チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第21号



すべて、疲れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

  −マタイ11・28−


目 次


ショートメッセージ

神の支え


小杉正雄

 最近、若い人に「どこか行きたいところはありますか?」とたずねたところ「温泉です。」と答えました。相変わらず、温泉ブームが続いています。それだけ、疲れている人、癒されたい人が多いのだと思います。
 また、ある方が、メダカを飼っているという話をされました。それを聞いていた方が「癒し系ですね。」といいました。
 現代は、普通に生きようとするだけで、忙しく頑張らなくてはなりません。そうしなければ、置いてきぼりにされてしまう厳しい社会です。「生きていく」ということが本当に難しい時代です。
 こんな時、生きる土台もなく、支えもないとしたならば苦しい人生になってしまいます。聖書の神様を知った時に、私たちに土台と支えが与えられます。
「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。(詩一八・二)」と聖書に書かれています。
 また、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ一一・二八)」とも書かれています。
 ぜひ、この方を知ってくださいますよう、お祈りいたします。


御子を信じる者とされ

 齋藤弦太(高崎市在住・高校生)


 カラン、カラン、カラン。最後の一周の鐘が鳴り響いた。私は、残りの五つの障害に向かって行った。苦しい。今にも心臓がとびだしそうで、肺もやぶれそうだ。足にも限界がきている。「もうやめよう。ここまでがんばったじゃないか。」心の隅の方で、もう一人の自分がつぶやいている。でもやめない。ゴールはもうすぐなのだから……。

●クリスチャン家庭

 長男として生まれました。ですから、聖書の御言葉は、母の羊水につかっている時から聞いていました。
 私の家にはテレビがありません。部屋にではなく、家にありません。そのため、小さい時から外で遊ぶのが大好きでした。
 小学生に入学してからも、サッカーをしたり、野球をしたりなど、日が暮れるまで外でかけずり回っていました。しかし、私には遊べない日がありました。それは、もちろん教会に行く日曜日です。友達同士で遊ぶ約束をしているのに、私だけは遊べませんでした。
 高学年になると、サッカーや野球のクラブに入ることができました。しかし、試合はいつも日曜日にあるため、両親は私を入れさせてはくれませんでした。たくさんの友達から誘いを受けたのですが、それを断り続けました。私の周りには、クリスチャンがおらず、教会に行っていることを知られたら、変な目で見られると思ったので、「おばあちゃんの家にテレビ見に行くから。」などと、うそをついて回避していました。この時は、「何で僕だけ日曜日に教会に行かなくちゃいけないんだよ。」と思っていました。さらに、礼拝の時間はしゃべってもダメ、ゲームなどもダメで、息苦しさを感じ、私にとっては苦痛の一時間でした。だから、いかに礼拝の時間をさぼるかに頭をフル回転させていました。

●バプテスマ
 
 そのような週が続いたある日、私にとって、とても驚くようなことがおきました。それは、身近にいた友達がバプテスマ(洗礼)を受けたのです。ついこの間まで遊んでいたのに、バプテスマ準備会に参加するようになりました。私にとってバプテスマは、「大人になってからだ。」と思っていた部分もあり、そのことに大変驚きました。「バプテスマは、遠い先のことではなく、もう身近にあるものだなぁ。」と思いました。そして、それからは聖書を読むようになり、メッセージもしっかりと聞くようになりました。そして、「神様に従っていきたい。」と思い、バプテスマ準備会に参加し、一九九九年三月二一日。バプテスマを受け、ついに私も、群馬町集会の兄弟として加えられました。それからというもの、礼拝の時間が苦痛ではなく、充実するようになったのです。バプテスマ前は、一時間がかなり長く感じたのですが、今はとても短く感じています。

●クラブ活動

   私は、中学生の時から今に至るまでずっと陸上部に所属しています。その中でも、長距離を専門種目とし、今ではハードルの種目もやっています。私は部活を通して、神様の存在を感じることができました。
 まず一つは、恵まれた環境が与えられたことです。これは中学の時も、高校の時もそうなのですが、良き先輩に恵まれたことでした。中学も高校も入学するときは不安でいっぱいでしたが、今となって考えてみると不思議なことに、「神様は、幸いな人物を置いてくださったなぁ。」と思います。。

 もう一つは、神様の恵みを感じたことです。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ十一章二八節

とあるように、つらい時や苦しい時、私には頼れるお方がいました。
私がレース前で緊張している時、神様に目を向けて祈れば、必ず聞いてくださり、平安が与えられます。

あなたがたが信じて祈り求めるなら、何でも与えられます。
  
マタイ二一章二二節

 私は、陸上を通して、本当に神様を身近に感じることができました。

●クリスチャン生活

  私は、信仰生活と陸上は似ていると思います。特に私の種目の三〇〇〇M障害はそうだと思います。クリスチャンとしてスタートすると楽なことばかりではありません。波があり、つらい時を迎えます。越えなければならない障害がいくつもあると思います。ものすごい迫害にあうかもしれません。陸上だって、苦しく、逃げ出したくなるような時があります。しかし、聖書には、。

あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
第一コリント十章十三節

と書いてあります。

 私は、これからどれだけ生きるかわかりません。しかし、たとえどのような状況に立たされたとしても、決して恐れず、すべてのことにおいて神様の証人として歩んで行きたいです。

 水濠を跳び越えた。水しぶきがあがる。ラストの直線。最後のハードルも越え、ゴールに向かって突っ走る。あんなにすごかった歓声が、今は私の耳には届かない。私の目にはゴールのラインしか見えていない。思うように手足が動かない。それでも前へ前へと走る。ゴールだ。私は倒れ込んだ。心臓の音がハッキリと聞こえてくる。空は晴れわたっている。雲はゆっくりと動いている。「どうか、このレースを通して、私に力を与えてくださった、神様にすべての栄光が帰されますように……。」