【節酒自助グループ、MM創始者の飲酒運転事故】  赤城高原ホスピタル

(改訂: 01/05/28)


[初めに]

 節酒志向自助グループ、MMの創始者の飲酒運転事故について、多くのアルコール症患者や回復者の方々、関係者から報告や質問を受けました。この事件について日本のマスメディアはほとんど注目せず、わずかに一部の新聞のみが、ごく簡単に報道しただけだったようです。

 少なくとも私の周辺では、これだけ関心を持たれている事件が、日本で正確に紹介されないのは残念なことです。そこで筆者は、海外のメディアなどから詳しい情報を取り寄せ、以下にその概要をまとめました。この悲劇から私たちは何を学ぶことができるでしょうか?


[飲酒運転・交通事故]

 問題飲酒者のための自助グループ、Moderation Management (通称MM、日本語にすると節酒統制というほどの意味)の創始者、オードレイ・キシュライン(Audrey Kishline, 43歳)が、2000年3月25日(土曜日)、アメリカの州間高速道路で飲酒運転衝突事故を起こした。

 主婦で2人の子持ち、Woodinvilleの住人、キシュラインは、この日、1992年製フォード小型トラックを運転し、ワシントン州、Cle Elum付近でインターステート90の東向き一方通行道路を西向きに逆走していた。そして午後6時頃、Bellevueの電気技師、リチャード・デイビス(Richard D. Davis, 38歳)の運転する1982年製ツードアのドッヂ車と正面衝突した。

  リチャードと、同乗していた娘ラシェル(LaSchell)の二人は即死した。ラシェルは 12歳になったばかりで、自宅のベッド周りにはまだ10日前の誕生日パーティーの飾り物などが残されたままだった。

 州警察官によれば、キシュラインのトラックには、ウォッカの飲みかけの瓶と抗不安薬、アルプラゾラム(日本なら、商標名コンスタン、ソラナックス)の容器があった。キシュラインは、Spokane に向かっていたようだが、その理由および逆走の理由は本人自身にも不明であるという。キシュラインは、3月25日当日、この死亡事故の直前にも、他の車と接触事故を起こしながら、当て逃げをしていたとされる。彼女は、この土曜日、午後の大部分を飲みつづけ、夕方ブラックアウト状態のまま、100マイル(160km)以上も運転していた。

 事故の1時間余り後の採血で、キシュラインの体内からは、ワシントン州法定制限濃度の3倍以上の血中アルコール(0.26BAL)が確認された。


[Audrey Kishline]

 キシュラインは、高校時代からすでにアルコール問題があり、30名以上の医師にかかり、2ヵ所のトリ−トメントセンターを含む多くの施設で、いろいろな治療を受けたが、20年間も飲酒問題から回復できずにいた。彼女は自分を含め、多くの問題飲酒者は、ある適切な飲酒方法を学習すれば、節酒ができるとして、仲間と共に節酒のための自助グループ、Moderation Management を1993年に創設した。

 そして翌1994年には、自らの体験と主張を本にまとめて出版した。キシュラインの著書、「節酒(Moderate Drinking, Three Rivers Press)」には、「酒量を下げたいと願う人々へのガイド」という副題がついており、MMの公式ハンドブックとなっている。

 問題飲酒者の節酒治療については、彼女の主張の20年以上も前から、一部の専門家が試行錯誤を繰り返していた歴史があり、とりわけ真新しいものではないが、専門家でない、体験者が平易な言葉で一般市民向けに本を書き、また、自助グループやインターネットという新しい形態を整えたことで、「節酒」は専門家の研究や専門治療という枠を超えて市民運動となって広がっていった。そしてキシュラインはごく最近まで、多くのTVプログラムやラジオ番組に出演して、MM運動の広告塔となり、広報係となって、断酒アプローチに代わる節酒の正当性を主張して、メディアから注目されてきた。


[Moderation Management]

 キシュラインらが創設したMMは、飲酒問題を病気でなく、学習行動の問題と捉えなおした。この主張が正しいかどうかはともかく、アルコール問題に悩む本人や家族にとって、節酒は断酒より取りつきやすく、常識的で、分かりやすかった。また酒害者本人と家族の否認構造(自分に都合の悪いことは認めようとしない心理構造)に良くなじんだ。MMは、インターネットを通じて多くの支持者を得、5年間にアメリカ14州の他、カナダのオンタリオにまで活動を広げた。

 MMは、AAの12ステップに相当するような、9ステップのプログラムを提唱している。

 MMでは、まず30日間の完全断酒によって、アルコールを体内から一掃し、耐性を下げる。そして、男性は1日4ドリンク、女性は1日3ドリンク(男性は1週間に14ドリンク、女性は9ドリンク)という飲酒量を守ることによって、多くの問題飲酒者も節酒が可能であると主張している。ここで、1ドリンクは、12オンスのビールか5オンスのワイン、または 80-proof liquor 1本半(12オンスは約355ml、80‐proof は40度)と定義されている。上記の節酒量は、2000年5月にアメリカ農業省が発表した新しい節酒ガイドラインと比べてもかなり多い。

