れて入院しました。両上腕の内側には静脈に沿ってぞっとするような瘢痕ができていましたが、痛みと高熱でどうにもならなくなるまで止められずに使い続けました。(20歳女性、2001年)

[覚せい剤+安定剤+アルコール依存] 前の病院では、治療と言っても、ただ薬を処方するだけでした。7カ月後に退院するときには、覚せい剤依存に加え、すっかり安定剤依存になっていました。最近のスリップのパターンは、イライラして安定剤を飲んで、そうするとなぜか酒を飲みたくなり、酒を飲むと止まらなくなり、気が付いたらシャブ(覚せい剤)を使用しているというものです。 (26歳男性、2002年)

[覚せい剤、買物依存] どういう訳か、覚せい剤をやめたら買物依存がひどくなって、1カ月で40万円以上の衣類と装飾品を買いました。(24歳女性、2001年)

[覚せい剤、もの忘れ] シャブを最後に使ってから3ヵ月、もの忘れがひどくて、あちこちにいろんなものを忘れます。階段を上る途中で、何のために2階に行こうとしていたのか分からなくなり、喋っている途中で何を話しているのか分からなくなります。ミーティングで、シャブをやめて1年後の回復者でも、こういう症状のある人が多い、と聞きました。怖くて、パニックになってしまいました。そして次に考えたことは、この現実から逃げ出したいということ、そのためにシャブを使いたいということです。仲間や、看護の方や、ケースワーカーを捕まえて、この話を繰り返しているうちに、何とか薬物渇望をやり過ごすことができました。(26歳男性、2002年)

[ラッシュ、体重減少、頭痛と耳鳴り] ラッシュ(Rush)という脱法ドラッグがはやっています。亜硝酸アミルや類似物質が入っていて危険だと言われています。私は18歳から3年間使い続けました。体重が20kg減ったのはよかったけれど、頭痛と耳鳴りが取れなくなりました。使用を止めて2ヵ月たつのに、まだ症状が残っています。(22歳女性、2003年)

[覚せい剤、回し打ち、C型肝炎]  覚せい剤を6年間やっていました。注射の回し射ちを何百回もやりました。だからある程度は覚悟していましたが、ホスピタルでC型肝炎になっていると聞いたときはやっぱりショックでした。自分は仕方ないと思いますが、妻のことが心配です。私の薬物問題で妻がノイローゼになり、私から注射器を取り上げて自分の腕に刺したことが2回あったからです。もしも自分のせいで妻まで肝炎にしていたら、と考えると、苦しくてたまりません。(31歳男性、2001年)

[覚せい剤、C型肝炎、プロポリス]  名古屋方面では、覚せい剤の使用方法は、最近でも、まだ注射でしたよ。「アブリ」では、もったいない。注射針は、水で洗うだけで回しうちですから、あぶないな、とは思っていました。やっぱり、(C型肝炎)陽性でした。友人に勧められて、プロポリスを使ってみましたが、高い金を払っただけで無効でした。仲間に「おれたちヤク中は、どういうときにも、いつまでたっても、くすり信仰が抜けないな」と笑われました。(30歳男性、2000年)

[風俗嬢、薬物体験] エイズ以外の性病にはひととおりかかりました。シャブと風俗、風俗と性病は相性がいいんです。私の場合は、仕事をし過ぎると疲れるし、あそこが痛くなるので、1日5人が限界だけど、シャブを使うと、疲れないし、痛くならないので、10人の客が取れました。仲間の一人はエイズで死にました。(23歳女性、1998年→4年後死亡されました)

[かぜ薬乱用、歯がパリパリとこぼれ落ちました] 42歳から4年間、かぜ薬を乱用しています。パブロンゴールド(常用量、1日3袋)を毎日、10袋飲んでいました。歯がもろくなり、硬いものを食べるとパリパリ割れてこぼれ落ちるようになりました。今は、上歯には、壊れかけの歯が3本残っているだけです。(46歳女性、2002年)

[覚せい剤、脳細胞] 覚せい剤を長期使用すると、使用中止後1年でも、脳細胞の半数以上が損傷を受けていると聞きました。本当ですか。(本当です。2001年、PETで確認されたという報告があります)

[摂食障害、シャブと体重] 赤城高原ホスピタルに入院して、シャブをやめたら、2ヵ月で体重が43kgから65kgまで22kg増えました(163cm)。入院時に、院長の「あなたは摂食障害もあるね」という指摘に反発したけど、いまそれが正しかったことが分かりました。私は吐けない過食があって、シャブを使っていた理由にはそれもあったんです。(27歳女性、2001年)

