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管理人のオカリーナ歴

・・・といっても、そんな大層な事はなにもないのですが、「管理人は何者?」という声が遠くの方から、ちらほら聞こえてきました。
そのくせ、直接聞いてきた方は一人もいないので、これも不思議だなぁ!!

年月日 管理人は、アマチュアオカリーナ吹き&オカリーナ制作者です。
 平成10年から、当館管理人
 平成17年から、ながめオカリーナフェスティバル実行委員会代表
 平成22年から、オカリナアルファ代表
平成5年10月
(1993年)
この頃、初めてオカリナを手にする。
吹いているうち、曲が音痴に聞こえて「おかしーな?!」と思っていたら、初めて手にしたのは、音痴オカリナであって「楽器」ではなかった。(このことは、その後入会した前橋土笛の会の練習中、指導されていた火山久先生に指摘され、ショックを受ける)
平成6年9月
(1994年)
国立赤城青年の家主催 オカリナ制作講座「オカリナへのいざない」参加。生まれて初めて、オカリナもどきの土笛を作る
平成6年10月前橋土笛の会入会、入会2週間後よりアンサンブルメンバーとして演奏活動開始。当時毎週のように演奏会があり東奔西走する。
平成7年10月
(1995年)
前橋土笛の会ソリストとして演奏活動開始
管理人の得意だったソロ曲 炎の踊り(火山久)、馬子歌(日本民謡)、コンドルは飛んでいく、小鳥の曲そのほか・・
平成9年5月30日
(1997年)
前橋土笛の会指導者火山久(かやまひさし)先生・・・1925年スイスに生まれる、チェロ奏者、オカリーナ制作・演奏者、教会音楽作曲家、元足利短期大学教授。
工房「土の音」を設立し、宗次郎氏、松本寿和氏、谷力氏らにオカリーナの制作・演奏を指導、彼らとともにオカリーナだけによる「クレイトーン アンサンブル」を結成、演奏活動を展開する。 その後、市民講座等で合唱指導、オカリーナ制作指導、演奏指導を多くの音楽ファンに施し、音楽への熱き想いを私たちの胸に残し、永眠。
平成9年8月前橋土笛の会は、故火山先生の遺志を受け継ぎアマチュアの登竜門といわれる「アマチュア室内楽フェスティバル」に応募。
全国から128団体の応募があり、審査にパスした30団体に入る。
平成10年2月
(1998年)
アマチュア室内楽フェスティバル(於:東京カザルスホール)に、前橋土笛の会メンバー11人とともに、 オカリーナアンサンブルとして初出場を果たし、「音楽の友」に取り上げられる。詳しくはこちらをクリック!
演奏曲目 ミサ・ブレヴィスより「キリエ」(火山久 作曲)
平成10年9月火山先生の亡くなる半年前にいただいた、遺言とも言える直筆の管理人宛メッセージを胸に、本格的にオカリーナ制作をはじめる
平成10年9月2日インターネットに「オカリーナほうむぺえじ」を開設
平成12年1月
(2000年)
前橋土笛の会退会
平成13年6月7日
(2001年)
神戸市 神戸文化ホールにて開催された「21世紀への架け橋・夢 オカリナフェスティバル」に自作オカリーナで出演、 「音色がかなり良かったです。譜面にとらわれずに、もっと歌って良いのではないでしょうか。自分なりの解釈で。」宗次郎氏から講評を受ける。
制作者として、自作オカリーナにこのような講評を受けることは、最大の賛辞であり、身が引き締まる思いです。
平成14年1月12日
(2002年)
管理人制作のオカリーナの名称を公募により「Ocarina 凛」と名付ける
平成15年2月19日
(2003年)
Ocarina 凛が、季刊「私の陶芸」誌(ブティック社)「第一回陶芸コンテスト陶器展覧」に掲載される
平成15年3月20日
~3月25日
Ocarina 凛が、季刊「私の陶芸」誌(ブティック社)「第一回 私の陶芸コンテスト」の他の作品と共に、東京都世田谷区瀬田4-29-1 西窯 ギャラリースペースに展示される。
平成17年1月17日
(2005年)
ながめオカリーナフェスティバル第1回を主催
平成22年1月1日
(2010年)
ながめオカリーナフェスティバル主催団体として、実行委員会に替わりオカリナアルファを発足させる。
平成23年10月9日
(2011年)
第10回ながめオカリーナフェスティバルで、「オカリナと弦楽オーケストラの為の組曲」の初演を務めさせていただきました。(演奏は、ここをクリックするとお聴きいただけます。)
YouTube デビュー致しましたので、そちらでもお聴きいただけます。
平成23年10月フェスティバル終了後、上記をご縁に作曲者の間中進一氏に師事。