 飲酒運転に関して、MMは、「決してアルコールの影響下で運転してはならない」とし、「あなたまたは他人を危険にするような状況で飲んではならない」とも述べている。

 MMは2年前(1998)にもマスコミに大きく取り上げられたことがあるが、それは、29歳のコンピューター・プログラマーが前妻との養育権争いの果てに、その3年前に5歳の娘を殺してしまった、とグループ付属のチャットルームで告白したためである。彼はその後、罪を認め服役した。


[キシュラインの断酒志向への復帰と挫折]

 実は、事故の2ヵ月前、2000年1月20日、キシュラインはMMのニューズグル―プに手記を寄せていた。その中で彼女は節酒を諦め、断酒を目標とすることを明らかにして、以下のように述べている。

 MMは初期の問題飲酒者ためのプログラムであり、自分にはMMは向かないと気づいたので、いま私はAAなど、12ステップの(断酒志向の)自助グループに通っている。7年前、自分には断酒は受け入れ難かった。MMを通じて私は断酒に近づくことができた。他のすべての人も、もしそれが正しいと思えば、目標を自由に変えることができる。私はそうする。

 しかし実際には、本人の言明と意図に関わらず、彼女は断酒にも失敗し、次第に連続飲酒に陥っていった。


[事故の余波−MM運動への影響]

 事件の後、MMの批判者たちは、飲酒運転事故を起こしたキシュラインの道徳的欠陥を指摘し、彼女は、多くのアルコホリックに、彼らがまだ飲めると言って騙したと非難した。

 一方、MMの支持者たちは、キシュラインが事故の数ヵ月前からAAに復帰していたことを理由に挙げて、彼女の失敗は節酒のためでなく、断酒志向のグループに復帰しようとしたためだと主張した。

 MMの創始者は飲酒運転死亡事故の加害者になり、MMを離れたものの、MMはその後も活動を続けており、事件をきっかけに多くの脱落者が出た一方で、この事件で社会的知名度が高くなり、かなりの新入会者もいるといわれる。


[断酒か節酒か]

 キシュラインの飲酒運転交通事故は、アルコール症治療の方法論としての「断酒か節酒か」という、古くて新しい議論を再燃させることになった。

 アルコール問題の専門家たちは、ほとんどのアルコホリックに節酒は不能で、節酒可能というのは、実はアルコホリックたちの否認に過ぎない、ともう何十年も前から主張しており、これが現代の定説となっている。正面きってこれに異を唱える専門家はほとんどいない。

 AAやRR(Rational Recovery, 理性による回復 )、それに日本の断酒会など、MM以外の自助グループは、完全断酒しか回復の道はないとしている。

 MMの批判者は、節酒可能な問題飲酒者というのが仮にいたとしても、そのような問題飲酒者とアルコール症患者を区別するのは実際上不可能だから、断酒が唯一の安全な方法であり、キシュラインは、多くのアルコホリックたちを、節酒が可能だという誤解に導いたと非難している。

 国立アルコール薬物依存症協議会(National Council on Alcoholism and Drug Dependence)の会長、スタシア・マーフィー(Stacia Murphy)は、キシュラインは、自らのアルコール症の否認によって、アメリカ全土の無数の酒害者と家族のアルコール問題を悪化進行させたと言っている。

 事件はMMの支持者たちにとって大きな打撃ではあったが、MMの理解者たちは、この不幸な事件をもって節酒志向の失敗の証拠と考えるのは短絡であるとしている。つまり、キシュラインは、MM活動を通じて、結局は断酒しかないとの結論に達した訳だから、その意味でMMの効果はあったというのである。実際、MM参加者の多くが結局は断酒に向かうという指摘もある。


[その後のキシュライン ― 入院、専門治療、裁判]

 3月25日の交通事故の直後、キシュラインは顔面と胸部を含む全身打撲で意識がなく、シアトルのHarborview Medical Center に運ばれた。彼女の外傷は軽度で、命に別状なく、間もなく意識を回復し5日後には退院した。退院にあたり、キシュラインは5万ドルの保釈金を払って、オレゴン州西部の物質乱用専門施設に入所した。彼女はそこで数週間の専門治療を受けたが、治療期間中いつも二人の犠牲者の写真を手元から離さず持っていたという。個人療法と集団療法を受け、今度こそ、完全な断酒以外に回復の道はないという事実を受け入れたという。

 幾つかの報道では、事件の後、キシュラインが、MMとMMメンバーはアルコール症を否認していると非難したとされるが、その多くは弁護士を通じての発言であって、いわば法廷戦術に過ぎないという意見もある。また彼女のMMに対する非難云々は誤報であり、彼女は今でもMMの原理を信奉しているという親しい知人の発言(?)もあり、そのあたりの真偽のほどは不明である。

 6月29日の裁判で、キシュラインは有罪を認め謝罪した。そして「節酒に失敗し、断酒にも失敗し、私は助けを求めることすら恥ずかしかった」と告白した。


[判決と周囲の反応 ― 飲酒運転の罰則規定]

