Christophe Charles:「(un)related・(無)関係」

●For English

(un)related 展:前橋

質問

Q1- 楽器や音響機材などの電子的機械的再生音と都市の中で身体が直接体験する生な 音との関係についてどう思いますか。

アンプ・スピーカーという電子音響システムは人間の身体の延長として考えられる。
ただし、「自然に」現れる音と異なり、常に人工的な音を発生する装置である。人間 的意図は植物や動物よりも一貫したものであるように思われ、「自然」と「文化」の 境界線を問う質問である。そこで、私が感心を持っているのは、意図的に無故意の作 品を創造できるかどうかの問題となる。「文化」と「意図」や「故意」、また「決意 」という概念を再び定義しなければならない。作品の制作方法に対し意図やコントロ ールが介在しないよう、また感じられないようにという点に私自身の強い関心がある 。つまり、未決定、未解決、決定不可、無色、無味、風味のないものに関心があるの である。言い換えれば、動物的な、植物的な「作品」の創造について思考を巡らして いるのである。
身体には空間と時間(の余裕)が不可欠であるから、意図的に、余裕の欠落を回避し たい。だが、常に作品というのは人工的であるから、人間の意図はどこかで生じるわ けである。従って、その意図をどのように、どの段階で扱うかという問題となる。例 えば、意図を増やすこと、組み合わせることには、一つだけの強力な意図による方法 に比べ危険性が減少すると予想される。それぞれの意図の力が分担され、そこで生じ た力は「平静な」力に変容することがある。

Q2- 視覚的な物(映像、光)と音との関わりについてどう思いますか。

視覚と聴覚は生理的に関係のない現象である。だが、互いに生じたり、互いに引き起 こしたり、減少したりすることがある。私は視覚と聴覚は同じ「底」に基づいている と考えており、同じ根源や基礎から生じていることを前提としている。つまり、同じ 現実の二つの違う現れ方であり、その意味で、前視覚及び前聴覚(または貫視覚及び 貫聴覚)というものが存在していると考えている。

Q3- 展示(上演)される場所(ギャラリー)はあなたの作品の構成にどう影響(反映 )されるか。

空間というものは物理的でもあり、社会的でもある。つまり、建築家、資本家と利用 者の組み合わされた意図によって存在している。物理的次元だけを注目することは可 能であるが、相応しくないと思われる。それらの次元にも着目した方が作品は豊かに なる。作品は環境との(弱い)関係で破壊されることが充分あり得るのである。

4- インタラクティブについてどう思いますか。

インタラクションは様々な様子によって、様々なところにおいて存在している。作品 の使い方はいろいろである。場合によって、作品は実現してからその使い方は明確に なる。インタラクティブな作品というのはその展を強調するものである。それらを使 うこと、変更することによって新たな様相を見いだすことができる。インタラクティ ブな作品は「オープン」(開いている)でなければならない。つまり、越えられない 壁を無くさなければならない。それらの壁を破壊し、回り込むことによってインタラ クティビティ、コミュニケーションまたは交流が行われる。

Q5- あなたのパッケージメディア作品(CD)とインスタレーション作品についてどう いう違いを意識していますか。

CDというのは二つの違う素材によって構成されている:一つはソフトウエア(オーデ ィオ、TEXT、PICT、などのディジタルデータ)であり、もう一つはパッケージ、グラ フィックな資料も含め、本(ブック)に近い形態のものである。オブジェまたはイン スタレーション(つまりオープンな、不確定的な、変化可能な形態のオブジェ)にな ることがある。同じように、相応しい機器(コンピュータ、CDプレーヤ)によって読 み込むと、デジタルデータもインスタレーションになることがある。

Q6- 音と音楽についてどう捉らえていますか。

音楽は音を素材とした芸術の一つの形態で、道具を使用した人間または動物の行為( パフォーマンス)を必要とする。「道具」というのは見いだされたもの(found obje ct)から、最も精密な「マシン」(楽器、コンピュータ、人間の声など)、音源・素 材としての環境までを表している。プログラムすることによって、人間の行為を必要 とせず「マシン」自体はパフォーマンスを行う能力を持つことになる。その意味で、 「マシン」を通して、環境自体(例えば風、雨、川という自然環境、観客、プロフェ ッショナル・ミュージシャンを含め)は行為、つまり演奏をすることになる。
音は独立した基本素材(音楽が無くても音が存在している)であると同時に、音楽的 な行為の結果でもある。音楽は、精密な「マシン」を使用した人間の行為によって変 更された音であると同時に、行為自体、またその行為を支えている概念・コンセプト でもある。作曲家の概念によって、行為は意図的であり、または無意図的である。つ まり、構想または実現の段階では、不確定的な要素がそれだけ使用されるかどうかという問題に基づく。場合によって「行為」は「無行為」である。

