チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第14号



イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。
  「医者を必要とするのは、病人です。
    わたしは正しい人を招くためではなく、
     罪人を招くために来たのです。」
マルコの福音書2章17節

目 次


ショートメッセージ

医者を必要とするのは病人です。


小杉正雄

 「人を殺す経験をしたかった。」これは愛知県で主婦を殺し逮捕された十七歳の高校生の言葉です。彼は、成績は優秀で、スポーツには秀でて、やさしい子と評判でした。何故六五歳の主婦殺したのかという問いに、「若い未来のある人はいけないと思った。」との答えです。人を平然と殺すこと自体異常ですが、説明された言葉に、さらに深く異常さを感じ、驚かされました。
最近は同様の事件が多発しています。個人もこの社会も、どこかが狂っていて、病を持っていると感じます。多くの人が、これからどのような時代になるのだろうかと、不安を覚えています。
 イエス様はご自身を医者にたとえて話をされ、癒しの道を示されました。
 問題の根本的な原因は、自己中心や欲望の虜になってしまう人の罪にあること。さらに人が神に背いたために罪が始まり、愛を失ってしまったと言われました。
 そしてイエス様は、その罪人を招き、愛を示すため、御自身この地上に来られたと言われました。
人は、一人一人が神様を知り、受け入れ、神と共に歩むようになったとき、初めて、罪の問題が解決し、愛を知り、癒されるようになります。



「逃げ」から「賛美」へ

 廣瀬 裕(藤岡市在住・教員)


 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。     
ローマ人への手紙七章二四節

   「逃げの廣瀬」、それが、高校時代、仲の良い友人の私に対しての形容でした。
 学校から、友人から、そして自分から逃げているのが私の偽らざる姿でした。事実、自分から望んで受験し入学した高校を理由をつけて平均年間三〇日程休んでいました。いわゆる進学校といわれる学校で、数学では月例テストというのがありました。勉強をしていないわけではないのですが、テストが近づくと心配になって来て試験当日までつい休んでしまうなどということがどれほどあったでしょうか。
 自分から入ったマンドリン部も定期演奏会が近づくと休みがちになり、当日はやはり休み、合宿などにも何だかんだと理由をつけて参加しませんでした。
 分けても、水泳の授業からはよく逃げました。小、中学校を通じて、私は全く泳げませんでした。水が怖く、浮くこともできませんでした。(幼児の頃、池に落ちて溺れたことがあったからかもしれません)。高校の夏休み、水泳に関するレポートを書く宿題が出ました。しかし、どうしても苦しい水泳の練習がいやで、プールで水泳を教えてもらう友人との約束を最後まで破り続けてしまいました。逃げてはいけない、学校に行かなければいけないと思うのですが、そうできない、惨めな自分がいたのです。
 当然、周りの者は心配します。父はよく軽トラックの荷台に自転車を積んで、私を学校の近くまで送ってくれました。
 今でも胸が痛むのですが、母がせっかく作ってくれた朝食を、めちゃくちゃにしてしまったこともあります。
 家のトイレに鍵をかけて籠城したこともありました(臭い話ですね)。
 親が悪いと恨み言をいってぶつかったこともありました。自分で選んで入った学校でしたが、「何のために学校に行くのか、虚しい」というのが、日々のつぶやきでした。かといって、ぐれるのは絶対いやだと思っていましたから、酒やたばこに手を出すこともしませんでした。
 当然劣等生でした(ですが、一年の一学期の成績が四百五人中下から数えた方が早かったほどなので、冗談みたいな話ですが成績は上がるしかありませんでした)。学校内では劣等生で居眠り、てれ笑い、でも外に出ると「進学校に行っているんだぞ」という、何とも相反する態度をとっていたような高校生活でした。そんなピエロのようないつわりの自分がいやでたまりませんでした。
 そんなことをしているうちにもついに卒業式が来ました。「こんないやな生活からも解放される」と心が軽くなったのを今でもよく覚えています。
 受験にも失敗し、やはり友人と同じように人並みに浪人生活を迎えましたが、予備校には通わず、ラジオ講座を受けながら受験勉強をしました。ほとんど家を出ない生活が続きました。床屋にもほとんど行きませんでした。近所や親戚の人が来ても逃げ回るような始末で、さながら隠者のような生活でした。
 ただ月一度だけ、数学を教えてもらったり、一緒に食事をして話を聞いてもらったりしに友人宅を訪問するようになりました(高校一年からの仲の良い友人で、よく数学を教わっていたのです)。
 そんなある日のこと、その友人が、「教会に行ってみないかい?」と声をかけてくれました。九月のある日曜日のことでした。
 「このままいけばどうにかなってしまう」という思いが以前からあり、思い切って行くことにしました。そこは予想に反して、ビルの二階でした。十字架もありませんでした。でもとにかく聖歌が歌われ、男の人が前に出てきて、聖書からの話を一生懸命してくれました。集会が終わると、クリスチャンの人が近くに来たので、私も友人に話すように、言いたいことを話しました。その人は優しくほほえみながら話を聞いてくれました。さっぱりしたので、鼻唄で聖歌を歌いながら集会を出てきたのを今でもよく覚えています。
 友人宅に出て来るついでに何回か集会に通うようになりました。
 そんな中、合格すると思った大学から不合格通知が届き、ついに一点の希望さえもなくなり、落胆しました。そこで、何かあるだろうと思い、以前から誘われていたキャンプに参加することにしました。途中で帰ってこようと思っていましたが、受付で、全部参加すると一泊分安くなると言われてついつい全参加することにしてしまいました。
 そこでは、朝と夜、聖書からの話がされ、夜寝る前には、聖書を読んで話し合う時間がありました。
 キャンプの中では、天地万物(私たち人間含む)を造った神様がいらっしゃること、私たち一人一人には罪があり、私たちは神様の前にどんな立派な人であっても罪人であること、私たちを救うためにイエス・キリストが十字架にかかって私たちの罪を背負って身代わりに死んで下さったこと、などが話されていました。キャンプの中で聖書の中身はだんだんわかってきましたが、やはり信じられないと思いました。
 でも、最終日の集会が終わり、語り手の兄弟と交わる中で、