[覚せい剤類似薬品、体重への長期効果] ホスピタルに入院して分かりました。覚せい剤、MDMA、エフェドリン、エフェドラ、これらはいずれも食欲抑制効果がありますが、例外なく、依存性があるし、使い続けると幻覚妄想などの障害があり、また使用を中止すると、元の体重(時にはそれ以上)に戻ります。(26歳女性、2003年)

[覚せい剤、食欲] 普通の人は、大麻を使うと食欲が増進し、覚醒系の薬物を使用すると食欲がなくなるはずですが、私の場合は、葉っぱ(大麻)はもちろん、シャブ(覚せい剤)でもエクスタシー(MDMA)でも、過食になってしまいます。だから本格的な薬物依存にならずにすんだのかも知れません。誰か私と同じような、どんな薬物でも太る人知っていますか。(28歳女性、2002年)

[覚せい剤で虫歯になる訳] 覚せい剤を使用中に強迫行動が出る人は少なくありません。ボクの場合は、シャブをやると、爪楊枝や針で虫歯をいじり始めます。それが止まらなくなり、歯と歯肉をいじり壊して、口の中が血だらけになっても止められません。それに歯も磨かずに寝るので、シャブを使った後は必ず虫歯が余計にひどくなります。24歳の現在、半分しか歯が残っていません。虫歯がひどくなって結局抜歯したのです。シャブを止めて1年になるので、歯の治療をしようと思います。一度シャブを使えば、治療痕をいじって滅茶苦茶にしてしまうので、これまでは治療を控えていたのです。(31歳男性、1998年)

[シャブのまわし射ち後遺症] 17-19歳の1年半、週に数回、多い時には、ほとんど毎日、仲間2人とシャブのまわし射ちをしていました。150回位使用した時、幻覚と妄想が出現したので精神病院に2ヵ月入院しました。シャブを止めて2年経ちますが、いまだに時々、被害妄想が出てきます。BFと兄が裏取引をして私を暴力団に売り渡そうとしていると思い込んだり、不安、恐怖から情緒不安定になって自殺したくなったりします。抗精神病薬を飲み続けています。止めると妄想が強くなるようです。その上、最近、C型肝炎にかかっていることが分かりました。(21歳女性、2006年)
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【 末期、後遺症 】


[覚せい剤、再発の構図] 1年も止めているし、100%もうやらないという自信があったのに、・・・。運が悪かったのです。日曜日の昼さがり、渋谷のセンター街をぶらぶら歩いていたら、中近東のバイヤーらしき人が数人たむろしていました。ちょっと試しに聞いてみました。「何かある?」 すぐに「何でもあるよ」という返事。「お金もないし、もうやめたからいらないよ」と言ったのに、「いいからいいから」と東急ハンズの裏のほうのアパートに連れていかれました。小さなビニール袋をぽんと目の前に出されました。勿論シャブのワンパケです。私が「お金がない」と断ると、「やるよ」というのです。私の思考はそこでストップ。すぐにその場であぶりをしてしまいました。翌日には、お金を持って買いに行きました。その後の1週間で5g使いました。(20歳女性、2002年)

[氷砂糖から連想するもの] やさしい女の子と出会ってシャブをやめ、半年後に結婚しました。結婚してからも2年間、完全にクリーンで、もう絶対やらないと決めていたのに。たまたま昔の仲間に会って、その仲間の先輩から「氷砂糖から連想するものナーンダ」と聞かれた時、うっかり「シャブ」と答えてしまいました。「やるよ」とパケとポンプを渡されたら、その場で思考停止。気がついたら、注射していました。でも3回だけできっぱりやめて、それからまた1年後、仕事が忙しくて昼夜逆転になったら、どうにもたまらず、またシャブに手を出してしまいました。そしてなぜか今回はすぐに連続使用になりました。(26歳男性、2001年)

[覚せい剤、回復中と使用中] ホスピタルで知り合った覚せい剤依存の男性を訪ねて、北海道の実家までやってきました。入院中は、あんなにまじめで、正直で、優しいすてきな男性だったのに、会ってみると、自己中心的な乱暴な男でした。ヤクと金とセックスにしか関心のないシャブ漬け男でした。回復中と使用中では、別人だということがよく分かりました。(26歳女性、男は32歳、2001年)

