チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第15号



けれども、
 私たちの国籍は天にあります。
  −ピリピ3章20節−

目 次


ショートメッセージ

終の栖(ついのすみか)


小杉正雄

 四十年間学校教育に情熱を注ぎ、その後地域の方と良き交わりを持たれた小林堯平兄弟が、九月四日天に召されました。兄弟は当チャペル会堂を自らの土地に喜んで受け入れて下さった方です。
 クリスチャンになったのは今から四年半前。病に倒れた後でした。それまでたびたびチャペルに来られ、聖書に触れられていましたが、もう一歩踏み出すというところまでには至っていませんでした。病に倒れた後、神様を身近に感じ、すべてをおゆだねしたいと決心しました。そして、クリスチャンである妻と子を病院に呼び、一緒に神様に祈りました。この時神様と出会ったのでした。
 病により、左半身は不自由になりましたが、試練として受け止めていました。そしてこの病により、考えを深め、神様を信じることができたと感謝をしていました。
 床に寝ていることも多い生活でしたが、「人生とは・・出会いと思い出の集積である」との本を書き、さらに、聖書を知って欲しいと願い、近所の方のところに訪問もされました。
 そして、夢として語っていたのが、終の栖である、天の御国で憩うことでした。
 今、その願いのとおり天に凱旋され、神の御座の近くで憩われています。

 「主なる神の御座の近くに終の栖    構ふる日々の晴れがましくも」
  (小林堯平)



もっとも大きな出会い

 塚越香代子(高崎市在住・教員)


 自分の生涯の中でもっとも大きな変化は何だったのかと問えば、「聖書、そしてキリストとの出会い」という答え以外、何も見つけることができません。それほど私の生涯に深い影響を与えた方に出会ったのは、十七歳の時でした。
 子供の頃の私の生活は、ごく一般的で思い出すのも困難なほどです。よく働く父と、明るくて気のきく母と、優しい兄との生活は、そう悪くはなかった思い出です。時代は高度経済成長のまっただ中で、明るい雰囲気が日本中をおおっているという感じでした。神様について考えることはほとんどありませんでしたが、たまに起こる父と母のけんかの間、仏壇の前に急いで行ってお線香をたいて、早くこれが収まるように、と祈ったことくらいでした。しかし、祈っているその神様とはいったい何者なのか、子どもなりによく考えてもさっぱりわからないままでした。そして時は過ぎていきました。
 そんな私に神様のことを考えるきっかけをくれたのは、今は亡きクリスチャンの小説家、三浦綾子さんでした。高校二年生になっていた私は、秋は本を読むものだ、決めこんだのかどうかは定かではありませんが、とにかくいろいろな本をよく読んでいました。そのころ、何となく学校の図書館で手にした彼女の書いた本に、神様の愛が非常に明確に書かれていたのでした。今までに触れたことのない何ともいえない愛と平和に満ちた世界をかいま見ることができました。そしてその世界にだんだんと強く惹かれていったのを覚えています。気がついたときには、三浦さんの本をほとんど読み尽くしていました。
 というのは、そのころ私は、自分の生き方はどこかがおかしい、何かがちがうと考えていたのです。中学時代は、超まじめ人間で通っていた私も、高校に入ってからは、かなりいいかげんな生活をしていました。中学生の頃は親からもうやめたらと言われるくらいよく勉強し、休まずに部活をしたのに、高校二年の頃は、先生の悪口を平気で言い、授業中に先生に気づかれずにお弁当を食べるゲームを進んでするという有様でした。親が下がった成績のことを心配しても、勉強ができたら何だっていうの、自分の人生は自分でやるからほっといて、というのが当時の主張でした。それは、するべきことをしようとしない自分に対するいいわけでした。中学生の時には、勉強や生活をしっかりとやることで先生や親から認められたいと思い、高校入学でそれが達成されると、次の目標を失ってしまったのだと思います。というより、目標を持つことさえ、もう面倒になっていたのかもしれません。
 ちょうどその頃、同じ学年で、放課後になると聖書研究している数人の友達を発見しました。ひょっとすると厚さ七センチ以上にも見える、ぶ厚い本を読みこなすこの人たちは、いったい何者だろうと近づいてみました。話を聞くと、あのあこがれの三浦綾子さんと同じクリスチャンの人たちでした。神様は非常に細かい配慮をされて、私がそれに気づくようにされたのでした。私は早速この友達にお願いして、教会へ足を運びました。(これが今、私の通う教会になるとは、なんとすばらしいことだったでしょうか。)そして、そこで発見したものは、私の期待していたもの以上でした。聖書についてのとてもわかりやすい話と、そこにいる人たちの熱いほどの暖かさに触れて、私の心はだんだんと神様に向かっていったのでした。そこで私は、イエス・キリストが罪ある私のためにこの地に来られたこと、そして私の罪の身代わりに十字架につかれたことを知りました。そして、神様とは、人の手で作られたちっぽけなものではなくて、この天と地とすべてのものを創造された、大いなる方であることを知りました。これらのことを知ることは、私の大きな喜びとなりました。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。   
ヨハネの福音書三章一六節

 この聖書の言葉をまっすぐに受け入れて、ついに自分の罪を悔い改めました。すると、神様との平和が与えられ、喜びが与えられました。その結果、やめたくてもやめられなかった学校での悪いことや、家での反抗が何の努力もせずにやめることができたのです。だれかから認められないと不安だとは思わなくなりました。なぜなら、神がずっと以前からすでに私を大切な人として認め、あふれるほどの愛で愛していてくださると知ったからです。聖書にこう書かれています。

 永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。  
エレミヤ書三一章三節
 
 また、よい成績を出すために勉強していたこともあまり意味をなさなくなりました。勉強するということは、神が創られたこの世界とそのしくみをよく知るためだ、と考えるようになったからです。すると、いやになっていた勉強も、おもしろく思えるようになってきました。
 それからは、神様とともに歩むことになりました。これがどんなにすばらしいものかということは、それほど時間をかけなくてもわかることでした。なぜなら、神様が教え、神が導くので、心配はないからです。罪をゆるされ、永遠のいのちをいただき、心がずいぶんと軽やかになりました。

まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。    
詩篇八四篇一〇節

   その後、神様の愛のうちに導かれて、大学は教育学部へ進み、今は教員として働いています。学校の仕事は、決して楽ではありませんでしたが、神様に励まされ、力を与えられて、今日まで続けてこられたと思います。 また、高校時代に持った、「神の造られた世界をもっと知りたい。」という思いは、この十数年でより現実のものになってきました。教会に来られる外国のお客様と知り合いになることをきっかけに、交わりが世界に広がっていきました。韓国、アメリカ、イギリスを始めいろいろな国のクリスチャンの方々と知り合いになりました。彼らと交わるとき、言葉や人種の違いは、ほとんど問題となりませんでした。初めて会った人でさえ、ずっと前から知っていたかのような、親しい交わりを持つことができました。なぜなら、私たちは神の家族であり、兄弟姉妹として一つにされているからです。

私たちの国籍は天にあります。    
ピリピ三章二〇節

 罪をゆるし、永遠の命を与えてくださったばかりでなく、神様は日々私たちを楽しませてくださいます。この方と永遠に一緒にいることができることを感謝するばかりです。