施設長の独り言

   第33話  タイ王国仏教遺跡巡り 

  中国は西安敦煌か、タイか、どちらに行くかさんざん迷った。何を迷ったかというと仏教遺跡の選択に迷ったのである。タイの金ピカ寺院か、西安と敦煌の歴史遺産の魅力かに迷ったのである。妻の意見はどうなっているんだろうね、といぶかる読者の方もいるかと思うが、私ども夫婦の間では、妻は私の意見にほとんどすべて同調し、海外では私のフルサポート無くして行動出来ない。
 西安敦煌の歴史遺産を十分堪能した翌年、はれてタイ王国仏教遺跡巡りと相成った。確かに金ピカ寺院もあったが、なかなか捨てがたい遺跡も多く楽しい旅になった。タイ王国には過去に2度程行っている。プーケット滞在とネパールに行くために乗り継ぎで1泊したことがあるが、バンコクと近隣の仏教遺跡巡りは今回が初めてである。バンコクの町並みを巡ると両側がせり上がった特徴のある建物がやけに目立つ。仏教寺院である。公共施設やちょっとした建物にもこの様式が使われている。
                          早崎隆志氏の説によると、タイ族は紀元前5000年頃長江流域で始まった稲作を受容し大発展し、その一部が中国・雲南地方に移動し9世紀以降インドシナ半島に登場したという。その後様々な王国を建国し、13世紀以降は「スコータイ朝」、「アユタヤ朝」、「トンブリー朝」、「ラタナコーシン朝(現王朝)」と王朝を開きながら徐々に南下し現在バンコクを首都とする現王朝に至っているという。
 私たちは、現王朝のバンコクを見学し、チャオプラヤ川を遡りアユタヤまで行くことにしたのである。
 現王朝は1782年バンコクを首都として、トンブリー朝を立てたプラヤ・タクシンの部将チャオ・プラヤ・チャクリが開いた王朝である。稲作と仏教を国の基本とし、過去に一度も外国の占領を受けたことのない誇り高い王朝国家である。このためかタイ独自の文化が仏教寺院を中心に至るところで見られる。
    
バンコク市内

プラサート・プラテープ・ビードン(ロイヤル・パンテイオン)
十字形の典型的なタイ寺院様式。歴代の王の墓。

エメラルド寺院内の建物
仏塔のようであるが不明


対岸から見たワット・アルン(暁の寺)
トンブリー朝を開いたタクシン王が王朝の菩提寺として開いた。

ワット・ポー(涅槃寺)ラマ1世によって再建され、ラマ3世が大改築を行う。タイ式マッサージはこの寺が発祥で、この寺は仏教、医学、文学の学問所でもある。敦煌は莫高窟の涅槃仏と比較するのも良い。私は敦煌・莫高窟第158窟の方が好きである。

ワット・アルン。真ん中の建物は仏塔で、釈迦やその弟子、高僧の遺物を納める建物

プラ・ラタナ・チャルデイー。ラマ4世がアユタヤにある仏塔を真似て建てたもので、ラマ5世が金色にした。
各寺院の仏塔はアンコール・ワットの仏塔によく似ている。タイ族最古の王朝であるスコータイ朝は、クメール人のアンコール朝と戦いながらクメール文化を大いに吸収したという。現タイ族は文化的にはクメール文化圏といって良いのだろう。クメール文化は7世紀には形成され、ヒンドウー教と仏教を融合した芸術は「クメール芸術」と呼ばれているという。高塔建築と丸彫り彫刻が特徴。

 バンコク市内観光をした後チャオプラヤ川を3時間かけてゆったりとアユタヤに向け船旅を楽しんだ。バスや電車という手段もあるが、ここは船旅がよい。船上のランチもゆっくり食べられる。同じ日本人の若い夫婦と相席になった。この夫婦は我が夫婦と逆で、妻がすべてを仕切り夫が従うという。仲が良ければどっちが主導権を握ろうがかまわない。
 
チャオプラヤ川流域
騒音や雑踏に惑わされることなく、両岸の風景や人の息吹を感じながらの3時間は極楽である。写真右の石碑はアユタヤにあった日本人町跡を記念したものである。山田長政が活躍したのもこのアユタヤの地である

 アユタヤ朝は、1350年、ウートーン候が王朝を開いたのが始まりである。400年以上繁栄を極めたが、1767年ビルマに成立したアラウンパヤー朝により滅ぼされた。その為アユタヤ朝の遺跡は破壊されたり、焼き討ちに有っているものが多い。一部は再建されたり復元されたりしているが、私は焼き討ちにあった寺院も好きである。
 
アユタヤ市内

ワット・ロカヤ・スター

この仏像にはすべて頭部がある。再建されたのか?。

ワット・ヤイ・チャイモンコン
仏像の左の仏塔は高さ72m

ワット・プラ・シー・サンペット
この仏塔はスリランカ様式

ワット・プラ・マハタート
仏像を覆っている木は何でしょう?

仏像の頭部は切られている。

手前に切り取られた仏像が転がっている

 他国との戦いに敗れた跡地はものの哀れを感じるが、アユタヤ朝が滅びた結果現王朝の繁栄があることを思うと不思議な気がする、遺跡群である。私には文才も表現力もないので杜甫と芭蕉の詩を載せ今回の紀行文を終わりにする。
 
杜甫「国破れて山河あり、城春にして草木深し」
 
芭蕉「夏草や兵どもが夢の跡」
 
 


            平成20年8月29日  小林 直行


                                             トップページへ戻る