東日本大震災・被災地でボランティア散髪

 オナヅカ理容室も2011年5月で29周年です。
 3月11日に東日本大震災が発生しました。
私どもに被害は有りませんでしたが、被災地の状態は酷いモノです。

 お客様の御愛顧を賜り営業を続けることが出来て、被災された方々の散髪に行かれたことを感謝いたします。

2011年4月2日(土曜日)

 地震から三週間以上過ぎましたが、復興のメドも立たず、東日本は疲弊のかぎりです。
特に、津波の被害は酷く、青森から千葉まで何十万人が避難しているありさま。
 そして、原発関係では、私の想像を超える農作物や水道への被害。マア、農作物に関しては県単位で規制した、現場(農業)を知らないお粗末な対応で、この政府に日本の未来を預けて大丈夫かなと再認識することになりました。
原子力発電所施設の安全設備の欠陥。経産省・原子力安全・保安院の他人事の会見。内閣、国会議員の無能さに腹が立ちっぱなしです。
 でも、福島県人は悪くはないのです。何か、私で役に立つことはないか考えて・・・避難している人を散髪することしか出来ない・・・4月4日(月曜日)に原子力発電所から25kmにある避難所・南相馬市立原町第一小学校へ出かけてきます。20人弱散髪できるでしょう。

2011年4月3日(日曜日)
 仕事をしながら、お客様(お茶屋さん)に「明日、ボランティアで散髪に行くんだよ」と、話をしたら、「それなら、店にあるティーバックを持って行ってくれ」と言っていただきました。とてもありがたいことです。近所の人にボランティアの話をすると、放射能が怖い、人にうつるんじゃないか等と、トンチンカンなことを言います。しかし、日本人の多くが、このような間違った考えをしています。
 特に、私が行く予定の南相馬市は20km〜30kmの屋内避難範囲なので、外からモノが入らない。外に出るにも津波で裸一貫になっては出られない・・・という場所です(これは南に位置するいわき市の一部にも共通することです)。今日まで、テレビで散髪のボランティアが紹介されていましたが、皆、放射能に汚染されていない岩手県、宮城県等、安全な場所でした。実際、福島県理容生活衛生同業組合の組合長に電話で南相馬市にボランティアで伺う話をしましたが、組合としては南相馬市に行く予定は無いと言っていました。

2011年4月4日(月曜日)
 4時06分出発。前日にルークスはガソリン満タン。北関東道路・太田薮塚ICへ。岩舟JCTで東北道へ合流。まだ薄暗い中、北を目指す。何故か、赤点滅のパトカー&機動隊車両が目立つ。
 9時に伺う予定だったので、遅れてはならずと軽自動車ながら115km/hで飛ばす。(家から小学校まで280km以上あるんだよ)
 二本松ICで高速を降り、国道へ。7時頃なのに、道は空いていた。途中、浪江町で検問に。警察官が来て、
警官:「どちらまで行かれますか?」
私:「南相馬市です」
警官:「それでは、この道を進むと、トンネルがありますから、そのトンネルを過ぎて、直進せずに左に曲がってください。そうしないと避難区域の20kmに入ってしまう」
私:「その曲がり角はここからどのくらいですか?」
警官:「私は九州から来ているので、詳しくは判らない、ただ、今のように言うよう指示されている」

このやりとりで、高速道路に警察車両が多く走っていることの説明が付きました。
この原発事故に日本中から応援で集められたようです。




南相馬市には8時30分頃に入りました。
避難所に伺うには時間が余ってしまいましたので、少し、海岸の方へ行ってみました。
以下の3枚の画像は海岸から2kmくらいの所です。








下の画像
斉藤園さんには15パック入りのティーバック10袋を寄付していただきました。



 体育館では前日に散髪の希望をとったところ17人ということでした。
でも、私が仕事を始めると、やってくれ、と言う人が増えて・・・結局、希望者全員21人を散髪しました。
世間話をすると、原発を恨んでるようでした。
 お昼頃、スタッフ(南相馬市の職員さん)の人に自衛隊が炊き出しをしてくれていますのでお昼食べますか?と、訊かれましたが、ボランティアに来て被災者の食事を横取りするバカはやりませんと断りました。
近所で営業していたほっかほっか亭のカツ定食を車の中で食べました。



 15時過ぎまで施術しましたが、16時前には体育館を後にし、帰路につきました。
二本松IC手前のガソリンスタンドで給油。行きは高速道路を100km/h以上で走ったので燃費が悪かった(15km/L)。
帰りは高速道路もそれほど混んでいなかったので、他の車の迷惑にならない範囲で60km/hで走った・・・後日、燃費を計ったら、21.5km/Lに。
 軽自動車は80km/h以上で走っては燃費が悪化する。省エネ運転60km/hを守りましょう。
家に帰り着いたのは23時を回っていました。
マア、充実した一日を過ごすことが出来ました。
また、数ヶ月後に散髪に出かけるつもりです。



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以下参考資料/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


出張リスト

タオル       刈布          シェーヴィングクロス
オシボリ      発泡スチロール箱  消毒薬
ネックペーパー  スプレー       スケルトンブラシ
大きな櫛      櫛            鋏
レーザー      バリカン        充電器
延長コード    三口タップ      カルカヤブラシ
ブルーム      毛払いブラシ     台皿
CRC 5-56     マスク        シェーヴィングフォーム
エタノール      ヤカン        保温器
カセットコンロ    ストーブ        クレゾール

ポリタンク(水)
ガソリン
灯油


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