 8月11日の判決日、キティタス・カウンティー高等裁判所には、デイビスの遺族や友人たち、20数名が出廷し、小さな法廷は満員になった。彼らの多くが、亡くなった父娘の写真を貼り付けた大きなバッジを身につけていた。そのうちの数人が、悲しみの余り、言葉に詰まりながら、ダニーと愛称で呼ばれ、誰からも愛されていた38歳の家族思いの男性と、泳ぎと歌が大好きなブロンドのカーリーヘアの12歳のラシェルの思い出を語ると、涙をこらえ切れない出席者たちの間をティッシュボックスが行き来した。

 キシュラインは、体を震わせ、涙ながらに遺族や友人たちに改めて謝った。「私の苦しみなど、あなた方の心痛に比べられるものではありません。でもこのことがいくらかでもあなた方の慰めになるなら知ってほしいのです。私はあなた方の嘆きの原因を作った罪を背負ってこれからの人生を生きてゆきます」

 検察官たちは、キシュラインが、自分のアルコール問題に直面することを避け、飲酒を正当化したばかりでなく、知性化することによってMM活動という市民運動にまで育ててしまった、と糾弾し、彼女に最高刑を求めた。ニュージャージー州から飛行機でやってきたキシュラインの母は、オードリーに2人の学童がいることを指摘して、本人のためではなく、子供のために刑を軽くしてほしいと情状酌量を求めた。

 ワシントン州の判決ガイドラインでは、彼女の犯行に対する罰則刑期には、3年5ヵ月から4年半の幅があったが、裁判官のマイケル・クーパー(Michel Cooper)は、最高刑の4年半の懲役という実刑判決を下した。キシュラインは、刑期終了後も地域の監督下に置かれ、2年間は飲酒禁止はもちろん、バーに入ることもできないという。

 もっとも、この刑期終了後の措置は、筆者のような専門家からみると、ちょっと奇妙に聞こえる。というのは、アルコール症専門医の常識として、2年経っても、彼女が再度節酒できるようになるという可能性はほとんどゼロだからだ。当然だが、一生断酒するしかないのだ。2年間の措置は、存在しないよりは良いというべきだろうか。この措置は2年経てば飲んでよいといっているようにも聞こえるのだが。

 裁判官、クーパーは、「このような(飲酒運転による殺人)犯罪を扱うには、現状の裁判システムは極めて不適切だ」と述べた。彼は、デイビスの遺族や友人たちに飲酒運転の罰則規定強化のロビー活動を勧めさえした。交通安全協会によると、ワシントン州だけで、今年(2000年)前半に起こった170件の交通死亡事故のうち、72件(42%)は飲酒運転が関係しているという。

 リチャード・デイビスの兄弟のウィリアムは、亡くなったリチャードが信心深い男であったことをつけ加え、「彼はいずれキシュラインを許すでしょう。私たち遺族は、今、リチャードと同じようにしたいと思いながら苦しんでいるところです」と話した。

 キシュラインの二人の姉妹は、「こういうことを私たちが言うのはつらいことだが、刑期はまだ不十分なくらいだ」と語った。彼女たちによれば、キシュラインは、これまで飲酒問題をコントロールできたことはなかったという。

 キシュラインの弁護士、ジョーン・クローリー(John Crowley)によれば、彼女はMMの挫折と事故について本を書きたいと話している。この悲劇から、他の人たちも学んでほしいと言っている、ということである。「彼女は刑期を有意義に過ごすでしょう」と弁護士は語った。

 キシュラインは、家族や親しい友人たちから抱擁を受けた後、法廷を出た。その時、リチャード・デイビスのガールフレンド(デイビスは離婚している)、コニー・ソーンダイク(Connie Thorndike)とデイビスの遺族の友人の一人が、キシュラインに近寄り手を握り、言葉を交わした。後でソーンダイクが言った。「私たちは一緒に祈ったのです。彼女が許しを求めているのが分かりました。神が許しを与えたまうでしょう」


[参考資料]

以下、参考にした主な資料です。

http://moderation.org/
Moderation Management
 (公式HP)
MM Guide Book の項目にはキシュラインの著作が、公式ハンドブックとして今(2000/10/17現在)でも掲げられています。

MADD(Mothers Against Drunk Driving)  (2000/10/19確認)
    飲酒運転者に子供をひき殺されたひとりの母親が設立したNPO。
    飲酒運転撲滅、被害者支援、未成年者の飲酒防止などに取組んでいる。

http://www.seattletimes.com/news/local/html98/booz17m_20000617.html
Seattle Times: Alcohol-abstinence critic accused of DUI in fatal I-90 crash


http://seattlep-i.nwsource.com/local/mod11.shtml
Arrest trips up 'moderate drinking' crusader's cause


http://seattlep-i.nwsource.com/local/mod12.shtml
Crusader gets 4-1/2 years in DUI deaths


http://www.alcoholism.about.com/library/blnews000619.htm
Moderation Management Founder Kills Two


http://www.peele.net/debate/kishline.dui.html
Stanton's Comment on Audrey Kishline's Accident and Statement


北陸・いのちと健康
日本の飲酒運転被害者の報告。
 


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AKH 文責:竹村道夫(2000/10) 


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