Q7- 様々な音楽についてはどう思いますか(ジョン・ケージ、ブライアン・イーノ等)。

ジョン・ケージは、ルネッサンス以降定められた音楽(及び芸術)のカテゴリーに疑 問を投げかげ、再認識の必要があることを明示した作曲家の一人である。音楽という のは音楽的な音(つまり、楽器及び声によって発生した音)だけでなく、雑音(つま り、自然の音またはあらゆる素材やオブジェ、素材として既存の音楽を含め、から発 生した音)によっても構成できることを明確にし、音楽を徹底的に「開けた」のであ る。音楽は和声学よりも何よりも時間軸に基づいており、また環境的機能を持ってい ることに注目し、エリック・サティー及びマルセル・デュシャンの仕事に焦点をあて た。特に無意図、無関心、無味、無趣味などの概念は、デュシャンの作品を参照して いる(「ready made」といのは趣のないオブジェである)。
その意味で、カテゴリーを疑問にすること、恣意的に新たなカテゴリーを作らないこ とは必要がある。言い換えれば、私にとってカテゴリー及びジャンルの定義は重要で はないのである。分類は定義上は専断であり、データバンクを索引するための手段に すぎない。その意味で、ブライアン・イーノはカテゴリーを疑問にし、専断的に分類 されたため無視・無聴された音楽に一般聴衆の関心を引き寄せた作曲家・プロデュー サーである。

Q8- 日本とあなたの関係について/日本に来たきっかけは?

日本語を習い始めたのは、中国や韓国の文化を接触した東洋文化としての日本文化を 、「内側」から知りたくなったためである。日本はインドや中国から入った仏教の思 想を独自な解釈によって新たな視点を実現した国であった。1940年代、鈴木大拙の講 義によってアメリカのアラン・ウアツやジョン・ケージ等が仏教の思想を知り、彼ら の文章を通して私がその思想のある様相を知った。さらに興味深いのは、仏教思想と ある程度関係している日本独自の空間の概念及び感覚である。日本の伝統建築につい ての簡単な調査を行ったことで日本語の勉強を継続した。

Q9- 日本文化の中のサウンドスケープについては。

「日本のサウンドスケープ」と音の風景への関心は、産業化された経済力のある国の 場合と同じように、断固とした経済性のために破壊されている。文学、絵画などから 産業化以前の日本のサウンドスケープを想像してみると、その時の人間は自然音に耳 をすます習慣や傾向があったように思える。音楽の場合も、音と音の「間」の重要性 などによって、環境との関係は明確に現れている。関係または全体の音量のバランス を基本にしているように思える。戦後以来、特に60年代の高度成長以降、マスメディ アのコマーシャル的な音量、そのうえあらゆる交通期間の音量の肥大化が日本中(西 洋中ともに)広がってきた。

流行と共に伝統的文化のある部分は計画的に完全に無視され、「駄作」と言われるこ ともある。マスメディア+一般聴衆の、日本の伝統的な「音」及び音景への関心もそ の現象に従っていく場合は少なくもない。日本に滞在中の外国の西洋人アーティスト がある伝統的な要素を自分の作品において使用している(多くの場合はやはり「駄作 」とならざるを得ないが)一つの原因でもある。日本においても西洋においても上記 の経済的な「流行」の影響でサウンドスケープの標準化、音景への感受性の減少が発 生するかも知れないのだ。しかも、特に日本の場合、(経済的)「流行」と「グルー プ(社会)への所属」と同意語となると、サウンドスケープの「復旧」という概念は 疑わしいと思う。

