施設長の独り言
第30話 日本と日本人の貧困化について
日本がだめになる、日本が貧しくなるという不安感が、これという、はっきりした理由はないが湧き上がってくる今日この頃である。国民の多数の率直な気持ちではないだろうか。
1月に招集された第169回国会における経済演説で太田経済財政政策担当大臣は「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなってしまいました」と述べ、大いに注目を浴びた。私には、注意を喚起したように思えた。
莫大な借金、更に進む高齢社会、実感のない景気回復がボデイーブローのように日本を追い詰めている感じである。
平成20年3月末現在の国と地方の長期債務残高は773兆円、財政投融資債務残高は143兆円と先進国中最悪。
更に毎年国の予算で30兆円もの借金が積み上がる状況である。これだけの借金はインフレでもない限り解消される筈はない。唯一救いなのは、国内の預貯金が1400兆円もあり借金の消化に支障がないことである。
銀行に預けられた預貯金は国債を買うのに使われている。結果的に国民の預貯金は国や地方の借金を支えていることになる。国と地方の借金がこのまま増え続け、国民の預貯金も少なくなってくる(現に国民の貯蓄率は98年には13.7%だったが、06年は3.2%である。内閣府国民経済計算によるデータ)と、国や地方の借金が消化されず、税金は借金返済に使われ国民に提供される様々なサービスは提供できないかまたは有料化されることになる。財政再建団体になった夕張市のようになる。例えば最悪の場合、市役所は住民票発行だけの機関となりゴミ処理は自分で行うということである。県の仕事は警察のみということである。
高齢化率は、2005年に20.04%と初めて20%の大台に乗り2025年には30%を超えると予想されている。
年金は大丈夫か。医療はたらい回しにされ病院に着いたときは死んでしまった。誰が私たち年寄りを看てくれるのだろうか、と憂鬱になっている国民は多いはずである。2006年介護保険法改正によって軽介護者は介護保険を使えなくなってしまった。昨今の人手不足でサービス提供を断られるケースも続出している。団塊世代が介護を必要とするときには、施設は満杯で入れない、在宅を希望するにもヘルパーや看護師はいない、家族は看るのを嫌がるで介護難民が発生する可能性が高い。
日本経済は戦後最長の経済成長を続けていると政府は言っているが、本当にそうなのか。現場にはその実感がない。
高騰するガソリンは運輸関連企業を苦しめている。高まる人件費にアップアップのコンビニやファミレス業界。親会社からの容赦ないコスト削減要求にさらされている下請け会社。
景気がよいのは自動車、建設機械、製鉄会社など中国やインド等のBRICsへの輸出で稼いでいる企業に過ぎない。
あのトヨタにしても世界一位の自動車生産を記録したが、日本国内では他の自動車メーカーと同じで販売は振るわない。またここに来て鉄鋼石などの資源も高騰し、先行きが怪しくなっている。
これまで述べてきたようにマイナス面のみでプラス面は一つもないではないか、というのが多数の国民の偽ざる心境だと思う。
考え直してみて欲しい。天然資源やエネルギー資源に乏しい日本が敗戦によって何もかもなくし、破壊されたにもかかわらず、奇跡の復興を成し遂げ、更にはオイルショックによる痛手を、世界一の省エネ技術の開発によって克服したことを思い出して欲しい。アメリカが震源地で各国の金融機関に多大な損害を被らせたサブプライムローンは、理科系大学出身者が金融工学なる美名のもと回収が疑わしき融資債権を如何に安全に見せるだけに知恵を絞ったまがい物であることを見抜いて欲しい。
邪道は許されない。地道にこつこつ自分に与えられた仕事を着実にこなすことが求められると思う。
大多数の人には有り余る才能や能力が有る筈はなく、長い期間をかけてその人にあった何かを身につけ、汚いことも嫌なことも自分のためになるという前向きな発想でことにあたるのが日本の美徳であった筈である。
こうした過程で、一芸に秀でたあまたの技能士が生まれ日本の一流技術を支え、品質世界一の座を勝ち取ってきたのである。今アジア、ロシアの富裕層達の間でMade in JAPANが持てはやされ大人気だという。その理由は、品質が良く安全な為だそうで日本国内で買うことがステータスとなっているという。
経営者達の果敢な挑戦と柔軟な対応、それを支えた一流の勤労者、更には物言う消費者達の存在抜きには日本の飛躍は考えられなかったし、今後も考えられないだろう。
消費者達の、時にはわがままとしか言いようのない要求にも経営者や勤労者はじっと耐え、すばらしい物やサービスを提供してきた実績は値千金である。
戦後の高度成長期から高層ビルが林立する過程で日本人の変な優越意識、特にアジアの人々に対する優越感が再び醸造されてしまった。
バブル崩壊以後の失われた10年の間停滞した日本経済を横目に、アジアの国々が成長し未来に向け飛躍をしようと準備しているにも関わらず、日本に住む日本人の島国根性は醸造こそすれ消えてなくなることはなかった。
アジアでもEU(ヨーロッパ連合)のような共同体構想がある。これはヒト、モノ、カネが国や国家の体制を飛び越え自由に行き来するグローバル化の時代に避けて通れぬ議論だと思う。
こういう時代の中で、誇れるものを失いかけている多くの日本人がアジアの人々に対する優越感を持つことで何とか自分自身のプライドを保てていられるのもそう長いことではない。
平成20年2月29日 小林 直行
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