チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第20号



主は私の力、私の盾。私の心は
 主に拠り頼み、私は助けられた。
 それゆえ私の心はこおどりして喜び、
 私は歌をもって、主に感謝しよう。

  −詩篇28章7節−


目 次


ショートメッセージ

ベターではなくベスト


小杉正雄

 東南アジアの国々は、新型肺炎サーズの流行という思わぬ出来事により大きな打撃を受けています。今まで、より豊かに、より便利にと経済発展を求めてきましたが、今回のことを通して国のあり方について考えさせられるようになりました。
 私たちも生きていくときに思わぬ出来事にあうことがあります。そのようなとき、自分の生き方について考えさせられます。
 今まで私たちは、現在の東南アジアの国々のように、より豊かに、より便利にとベター(より良く)を中心に求めてきました。しかし、今分かることは、より豊かに、より便利になったとしても、それは人を根本的には幸せにはしてくれないということです。
人は人生の中で、ベターだけでは解決できない問題、悩み、苦しみ、死を経験します。そんな時、支えとなり土台となってくれるもの、ベスト(一番良いもの)が必要です。
 聖書は神様と主イエス・キリストを知ることこそがベストであるといっています。この方により私たちは、根本的な問題の解決を得て、人生の支えと土台を持つことが出来るようになります。 

御子を信じる者とされ

 イアン・ターナー(高崎市在住・高校英語指導助手)


●はじめまして

 こんにちは。私はイアン・ターナーといいます。イギリスのブライトンで生まれました。今三五歳です。ブライトンの生命保険会社で一五年働きました。そして、私の愛する妻、香代子との結婚のために、二〇〇一年七月に日本へ来ました。私たちは 今、高崎に住んでいて、私は高校の英語指導助手(ALT)として働いています。
 最初に、聖書の言葉をご紹介したいと思います。

   神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
    
ヨハネの福音書三章一六節

 この「御子を信じる者」とされたことについて、皆さんにお伝えできることは、私の喜びです。では、これから、私がどのように神の御子を信じるようになったのか、ご説明したいと思います。

●少年時代
 
 私が子どもの頃は、宗教に対して全く興味を持っていませんでした。両親は、私を教会や日曜学校へは連れて行きませんでしたが、それはかえって私にとって、うれしいことでした。でも、両親は私を厳しくしつけたと思います。私が悪いことをした時 は、両親に叱られましたが、それは私にとってほんとうによいことだったと思います。

●ハイスクール時代

   一一歳の時、ブライトンのハイスクール入り、六年間勉強しました。(四年間は義務教育、二年間は任意で。)入学したとき、学校で一冊のギデオン協会の聖書をもらいました。学校の生徒全員がもらいました。最初は、その聖書を読もうとはしませんでしたが、三年後、好奇心から読み始めました。しかしその頃は、聖書には何が書いてあるかわからず、またどこを読んだらいいのかわからなかったので、聖書をランダムに開いてみて、開いてみたところを読んでいました。もちろん、子どもの頃から常識として、イエス・キリストとその誕生については聞いていました。キリストが十字架で死んだこと、三日目によみがえったことについても聞いていました。でも、本当のところ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネといった、福音書の名前以外は、よくわ かってはいませんでした。
 一六歳の時、私は新約聖書の始めから終わりまで読むことを決めました。一日に一〇ページ読むようにしました。このような方法で、新約聖書を一回以上読みました。多分、二、三回は読んだと思います。このように聖書を読んでいる間、時々、私の心 の中に、「私は死んだらどうなるんだろう?」という不安を覚えるようになりました。なぜか私は、聖書が語るように、自分の命が現在の命だけでなく、死んだ後にも命があることを確信するようになりました。そして、聖書に書いてあった、地獄と火 の池のことが、心配になりました。ヨハネの黙示録には、「命の書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」と書いてありました。私にとって聖書の語ることは、ほんとうに恐ろしいことであって、どうしたらいいのかわかりませんでした。

●キリストとの出会い

 一九八六年、一八歳の時、私の母の友人が、ブライトンの近くの、ホーブという町にあるゴスペルホールで行われた聖書講演会に誘ってくれました。そこで私は、「ゴスペル(福音)」という言葉を聞きました。福音が、聖書と関係のある言葉だとは 知っていましたが、それがどういうことを意味するのか、わからなかったのです。しかし私はすぐに、福音が、「グッド・ニュース(よい知らせ)」という意味を持つことに気がつきました。そしてそのよい知らせとは、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」また、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」ということでした。

●救い

 私は毎週日曜日、ゴスペルホールに通い続けました。そこで何が話されたか、細かくは覚えていませんが、語り手の方々が、「罪を悔い改めてキリストを信じることが、地獄へ行くことから救われて、死んだ後に天国へ行くことのできるただ一つの方 法である。」と強調して話していたのを覚えています。キリストは、何も悪いことをしなかったのに十字架につけられ、死なれ、葬られ、そして三日目によみがえりました。ゴスペルホールに通い初めて三、四週間ほどたちました。ある日の夜、私は自分の部屋にいました。そこで神の言葉を信じる決心をしました。私は自分の罪を悔い改めて、私の救い主であるキリストに信頼することにしたのです。その時から、平安と喜びが私の心に入ってきたのを、今でもはっきりと覚えています。そして次の日の朝目を覚ましたときに、私は救われていて、たとえ死んでも天国に行くのだ、と思ったのを覚えています。その時から、あんなにも恐れていた、火の池について心配することはなくなりました。このようにして、私は救われました。
 一九八七年八月二二日、救われてから一〇ヶ月くらいしてから、私はバプテスマを受けました。バプテスマは、私の中に起こった変化を公に示すためのものでした。

●信じるすべての人に

 ここに書いてきた証は、私だけのものであって、この世界には、多くの信じる人たちがいて、それぞれが違った経験を通してキリストを信じるように導かれたと思います。ただ、すべての救われた人々が、一つのことを共有しています。それは、罪を悔 い改めて、自分の救い主としてキリストを信頼した、ということでしょう。

 私の証を読んでくださった方々に、次のようにお勧めします。

主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。
    
イザヤ書五五章六節


と。
 皆さんも、神の子どもとされることにより、平安と喜びを持つことができますように。