Q10- 現在の日本アートシーンについては(ヨーロッパなどと比べて)。

流行と現代美術についてもまたそのような傾向が感じられないわけではない。80年代 以降、日本の「若い」現代芸術は−勿論それもまた日本だけについては言えないが− 重大であっても他の問題よりも経済的な流行にかなり関心を示しており、現代美術と は「コマーシャル・アート」になってしまったとも言える。70年代まで、芸術家たち による経済に「道を開く」希望はまだ感じられるが、80年代以降、逆に芸術家たちは 経済に「道を開けて」もらっているように思う。つまり、動機は経済の現況によって 生まれてくるのである。その意味で、「表面の美学」のような現象も起こり、それは テクノロジーを使用した(明敏さを示しても、確信がなさそうだが)「メディア・ア ート」のような分野に特に感じられる。日本の特徴の一つとして、島国であるため、 いわゆる「現代芸術」が行われている西洋とはかなり地理的に離れている。マスメデ ィアのプロパガンダにおいてもその「離れた感覚」は事実として取り上げている。現 在の交通機関のお陰でアメリカ西海岸及びヨーロッパまで10何時間しかかからないに しても、作家の活動にとっては海外の芸術的なイベントに参加し、異なる背景の作家 との交流などにおいても無視できない困難であり、その現況は日本の現代芸術への価 値観や関心、好奇心までにかなりの影響を与えているだろう。

Q11- 情報ネットワーク社会については(アートの将来について)。

情報ネットワークの影響で、場所を移動することなく色々な情報を得ることは可能と なることで、「リアル」な、物理的な対面を必要としないコミュニケーションは許さ れるのである。情報ネットワークの使用は一種の標準化(どこにいても均一に情報を 得られる)を引き起こすことになるが、マスメディアに受身に得る情報よりもネット ワークを通して得られる情報の方が多様で多数である。しかしネットワークを通して も絶対に得られない情報に対して意識を持つべきである。つまり、リアル(現実(感) )、バーチュアル(仮想・人工・現実(感))、身体、精神、物質、非物質、それぞれ の要素のバランスというのは重大な課題となっているような気がする。



(un)related : Maebashi

Could you comment on the following?

1. Relationship between electronic, mechanical sound backed by instrumentsor sound machines, and raw sound directly experienced in cities.

The electroacoustic system of the amplifier and the speakers is in a way an extension of the human body. This system produce by essence artificial (unnatural) sounds. The question seems to be about the limit between nature and culture. It deals with the problem of human intention, which is much more sustained than the intention of animals or plants. Then we can ask ourselves if it is possible to realize intentionally "non-intentional" works, that is, when we begin to speak about the ideas of intention or decision, which are linked with the idea of culture.
I don't like to feel too much intention or control, at least not at specific levels. I prefer the undecided(ness), the "undecidable", the fade (the absence of taste). One can change the direction of intentions and taste by re-defining their place, in time as in space, and by combining them. A bunch of intentions, of different directions, have no more the dangerous power of one unique intention. They become a more "tranquil" power.

2. Relationship between audio and visual (i.e., images, light)

(The sense of) sight and (the sense of) hearing are two different phenomena, which have no physiological link, but which can engender, cause, attenuate one another. I experience them while supposing that they both emanate from a same bottom, that they have a same root, that they manifest two appearances of a same reality.

3. The effects of the exhibition site (e.g., gallery, stage) on the form of your work

Space is physical, and also social. It comes from combined intentions of architects, financiers and users. To neglect this reality is possible but not preferable. I prefer to pay/draw attention to such a dimension so that the work becomes richer. The work is very capable of self-destruction because a weak relation with its environment.

4. Interactivity

Interactivity or interaction happens in many and various points. The work can be used in multiple ways, some of them are discovered quite a long time after the work has been realized. "Interactive" works insist on this reality, and propose a variety of utilizations and possible modifications so that many aspects can be discovered. The "interactive" work has thus to be open, that is, should lose insuperable walls, or at least should propose to go around them. Then the interactivity, or the exchange can happen.

5. Differences between packaged media work (i.e., CD) and installation work

A compact disc package is composed of two different materials: the so-called compact disc, on which applications and text/audio/graphic documents are recorded, and one package, which also features graphic and text documents, and which form is close to a book in a large sense: it can expand to form an installation, that is, an object with an open, variable or undetermined form). The digital documents, when read or activated by adequate machines, can also expand to form an installation.

