格差社会か 2006.6.15

 小泉内閣が登場していわゆる「構造改革」を実行し、確かに景気指数などが示す数量的な景気は回復しました。しかし、景気がいいのは一部金持ち層であって、その他大勢の国民はその恩恵に与るどころか、逆にレベルが下がって格差が拡大しているという主張が多く聞こえます。高級住宅街やRヒルズなどに住み贅沢な生活をしている人がいれば、逆に職もなく住居や食べるものにも不自由な人もいるというのは間違いのない現実です。
 ちなみに私も職業を持ち、妻と子ども3人と暮らしていますが、それほど高収入ではありませんので、なんとか世間並みの生活といったところでしょうか。それでも薄型の大画面テレビ、ハードディスク内蔵のDVDレコーダー、一眼デジカメなど流行の家電には縁がありません(興味もないのですが)。
 それでは貧困(生活困窮者というのでしょうか)の人はどのような生活をしているのかと想像をしてみるのですが、少なくても私の周囲には報道などでいわれる貧困な人は見あたりません。国民年金だけで暮らしている老夫婦なども、近くのスーパーマーケットなどで買い物をしたり、病院にも行っているようですし、病気がちの老人は介護施設に通ったり入ったりしながらも、それなりに暮らしています。

 また、世界には戦乱や気候の厳しさで飢えている人もたくさんいるようですが、日本国内でそのような条件はありませんので、本当の意味での貧困はないのではと思っています。私が子どもの頃(昭和40年すぎ)は、当地群馬県の片田舎にある農家では米、麦、養蚕が主力でしたが、物量的には豊かではありませんでした。服は接ぎ当てだらけ、肉は月1回購入または飼っているニワトリが卵を生まなくなったものをつぶして食べる、便所の紙は新聞紙、魚や豆腐は自転車の引き売り。おやつは切り干しイモや自家製の焼き餅、ジリ焼きなどで、町に住む同級生がパンやジュースを買って食べるなどと聞くとうらやましく思ったものです。

 話は戻りますが、市の福祉事務所では貧困の人に生活保護というものをしています。そして子どもが通う保育園の保育料は、所得に応じて月5万円程度〜0円まで差がつけられています。よく保育料がただ同然の家庭が、高級車クラウンで子どもの送迎をしているなどと言われますが、同じサービスを受けているのに料金が違うというのは逆格差だともいわれます。結局税金の考え方がどうなのかが問題なのであって、例えば高額納税者は税金をたくさん払っている上に、医療費の一部負担金、保育料などは同じサービスを受けても低所得者よりも多く負担させられるということなどが多くの場面で見られるわけです。きちんと納税していれば同じサービスは同じ料金で受けられるのが当然と思いますが、いかがでしょうか。

戻る