チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第10号



すべて、疲れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 
  −マタイの福音書11章28節−

目 次


ショートメッセージ


沖見 寅雄

 このイエスの招き(上記の聖書のことば)に応じて、魂の休み、心の平安をいただいた人は、数えきれませんが、私もその中の一人です。
 私も三歳の時に小児麻痺にかかって右足の自由を失って以来、いつも悩んでいました。「なぜ、自分だけが……。どうして私にこんな苦しみが……。」といつも不平不満で暮らしていました。文字通り、生きることに疲れ、心の休まる時も、涙を流さない日もありませんでした。そのころは、真の神の存在や、その愛について、私は全く知らなかったのです。そんなある日、聖書の言葉を通して、イエスの招きを聞きました。万物の造り主であられる方が、人となって来られて、語られた恵みにあふるる招きのことばを私は聞いたのです。
 これは、苦しむ人間の要求によって発せられた招きのことばではありません。これは、救い主であられる神のみ子イエスの、主権と愛に基づく招きのことばです。また、これはまことに大胆なことばでもあります。なぜなら、すべての重荷を解いて休ませてあげるという招きですから、その通りにならないと、イエスは大うそつきのペテン師ということになるからです。この招きのことばが語られてから、すでに二千年近くの年月が過ぎました。そして、心からイエスのもとに、魂の安息を求めていった人は、文字通り休みを得ました。
 だから、この招きのことばは、聖書の中から消し去られることもなく、今も多くの人に語りかけています。

         「しあわせのご招待」
          (福音プロダクションズ発行)より一部抜粋


一冊の本との出会い

小野裕子(群馬町在住・主婦)

 は、大学生と高校生の子供を持つ主婦です。
 が神様を信じたきっかけは、高校生の時母に紹介されて読んだ本、三浦綾子さんの「この土の器をも」でした。そこには、神を信じ敬っている著者自身の結婚生活のことが書かれてありました。私の家は、昔からの農家です。古い言い伝えや習慣の中で過ごしてきました。養蚕、酪農、畑の野菜作りから米作り、朝から晩までただ休みなく働いている家でした。ですから神の前に静まって、一緒に聖書を読み祈り愛し合っている姿に、母も私も感動ととまどいを覚えたのです。そこには何か、人間として素晴らしいものがありました。身近にいる、私の知りうる限り最も立派なご夫婦にも見られない何かーー。もっとよく知りたいと思いました。
 校卒業後、看護学院に入学しましたが、そこに聖書研究部があったので、早速入部しました。その頃はよく小説などを読んでいましたが、外国の文学はもとより、日本の近代文学にも聖書のことばがたくさん使われていました。本の内容を少しでも理解したいと聖書の勉強をすることにしたのです。
 院で毎週行われている聖書研究会に集ううちに、教会にも行ってみたくなりました。その時、導かれたのが高崎にある大橋町キリスト集会でした。はじめて集会に行った時の印象は、人々の笑顔と清らかで暖かい雰囲気でした。家から離れ、寮生活をしていた私にとって、実家に帰ったような安らぎがありました。そこでは毎回聖書が読まれ、イエス様のこと、罪や救いのことなどが学ばれました。私にとって違和感もなく、むしろいつも喜びと平安で満たされていたのです。
 時はまだ若く、自分自身が神の前にどれほど罪深いものであるのかわかりませんでした。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ6章23節

 校の実習で、受け持ちの患者さんが亡くなる姿を見たことがありました。確かに死はありました。人はこのままどこへ行ってしまうのでしょうか。死んだら終わりなのでしょうか。本当にむなしくて悲しい思いでいっぱいでした。
 かし、聖書に永遠のいのちがあると書かれてありました。それを頂くためには、私が罪人であることを認め、私の罪のためにイエス様が十字架にかかり私の代わりに神様に罰せられたことを、はっきりと信じることでした。これは私にとって大きな変化で、価値観が全くと言ってよいほどくずされました。人間にとって本当に大切なことは、お金や名誉や財産を得るのでなく、神を信じ神と共に歩むことでした。

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
ヨハネ8章32節


とありますが、真理とは神様のことです。神のご加護の中で、自由に生きることがゆるされている安心感も与えられました。
 日、クリスチャンの夫と共に「結婚生活は愛を建て上げていくものだ」と教えられ、神の恵みの中で暮らしております。子供たちも幼い頃から教会の日曜学校で、やって良いことと悪いことなどしっかり指導されたことは良かったと思います。上の子は未熟児として生まれ、幼い頃より喘息に悩まされ、下の子もアトピーのため食餌療法に苦労してきたものです。確かに多少の波や風があると思いますが、イエス様という土台の上に生きていく時、神様が必ず助け導いて下さるということを経験してきました。
 族で聖書を読み祈れるのは幸いなことです。不完全で何一つ取り柄のない私たちですが、「失敗も益と変えて下さる」と約束して下さる神様に信頼しながら歩んで参りました。
 が若い頃は三無主義といって無気力、無関心、無感動などと言われました。そして今は、学級崩壊や子供の心が見えにくい時代で、中学生による大きな事件も起きています。人は弱いですし、世の中は移ろい易く、たやすく悩みや問題の波に翻弄されてしまいます。しかし、昔から変わらない神の言葉、聖書に従って生きる時に、神様からの恵みがあると思います。
 振り返ってみると、高校時代に読んだ本と同じように天地を造られた神様を信じ、三浦さんたちと同じように、クリスチャンとして歩むようになっているとは、神様の導きの不思議さに感じ入るばかりです。
 れからも困難や大変なことも起きてくるでしょうが、教会の皆さんの祈りや励ましに支えられ、神様を畏れつつ歩んでいきたいと思っています。