【 読書感想文、1 】   赤城高原ホスピタル

(改訂: 04/08/05)


はじめに  「体験者による読書感想文」

 赤城高原ホスピタルでは、患者さんやご家族に関連書籍を紹介したり、紹介文、読書感想文を書くことをお勧めしたりする事があります。そういう紹介文、感想文の一部を、ご本人の了解の下に転載させていただきました。一部は、医療関係者の紹介文、感想文です。


☆ 子どもたちは、いま  トリイ・ヘイデンx斎藤学著 早川書房 1999

 情緒障害児の教育に携わった経験のある、教育心理学者兼作家のトリイ・ヘイデン女史の来日講演(一九九八年)と、家庭の虐待問題に取り組む精神科医の斎藤学氏との対談を併せて収録している本である。
 
 講演内容は、へイデン女史が心に傷を負ったこどもとどのように関わろうとしてきたか、その傷はどのようなプロセス(過程)を経て癒されていくか、情緒障害児から学んだこと、こどもを取り巻く環境から「自然に」生じるいじめ問題、と幅広い。だが、ヘイデン女史の講演に共通しているものは、こどもへの尽きることのない愛情と信頼、そして問題に対して「絶対に解決できる」という女史の熱意と忍耐強さ、加えて女史自身の現場経験に基づいた深い洞察眼である。
 
 対する斎藤氏も、ヘイデン女史の講演における重要な点を対談で改めてとりあげ、さらに違う視点から問題を提起し意見を交わしながら深く掘り下げていく。また、「こどもの虐待・いじめがその後のこどもの人生にどのような深刻な影響を与えるか、現場の大人としてはどのような対応をしていけばよいのか」について、斎藤氏は臨床経験とそれに基づく氏の考察とを交えて、安易な教育制度批判に終わらせず、「問題は大人にもある」という視点で対談が進められている。
 
 虐待やいじめによって、こどもたちが受けた心の傷は深いものであるが、「癒し」は誰にでも可能であること、虐待やいじめは自分から招いたものではないこと、虐待されたりいじめられたりした過去はけっして「人間としての自分すべて」を評価するものではないこと、過去の出来事にこだわらずに自分の人生を生きていくこと・・・など、虐待やいじめの被害者あるいはサヴァイヴァーにとっては心強いメッセージを、現場の専門家にとっては被害者に対するあたたかい理解を、そして双方に将来への希望を存分に与えてくれるような一冊である。  (解離性障害 KTさん 33才、04/09)



☆ 子どもたちは、いま  トリイ・ヘイデンx斎藤学著 早川書房 1999

                         
 現在日本では教育現場における生徒間のいじめと、それによる不登校や自殺の発生が深刻化しており、少年犯罪にもつながる問題として緊急にその対策が待たれている。ゆとり教育が提唱されているのもその方策のひとつであろうか。

 そもそもいじめとは何なのか?なぜいじめが生じるのか?いじめは人間に限らず、動物に共通の本能的なごく自然な行為である。強者と弱者という力関係や立場の違いで大人社会にも(学校の職員室にも)いじめは起こりうる。家庭での虐待やドメスティック・バイオレンスもいじめの一種である。誰でもいじめの被害者になりうるし、健全な人間関係のとり方を親から学べなければ加害者になることもありうる。いじめる子は同時に、またはかつていじめられる側であったことが多いという事実はいじめが子どもの人格形成にどんなに深い影響を与えるかを物語っている。このように人間の一生にかかわる問題だからこそ、「人間としてしてはいけない行為」としていじめを抑制するにはどうしたらいいのかの提案が必要となる。
 
 斎藤氏は学校でのいじめの前と後、つまり家庭と社会においてもいじめと同様の人間関係の問題が起こっていると指摘している。家庭で親の理想や価値観を押しつけられて育った場合と、社会に出てから支配・被支配の力関係を基準にした、不全でストレスの多い関係を結んでしまう場合である。いずれの場合も当人が自己評価を下げる源になる。しかもどちらも学校で起こっているいじめ問題と一連の流れの中で互いに結びついている問題で、どれかひとつを取り上げて個別に解決しようとしてもできるものではない。

