ライブレポ No.123
Special Thanks to おみさん


1999.12.19(日)
OKST 99 00
 千葉県文化会館

「ライブレポ」にはなってないです。せいぜいライブ感想文… 
いや、全く個人的なライブ鑑賞日記にしかなってないような気もする。
曲順、MC等はあいまいな記憶とこれまでの皆さんのライブレポを参考に書かせていただきました。
それではお時間がございましたらお読みください。



12月19日 寒いけど快晴 

オープニングアクト(?)ニコイチたちの演奏を味わっているうちに5時30分。会場。
見慣れたこのホールの中でまさやんが演奏する。
その場にいられる。
緊張とも感動ともつかない不思議な高揚した気分になっていく… 
2階席から見下ろすとPA卓のそばに社長が座っている。
「千葉にようこそ。」そんなことを思ってもみる。

客席の灯りが落ちて舞台
左手からまさやん登場。
のたのたというか、ふらふらというか、会場中のものすごい歓声にも動じる様子もなくギターの元へ。
既に会場中立ち上がっていて、まさやんのかもし出す音を聞き逃さないように感じ逃さないように、
全身でまさやんを捕まえようとしているような感じがした。もちろん私もその一人。

そして!「ステレオ」
ギターとハープとたった一人の歌声なのに、この圧倒的な音量存在感は何?
どうしてこんな風に幸せそうに楽しそうに会場中を自分の世界にしてしまえるの? 
武道館…大丈夫だ、なんて勝手なことまでも思ってしまった。

続いて「Fat  Mama」(2曲目は全部これだと他のレポに書いてあるんだけど…
じつは記憶が飛んでしまっている。2曲目なのに…ごめん)
息つく暇も与えてくれない。

2曲目が終わったところで
「お座りになりませんか?」
言われる前から次はアコースティックパートだってことで座りかけてたおみとSYRAH。
すんません。
「最初からちょっと飛ばしすぎたもんで、もうちょっと息整えさせて」なんていいなが
らチューニングとおしゃべり。

「貝塚があるんですってね。貝塚って化石?」
…ちょっと違う…

「江古田」ハープの感じがCDで聞いていた時と違う。

もっと寂しげな曲だった記憶があるのに、力強い。
右斜め後方からライトが当てられ、まさやんの影が左手の横の壁に映る。
くっきりと。
かすかに動く頭、曲に合わせて上下するギター。
ステージの上のまさやんではなく、影ばかり見ていた。
♪電車のブレーキに足取られよろめいている
でもこの人はしっかりと足を踏ん張って立っている。
街をさまようのではなく、一人ではあってもどこかに向かって足をしっかりと踏み出している。
そんな感じがした。くっきりと映るまさやんの影。
こんなとこ見てる人他にいないだろうな、なんて思いながらも、
次の曲に移って影が消えるまで力のあるその影を見続けていた。

「ある朝の写真」「僕はここにいる」(←これちょっと間違えてやり直した)「砂時計」
「やわらかい月」ではバックの照明が、流れる川の上を灯篭が流れているように見える。

雨の日のガラス窓に映った夜景のようにも。
そして「One More」静まり返っていた客席からなんとも言えない声が上がる。

ホントに皆この曲好きなんだな… その2日前に見たTRでのまさやんの表情を思い出す。
もう何千回と歌っただろうこの曲。それでも1回1回に全力を傾けて、心の全てで歌っている。
もちろん他の歌だってそうなんだけど、今回のツアーが中之条から始まったということ、
歌を歌うということを選んだ自分の居場所を―捜し続けていた居場所を―見つ
けたらしいということ、やっぱり特別な歌なんだと思った。

…視界の隅でSYRAHが涙をぬぐうのが見えた。

椅子を離れてピアノのところへ。

「あ、ツバメ。」
泣かせる曲、連続かい? なんて思ったりもしたんだけど、MC入れて雰囲気作り直し。
ムリにひっぱって行く展開でなくてよかった。なんて…これも勝手な感想。

再びギターのところに帰って「カルテ」。CDよりずっとゆっくりめなテンポで、よけい心に痛い。

網戸に挟まった虫も、期限が切れた彼女の卵も消えることなく目の前にあり続ける感じ。
その中から自分の生活やらなんやらいろんなことが思い浮かんでくる。
まさやんの生み出した同心円に自分の同心円が重なって、共鳴して、広がっていく。
そして深まっていく。
機械を用いたテクニカルな音も、激しい息遣いそのもののギターの音も
深い深いところから鳴り響いている。それは私自身の深いところ、なのかも…