6. Sound and music

Music is a form of art using sound as material and, in order to be created, supposes a human or animal action (performance) using an instrument. This "instrument" can range from a simple found object to the most complex machines (music instruments, computers, human or animal organism, or even the environment, the earth itself). If it is programmed correctly, the instrument can perform the music by itself without human assistance. In this sense, the environment (a natural phenomena, an artificial device, the audience or professional musicians) can also act as a sound source and/or as a performer. Sound is both the autonomous basic material (sound doesn't need the music to exist), and what results from the musical action. Music is thus the sound which has been transformed by the human or animal action, which uses in some case complex machines, as well as the action and the ideas which govern the action. According to the ideas of the composer, the action can be intentional or not, that is, more or less undetermined in its formulation and realization. In some cases, the action is non action.

7. Music (e.g., John Cage or Brian Eno)

John Cage is one of the first composers who has shown the necessity to revise the categories which have been determined from the Renaissance. He has thus operated a radical overture by showing that music could be constituted not only with musical sounds made by the human voice or by music instruments, but also with noises, some of them already existing like natural sounds or made by any object or material, or with musical quotations, for example taken from records or radio programs. He has drawn attention to the work of Erik Satie and Marcel Duchamp, by showing that music is first based on time before being based on harmonic relations (there can be no harmonic relations between noises), and that music has an environmental function, that is, a spatial aspect, a visual, sculptural, architectural dimension. The reference to Duchamp concerns the ideas of non intention, non interest, no taste (Duchamp "Ready-made" objects don't show any taste). It is important to put in question the existing categories, and not to create new ones. In other words, the discussions about the definition of a genre are not important to me. Classification is by definition arbitrary and has no other signification than to index a data bank. In this sense, Brian Eno is one of the rare composers/producers who has drawn the public ears to unheard music fields, because these have been classified arbitrarily. 8. Your relationship with Japan, initial reasons for coming here

I began to learn Japanese because I wanted to know from the "inside" one part of Asia, in the sense that Japanese culture has grown at the contact of Chinese and Korean cultures. Japan has moreover proposed an original interpretation of certain Buddhist ideas which came from India and China. I first read about such ideas in the books of Alan Watts and John Cage, who have known about Buddhism thanks to Suzuki Daisetsu in the '40s. An other interest was that about Space in Japanese architecture, that is, Japanese sense of space, which is not without relation with the Buddhist thought. Some summary studies on Japanese traditional architecture have encouraged me to continue the study of Japanese language.

9. Sound scape of Japanese culture

The Japanese soundscape is, as in the other highly industrialized and economically powerful countries, neglected because of economic imperatives. The traditional architecture, the art of the garden or most of the traditional music prove a great sensitivity to sound, nevertheless the "traditional" soundscape has been destroyed by the systematic wiring of the country with audio cables, railroads and motorways.
Traditional music has a very restricted audience (when comparing to the whole audiophile population), and the recent vogue is to not get interested into, or even reject some aspects of the traditional culture, and it seems that sensitivity to "pure" sound is one of these aspects. (It is probably one of the reasons why foreign artists (including writers) resident in Japan, especially the ones from the Occidental countries, try, in general without great success, to insert "traditional" Japanese elements in their work).
The fact that the Japanese young generations draw much attention to fashion is possibly one of the cause of the standardization of the soundscape. And as long that the adhesion to fashion is one of the condition for the belonging to the social group, it is difficult to imagine soundscape to be "restored". Let's hope that the young composer make more and more silent pieces.

10. Current art scene in Japan (compared with Europe)

One could go on with the idea of fashion concerning the art scene. Until the seventies, it seems that artists had the desire to show the way to the economic authorities. However, since the eighties, the phenomena has been reversed, that is, artists prefer to leave economic urgency show them the way. One develops nowadays an "esthetic of the surface", especially in the domains which touch the so-called "media-art", where one uses technology with brilliant but without a profound conviction.
Although today's airplane transportation facilities allow to get to America or to Europe in a little more than ten hours, Japan remains an geographically isolated country-and likes to remain so-, and this situation has certainly some effect on its contemporary artistic life.

11. Information network society, especially the future of art

It is possible that the evolution of information networks have the effect to standardize or enrich the exchanges between all parts of the world, and that the above problem of isolation is limited to geography. In counterpart, we will have to learn (again) to communicate without these networks, which are indeed very useful, but which cannot replace all modes of exchange.

The question asks the balance between the real, the virtual, the body, the mind, the material, the immaterial, etc.