 ヘイデン氏は子どもたち自身に問題解決の能力があると信じて、子どもの話に真剣に耳を傾けることが一番大切だと説き、アメリカとイギリスでの実践例を紹介している。いま必要なのは、ヘイデン氏が身に着けている即興的でその場に応じた(extemporaneousな)生き方のように一人ひとりの能力や個性に合わせた、許容量があって忍耐強い、現場での対応である。いじめ問題に介入するにも子どもの人格を尊重し、当事者の希望を聴いてからにする。斎藤氏は、ヘイデン氏の提言を受けて、まず学校全体で、オープンに、先生も子どもも一緒になって「人間性を歪めてしまういじめはいけないことだ」という認識をもち、解決手段を考えることから始めようと訴える。その試みの中で、いじめっ子もいじめられっ子もともにサポートされ、ケアされていく。学業成績からだけでなく、子どもの全体を見ようとしている。競争だけが人生ではないのだという視点である。

 悲しいことに今の日本では資本主義社会の自由競争原理のもとで大人も子どもも常に「今以上の成果」を求められている。誰も「あなたはいまのままで十分よい(good enoughだ)」とは言ってくれない。1940年代に軍隊と同じ発想で定められた、一律で画一的で一見平等な現行の教育制度の中では日本の子どもたちは自分のベストを伸ばせないし、親にも教師にも助けを求めにくい。期待にこたえよう、完璧(excellent)に成し遂げようとすればするほど当人は自分を責め、自分をいじめることになる。大人の作った社会システム、教育制度の中にいじめが生まれる原因があるのだ。統計的に見ても外国に比べて問題を起こさない、おとなしすぎる日本の子どもたちは、終わりの無い成績至上主義といじめのプレッシャーで自己評価を下げ、自尊心を失っていく。学業成績という唯一無二の判断基準が子どもたちの選択の自由を奪っている。そこで重視されるのは結果(goal)であって過程(process)ではない。            

 このような現状に対し、この本は、本文中の斎藤氏の言葉を借りれば、「たぶん日本で話された最初の、いじめの具体的な対処法」をいくつか提言している。現場の教師にも、いじめの被害者にも、加害者にも、そして心の傷の癒しを求めるサヴァイヴァーにも有用な“いじめ根絶マニュアル第一巻”である。 (気分障害 KMさん 47才、04/09)


☆ レクイエム―激しく痛みながらいまも生き続ける記憶に捧ぐ  吉野斎著 (双風社 2004年7月刊、1680円)

《本の紹介》
 DID障害を持つライター兼ボーカリスト、吉野 斉(いつき)さんが自らの赤裸々な体験を書きつづった手記。家庭崩壊、受験戦争、アルコール依存、そしてセックス依存。私は壊れた……。 最愛の彼との出会い、菜の花畑、そしてロックンロール。私は再生した……。

《感想》
 正直なところ、著者の率直さには驚き、敬服しました。

 職業柄、著者のトラウマ体験やその後の苦難、症状などは、多かれ少なかれ、似たような問題を抱える多くの方々から聞き慣れています。でもそれは、プライバシーが守られる治療の中だけで語られることで、そこから持ち出されることには、医療に携わる一員としては本能的な違和感があるのです。

 誰に強制されるわけでもなく、ご本人がご自分の意志で書かれたとはいえ、20代半ばの女性の口から、そして、回復者というよりは、回復途上(失礼?)の方から、一般向けに公開されるものとしては、内容がスキャンダラス過ぎるのではないか、という声が聞こえてきそうで心配なのです。

 一方で、そのような批判があったとしたら、それは、それだけ、この本の価値が高いということの証明であるかもしれません。著者の勇気と周囲の方の支援なしには、この本はできなかったと思うからです。

 私のHPの記事でも、トラウマや解離性症状の症例が数多く出てきますが、被虐待体験や解離症状をわざわざ細切れにして、別々の人の話であるかのように書いてあります。それはまとめて書くと患者さんのプライバシーを損なう心配があるからです。