[やくざ、覚せい剤、耳そぎ] やくざにいた時は、コカインも覚せい剤もやり放題でした。出入りの時は、覚せい剤をやって勢いをつけて行きます。そうすると怖くないし、自分の場合は、刺されても痛くありませんでした。逆にひとの痛さも分からないから手加減ということができません。俺は、相手の耳を削ぎ取ってしまいました。ふだんなら、そこまではしないんですけど。また別のときの喧嘩で、俺が刺した男は、1カ月後に腹膜炎で死にました。いつもなら、腹部は避けて大腿部を刺すのですけど、その時にも、シャブが入っていて、考えられませんでした。(32歳男性、2000年)

[シンナー、長期乱用、後遺症?] 弟は16歳のときから10年間シンナーを吸ってきました。やめて1年になりますが、イライラしているかまたはぼうっとしているかのどちらかで、ほとんど意味のあることはできません。専門医からは、集中力低下、意欲低下などがあり、シンナー乱用後遺症の可能性が大きいと言われています。回復は不可能ではないが、少なくとも数年はかかると言われています。薬物リハビリ施設の関係者からはシンナー長期乱用後遺症からの回復は難しいと言われています。また別の精神科医に聞いたところでは、古い精神病院では、長期のシンナー乱用者が退院できずに長期在院していて、陳旧性分裂病と同等に扱われているということです。(27歳シンナー男の兄、2001年)

[アンパン・アイス] ホスピタルで治療中の覚せい剤乱用患者(26歳)が荷物を病院に残したまま、突然失踪しました。1カ月後、他県の脳外科病院の担当医から当院院長に問い合わせの電話が入りました。「3日前に、乗用車で高速道路を逆走していて、トラックと正面衝突して救急病院にかつぎこまれました。2日間昏睡状態でしたが、今日になって、やっと少しだけ意識が戻りました。しきりに、アンパン、アイス、と言っていますが、この方の好物だったんでしょうか?」(アンパンはシンナー、アイスは覚せい剤の隠語です)(26歳男性、2000年)

[シンナー歴10年、収支] シンナーをやり続けて10年。得たものは、借金、孤独、物忘れ、なまけぐせくらいでしょうか。いいことは何にもありませんでした。あっさり死んだ仲間や精神病院に入りっぱなしの仲間もいるから、まあ仕方ないかな。(26歳男性、1999年)

[覚せい剤、幻覚妄想、後遺症]  シャブの幻覚妄想で、3年前ホスピタルに入院しました。幻覚妄想はとれたけど、後遺症が残っています。今でも、話している途中で、いま何を話しているか、分からなくなることがあります。(28歳男性、2002年)

[耐性、慢性妄想] 20年シャブをやり続けて、刑務所ににも2回、合計6年入りました。でも未だにやめられません。使用量も一般の人より多いようです。5gを5-6万円で買い、多いときには、0.2gの注射を1日に5回くらいします。シャブ使用中は落ち着きなく、シャブが切れると、寝ぼけのような状態で、妄想的な内容を喋り続け、翌日そのことを覚えていません。(38歳男性、2001年)

[ウットとリスロンS、放浪癖] 私の場合、1度処方薬乱用を始めると自分ではストップができません。ウット(鎮静剤)とリスロンS(精神安定剤)と酒の乱用を続けながら2週間から最高6週間くらい放浪(家族から見ると行方不明)します。その間、行きずりのセックスをしたり、万引や盗みをしたり、交通事故を起こしたり道路で寝ていたりして、救急車で運ばれるか警察に突き出されるまで続きます。このようなことがこの2年間に5回ありました。(22歳女性、2001年)

[一人で死んでくれ] デパスを10錠飲んで、高速道路を走っていたら、中央分離帯に接触し、車が2回転し、火を噴きました。しかも運転席のドアが開かず、いよいよ死ぬかと思いました。でも運良く通りかかったトラックの運転手が助手席から助け出してくれました。実はこの10年間に同じような事故を繰返しており、今回で5回目です。警察は知りませんが、いずれも処方薬がらみです。今回は自損事故ですが、他人に怪我をさせたこともあります。兄弟から、他人を巻き込んで殺す前に一人で死んでくれと言われました。(32歳男性、2000年)

[早死には仕方ないと思っています] 15歳から現在(23歳)までマリファナ、シャブ、ヘロイン、コカイン、LSD、エクスタシー、ハルシオン、リタリン、アルコールなど何でもやりました。刑務所にも1年半入りました。刑務所は嫌だけど、早死には仕方ないと思っています。正直言って、今さえ良ければいいです。入院は嫌です。(23歳男性、2000年→4ヵ月後、交通事故のため救急病院入院)

