チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第17号



神は言われます。
 「わたしは、恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた。」
確かに、今は恵みの時、
今は救いの日です。
     −Uコリント6章2節−

目 次


ショートメッセージ

新しい時代


小杉正雄

「キリスト教式の結婚式が最近増えていて、群馬県では七、八割がそうです」
と結婚式場に勤めている方が教えてくれました。そう言えば確かに最近、前橋や高崎で結婚式場に隣接されて建てられている教会堂を見ることが多くなりました。
 時代は確実に変化していると言えます。実は日本では、長い間、キリスト教に対する偏見と、迫害が続いていました。そのようになった理由は、江戸時代に行われた、踏み絵や五人組制度、鎖国政策などのキリスト教弾圧の影響が今まで残っていたことにありました。
 しかし江戸時代後、明治、大正、昭和、平成と時代が移り、やっと最近になりその影響が少なくなってきたと言えます。
歴史をたどるならば、今まで一番日本にキリスト教が伝えられたのは江戸時代のキリスト教弾圧の前、織田信長の時代でした。しかし今日本では、それ以上に自由に聖書を読むことが出来るよき時代を迎えたと言えます。
 今は、教会に来られる方や聖書のことを考えたいという方が増えています。
 二十一世紀の到来とともにこの日本に、キリスト信仰の新しい時代が始まりつつあると言えます。


クリスチャン誕生

 中野 覚(群馬キリストチャペル伝道者-前橋市在住-)


●下準備

 昭和三二年、私は北海道余市町に生まれました。日本海を望む高台の我が家は、海の色で季節の移りかわりをとらえることができます。灰色の空の下に鉛色の海が広がる冬。鮮やかな藍色と青の交じり合う夏。夏至には、夕日がシリパ岬の突端に沈みます。神様のパレットにはいったい何色の絵の具が用意されているのでしょうか。
 小学校六年生の冬のことです。私は、たった一人で家のそばの斜面でスキーをしていました。辺りには誰もいません。たった一人の私と純白の大地。私の胸の中には、「この自然の背後に、自分では説明ができないほどの大きなお方(真理)がいらっしゃるのではないか」ふっとそう思ったのです。忘れられない出来事です。
 一八歳の誕生日の直後、たった一人で「内地」(本州)へ行く列車に乗りました。ただの一軒の親戚も、一人の知人もない群馬県への旅立ちです。自分の過去から切り離されるように津軽海峡を越えました。大学生活のスタートです。

●「えいやっ」と飛び込む

「僕は、絶対信じない。絶対に」
そう決意して、特別集会に参加したことがありました。忘れもしません。昭和五一年一一月一一日のことです。一九歳であった私は、大学の聖書研究部の学生たちとの交流の中で、初めて創造主なる神様について話を聞きました。しかし当時の私の心には、「えたいの知れない宗教の世界に引っぱり込まれるのは、ご免だ」との思いもあり、ほどほどに彼らと接していたのです。そんな時、この特別集会に誘われたのです。私は警戒心から、かなりガードを高くしていました。
「絶対信じない」と、心に念じるように会場の高崎メディカルセンターに到着しました。わずか五〇分か六〇分のメッセージだったと思います。聖書に示された創造主なる神について、雷のような熱いメッセージを聞きました。内容を細かく記憶してはいませんが、創り主であられる神様の存在が力強く語られたように記憶しています。
「ひょっとしたら、子どもの頃から捜し求めてきた真理というのは、これかも知れないぞ」
 私は、信じてみようと決心したのです。
「中野君が信じるとは思わなかったよ」
とは、聖書研究部の学生達の言葉です。
 今にして思えば、きちんと理解してから信じたといった筋道の通ったものではなく、思い切って私の人生を委ねてしまったというのが当たっているように思います。自己中心の人生から、「神」を土台にすえた人生への大転換でした。
 当時の私は、角刈り頭にサングラス。ゴムぞうりにだぶだぶジャージの空手学生でした。まさか、そんな学生がクリスチャンになるとは、誰が想像できたでしょうか。わずか一行の聖書の御言葉も知らず、私は神様を信じました。そんな私でしたが、決心した後はなんだか嬉しくてたまらず、だれ彼となく自分がクリスチャンになったことを口にしていたように覚えています。とにかく、神様にあって新しい人生をスタートできたことが嬉しかったのです。

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
 
第二コリント五章一七節


「えいやっ」
と飛び込んだ神様の手の中は、当時不安に思っていたような、えたいの知れない宗教の世界ではありませんでした。あれから二〇年以上の時間が経過していますが、あの時、神様の導きに従って決心できたことを心から感謝しています。

●家族がびっくり

 驚いたのは家族です。突然私がクリスチャンになったと言い出したのですから無理もありません。生まれ故郷の北海道からは、
「失恋でもしたのか」
とか、
「大問題でも起きたのか」
と不安な問合せが続きます。私は、ハガキなどで自分の信仰を理解してもらおうといろいろ試みました。
 大学四年生の春、教育実習のために、北海道の母校に戻りました。神様は、まず、祖母の心の扉をを開かれました。
「覚や。おまえの行っているお寺に連れて行っておくれよ」
「お寺じゃなくて、キリストだよ、キリスト」
 マツおばあちゃんは、初めて聖書の話を聞いたにもかかわらず、心の中にある「罪」がよくわかり、罪人としての自分をなんとか赦してもらいたくなったのです。小樽集会の伝道者の兄弟にお願いし、入院中の病院を訪問していただきました。祖母は、ベットの上に正座し、
「キリスト様を信じます」
と語り、はっきりと救われました。
 祖母の信仰は、体の衰弱とは反比例して強くなりました。群馬に戻った後、私は、祖母のために紙芝居のようなものを作ったりして送り届けていました。また、一年に一度程度床に着いている祖母を訪ね、北海道に戻りました。
「ただいま」
と帰宅の挨拶をすると、即座に
「覚。お前は、イエス様の教えにきちんと従っているかい。悪い人の勧めになんか従っていないだろうね」
と言うのです。祖母は、地上の生涯の最後の日まで、強い信仰の持ち主でした。祖母に続いて、兄がキリストを人生の「主」として信じ救われ、札幌キリスト集会の女性と結婚しました。一方、父は、大正十年生まれで、戦争体験がありました。戦場での死闘を経験している分、頑固でした。座右の銘は、「人事を尽くして、天命を待つ」で、「神」については、その存在を、ぼんやりと受け入れていました。父は、寺の檀家総代をしていただけでなく、村の神社再建委員会の委員長をするなど、地域の方々との交流が深い分だけ、キリストを信じると公言することにためらいをもっていました。何度もキリストの福音を聞き、あわれみのうちに信仰の言い表しをして、神棚を焼きました。
 神様は、群馬から遠く離れた北海道にある家族に対しても、多くの方々の訪問や祈りを大いに用いてくださったのです。
 ふり返ってみると、神様の導きの不思議さと豊かさに心から感謝するものです。
         
   →次号に続く