1998年8月8日(日)〜8月12日 日本横断林道ツーリング
1998年8月8日 長野県大鹿村にて 大鹿村の日は暮れて... 待ちぼうけの図 撮影の後、右の柵の中へ移動してキャンプを 張る。なんと水道付きの空き地。 ツーリング本隊はこの辺りで最初の晩を過ごす はずなのだが行程が遅れて待つこと一昼夜、 合流したのは翌朝だった。 ※必ずここを通過すると信じていたので合流に 不安は無かったが、にぎやかな酒宴を想像しな がらの単独キャンプがつらかった。 | |
1998年8月9日 長野県中川村山中にて 迷惑な集団の図 この状態で後続車と対向車の二台を同時 にやり過ごすのに一苦労だった。 | |
1998年8月9日 長野県伊那市山中にて 昼食の図 まだ余裕がある一同。 | |
1998年8月9日 長野県木曽福島町山中にて 行き止まりの図 日頃のクロカンテクニックを生かして全員ここを 乗り切った...嘘です。 画面右下に道がある。 | |
1998年8月10日 長野県開田村にて 対向車が来たら?の図 幸運にも対向車は無かった。 今回私が一番走りたかった林道。 日本アルペンラリーの息吹を感じます。 注:この林道はラリーのコース外。 | |
1998年8月10日 長野県???峠にて 御嶽山がキレイの図 全員ここで車を止めて(幸い後続も対向も 来なかった)しばしカメラマンに変身 記念写真も撮る。 | |
1998年8月10日 林道沿いの河原にて Nさん見せ場の図 一時はウィンチングか と思いきや、さすがは 経験豊富な氏のこと、粘り勝ちです。でも本当は ホームページネタを提供したくなかったとか。 最後まであきらめないこと 勉強になりました。 | |
1998年8月10日 長野県丸子町 下はトンネルの図 林道の端にトンネルがあるよ の表示。 見下ろすとこんな風景が広がっていました。 行列の最後尾は写真を撮るのに気兼ねが 無くていいね。その代わりほこりが一番多い。 | |
1998年8月10日 長野県美麻村より 鹿島槍ヶ岳の図 この写真を撮った後、カメラの電池が切れた いよいよ夜間作業の始まりはじまりぃ〜。 | |
1998年8月11日 長野県戸隠村山中にて 断念(残念)の図 涸れ沢のような林道を登るが、断念。 苦労して7台をUターンさせ 急斜面を下る。 結局このルートは間違いだった。 | |
1998年8月11日 長野県小谷村山中 地すべり復旧の図 ここへ来るまでに落石止め工事一ヶ所 対向車二台に遭遇したが誰も通行止め のことは言っていなかった。『あいつら バカだなぁ...』なんて思っていたのかも 知れない。 Uターンで一苦労は今日2回目。 幹事のK氏のDiscoもご機嫌斜めで 良いところ無し。 | |
1998年8月11日 新潟県糸魚川市 日本海をバックに記念撮影の図 小谷からR148経由で日本海へ 名立町で最後の林道を走破する前に記念 撮影。ヤッタァー、日本海だ!。 S氏の存在が際だってます。 | |
1998年8月11日 新潟県名立町 土砂崩れの図 道路は残っているものの転落の 危険“大”のため最後の林道をここで 断念。R8へ引き返し、上越市を目指す。 | |
無線を持たない3号車S氏、国道上で 窓から身を乗り出し『マ゛ックマ゛ック』と 叫んだ彼の表情はツーリングの締めくくりに ふさわしいと思います。 ハンバーガー屋でコーラ片手に乾杯する おっさん達、あぶない集団かな。 | |
今回のツーリングを必死で支えた2人、 J女史とK氏、しかし数時間後K氏を不幸が 襲う。 因みにJ女史は前日の夕方、携帯電話で 無線風に話してしまったそうな。 『うん、うん、はぁ〜い』を『りょうかぁ〜い、 どうぞぉっ』 ご・く・ろ・う・さ・ま。ありがとう。 | |
1998年8月12日 長野県山ノ内町山中で別れの図 前日でお開きになったツーリングを 無理矢理延長した4台5名は奥志賀 公園線を通過、断続的に激しい雨に打たれた MyDiscoは左に舵を切るとフットレスト付近 から雨漏りがして困った。 私と別れた彼らはこの近辺で遊んで帰った そうだ。 | |
1998年8月12日 群馬県倉淵村 地元の林道の図 右に見えるメルセデスの道を登っていくと 結構いい雰囲気の林道がある。 奥志賀からダートの可能性のある道を 3本通過したがまあまあのダートはここだけだった。 |