[家族への後遺症、性虐待1] 母の再婚相手は、断続的に覚せい剤を使っていたようです。今から考えると、義父は覚せい剤を使った時には性的に興奮し、また乱暴になるようでした。私が中学2年から3年にかけて、義父にレイプされました。母の留守を狙ったのです。母は気づいていたはずなのに、「もしもあいつが、いやらしいことをしたら言いなさい。わたしがあいつを殺すから」と言いました。彼と別れる気はないという意味だと思いました。どうして母親を殺人者にすることができるでしょう。私は中学を卒業するとすぐに非行グループに入り、数ヵ月後に家出しました。(19歳女性、1999年)

[家族への後遺症、性虐待2] 「200人の証言」のページを読んでいて確信しました。父は覚せい剤を使っていたのです。私が小学生ころから時々父が、「隣の男は警察のスパイだ。盗聴器を仕掛けやがった」などと言って家中の天井板をはがしたり、ドアの隙間に目張りをしたりしていました。私が中学1年の時、母の留守に父が私の部屋にやってきて、「ここがいちばん安全だ」と言いながら私のベッドにもぐりこみました。すぐに父の手が私の胸や下腹部に伸びてきてあのおぞましい行為が始まりました。その後両親は離婚しましたが、性虐待についてはまだ誰にも話せません。父はその後何度か刑務所に入ったはずです。あの男を一生社会に出さないでください。出したらきっと私と同じような被害者を作ります。(24歳女性、2000年)

[LSD、脳挫傷、エフェドラ] LSDを使い始めて10回目位のとき、幻覚状態になりビルの3階から飛び降りました。脳挫傷で1週間意識がありませんでしたが、奇跡的に生き返りました。神様は何を考えられたのか、落ちたところが乗用車の屋根だったのです。ところがその後も薬物乱用がやめられず、刑務所に2回入りました。やっと薬物を絶ったのに、13年後、合法ドラッグのエフェドラ製剤を使い始めたら、たちまち違法薬物乱用に戻ってしまいました。(40代男性、2003年)

[ヤク中の思考パターン] 刑務所に入ったのがきっかけでシャブをやめて1年半、ある日、朝から頭が働きません。1年以上続けている毎日の仕事の手順が分からないのです。その日の夕方、車を運転中に縁石に乗り上げ、パンクさせてしまいました。ホスピタルを受診して、院長に、「覚せい剤を2年やった後遺症のフラッシュバックだと思う」と言ったら、「そのとおり」とのことでした。でも、「最後に使ったシャブがマブネタ(純粋物)じゃなかったから、それが悪かったんだ」と付け加えたら、「典型的なヤク中の思考パターンですね」と言われてしまいました。(36歳男性、2000年)
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【 死 】


[処方薬乱用、自殺未遂] 処方薬依存でした。ある夏の日の午前2時頃、睡眠薬と安定剤を100錠くらいとさらにお酒を飲んで、その地域で1番大きな河に泳ぎ出しました。河口から外洋にまでどんどん流されました。今度こそ死ねると思ったところで記憶が途切れてしまいました。気がついたら救急病院のベッドでした。ちょうど通りかかった小船が私を見つけ拾い上げてくれたのです。数日後にホスピタルに転院になりました。ホスピタル入院中の薬物乱用患者には似たような自殺未遂の体験者が少なくないということを知って私の方が驚きました。(24歳女性、2004年)

[暴走族、覚せい剤、引退式]  15歳から18歳まで暴走族でした。仲間の多くが薬物を使っていました。覚せい剤、シンナー、ブロン、マリファナなどです。17歳で総長(グループのリーダー)になりました。18歳で引退式をしました。一緒に引退した10人の仲間のうち、2人死にました。2人ともシャブをやっていました。3人は、5年後の今でも薬物を使用していると思います。(23歳男性、2000年)

[覚せい剤、急性中毒死] ロックバンドの仲間のひとりに、シャブ中の男がいました。ガリガリにやせて、目がギラギラしていました。時々妄想的になっておかしなことも言っていましたが、私にはいつも、「どんなことがあっても、シャブだけには手を出すな」と言っていました。知り合って2年後に死にました。覚せい剤の急性中毒だと聞きました。20歳でした。(21歳男性、1998年)

[従兄弟の死、何が不足?] 同い年の従兄弟は、先祖代々の遺産を管理しているだけで、一生食って行ける以上の金があるのに、一流大学を出て、女にもてて、外車を乗り回していて、何の不足もないのに、シャブを使い過ぎて22歳で死にました。(22歳男性、2001年)

