アンサンブルの楽しみ

〜カザルスホール第11回アマチュア室内楽フェスティバルから〜


『音楽の友』1998年4月号「特集1 いま始める演奏の愉しみ」より転載

音は出しやすいですが、原始的な楽器で、ごまかしがきかないので、難しいです

【本番直前、着替えて仕上げのリハーサル】

「前橋土笛の会」 は、オカリナ奏者で作曲家であった故・火山久さんの魅力に引き寄せられた者が集う、 ファミリーのような音楽団体だ。この会では、全員が火山さんの残した手作りのオカリナを吹き、火山さんが 作曲・編曲した音楽を演奏している。

火山久さんは、宗次郎たちともアンサンブルを組んでいた日本を代表するオカリナ奏者の1人だった。 オカリナ演奏だけでなく、オカリナ創作、チェロ演奏、作曲、音楽教育なども手がけていたが、昨年5月に 他界した。

「前橋土笛の会」の母体となった、火山さんのオカリナ教室が始められたのは、88年の火山さんの前橋での コンサートがきっかけ。91年に、その教室から自主運営の 「前橋土笛の会」 が発足し、アンサンブルとしての 活動が開始された。

「火山先生は、土のアンサンブル、土のオルガンを作ろうという考えを持っておられました。土のオルガン 自体は実現しなかったのですが、我々一人ひとりがその役割をはたせればという思いはありました。」と代表者の栗原昭矩さんは振り返る。
この栗原さん、「火山先生のコンサートでオカリナの音色に興味を持って、30歳の手習いで」 オカリナを始めたという。

【フェス本番】

また、新井淳子さんは、火山さん亡き後、会の音楽的なまとめ役をしている。
「私はヴァイオリンを習っていたのですが、中学三年生のときに、ヴァイオリンの先生に『山奥(栃木県飛駒) に面白い先生が住んでいるから見に行こうよ』と言われて、ついて行ったら、火山先生が川に足を突っ込んで作曲 していたのです。さっそくオカリナをいただいて、その後も顔を出していたら 「今度練習するから」 と言われ 、たまにコンサートにも出させてもらったりしていました」

中田啓子さんは、火山さんや宗次郎のカルテットに感動し、コンサート会場で楽器を買ったものの、10年間は 1人で吹いていた。その後、「前橋土笛の会」 を知った。「前橋土笛の会の練習を見学に行って、先生の指導を見て、 『私はここしかない』 と思って、すぐに会に入りました」 

赤坂真理さんは、小学校5年生のとき、エレクトーンの先生に連れられて、会の練習を見学しに行った。「今まで聞いたことのない音と見たことのない楽器に引き込まれて、次の週にさっそく会に入り、先生にレッスン していただくようになりました。」

メンバーのそれぞれが、オカリナと、そして、火山さんと運命的な出会いをしているのであった。
「オカリナは、音は出しやすいですが、原始的な楽器で、ごまかしがきかないので、難しいです。」(栗原)
「笛によって微妙な音程の違いがあり、耳だけで音程を合わせていかなければいけないのがたいへんです。」(新井)

オカリナは1つの楽器の音域が1オクターブ半しかない。「前橋土笛の会」 では、12人が7つの楽器を使って3オクターブ強の音域をカバーしている。 近年、栗原さんは楽器製作にも取り組んでいるという。
「楽器を作っていると先生の音楽への思いが分かります。先生には自分の表現したい音楽があって、それを生かす ためにオカリナを作ってられたように感じられるのです。オカリナに会わせて曲を書こうとされたのではなくて」 

カザルスホール・アマチュア室内楽フェスティバルでは火山さんが作曲した 「ミサ・ブレヴィス」 から 「キリエ」 が演奏された。オカリナの音がホールと響き合い、メンバーの一人ひとりがしゃべっているような 真摯な演奏が、とても感動的だった。


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平成10年10月10日


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