最近の言葉
20030128「ワンツーマン」
人と人が一対一で何かをすることを《マンツーマン》と言いますが、最近似たような意味で《ワンツーマン》と言っている人がいます。最初は間違いかと思って聞いていたのですが、最近は、もしかすると間違って言っているのではなくて、他の意味で使っているのかもしれないと思うようになりました。今までは会話の腰を折るようでなかなかその意味を聞いてみる機会がありませんでしたが、今度そういう言葉を、しゃべっている人がいたら教えてもらおうかと思っています。
20010302「スキーの向かう方向と目線の方向を一致させるようにする」
平成13年1月群馬県スキーマスターズ競技大会において大会の技術講評 の時に林辰夫さんが言った言葉です。『自分が行きたい方向よりスキーがずれて落ちてしまった時に、スキーの向かう方向と目線の方向が違うとスキーと体が離れてしまい修正したい方向にスキーがいかなくなってしまう。そういうときはスキーに体を預けるようにしてスキーの向かう方向と目線の方向を一致させるようにすると自分のスキーをコントロールすることができる。』
往々にして人生においても何か到達すべき目標がある場合、それに向かう道は必ずしもまっすぐなものではありません。時には回り道をして通らねばならない時もあると思います。その時に、目標への最短距離にばかり目が行ってしまうとその回り道でやるべきことをおろそかにしてしまい結果としてその時点で挫折をしてしまうということにもなりかねません。スキーの技術に関しての言葉が人生の教訓とも受け取れるような含蓄のある言葉でした。
20000607「 だまされたと思って」
「この会は素晴らしい会だからだまされたと思ってこの会に入会してみてください」、「この化粧品はとってもいいものだからだまされたと思って使ってみてください」、「この映画はとても面白いからだまされたと思って1回見てみてね」、「このレストランとってもおいしいからだまされたと思って今度寄ってみてね」
「だまされたと思って」という言葉は「この私が言うんだから間違いがない」というおごりの気持ちが含まれています。だいいち、はなから人を「騙そうと思って」いる人の言うことなんか聞けるわけがありません。相手に対する説得力は0どころかマイナス100点ぐらいです。心から相手を説得したいと思ってこういうことを言う友人が近くにいたらすぐに注意してあげましょう。
19990405
阿鼻叫喚 あび‐きょうかん
私が学生の頃、谷川岳の蓬峠の避難小屋の番人をアルバイトでしていたときに、私の9月4日の誕生日に避難小屋でお祝いをするつもりで、私の叔父は昇ってきてくれました。しかしその道中はかなり悲惨なものになってしまいました。
当時、避難小屋は、土樽側の高波氏の経営する土樽山の家が管理していましたので、律儀な叔父は、甥の私がお世話になっているというので挨拶にいき、山の家で、山の経験も軽薄なうえに体力も落ちているのに関わらず、成り行きで、自分の過去の山の経験談を披露してしまったらしいのです。そして、それを真に受けた、人を信じやすい性格の高波氏が、山の経験のあるらしい叔父に、荷揚げを頼んでしまったのです。荷揚げはたいへんな労力のいるものなのです。ただでさえ大変な山登りに、これでもかという荷物を背中にあずけるということなのです。
無謀にも叔父はそれを二つ返事で承諾し、蓬峠へ出発しました。9月の山は下界とは大違いです。とにかく寒いのです。特に何の装備もせず、荷揚げをする、意気込みだけの登山者には辛いものです。ふつう、このコースは2時間30分で一般的な登山者が登れますという案内がしてありますが、荷揚げとなると時間はもっとかかります。私が初めて荷揚げをしたときには5時間かかりました。
叔父も例外なく同じくらいかかったらしいのです。叔父の場合は運の悪いことに、山へ向かった時刻が遅すぎました。本人の予定では行程3時間くらいの見込みで、昼過ぎの3時頃の出発だったのです。ところが、その時点ですでに、避難小屋到達予定時刻は本人の予想に反して夜の8時だったのです。さらに運の悪いことに途中から霧が巻いてきたのです。
軽装備の上に、悪条件の重なった9月の山は最悪の事態を予感させるものでした。そしてそれは当然のようにやってきました。疲労と寒さで叔父は途中で動けなくなってしまったのです。本人は死を覚悟しました。自分自身の軽薄さが原因とはいえ、なんとみじめな最期、これがほんとの、のたれ死に。アホな死に様。犬死に。無駄死に。山の遭難は金のかかる、家族に追い打ちをかける不経済な死に方。思い残しのありすぎの成仏できない死に方。
人生の終わりがこんなに簡単にくるなんて信じることができない驚き。山を甘く見た後悔の思い。こんなところで死んでたまるかという気持ち。寒さと眠気との戦い。遺書を書くにも書くもののないいらだたしさ。絶体絶命の背水の陣。そしてやがて訪れる死を待つ自分を想像する悲しさ。とりとめのない考えが走馬燈のように頭の中をぐるぐるまわります。
自分の山に対する軽薄なおもいと、高波氏のすぐ真に受ける性格が引き起こした事態が最悪のものとなってしまったのです。
翌朝、叔父は、幸運にも、何事もなかったかのように、元気な姿を蓬峠の避難小屋に見せることができましたが。本人にとっては、死からの生還でした。それから、後、私と会う度にそのときの辛さと、助かったときの喜びを引き合いに出し、生きている喜びを毎回、自分自身で確認しているところをみるにつけ。そのときの事件が重大であったのだなと、常々思い知らされました。
明るい性格と人なつこい性格、頼まれごとをいやといえないようなところもあり、友人関係も多岐に渡り、左寄りの人から右寄りの人まで、社会的地位のある人から、そうでない人まで、幅広い交友関係がある叔父ですので、もともと、生きていることに喜びをみつけることのできる人ではあった、とおもいますが、この事件によって、それ以前に増して、生きることに喜びを感じることができるようになったのではないかと思います。
その叔父も今回は、運悪く、窮地を乗り越えることができず、生きている喜びを再度確認することもなく、肺ガンで、阿鼻叫喚のなか、逝ってしまいました。
19980515 「上意下達」
PTAの役員会議にてある人が「じょういげだつ」と発音していましたが正しくは「じょういかたつ」といいます。そういう私も、かつては「じょういげだつ」だと信じていました。意味は文字のとおり「上の者の意見を下の者に伝える」という意味で使います。
因みに、近衛文麿内閣は「万民翼賛」、「下意上達、上意下達」、を唱え大政翼賛会を成立。徳川吉宗は「下意上達」のために目安箱をおいた。
19980320 「三昧」(さんまい) お彼岸のさい、木村家の檀那寺の住職が、お経をあげた後に、説教の中で言った言葉です。
「三昧(さんまい)にいきるということが人間として大事なことである」というような言い回しであったと思います。三昧というのは上に何か名詞をくっつけて、無我夢中にする、とかむやみやたらにする、というような意味としてしか考えていなかったので、住職のいう意味がそのときはよくわからなかったのですが、三昧とはもともと梵語の音からきていて、心が統一され、安定した状態のことを意味する言葉だということがわかり、あらためて三昧の言葉の奥深さに感じ入りました。