[シンナー、激突死] 17歳の時、学校のセンパイがシンナーを吸ってオートバイを運転していて、カーブを曲がりきれず、コンクリートの壁に激突しました。センパイは、始め「イテー!」とうなっていましたが、すぐに息をしなくなり、救急車が来る前に死にました。すべてが私の目の前で起こりました。その事件があって以来、私はクスリを使いながら運転することは止めました。非合法のクスリも止めました。でも、ライターガスとブロンは止められませんでした。(20歳男性、2002年)

[仲間の死、使い過ぎ] 赤城高原ホスピタルで知り合った30代のシャブ男は、入院2週間で、「もうシャブは止めた」と、勇んで退院して行きました。その1カ月後、私も退院して、入院中に聞いていた自宅に電話してみました。お母さんが出てこられて、「息子は3日前に死にました」と言われました。1週間後にお線香をあげに行きました。冬の日にストーブをつけっぱなしで、干からびて死んでいたということです。シャブの使い過ぎでした。「あんたも止めた方がいいよ」と言われました。(29歳男性、2000年)

[仲間の死、心臓麻痺] ほとんどのシャブ仲間は、捕まりました。私も2回逮捕されました。でも、捕まるのはまだ良い方です。16歳から仲間だった暴走族の総長は、シャブのやり過ぎで死にました。25歳、心臓麻痺でした。(26歳男性、2001年)

[咳止めブロン液で] 2歳年下の弟は、15歳から10年間、薬物乱用に振り回され、治療中心の生活でした。この1年、やっと回復と希望の光が見え始めたと思ったところでした。咳止めブロン液のスリップが止まらなくなり、使い続けて1週間。干からびるように死んでしまいました。心臓死のようですが、詳しいことは分かりません。(28歳女性、弟は26歳、2003年)

[仲間の死、凍死] シャブ仲間のひとりは、ある精神病院に覚せい剤を持込んで、強制退院になりました。寒い雪の日でした。翌日、病院の玄関前で凍死していました。(22歳男性シャブ中の友人24歳、1993年)

[仲間の死、転落死?] シンナー乱用5年目の彼は、使用を止めて3日目に、駅のホームから落ちてなくなりました。19歳でした。自殺か、事故死か、スリップ(薬物再使用)していたのかどうか、誰も分かりません。(19歳男性、1990年)

[13ステップ、自殺?] リタリン+アルコール乱用の女性(26歳)は、ホスピタルに入院して2ヵ月、アルコール+薬物乱用の男性(入院患者)と知り合って、退院して結婚する計画をたてました。「ほぼ100%スリップするから、早く(病院に)帰っておいで」という院長の言葉に反発し、家族からも「(院長という)役職と能力は別だから、そんな言葉は信じるな」と励まされ、「意地でもスリップしない」と言いながら病院を後にしました。退院直後に二人ともスリップ、1ヵ月後には警察騒ぎとなり、5ヵ月目に女性はなくなりました(自殺のようです)。ご冥福をお祈り申し上げます。(26歳女性、2001年)

[処方薬依存、病気が職業] 市販薬のウットを乱用し、そのほかにあちこちのクリニックでもらった処方薬とお酒を乱用していました。1年に1度以上交通事故を起こし、しばしば骨折したり、転倒して切傷、打身や捻挫を起こしていました。また酔って寝込むために風邪をひいたり、電気コタツや電気カーペットをつけっぱなしで寝て、熱射病になったり、低温火傷の傷を作ったり、褥創(じょくそう、床ずれ)や神経麻痺を起こしたりして通院や入院を繰り返していました。しかし多数の健康保険に加入して多くの給付を受けていたので、生活には困りませんでした。実のところ最近5年間はほとんど「病気が職業」という状態でした。さすがに一部の医師が依存症に気づき、家族の勧めもあって、ホスピタルに入院になりましました。入院中は担当医に処方薬を強要して断られ、2週間で自主的に退院しました。ホスピタルへの通院を嫌い、安定剤や眠剤を出してくれるクリニックに通院していましたが、退院8ヵ月後に死亡しました。ウットや処方薬の乱用による急性中毒のためと思われます。(享年30歳女性、2002年)

[アルコール+処方薬、結末] 20代からアルコールと安定剤、睡眠薬を乱用していた友人(女性)は、これまでにも何回か、酒と薬のガブ飲みで、入院していました。ある日、昼頃まで起きてこないので、母親が彼女の部屋に行ってみると、すでに呼吸はなく、体は冷たくなっていました。34歳でした。枕もとには、空の処方袋とウィスキーの空瓶がありました。(享年34歳女性、1997年)

