CHAPEL NEWSLETTER
群馬キリストチャペル発行 第25号
それから、彼らに言われた。「自
分の息子や牛が井戸に落ちたのに、
安息日だからといって、すぐに引
き上げてやらない者があなたがた
のうちにいるでしょうか。」
− ルカ 14章5節−
目 次
人の大切さ
小杉正雄
少し前、強制スプレー事件と呼ばれる出来事がありました。
生まれつき栗毛の女子高校生が、たびたび学校から「髪が赤いから染め直せ」と指導され、髪の毛に、副担任の女性の教諭から強制的に黒いスプレーをかけられたという事件でした。女子高校生は、結果的に県外の別の高校に移ることになりました。
「髪の毛は黒」との思い込みと、人の多様性を認めることのない心が、このような事件を起こし、女子高校生の心に深い傷を残すことになったと言えます。
客観的に見ていると、髪を染めてはいけないと言っている学校が、黒く染めようとしているという矛盾にすぐに気がつきます。
しかし、私たちが生活をしているときに、このような思い込み、勘違いは多々あると言えるのではないでしょうか。
イエス様の時代、神様のことを考える特別な日、安息日があり、この日は、人は働いてはいけないという決まりがありました。しかし、このような決まりの中で、ある人たちは、人にとって良いことや必要なことまでしてはいけないと考えるようになりました。人の大切さを忘れてしまった考え方でした。
イエス様は言われました。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらないものがあなたがたのうちにいるでしょうか。」イエス様は人の大切さを良く知っておられました。
全ての事には意味がある
成田祐児
和子
(高崎市在住)
◇────成田祐児
今から六年目のある日の夕方、一本の電話から始まった。「成田さんの家が火事ですよ」と。私の家は製造業を営む会社をしており、家族全員が会社にいて、その一報を受けた時、みんな"まさか"という気持ちでした。
私はその火事の現場にオートバイで最初に向かいました。家に近づくにつれサイレンの音、高崎駅周辺も煙に包まれていて、だんだん本当に自分の家なのかという気持ちになって不安でいっぱいな気持ちで現場に着くとそこには信じられない光景が目に入ってきました。たくさんの消防車と人で現場は大変な事になっていました。建物の姿はなく、全て焼き尽くされていました。全ての状況を確認した時、心の中で『この出来事には意味がある』という思いが心の中で響きました。
私は幼い頃から聖書に触れ、また、日曜学校にも通っていたので神の存在というのは受け入れていましたから、すぐにこの心の中の声は、神様なんだと理解しました。
その三年後、父はクリスチャンでしたから、今度は、たくさんの人が集って家庭集会ができる家を建てたいと、家を再び建て直しました。そして月に一度の家庭集会が始まりました。最初の頃は、お付き合いという感じで行っていましたが、聖書を開き、その中の一つ一つの意味を教えてもらい、自分の中で考えて理解して行くに連れて、教会へ行って、子供にも妻にも、聖書の事を理解してもらいたいと願うようになり、教会へ行く決心が付き、妻に教会へ行こうと話してみると快く受け入れてくれました。
しかし、問題がありました。その頃は仕事が忙しく、年に十日も休みが取れない状態でしたし、身体も疲れていました。そんな中で神様に祈ってみました。『どうか教会へ行けるように時間を与えてください』と。そうしたら、本当に日曜日に休みが与えられたのです。そして教会に行くと教会の人たちは本当に温かく受け入れてくれました。更に、教会へ行き始めると、毎週のように休みが与えられ、教会へ行くのが家族の習慣になって行きました。そして昨年の十月に、
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイ六章二六節
の、み言葉に励まされて信仰告白し、バプテスマを夫婦で受け、新しい人生がスタートしました。
その後も家族で教会へ通うという私の願いは守られています。神様は神様を知らない時の私達に対して色々な出来事や、出会いによって主に立ち返るように語り続けてくださる方です。その意味をよく考えて、主の恵みを受けて、毎日主に生かされて、喜びと平安が与えられる人生を手に入れられたら本当に幸いだと思います。
他人の目からは、不幸な出来事でも、神様は、主に立ち返るようにと全ての事に意味を持たせて下さっているのです。
◇────成田和子
私は主人と結婚するまで、教会へ行った事も聖書を読んだ事もありませんでした。興味があったので、主人の持っていた聖書を読んでみた事があるのですが、難しくて、意味も分からず途中で辞めてしまいました。これが、私がはじめて聖書を読んだときの事です。
結婚をして一人目の子供が生まれて五ヶ月になった頃から主人の仕事が忙しくなり、このころから夫婦の会話がなくなって行きました。それから二年ぐらいの間、主人の帰りは、夜中の二時、三時、休みは年に十日ないくらいで、一日に主人と顔を合わせるのは一時間ほどしかない生活が続きました。私は、年子で子供を産んだので、その二年間は子育てが大変で、つらくて、無我夢中だったように感じます。そんな生活をしていたのが、少し仕事が落ち着いてきた頃に、主人の実家で家庭集会が開かれる事になりました。
主人の家は、父も母もクリスチャンで、義父のお兄さんは伝道者をしていて、月一回来て下さり毎回とても分かりやすい話をして下さいました。その帰りに主人と聖書の話しをするようにもなりました。この頃から、少しずつですが、主人の仕事が落ち着いて、子供も幼稚園へ行くようになり、夫婦の時間、家族の時間がもてるようになりました。今思うと、敞未おじさんの祈りがあり、神様の導きで会社が守られ、家庭集会の場を持つ事が出来たのだと思いました。
家庭集会へ行くようになってから数ヶ月がたった頃、主人が中野さんに久しぶりに会う機会があり「教会へ行ってみようか!」と言う主人の言葉で行く事になりました。私は教会へ行った事がなかったので少し不安がありましたが、行ってみると迎えて下さった人たちがとても温かく迎えて下さったので、また来たいと思いました。
教会へ行くようになってから、主人がとても変わっていったのがよく分かりました。私自身も心が穏やかでいられる様な気がしました。
教会へ行くようになってから何回目かに、中野さんに「神様は、いると思いますか?」と質問されましたが、すぐ答える事が出来ませんでした。まだよく分からず、はっきりしたものがなかったからです。
それからみなさんの話をきいたりしていく中で、小杉さんが、夫婦についてお話しをして下さった時がありました。とても感動し、心の中に引っかかっていた物がなくなったように感じました。その後、同じ質問をされた時は、素直に、「居ると思います」と答える事が出来ていました。心から信じられたのです。
神様を信じる事が出来てから、心に平安があり、心穏やかな生活が送れるようになりました。その後バプテスマを主人と受ける事が出来て本当に感謝です。これからが私にとってスタートだと思います。
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
詩篇一一九篇一〇五節
これからも神様に全てをゆだねて歩んで行きたいと思います。
聖書講演会
毎週日曜日、午後二時から行われています。
学生の方から社会人、主婦、年輩の方まで、どなたにも分かりやすく聖書の話がされます。
ご家族でいらっしゃる場合、同時並行で子供のための日曜学校が開かれていますので、安心してお話を聞くことができます。
また、個人的に、聖書についてのご質問や、人生の悩みごとなどのご相談もお受けすることが出来ます。
どなたでも、お気軽にぜひお越し下さい。お待ちしております。