私の家は完全に分煙化されています。他の部屋では喫煙が容認されています。………と言うことは。
1992年8月27日 群馬読売・コラム・風雷より
車中ノー・スモーキング、室内禁煙、歩行中はダメなどなど、たばこ吸いが、肩身の狭い思いをしている◆中でも、病院の喫煙室はいただけない。換気扇がうなりを上げるガラス張りの狭い部屋には、粗末な折り畳みいすと、吸い殻が山盛りの灰皿。仲間がいても、あいさつするどころか顔をそむけ、夢中で吸ってそそくさと部屋を出る。みじめこの上ないが、待ち時間が長いと数回利用するハメになる◆職場はもとより公共施設や家庭でも、こうした傾向は顕著。このままでは、犯罪者扱いされる日も遠くないように思う◆しかし、たばこ吸いのほとんどが「大人のまねで始め」、「やめたい」と思っている。過去に何度か禁煙を決意し、挑戦した人も少なくない。でも一日、二日は持つが、頭脳労働者ならまず三日目には挫折してしまう。つまり「やめられない」のが現実。だから、おとなしくしている◆この苦しさ、いらだちは初めから吸わない人、簡単にやめられた人には理解できない。なのに煙害だ。不健康だと、いたく責められる。生命保険各社が、喫煙者と非喫煙者で保険料に差をつけるための調査、研究に乗り出したという◆よく考えてみると、差別に近いものがある。紫煙を追放するなら先にたばこ自体を排除し、禁煙のための施設整備やリハビリ方法も講じるべき。やみくもに締め付けるのは、弱い者いじめにほかならない。原点に人間愛と根本的な解決策が無いと、どんな運動も成就しない。
上記の文は、読売新聞に毎週木曜日付いてくる群馬県だけの地方版、一面の編集長のコラムです。少々気になることがあったので電話で群馬の編集局に問い合わせたり、また、東京の読売新聞本社にも聞いてみました。
以下の文はその後、読売新聞に投書したものです。
八月二七日付け群馬読売のコラム「風雷」について。
筆者は喫煙者の擁護及び公的機関の対応の有り方を問うているようでしたが、自身に鑑みて一番の弱者を忘れているようでした。
まず、病院の喫煙室の汚さを指摘しているが、本来、病院の喫煙室の存在がおかしいと思う。心身を病んだ、特に循環器障害の有る患者さんの所に煙を漂わすのは人道上許されない筈です。肉体労働者と頭脳労働者の差別について、後者なら喫煙するのが当然の様に書いてある。また、生命保険料に差を設けるのも当たり前のこと、喫煙者のリスクまで、たばこを吸わない人が負うことは無い。
私が一番おかしいと思うのが、禁煙の為のリハビリ施設が不備と指摘する人々です。たばこを口に運ぶのは一体どなたの手なのですか、動物の中で唯一思考能力のある人間なのです。互いに意識を高めて禁煙に成功して下さい。
最後に、たばこを吸う人が弱者ではないのです。煙りにむせる人、気持ちの悪くなる人等が本当の弱者です。群馬読売の変醜長さん、もっと勉強して下さい。
また、このような記事について、私どもには責任が無いとする読売新聞本社の対応にも腹立たしさをおぼえてしまいます。
以下の文は組合の親睦旅行に名を借りて会議等における喫煙について釘を刺したものです。
旅行における喫煙方法について(湯澤議案)
一案 バス内は全面的に禁煙にする(30分毎に喫煙休憩を設ける)
二案 部屋割については禁煙室を一つ設ける
三案 分煙の可能性及び補助金の設定
私はタバコの害の話になるとケンカ腰になってしまうのですが。そこは若気の至りとお許し下さい。また支部長の任期3年間も2カ月残すのみとなりました。その間のご支援ご協力ありがとうございました。この紙面を借りまして御礼申し上げます。が、イタチの最後っ屁ではありませんが弱者(少数派)の意見として上記の案を提出させていただきます。
さてタバコの害については私が申すまでもなく皆さんご存じのことと思います。また、タバコの煙りはアルコールを飲む事(個人の責任において飲酒することであり、それにより当人がアル中になろうが肝臓を壊そうが、回りの人には関係の無いことです)と違い、本人だけではなく回りの人に与える影響が大きいものです(私は気持ちが悪くなり、吐き気がして、目が痛くなります)。今も、かなり我慢しています。
県内でも公共の場所では禁煙のスペースが広がってきてます。例えば、東毛がんセンターでは角っこに個室のようなものが喫煙室として設けられており、壁などは真黄色になっています(このように禁煙と喫煙の場を分けることを分煙といいます)。
