 
             早崎隆志氏の説によると、タイ族は紀元前5000年頃長江流域で始まった稲作を受容し大発展し、その一部が中国・雲南地方に移動し9世紀以降インドシナ半島に登場したという。その後様々な王国を建国し、13世紀以降は「スコータイ朝」、「アユタヤ朝」、「トンブリー朝」、「ラタナコーシン朝(現王朝)」と王朝を開きながら徐々に南下し現在バンコクを首都とする現王朝に至っているという。
      早崎隆志氏の説によると、タイ族は紀元前5000年頃長江流域で始まった稲作を受容し大発展し、その一部が中国・雲南地方に移動し9世紀以降インドシナ半島に登場したという。その後様々な王国を建国し、13世紀以降は「スコータイ朝」、「アユタヤ朝」、「トンブリー朝」、「ラタナコーシン朝(現王朝)」と王朝を開きながら徐々に南下し現在バンコクを首都とする現王朝に至っているという。|  プラサート・プラテープ・ビードン(ロイヤル・パンテイオン) 十字形の典型的なタイ寺院様式。歴代の王の墓。 |  エメラルド寺院内の建物 仏塔のようであるが不明 |  対岸から見たワット・アルン(暁の寺) トンブリー朝を開いたタクシン王が王朝の菩提寺として開いた。 |  ワット・ポー(涅槃寺)ラマ1世によって再建され、ラマ3世が大改築を行う。タイ式マッサージはこの寺が発祥で、この寺は仏教、医学、文学の学問所でもある。敦煌は莫高窟の涅槃仏と比較するのも良い。私は敦煌・莫高窟第158窟の方が好きである。 | 
|  ワット・アルン。真ん中の建物は仏塔で、釈迦やその弟子、高僧の遺物を納める建物 |  プラ・ラタナ・チャルデイー。ラマ4世がアユタヤにある仏塔を真似て建てたもので、ラマ5世が金色にした。 | 各寺院の仏塔はアンコール・ワットの仏塔によく似ている。タイ族最古の王朝であるスコータイ朝は、クメール人のアンコール朝と戦いながらクメール文化を大いに吸収したという。現タイ族は文化的にはクメール文化圏といって良いのだろう。クメール文化は7世紀には形成され、ヒンドウー教と仏教を融合した芸術は「クメール芸術」と呼ばれているという。高塔建築と丸彫り彫刻が特徴。 | |
|  |  |  | 騒音や雑踏に惑わされることなく、両岸の風景や人の息吹を感じながらの3時間は極楽である。写真右の石碑はアユタヤにあった日本人町跡を記念したものである。山田長政が活躍したのもこのアユタヤの地である。 | 
|  ワット・ロカヤ・スター |  この仏像にはすべて頭部がある。再建されたのか?。 |  ワット・ヤイ・チャイモンコン 仏像の左の仏塔は高さ72m |  ワット・プラ・シー・サンペット この仏塔はスリランカ様式 | 
|  ワット・プラ・マハタート 仏像を覆っている木は何でしょう? |  仏像の頭部は切られている。 |  |  手前に切り取られた仏像が転がっている |