第20回 〜 第29回(1983年)

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第29回 「像のいない動物園」 1983年4月 (昭和58年)

第二次大戦中の昭和十八年、上野動物園の数多くの動物たちが殺された。やがて終戦を迎え、この事を知った子どもたちが、象を見たいと呼びかけ、インドからインディラという象を迎えるまでを描くアニメーション。脚本は「上海バンスキング(1984)」の斎藤憐、監督は「11ぴきのねこ」の前田庸生がそれぞれ担当。
第28回 「ゆき」 1983年1月 (昭和58年)

 代表作『ベロ出しチョンマ』で第17回小学館文学賞を受賞した児童文学家・斉藤隆介が1969年に著した、同題の児童文学の劇場アニメ化。
 時は室町時代末期。農民たちは戦乱と重税に苦しんでいた。父である雪の精霊「じんじぃ」から下界の清浄化を託された雪ん子のゆきは、天界の白馬フブキに跨がって降臨。そのまま非道な野党を倒す。そんなゆきの姿に勇気づけられた村人は、自由の国を目指して決起。地主・侍軍にも立ち向かった。民衆とともに戦うゆきはやがて、人々を信仰と恐怖で拘束する「神人様」に挑むが。
第27回 「走れトマト にっぽん横断300キロ」 1982年7月 (昭和57年)

 春休みに日本横断三百キロの自転車旅行をする四人の小学生が自立と連帯の精神をつかみ取る姿を描く。脚本は「東京からきた女の子」の加藤盟、監督は「新どぶ川学級」の岡本考二、撮影は「20歳の性白書 のけぞる」の高村倉太郎がそれぞれ担当。
第26回 「まってました転校生」 1981年12月(昭和56年)

小学校4年生で23回も転校を重ねた平山明は、旅廻り一座の子役。荒川小学校に初めて登校し、先生から紹介されたその日に、悪ガキ三人組からいじめられっ子文雄を助けて喧嘩を始める。これはたびたびの転校で身につけた友達作りの技術だった・・・。
97分・35ミリ 監督 藤井克彦 出演 蟹江敬三 入江若葉 新井康弘
第25回 「お母さんのつうしんぼ」 1981年7月 (昭和56年)

小学校五年生の夕子はお母さんと弟の広志と三人で団地に住んでいる。お父さんは夕子が小さい頃亡くなり、お母さんは出版社に勤めている。「ママ、今度の土曜日、早く帰ってね。学校で習ったスパゲッティを作ってあげる」夕子とそんな約束をした母の和子は、その日が自分の誕生日であることに気づかず・・・。
第24回 「北極のムーシカミーシカ」 1980年12月(昭和55年)

厳しい北極の自然を舞台に、双児の子熊が母親の手を離れ、成長していく姿を描くアニメーション。国際アンデルセン佳作賞を受賞したいぬいとみこの同名の原作をもとに、脚本は「黄金の犬」の加藤盟、監督はの勝井千賀雄、撮影は吉坂研一がそれぞれ担当。
第23回 「四年三組の旗」 1980年7月 (昭和55年)

産休する一人の先生と交替する産休補助の先生生徒たちとの心の交流を描いた日活児童劇映画第四作目。脚本は「新どぶ川学級」の勝目貴久、監督は「夕顔夫人」の藤井克彦、撮影も同作の水野尾信正がそれぞれ担当。
   
「先生のつうしんぼ」

ふとしたことから、先生にも通信簿をつけてやろうと思いつく少年吾郎と、同級生たちとの交友ぶりが展開される中で、新任の先生と、マユの観察を通して深くはぐくまれてゆく信頼の芽と、生きた教育とは何かを熱っぽく描く。脚本は「わんぱくパック まなつのよるのゆめ」の加藤盟と「感じるんです」の吉原幸夫、監督は「サチコの幸」の武田一成、撮影は「おさわりサロン おしぼりでお待ちします」の仁村秀信。

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