 実際には、DIDの患者さんの多くが、斎さんと似たようなトラウマ体験を持ち、その後の人生で、いろいろな苦難を体験し、性問題で傷つき、嗜癖問題で傷つき、うつや解離性障害によって苦しみ、医療で傷つき、のた打ち回って自傷行為と自殺行為を繰り返し、死の淵をさまよっています。一人の患者さんに、これでもか、これでもかというような不運と不幸が重なります。時には、ご本人が、わざわざ不幸を呼び込むような行動を取っているかのように見えることすらあります。この本には、患者さんご本人の手によって、そのことが包み隠さずに率直に書かれています。

 こころない人たちから、「目立ちたがり屋だ」とか、「病気とスキャンダルを売り物にしている」というような批判の声があっても、著者はめげないでほしいと思います。

 私は、自分の臨床体験から、執筆時の著者の苦しみが分かります。著者の意図が、そのような批判とは180度反対のものであることが私にはよく分かります。

 一般人からは、好奇の目で見られたり、誤解されたりしやすく、時には、精神医療関係者からも誤解される「解離性同一性障害」について、体験に基づいて、患者さんご自身の口から、正直なところを正確に伝えたかったこと、「解離性障害があっても、前向きに生きられる」ことを示したかったこと、そして、何よりも患者さんを悩ませ続け、縛り付けて離さない過去のトラウマと自責、自罰の罠とから訣別し、新しい一歩を踏み出すために、心の中の物を表現したかったこと、それが、この本の出版によって、著者がしたかったことだと思います。

 著者は、これまで、逆境にもめげずに生きて来られました。これからも、困難に負けずに生き残り、回復の歩みを続けてほしいと思います。(赤城高原ホスピタル院長、04/08/01)


☆ 愛されすぎた女の悲劇―ニコール・ブラウン・シンプソン  フェイ・D・レズニック/マイク・ウォーカー著、中野玲子訳 (学習研究社 1995年、1500円)

《本の紹介》
 元アメリカンフットボールのスーパースターのO.J.シンプソンとその妻、二コールの結婚生活・離婚・和解・別居そして、二コールの最後の日までを、二人の共通の友人であるフェイが語った真実のDVの話。


《感想》
 私にはDV被害の体験があるので、興味を持って読みました。ビバリーヒルズの華やかな生活は、私の知らない世界でした。驚く事にスーパースターのO.J.シンプソンと著者であるフェイはコカインをやっていました。アメリカの病める一面を見られました。また、セックス依存についてもあからさまに書かれていました。二コールとフェイは友達同士なのに、同じ男性とセックスするなんて、信じられません。また、ニコールがO.J.の親友とセックスするような振る舞いについても驚きました。私には考えられない事です。
 私の元夫も日本のスポーツ選手でしたが、O.J.と似通っている所が沢山ありました。O.J.も私の元夫も、「俺をこんなに怒らせたのはお前のせいだ」と、暴力を振るいながら、自分を正当化しました。二コールが怒ると、O.J.はPMS(月経前症候群)せいだと言いましたが、私の場合、元夫は「おまえは生理不順だから」と言っていました。O.J.も元夫も妻の生理を計算していたのは、偶然だったのでしょうか。
 O.J.はニコールを孤立させようと色々しましたが、元夫も私の悪口を家族や友達に言って、私を孤立させようとしました。O.J.の場合、ニコールと子供の住んでいる家を追い出そうとして、ニコールとその子供を困らせようとしたが、私の場合は、元夫は子供に直接暴力を振るっていました。それでも子供のリサイタルや発表会等には、父親のふりをして参加しました。父親が家族に歓迎されてない所は、まったく同じです。
 国も人種も学歴も、そして住んでいる世界もまったく違うのに、DV加害者たちはなぜこんなに似通っているのでしょう。O.J.と元夫、そして今なお暴力を振るっている男達は、何処でDVを学んでしまったのでしょうか。
 O.J.シンプソン事件の頃から日本でもDVが話題になり、私はDV被害者のための援助ネットワークや、サバイバル術(対処法)について学習する事ができました。おかげで私はまだ生きています。二コールは惨殺されてしまいましたが、なぜDVについて学ばなかったのでしょうか。とても残念に思います。
 本書巻末にある、「家庭内暴力に悩む女性たちに覚えておいて欲しい事実」は、とても説得力があります。DV悩んでいる人には是非読んでもらいたいと思います。
(DV被害者、Mさん、04/04)



