チャペル通信
CHAPEL NEWSLETTER

群馬キリストチャペル発行 第22号



主は、私の光、私の救い。
だれを私は恐れよう。
主は、私のいのちのとりで。
だれを私はこわがろう。
  −詩篇27篇1節−


目 次


ショートメッセージ

変化の時代のなかで


小杉正雄

 先日、知り合いの方とお会いした際「定年前ですが、ゆっくり過ごしたいと思い、仕事を辞めました。これからは同じ仕事をパートでしていこうと思います。」というお話がありました。
 今、会社や仕事に対する考え方が大きく変化をしています。
 以前、経営者や社員は、会社を一つの家族のように考えていました。そのため、多くの方が会社に忠誠を誓い、人生を捧げてきました。 しかし、長く続いた不況の中で、終身雇用が崩れ、 多くの会社でリストラが行われるようになりました。それにより、かつてのように、会社にすべてをゆだね、任せて生きていくことは難しくなってきています。
 しかし、もともと会社がすべてであるかの様な考え方には行き過ぎがありました。確かに、仕事は生活の糧を得るために必要なものであり、会社は自分の能力を発揮する重要な場所です。ですが、会社は私たちの人生すべてをゆだねる場所ではありません。 今、社会のなかで多くの方がこのことに気づき始めているのではないでしょうか。
 聖書は、神様こそが、私たちの一生を支え、守ってくださる方であるといっています。神様は、私たちに道を教え、希望と支えを与えてくださる方です。
 この変化の時代の中で、揺るぎない土台を神様のうちに見いだしてくださることをお祈りいたします。



キリストこそ、道、真理、いのち

 天野 愛(高崎市在住・社会人)


 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。  
ローマ人への手紙一〇章九〜一〇節

 私は高校一年の秋にバプテスマ(洗礼)を受けました。イエス・キリストを救い主として受け入れ「神のことば」である聖書に従って歩む決心をしたのがこの時です。
 クリスチャンとして歩むようになったきっかけは、両親がクリスチャンであったことがあげられると思います。小さい頃から聖書の話を聞いて育ちました。聖書の語る神がまことの神であると疑うことなく信じてきました。そのように育った私もバプテスマ(洗礼)を受ける前、中学生頃から反抗期を迎えました。あらゆることに反抗し両親に暴言をはき悲しませました。その頃のことを思うと両親に対し本当に申し訳なかったと思います。しかし両親がいつも変わらず受け入れ愛してくれたことを本当に感謝しています。そしてそのことを思ったときに、イエス・キリストが聖書に記されている通り私(罪人)のために十字架にかかって死んでくださり三日目によみがえってくださったことも心から信じ感謝しました。
 私にとってこの時期は自分の罪深さを実感として知るよい機会でもあり、神の愛をさらに知る素晴らしいときでもありました。

 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。  
ヨハネの手紙第一 一章九節

 神は人の内にある冷たい心汚い思い(罪)をきよめ解放してくださる唯一のお方です。罪深い心に悩み落ち込みそうになったとしても神が備えてくださったイエス・キリストの完全な贖いの業を覚えるとき感謝な思いと喜びに満たされます。なぜなら聖書の約束はすべて神がしてくださっているからです。救いの道も神が恵みにより与えてくださいました。

 わたし(イエス・キリスト)が道であり、真理であり、いのちなのです。わたし(イエス・キリスト)を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。  
ヨハネの福音書一四章六節

 イエス・キリストこそ私たちを永遠の地獄ではなく天国へと導いてくださる唯一のお方です。是非、このお方(イエス・キリスト)を主と告白し、このお方(イエス・キリスト)を信頼しともに歩むことができますよう心よりお祈りいたします。

 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
コリント人への手紙第二 五章一五節

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二 五章一七節