チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第7号



神こそ、わが岩。
  わが救い。わがやぐら。
私は決して、ゆるがされない。
 −聖書 詩篇62篇2節−

目 次


ショートメッセージ

揺るがない土台


小杉正雄

 今、日本では三つの崩壊が大きな問題となっています。
 大型倒産が続き、経済秩序が大きく変化しているため起きている社会崩壊、学校内で数多く起きている凶悪事件による学校崩壊、そして、家族としての結びつきを失ったために起きている家族崩壊。
 確かに、今までになかった世の中の動きが、今、急激に進んでいるといっていいと思います。
 そして、三つの崩壊はみな私たちに関係している、深刻なことです。
 このような中で、私たちにとって怖いことは、問題にほんろうされて、自分自身を見失ってしまうことです。
 実際、必要以上に不安になったりする方や、自殺者も出ています。
 このようなとき、たとえ問題の渦中にあったとしても、しっかりした人生の土台を持っていたら、どんなに大きな助けになるでしょうか。土台があれば、世の流れに流されることもなく、ほんろうされることもなくなります。
 神と出会ったとき、私たちは揺るがない人生の土台を得ることができます。そして急激に変化している時代の中、何を大切にして生きていったらよいのか、知ることができるようになります。



本当の喜び

齋藤稔男(高崎市在住・JR勤務)


銭湯での洗礼式

 バプテスマ(洗礼)を受けて、早いもので今年で十六年になりました。現在のように会堂の中にバプテスマ槽があるわけではなく、当時、バプテスマは、お風呂屋さんでした。近くを通ると、あの時のことを今でも思い出します。

恵まれた幼少時代

 私は、埼玉県熊谷市に生まれました。両親は雑貨商を営んでおり、五人兄弟の末っ子として育ちました。何一つ不自由なこともなく、恵まれた生活でした。それどころか、後から他の兄弟に聞いた話では、相当わがままだったようです。(「今でもよ」妻談)

就職・転職時代

 高校を卒業し、その後は進学するでもなく、就職するでもなく、あてもなくブラブラしているうちに二十歳になってしまいました。いつまでも遊んでいるわけにもいかず、仕方なく、父の知人の会社に入りました。通勤の関係で、一人で東京に住みました。親の目もなく、何をやっても怒る人もなく、私のそれまでの人生の中で最高の時と思われました。東にうまいもの食わせる店あると聞けば飛んでいき、西に安いもの売っている店あると聞けば馳せ参じ、給料は見事に使い切りました(月末はパンの耳をかじる生活)。
 一年たち一年半過ぎるうちに、ある一つの考えがむくむくと頭をもたげてきました。それは、私の才能はこんなものではない。もっと才能を生かした職業につきたい、ということです。この後、数種の職業につきましたが、共通しているのは時間がたつと同じ考えが私の中に起こるということです。何の計画もありませんでした。将来何をしたいのか、何をしなければいけないのか。それは一番考えたくないことでした。

空しいという空間

 当時、私の二人の兄は、そろって国鉄(今のJR)に勤めていました。ですから、両親も私に国鉄に入るようにしつこく言ってきました。そろそろ定職に就かなければ、という思いも内心あり、国鉄の入社試験を受け、無事に採用されました。配属先は、高崎操車場駅でした。たまたま通勤の関係で、高崎にある寮に一人で住むことになりました。勤務は不規則でしたが、比較的休暇が自由に取れたので、いろいろなところへ電車に乗って旅行に出かけました。今日は北に、明日は南に、といった具合です。仕事も最初のうちはおもしろく、楽しい日々を過ごしました。しかし、やはり時間が過ぎていくと、自分の中に何か物足りなさを感じるのでした。好き勝手にやっているのに、つまらないのです。
 私は、今まで同様にそのつまらなさを、いろいろなものを買うことで埋めようとしました。それによって満足を得ようとしました。楽器、レコード、服、カメラ、等々。何でもよかったんです、夢中にさえなれれば。もし私が酒が好きだったら、とっくの昔に、体を壊していたと思います。残念ながらそれらのものは一時喜びを与えてくれるものの、本当の解決にはなりませんでした。

空しさは喜びに

神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
         伝道者の書五章二十節

 鉄道の寮は大きく、たくさんの人がいました。また、いろいろな人がいました。その中の一人の方との出会いが、私の人生を大きく変えたのです。神様は、人にとって一番よい時に、また一番ふさわしい方法でその御存在を知らせてくれます。私には神様はその一人の友人を通して、神様ご自身を知らせて下さいました。友人の誘いがあり、まもなく双葉町キリスト集会(現群馬キリストチャペル)へ行くことになりました。
 職場と寮と集会が近かったので、毎週のように出席させていただきました。不思議と、不規則な仕事の割には集会の時間がとれました。それは何という幸い、また恵みだったでしょうか。最初のうちは、集会は行っても何も分かりませんでした。しかし、時間がたつうちに、この天と地とを創造された方がいること、私はとんでもない罪人だということ、この私の罪の身代わりとして、イエス・キリストが十字架にかかって下さったということがはっきりと分かりました。そして、以前いつも私の中にあった空しいという空間が埋められていることに気づきました。私は造り主のもとへ帰ったのです。
 今はっきりと、イエス・キリストこそ私の造り主、私の救い主と言うことができます。この罪深い小さき者を、イエス・キリストは赦して下さり、本当の喜びのある人生へと変えて下さいました。

イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
         ヨハネの福音書七章三十七〜三十八節



読書タイム

「レーナ・マリア物語」

レーナ・マリア・ヨハンソン著

遠  藤   町  子  訳

 生まれたときから両腕がない、スウエーデンの女性歌手レーナ・マリア・ヨハンソンの生い立ちから現在までを写真と共につづっている。彼女はゴスペルシンガーとして生きて行く前に、水泳、電子オルガン、スカウトの活動、大学受験など、様々なことにチャレンジし、納得がゆくまでやり遂げてきた。
 わたしの両親はわたしを障害者レーナ・マリアとして育てず、一人の娘レーナ・マリアとして育ててくれました。そして、いつも「あなたは価値のある者です。わたしたちはあなたを愛している」といって育ててくれました。(本文より)
 親が子供を愛するのは当たり前のことのはずだが、今の社会では、それさえも受けられない子どものなんと多いことか。しかし、この本は、神様はどんな子どもも、障害のある人もない人も、みんな一番に愛し、一番大切に思ってくださると教えてくれる。
金の星社 本体1456円+税