☆ オシリス・コンプレックス(The Osiris Complex)多重人格者たちのカルテ コリン・A・ロス著、服部雄一訳 (PHP研究所、1996)

紹介文
 題名の「オシリス・コンプレックス」というのは、バラバラにされたオシリスの体の断片が妹、イシスによって寄せ集められ、新しいオシリスになったという、エジプト神話に基づいています。この本は、トラウマによって引き起こされる心の悲劇、多重人格の治療に情熱を捧げる臨床医の貴重な記録です。

 精神科医、コリン・A・ロスの出会った13の症例が二部構成で紹介されています。
 第一部では、「多重人格症の症例」として9例が挙げられており、解離、過食、DV、霊が乗り移る現象、などバラエティーに富む症例が紹介されています。
 第二部では、「多重人格症に類似する症例」として、露出狂、パニック発作など4例が挙げられています。

感想文
 著者の度量の大きさには感服しました。これだけ様々な症状や訴えを受けとめられるなんて。
 「こんなこと話したら、狂ってると思われるんじゃないか」
 「きつい薬を投与され廃人になるんじゃないか」
 「二度と出られないような病院に収容されるんじゃないか」
 そんな風に思って症状を言えないでいる人が今でもきっとたくさんいると思います。

 「文明の最も発達したウィーンという町の中産階級の家庭において、近親姦のような背徳的な行動がこれほど頻繁に行われているはずがない。この訴えは、過去の事実の想起ではなく、若い女たちの性的なファンタジーに過ぎないのではないか」と、フロイトが学会発表の前に考え直したエピソードが解説に載っていました。
 こういう否認が、大なり小なり世界各地で起きて、たくさんの被害者たちが傷つけられてきたんだと思いました。
 それから、精神医学の専門家の中では、最も手のかかる、不愉快な患者を、「粗大ゴミ」と呼ぶとか、・・・・。

 そういう、たくさんの先輩たちの絶望と希望の果てに、今の私がいるって忘れないようにしようと思いました。(MTさん、20代、女性、解離性同一性障害、03/10)


☆ マンガ子ども虐待出口あり クライエント、イラ姫とカウンセラー、信田さよ子共著、(講談社、2001年12月、1600円)。


「本の紹介」 
題名が「マンガ」となっているが、開いてみると文章が殆ど(70%)で、信田さん(原宿カウンセリングセンター所長、カウンセラー)とイラ姫(被虐待体験者)の対談を載せて創られた本である。こちら(ホスピタル)のウェブサイトの事も本に出てきます。

「感想」
 いつからか、自分の頭の中に「アダルトチルドレンとは?」という題だけ書かれてある真っさらの画用紙を置いて、その上に自分の為のAC色紙(いろがみ)を見つけて、ちぎって貼ってという作業で創ってきた貼り絵が、この本を読んでいく内に、又所々、剥がされ、貼り直され、色がどっと増えたような感じがした。

 その中で、新たに貼って置かなければと思った色紙の中で「猫がいるからでられない」という、こんな身近に存在していた色紙には、まったく気が付いてなかったし、正直、驚いた。
 私と一緒に暮らしていた猫は、今年の夏に死んでしまった。
 頭で想像していた以上にぽっかりと心だけじゃなく全身に穴が空いた。
 葬儀のために霊園に行くと「猫」「ペット」とは呼ばれず「御子様」と呼ばれた。
 私には子供はもちろん、誰もいないのだが、猫=御子様という大きな存在が常にそばにいたと思える。
 私は人の前、親の前、自分の前でも涙を流せないタイプだったのに、御子様の死に目に会えなかった事が、まだ心に引っかかっていて、その事に触れると、文章を書いているだけでも涙目になってしまう。
 親から逃げようと、家から離れようとすると「猫の面倒は誰が?」と言われて、「出口なし」状態になっていた事は事実である。

