![]() ![]() ![]() 火山久先生 1996年12月管理人撮影 |
火山久(香山久 かやま ひさし)本名 渡辺久三郎 1925年 スイスに生まれる。 ピアニストであった母親の影響で自らもピアニストを目指し、上野音楽学校(現東京芸術大学)に進むが、 太平洋戦争終戦直前、1945年3月10日未明の東京大空襲で右手小指の自由を奪われ、足に怪我を負い、ピアニストへの道を断念。 (死んだと思われ、死体の山と一緒に置かれ、危うく焼かれるところを生還) 1947年頃からチェロを始める。信時潔(のぶとき きよし)氏、伊福部昭氏に師事し作曲を学び、津川主一氏に師事し宗教音楽を学ぶ。 1950年頃 土の笛「オカリナ」を知り、その透き通るような音色に魅せられ、表現力の狭いオカリナを なんとか音楽的に高めようと その改良に熱中しはじめる。 1959年 チェロ奏者として活躍中、交通事故により左腕骨折、チェロ奏者としての道も断念せざるを得なくなり、失意のどん底に落ちる。 作曲家の山本直純氏がオカリナの音色に魅せられてから、好んで放送等に使い、オカリナ奏者として注目されるようになる。 ミサ曲、レクイエムなどの祈りの曲や室内楽に、オカリナを取り入れて作曲、放送や映画音楽でも活躍。 理想の音色を出せる土を求め、日本国内での転居数十回。 栃木県阿蘇郡田沼町飛駒に工房を持っていた1975年頃から、宗次郎氏、松本壽和氏(ヒーリングオカリナ)、故谷力氏(風工房)にオカリーナの制作・演奏を指導。 4人でオカリーナだけのアンサンブル「火山久とクレイトーン・アンサンブル」を結成、演奏活動を全国的に展開し、その美しいハーモニーで人々を魅了する。 1979年からは、足利短期大学(幼児教育科)音楽教授を務め、その傍ら、チェロ、合唱(アカペラ)、オカリーナ制作・演奏指導等を多くのアマチュアに施し、オカリーナや合唱のためのオリジナル曲、編曲を多数遺す。 作曲家としては、1967年モントリオール万博音楽作品部門で「合唱ミサ曲」が銀賞、1969年フィンランド・シベリウス音楽祭で「弦楽ミサ」がグランプリを受賞、教会音楽作曲家としても国際的に評価された。 1996年足利市市民文化賞受賞、 1997年5月30日 音楽への熱き想いを私たちの胸に残し、永眠。 火山先生演奏のオカリーナCDのご紹介はこちらをクリック! |