「水のない水槽」

実はまさやんの曲の中ではあんまり好きではない方に入る曲だった。
この日の演奏を聞くまでは。ところが。
この日、まさやんの声を追いかけて響くもうひとつの声に(エコー、ですね)

なんとも言えない感覚を覚えた。
めまい…揺らぎ…喪失…
どうしようもない全てのことがゆらゆらと落ちていく。
不意に、ライブレポート書くなら、いい文章を書きたいと思った。
負けたくないとか、一人前にならなくちゃとかそんなことを無意識に思ったのかもしれない。
何で?って言われると困るんだけど、あの演奏はわたしにそんな変な意識を持たせた。
(でもね、今書いてるこれがいい文章かどうかはまた別のことで…)

そして「Passage」。これ、弱い… 泣きそうになる… 遠くまで続く道。

TVで見たときよりバックの映像が印象的だった。

MCの途中から、このあとのりのりタイムに入ることがわかったわれわれ(おみ&SYRAH)
は腰を浮かせかけている。

「座ってる場合やないで。ダンシングターイム!」
まさやん叫ぶ。
べたなネーミング…

「アレルギー」「ドミノ」「ガムバタ」(Mr.Tのリベンジはやらなかったの。聞きたかったのに。)

「パンを焼く」「Ticket to  the  Paradise」「ヤサ男」
Ticket〜は既に定番ソングのようになじんでいる。

会場のレスポンスも「チ、チ、チ…パラダイス!」のところがみょ〜に心地よい。
楽しそうに自慢そうに、自分とお客さんとスタッフとみーんなを乗せて楽しませて… さいこ〜だよまさやん。
アコースティックのところではいろんなことを考えた頭が、楽しむってことだけに凝縮されていく。

手をたたく、踊る、叫ぶ、笑う。どんどん気持ちが開放されていく。
もう終わりが近づいているけど、いや終わりが近づいているからこそ、これ以上ないってほど
はじけまくった
「ダンシングターイム」でした。


アンコール1曲目は楽しみにしていた

「振り向かない」。
「女々しい歌詞」と言っていたのをなぜやる気になったのか。

生で聞いて考えたことは一つ。
本気で振り向かないって決めたんだってこと。
そしてこの「君」は、昔の自分自身なんじゃないかってこと。

Passage で歌われている遠すぎて見えないあの日のことと、
振り向かないで歌われているあの頃のこととがリンクしていく。

♪確かに歩きだすよ ♪

僕はまた歩き始める 大地に足を下ろしてしっかりとした歩調で
まさやんは確かにまた歩き出したんだ。


「セロリ」

好きなのさぁ〜マジで。って言ってくれるのを楽しみにしてたけど
千葉では「サンキュ!」でした。
でも、そのサンキュにと〜っても深い愛情を感じてしまったのは
千葉県民の身びいきでしょうか。

「審判の日」でアンコールその1終了。



あとは…そう。「灯りを消す前に」


ピアノの音に、まさやんの声に、会場中が吸いよせられていく。

広い会場にたった一人しかいないような、自分のためだけに歌ってくれているような、
そんな錯覚を覚えるほど集中していった瞬間。
錯覚じゃないのかもしれない。ホントに、きっとまさやんは
何人お客さんがいようともそこにいる一人一人を相手にして、思い浮かべて歌っているのかもしれない。

だからたった一人しかお客さんのいなかったライブから何万人規模のYMACまで
変わらずにいつでも「歌うこと」を続けていられるんだろう。

♪こんなにも愛してる

最後のピアノの余韻が消えるまで拍手すらできずにいた。


「また来ます」って言って消えたまさやんを
いつまでもいつまでも心に焼き付けていたいと思った。
1階にいるジャイアンに「ありがとう」を小さくつぶやいて席を離れた。

外は引き締まった空気と満月に近づき始めたお月様。

会場中に散らばっていた宇宙人が再び集まり、幸せに染まった頬を輝かせながら
千葉の街に帰っていったのでした。

 以上OKST千葉 感想文でした。

 1999.12.23 記す


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