 他にも追加したいAC色紙があったが、ページの後半に赤城高原ホスピタルの事も対話中に出てきたので食い入るように文字を見つめてしまった。

 この本から受け入れられる色を見つけて、ちぎって貼っていくのもいいし、受け入れられない色も、貼ってみるのもいいかもしれないし、無理に貼らなくてもいいかもしれないし、・・・・・。 (Dさん、20代、女性)


☆ 虐待で傷ついたこころのための本 椎名篤子著 (大和書房、1998)


[本の紹介]  身体的・性的虐待、無視、心理的虐待など、親から受けてしまった虐待や子供にしてしまった虐待について体験者たちの言葉が詩的に書かれています。子どもの時の傷は癒えないままひとの一生を苦悩で支配し続けます。虐待について勉強する方にはお勧めです。

 以下のような章からなります。
    第1章 子どもたちの記憶
    第2章 虐待を起こす親もまた…
    第3章 こころの傷―だれも助けてくれなかった
    第4章 生きにくさをかかえて―おとなになった被虐待児
    第5章 子どもを愛せない―すれ違ってしまったお母さんと赤ちゃん
    第6章 たいせつなわたし―こころを少しひらいてみよう

[感想] 虐待を受けて育ち、結婚してからはDVの被害に遭って入院治療中の私にとっては、この本は、まだ読むのが早すぎたようです。フラッシュバックを起こしてしまい、癒されるどころか逆に過去のつらい思い出とだぶってしまいました。私のように、ひどい虐待を受けた人にはきつい本だと思います。フラッシュバックを起こす可能性があります。(MOさん、40代、女性、被虐待、DV被害者、03/10)


☆ ジェニファーと六人の自分たち(JENNIFER AND HER SELVES) ジェラルド シェインウルフ (Gerald Schoenewolf)著、武藤晃子訳 (新潮社、1996)


<あらすじ>
 開業して間もないセラピストの元を訪れたその患者は、“美しくて、才能のある、若い女性”・・・。治療面接の回を重ねる毎に、彼女の過去の断片が、そして「彼女自身の」断片が明らかになっていく。セラピストは“共感と治療センスと初心者の熱意をたっぷり注いで”治療にあたるのだが・・・。

<感想>
 “真実を言うなら、私たちは皆患者であり、私たちは皆セラピストなのです。”
 まえがきに書かれた、この「真実」がどのように展開されるのか、期待して読み始めました。しかし、読み進んでいくほど、消化不良がひどくなる感じがしました。また、患者の「魅力」を語るセラピストの色眼鏡(と私には思える)も、ちょっと食傷気味でした。セラピスト自身の抱える問題(“生い立ちに潜む曲折”、彼をスケープゴートにしたという家族など)について、もっと詳しい説明が欲しいと思います。

 読み終えた後、題名が気になりました。題名から、「ジェニファーと六人の自分たち」についての話だと思って読んだのですが、セラピストが占める比重があまりにも大きいからです。なぜ、「多重人格者のジェニファー」の物語であるかのような題がつけられたのでしょう?筆者の気持ちの表れなのか、出版上のインパクトを狙ってのものなのか・・・。

 治療の場でなくても、また男女の対でなくても、この本のような事態は起こりうると思いました。私たちがそのような事態に陥らないためにはどうしたらいいのでしょうか? 不安と疑問が残ってしまいました。

 題名から想像する内容とは異なり、「セラピストというフィルターを通した事実」を、「ありのまま」に書いた、私小説的内容だと思います。暴走気味のセラピストの言動にヒヤヒヤする臨床家や患者は少なくないことでしょう。

評価・・・★★☆☆☆ (MTさん、20代、女性、解離性障害、03/10)


読書感想文のページが大きくなったので、古いものは第2部に移動しました→[読書感想文、2]


文章の一部は、転載時に要旨を変えない範囲内で書き直しました。[TOPへ]

ご連絡はこちらへどうぞ ⇒ address
または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148

AKH 文責:竹村道夫(初版:03/08/06) 


[トップページ]  [サイトマップ]