[看護婦の処方薬乱用、結末] 看護婦としての勤務時代から処方薬乱用が始まりました。ホスピタル入院中は、主治医の予告、忠告にもかかわらず、複数の男性に急接近し、注意を受けると、自傷をしたり、スリップしたりするという行動パターンを数回繰り返した後に強制退院になりました。退院後は通院をせず、入院中に知り合った男性と同棲しながら処方薬、市販薬やアルコールの乱用を続けていました。男性の報告では、「ホスピタルに再入院したい」とも言っていたとのことです。仲間の数人に入院を勧められたようですが、本人から病院への連絡はなく、退院後9ヵ月目に死亡しました。(享年31歳女性、1996年)

[仲間の死、飛降り] シンナー乱用仲間のひとりは、ホスピタルを退院後の2年目に、マンションの5階から飛降りてなくなりました。警察から病院への問い合わせで分かりました。治療中のその娘は、あどけない顔をした高校1年生でした。(享年16歳女性、1992年)

[ガスボンベを手に持ったままでした] 28歳になっても、ライターガスの乱用が止まらず、ある日、アパートで死んでいるのが見つかりました。死後3日経っていました。部屋の中にガスボンベが8本転がり、その他に1本を手に持ったままでした。(享年28歳男性、1997年)

[やくざ、覚せい剤、仲間の死] やくざの子分のようなことを2年間していました。抜けてから1年後も、先輩から組の事務所に来るように言われ、逃げ回っていました。ある日、3人の男に車の中に押し込まれて、覚せい剤を注射されそうになりました。親友から「一度でもやったら抜けられなくなる。オレはもう、はまってしまってダメだけど、お前は絶対に逃げろ」と言われていたので、死にもの狂いで暴れまわり、何とか逃げられました。以来7年間、私は一度も地元に帰らず、昔の仲間とは一切、連絡をとっていません。最近、私を救ってくれたその親友が、ビルから飛降りて死んだ、と家族から聞かされました。殺されたのだと思います。やくざに殺されたか、覚せい剤に殺されたか、自殺したか、私から見ると、大した違いはありません。(30歳男性、死んだ友人は享年31歳男性)

[5人仲間] 18歳から29歳までの女性仲間5人でスピード(覚せい剤)とエクスタシー(MDMA)を使い始めました。2年後に最年長の仲間が死にました。多分、過量摂取のためです。その4ヵ月後、リーダー格の仲間から、「つかまりそうだから携帯を捨てろ」と電話が入り、まもなく3人の仲間と連絡が取れなくなりました。リーダーは刑務所に入りました。一番若かった私だけが取り残され、それでも止められず、売春をしながら使い続け、4年後に幻覚と妄想で専門病院に入院することになりました。4年前に戻りたい。神さま、戻してください。もう決して薬物に手を出しません。4年前に戻してくれるのなら、私が命がけで仲間のクスリをやめさせます。(22歳女性、入院時の発言、1996年)

[骨折、心停止] 20歳の時、合法ドラッグ漬けで、バイクを運転していて、曲がり角を曲がりきれず、塀に激突して首の骨を折りました。救急病院に運ばれ、一時的には心停止まで行きましたが、奇跡的に生き残りました。それにも懲りず、翌年には、合法ドラッグを使用し始めました。ヤミ金から借金して、首が回らなくなり、脅され始めたために警察に相談して、やっと治療につながりました。(25歳男性、2001年) [TOPへ]


【 回復 】


[無力、回復の第1歩]  「簡単にやめられる。やめる気になればすぐにもやめられる。でも、もう1回だけ」
そう言い続けて8年たちました。2年の刑期を終えてシャバに出てきたけど、今はやめる自信がありません。少なくとも、私だけの力ではやめられません。無力を認めること。それが回復の第1歩だと仲間に教えられました。 (32歳男性、1996年)

[シャブ、ポンプ、静脈]  シャブ(覚せい剤)をポンプ(静脈注射)で3年間やっていました。ポンプを繰り返すと、細菌感染による炎症などでだんだん血管が痛んできます。もともと血管が出にくい体質なので、最後の方は使える静脈を捜すのに苦労しました。専門医に通院するようになって、自助グループにつながり、シャブをやめて9ヵ月になりました。ある日、お風呂上がりに、テレビを見ながら手足をさすっている自分に気がつきました。
「あっ、そうだ。私はもうシャブはやめたんだ。血管を捜さなくていいんだ」
ほっとした一方で、「せっかく、いい血管を見つけたのに」と思いました。そして、自分のその考えにぞっとしました。(27歳女性、1997年)