 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。  
ローマ人への手紙七章一九、二〇節

  というみ言葉が示された時、キリストの救いを受け入れざるを得ないことがわかり、信じることができました。一九八〇年三月二九日の昼頃のことでした。
 それから、一年、再び家での浪人生活が始まりましたが、毎週土、日に集会に通い、夏のキャンプにも進んで参加することができました。
 以前は小さくなっていた私でしたが、集会やキャンプでは大きな声で神さまを賛美することが好きになりました。伸び放題だった髪も散髪してさっぱりしました。自分一人で悩んで逃げ出すのではなく、祈りやらうめきを聞いてくださる神さまに祈るようになりました。私自身のすべてを知った上で、受け入れてくださる神さまの愛を教えられました。前年とはうってかわって、明るい心弾む浪人生活でした。
 翌年の春には大学にも合格し、入学と同時に聖書研究部に入ってたくさんの兄弟姉妹と聖書を学んだり、イエス様のことを証しするようになりました。一年の四月には、バプテスマも受けることができました。
 その四年後には試験科目に水泳がある教員採用試験にも、主の恵みにより合格することができました。
 救いをいただいてから、早いもので二十年にもなってしまいました。その間、数々の失敗から自分自身の罪深さをさらに教えられています。その中で、私の罪がキリストの十字架の故に赦されていること、イエス様と兄弟姉妹の数多くのとりなしと祈りに支えていただいたことを覚え、本当に感謝しています。

 神に選ばれた人々を訴えるのは誰ですか。神が義と認めて下さるのです。罪に定めようとするのは誰ですか。死んで下さった方、いやよみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座につき、私たちのためにとりなしていてくださるのです。  
ローマ人への手紙八章三三〜三四節