チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第11号



あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、
あなたがたに肉の心を与える。
−聖書 エゼキエル書36章26節−

目 次


ショートメッセージ

新しい心


小杉正雄

 今のままではいけないと、心の中に問題を感じ、性格を変えたい、生活を変えたい、人生そのものをやり直したい、と願う人がいます。
 果たしてこのような願いは実現できるのでしょうか。これは、簡単なことではありません。現在の状態になっているのは、今までの長い経過と、その時々の選択があるからです。
 しかし、絶対にできないと言い切ることもできません。神様を信じることにより、変わることのできた人もいるからです。
 喜びを知らなかった人が、喜びを持つようになり、絶望の中にいた人が、希望を持つようになり、イライラすることしか知らなかった人が、感謝の心を持つことができるようになりました。
 このような人の、何が変わったのでしょうか。
 初めに、心が変りました。
 そして、心の中が変わることにより、やがて、その思いが、表に現れてくるようになりました。
 もし私たちが、神を信じ、神と結びつくなら、神様の助けにより、「新しい心」をいただくことができ、新しい歩みを始めることができます。



人生の指針となった聖書

関根孝行(高崎市在住・会社員)


 「教会に連れていってくれる」
 これが最初のきっかけでした。高校3年の春のことです。
 他人と違ったこと、一生続けられることを持ちたいと思っていた時、中学時代からの友人との雑談から、教会に行っていることを聞かされ、「教会もいいなあ」と思い一緒に行ったのです。

 初めに神が天と地を創造した。   
創世記1章1節

 教会に行くと当然のことながら、聖書の神について話を聞かされました。それは、私が今まで思い描いていた神とは全く違うものでした。雄大さ、偉大さ、力強さに衝撃を受けたのです。「これだ」と思いました。
 神とは何者か、それは、まさしく聖書の最初のことば「初めに神が天と地を創造した」
にある通りこの地球を造った方であるというのです。私が今まで見知ってきた神の中でこのような神はいませんでした。真の神は、唯一であって、全知全能の神、人間の能力をはるかに超えた神、生きておられる神、すなわち、この聖書が示している神であると確信したのです。
 この偉大な神がどんなことを言っているのか興味がわき、教会へ続けて行ってみようと思いました。ただその時にこうも思ったのです。教会へ行くとなると、不自由になるな、世捨て人のように現実の社会との接点が少なくなるな……不自由、小さな世界、非現実……こんなことを多少は覚悟をしていたのです。

 真理はあなた方を自由にします。    
ヨハネ8章32節

 教会へ行くと不自由になるだろうなとは実は全くの誤解でした。反対に、本当の自由を聖書から知ることとなったのです。
 自由とは、どういうことでしょうか。自分のやりたいことがすべてできることでしょうか。私が聖書から学んだ自由とはこうです。自分がすべきこと、やらなければならないことができる状態、逆の面から言うと、してはいけないことをやらない、やらなくても済む状態です。
 聖書は言っています。人間は罪の奴隷か、義の奴隷のどちらかであると。聖書は真理です。聖書を知ることにより、不自由な罪の奴隷から解放され、義の奴隷ー本当の自由ーとなることができるのです。

 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。   
使徒17章28節

 聖書を知れば知るほど世界が広がります。大きな視野で物事を見ることができます。
 天地万物を造られた神がいます。月、星、太陽、山々、花、鳥などの動物を見るときに神の存在を感じられます。大きな心が育つのです。自分自身を見ても同じです。神の主権のもとに生かされているのです。
 教会に行き始めた頃、あることに非常に感動しました。それは、クリスチャンの心の大きさ、力強さです。
 ある宣教師の話を聞く機会がありました。その方は、ソ連で伝道をしていました。当時のソ連は信仰の自由がなく、聖書を信じることなど認められていません。聖書を持っているだけで犯罪者扱いであったようです。もしクリスチャンであり、教会に行っていることがわかれば大変な迫害を受け、その指導者などは死刑になることもあったと聞いています。
 その宣教師の話の内容は覚えていませんが、話の終わりに言った言葉は忘れられません。「ソ連のクリスチャンたちは日本のために祈っています。日本のみなさんもソ連のクリスチャンのために祈ってください」
 聖書を持つことも教会に行くことも政府によって妨げられることのない日本。一方全く逆の状況下にあるソ連。ところが、そんなソ連のクリスチャンたち、明日の我が身がどうなるかもわからない人たちが、会ったこともない、自分たちよりはるかに恵まれた人たちのために祈ることができる。聖書を信じる人たちは何とすばらしいのだろう。大きな心、本当の力強さを見たような気がします。このことは今も自分の心の支えになっています。
 教会に行き、聖書も少しずつ知っていく中で、自分が誤解していたことも正しく理解することができました。それと同時に、神様と私との関係がどのようなものかも深く教えられていったのです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。   
ヨハネ3章16節

 聖書の神が存在すると知っただけでは不十分でした。神と自分との個人的な関係をしっかりと知ることが必要だというのです。
天と地を創造した偉大な神が、私に何と言っているのか、知りたいと思いました。ですから、さらに聖書を読み、教会にもできる限り行きました。
 神と私との間には大きな壁があることがわかりました。完全な神と不完全な私とは、相容れない関係であるというのです。大きな壁とは罪のことです。聖書で言う罪とは犯罪だけではなく、人間の心の中にあることをも示しています。自己中心、虚栄、高慢、憎しみ、そして何よりも神のことを考えず真理を受け入れない心。罪の奴隷です。神を求める自由がないのです。しかし神はそのような状態をよしとしていないことも理解できました。神はご自分と正しい関係になってほしいとの強い御思いを持っていらっしゃいます。けれども残念ながら私にはその力がないのです。
 罪からの解放の道を用意したのは、神様でした。神の救いの御業です。神は計り知れないほどの犠牲を払って私と神との間の隔ての壁を取り除いてくださいました。その犠牲とは、神様にとって最も価値のあるもの、最も自分の近くに置いておきたいものでした。それがイエス・キリストです。罪の壁を取り除くには大きな代価を要求されます。神が、ひとり子であるイエス・キリストをお与えになったほどに私を愛してくださっているとわかりました。
 私はイエス・キリストを受け入れました。 人生観が変わりました。神と自分との関係が修復されたときに人生が変わります。聖書は真理を教え、自由を与え、大きな世界を私に与えてくれます。自分の生きるべき道をはっきりと示してくれます。聖書はまさしく私の人生の指針となりました。今もこれからもそれは変わりません。