[入院の効果] リタリン乱用2年間でホスピタルに入院になりました。3週間後、外泊して自室を掃除していたら、隠してあったリタリンが6錠出てきました。すぐには捨てられず、どうしようかな、と考えてしまいました。すぐに捨てる、手を出さないがもしもの時のためにとって置く、今回だけ使用する、という3つの選択肢と、このことを、院長や仲間に話す、話さない、という2つの選択肢の組み合わせをあれこれ考えました。頭が痛くなるほど考えた後に、結局、捨てられずに、机の中に残したまま、病院に戻り院長と仲間に報告しました。入院中だったので、報告するということが使用の歯止めになったのだと思います。それがなかったら、入院前、数え切れないほど繰り返したパターンに戻っていたはずです。回復はまだまだ遠いようです。(28歳女性、1995年)

[ナース、麻酔科医、麻酔前投薬]  十年前、ICUや手術部のチーフ(主任看護婦)をしていました。麻酔前投薬(麻酔導入剤)のドルミカム(ミタゾラム)や安定剤、睡眠薬などを持ち出して、麻酔科医や外科医と乱用していました。パーティーの3次会 だったり、当時、半同棲中だった麻酔科医(今から考えるとアル中でした)との秘密の儀式だったりです。2000年に関東の私立医大の麻酔科医の乱用死がマスコミで取り上げられた時には、私の知人ではないかと、ドキッとしました。私はその後、嗜癖ネットワークにつながり、処方薬乱用から抜け出せました。(37歳女性、2002年)

[処方薬乱用、入院治療] 入院前には21種類の処方薬を飲んでいました。食間、食後の服薬で、クスリに追われる毎日でした。ホスピタルに入院して1ヵ月、やっと4種類に減りました。これまでに何度も入院したけど、薬は増えるばかりで、減ることはありませんでした。あと2ヵ月で、全部止められるか、1、2種類にできるだろうと主治医に言われました。(26歳女性、2000年)

[処方薬乱用、折りたたみ傘] 処方薬乱用でホスピタルに入院しました。退院して3週間、折りたたみの傘を開けてみたら、デパスのシートがバラバラと落ちてきました。入院前に隠してあったのです。「キャー」と大声をあげたら、夫がやってきました。ドキッとしましたが、もう夫に隠す必要がないんだと思うとほっとしました。錠剤をトイレに流すとすっきりしました。睡眠薬も安定剤もなしにぐっすり眠られました。院長に話したら、「まだまだこれから。いい日も悪い日もあるからね」ということでした。(28歳女性、2003年)

[渇望・苦痛]  入院して1カ月、やっと自分が苦しいんだ、ヤクを欲しいんだ、と分かって、看護の方や仲間に言えるようになりました。前2回の入院では、何にも言わずに、気が付いたら退院して、使っていました。 (29歳女性、2003年)

[自治会長] 処方薬依存のためにホスピタルに入院して3ヵ月目です。月に1度の選挙で自治会長に選ばれました。でも、1日に30錠くらい服用していた処方薬を漸減して、最後に残った頓用薬、コントミン、12.5mg錠がどうしても止められません。「明日、下駄箱整理をします。協力をお願いします」と婦長に言われると、たったそれだけのストレスでも、「大変だ、クスリをもらわなきゃ」と思ってしまうんです。完全に処方薬を止めたいので、次回の選挙候補者名簿から自分の名前をはずしてもらうように頼みました。(45歳、女性)

[抗不安薬、抗うつ薬、処方薬依存]  専門病院に入院して3カ月、抗不安薬だけではなく、処方薬全部止めたいと自分から希望して、5年間飲み続けていた抗うつ薬も中止しました。前医と現在の主治医である嗜癖専門医にいわれていたような、不安、抑うつ気分の再発もないし、薬物の渇望も起きません。仲間の話を聞くと、処方薬、市販薬乱用の患者で私のようなケースは例外的で、通常は回復に半年ないし数年かかるようです。(22歳女性、2005年)

[覚せい剤、誘惑、病気] 覚せい剤をやめて3カ月になるけど、まだ止め続ける自信はありません。今までも、3カ月、6カ月、1年止めていて、誰かに、「どうだ、やらないか」と誘われたら、簡単に手を出してしまいました。「薬物依存症は病気だ。だから、危ないところに近付かないこと。ドラッグを止め続けるためにはミーティングに通い続けるしかない」
それが分かるのに、僕の場合、2年かかりました。分からないまま死んで行く仲間を何人見送ったことか。(32歳男性、2004年)

[覚せい剤、入院生活] 入院して2ヵ月間は、不安と被害妄想と対人恐怖で気が狂いそうでした。いても立ってもいられず、閉鎖病棟と開放病棟を行ったり来たりしていました。よっぽど逃げ出してまた覚せい剤を使おうかと、何度も思いました。4ヵ月目、ようやく不安感が減ってきました。仲間の話では、私は例外的に早い回復だということです。何よりうれしいことは、ホスピタル入院前に服用していた10種類以上の向精神薬を入院5ヵ月で全部止められたことです。(28歳男性、2003年)

[自助グループ、半信半疑、自立]  院長に、自助グループの大切さを教えられても、その時は半信半疑でした。でも、本人がスリップを繰り返し、最終的には、家族会議で、これしかない、という結論に達しました。家族が協力して、週に3回、本人をミーティング場に送迎しました。2ヵ月後からは、自分で車を運転して通っています。確かに自助グループは効果があります。娘は自分で自分の人生を考えるようになりました。(24歳女性の母、2003年)

[リタリン乱用、正しい情報] リタリン乱用中のヤク中仲間から電話があり、「リタリン25錠を5千円で分けてあげるよ。合法だからパクられることもないし、元々うつ病の治療薬だから、シャブのように後で落ち込むこともないよ」と誘われました。前の私だったらすぐに飛びついたところですが、ホスピタルに1ヵ月入院して、退院したばかりで、リタリンの正しい情報を得ていたので、嘘だと分かりました。「クスリは止めたの」と断ることができました。(25歳女性、2004年)

[薬物依存を治す薬?] 薬物依存は薬では治らない。こんなあたりまえの単純な事が分かるまでに、私は5回の入院を繰返し、3年間を無駄にしました。不安を止める薬、イライラを止める薬、よく眠られるようにする薬、しゃきっとする薬、離脱症状を軽くする薬、こういう薬を出してくれる医者を求めて、入院を繰返したのです。3年間の治療ですっかり処方薬依存になって、専門病院にもどってきました。(26才女性、2001年)

[私は本当に幸運です] 15歳から12年間アルコールとシャブ(ポンプ)をやりました。シャブはやめたけど処方薬と酒がやめられず、酩酊状態でのトラブル頻発で何度も警察のお世話になり、37歳でホスピタルに入院になりました。約1年入院して、自助グループにつながり、退院後に内科に紹介され、C型慢性肝炎のインターフェロン治療を受けましたが、経過順調で完治したようです。私はこの4年間はクリーンで、アルコールも数回の「ちょこっと飲酒」以外はほとんどスリップなしです。付き合いのあった多くの仲間が死にました。大部分の人が私より軽症でした。今でも自助グループに行っています。まあまあの幸せです。私は本当に運が良かったと思っています。院長が「今のところは」だって。(41歳女性、2003年)

[シンナー、ハグ、歯車] ママが私のほっぺに「ぶちゅー」とキスをしてくれました。「ヤダー、お化粧が落ちるから。もういいから」と言っても、放してくれません。3年前ホスピタルに入院したときは、「ずっと入っていなさい。もう出てこなくていいから」と言っていた同じママです。入院前、ママの嫌味の攻撃に、私はシンナー使用で対抗していました。私たちは、本当は求め合っているのに、歯車が噛み合っていなかったのです。このホスピタルで、それを治してくれました。院長先生からハグの仕方を教わって、初めはママが嫌々やっていたのが分かったんだけど、いつの間にかだんだん本物になってきて、今はママにハグされるとき、自分が本当に愛されていると分かるんです。もうシンナーを吸う必要がなくなったし、やめられそうな気がします。 (21歳女性、2002年)

[救急車] 年末のある日、院長がホスピタルの外来患者と面談をしていました。そこに、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきました。だんだん近くなります。患者が顔をあげて院長の目をまっすぐに見て言いました。「ああ、なつかしい。先生、覚えてる? 私、あの車でホスピタルに3回入院したのよ」
「そうだったねえ」
「その他に、パトカーで連れて来られたことが数回」
「シンナーの臭いをプンプンさせながらね」
「大昔のことみたい。この頃、時々思うんです。あれは夢だったのかなって」(24歳女性、クリーン2年、2004年、その後も安定、結婚) [TOPへ]


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AKH 文責:竹村道夫(2000/06)


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