また、見方によって、この会議場も公共の場(飲食店だから該当しないなどと言わないで下さい。集まっているのは、男性と女性、年令も三十代から七十代、趣味も考え方も違う人達です。このような人達が会議を行う場所は公共的なものと考えられます)と考え、私、個人的には「僅か一時間ぐらいタバコは我慢しろ!」と言いたくなります(口に出しちゃおしまいダヨ)。
一案・二案については説明の必要はないと思います。
三案、分煙の方法について少々解説いたします。
適当な人に禁煙車となる自家用車を出してもらう
走行距離から計算される燃料代と有料道路料金等を乗車人数で割る
上記金額 3,000円を越えない範囲で旅行費から人数分補助する
例)私の車で五人乗車し猪苗代湖まで片道高速道路利用の場合
全走行距離450キロ 9q/g 115円/g
450÷9×115=5,750(ガソリン代)
東北道 佐野IC〜猪苗代IC 4,150円
5,750+4,150=9,900(実際にかかった金額)
9,900÷5=1,980(一人分の費用)
以上のように五人乗車の場合、旅行費から一人につき
1,980円の補助をお願いしたいと思います。また、二人乗車ですと
4,950円になりますが、3,000円を越えないという条件ですので、一人につき、3,000円で、二人で合計
6,000円の補助となります。
プリントアウトして新年会の前の会議で全員(22人)に配り、質疑応答しましたが、ダメだねエー
1997年12月25日 群馬よみうり 道くさ特集から
禁煙車両だが、自分ひとり。携帯用灰皿を持ち、窓を開けてたばこを吸っていた。車掌が来て「ここは禁煙です」と注意する。「だれにも迷惑はかけてない」と反論しても、「決まりですから」の一点張り―。ふと、この話を思い出した。
今年も、県内各地に公共のホールが完成したが依然、利用率が問題になっている。それもそのはず、施設によってはあまりに決まり事が多く、利用しにくい。この夏、ある施設を借りる立場で交渉に携わったが、「規則」の壁にかなり苦労した。
ルールを守るのは当然のことだが、どこかで引っかかる。冒頭の話で言うなら「違う車掌なら、目をつむってくれるのでは」といった思いが、交渉の過程でわいてくるからだ。
先日も、ある市民団体の代表が「条件が厳しくてホールが借りられない。困った」と嘆いていた。どんな施設でも、利用されて初めて価値がある。利用率は、規則の運用を見直すだけでも上がるかも。
相変わらず群馬よみうりの編集者はおかしなものを書くものだと思って読みましたが、心中穏やかならぬものがあり、その日の夕方にFAXしました。
以下に全文を貼り付けました。
12月25日・群馬よみうり・道くさ特集・K氏の「ルールはだれのために?」を読んで。
K氏の意図するところは、利用者本位のルールを作ること。のようでしたが。少々、導入部に違和感を覚えましたので、私見を述べさせてもらいます。
さて、あなたは禁煙車両とはどのような目的で設定されていると思われますか。私は、たばこの煙に被害を覚える方々を守る為にあると思っています。禁煙車両に乗車したが、客は自分一人、携帯灰皿も持っている、窓を開ければ煙も充満するわけではない等、考えられたのでしょうが。次の駅から乗車する人がいたら、また、隣の車両から禁煙車両を求めて移ってきた人がいたとしたら、あなたはどうするつもりだったのでしょう。窓を開けていても煙が全て排出されてはいないはずです。あなたはその人たちの権利(たばこの煙の無い車両に乗車する)を侵害したのですよ。車掌さんもその辺の所をきちんと説明しなければいけないと思いますが、まあ、人を見たのでしょう。
「ペンは剣より強し」あなたもジャーナリストならこの言葉は御存知でしょう。群馬よみうりは25万部発行されているそうですね。読者は、天下の読売新聞の編集者が書いたものを信じます。その読者の一部、100人でも200人でもが「そうか、禁煙車両でも、周りに人がいなければタバコは吸えるんだ」と思ったらどうでしょう。拡大解釈で「同一車両でも5メートルも離れていれば良いだろう」「3メートルでいいや」「灰皿が不備だから吸えないので、灰皿を持ってればすぐ隣に人がいても良いんじゃない」などと考えてしまったらどうします。
ジャーナリストの責任として、公序良俗に反する言動は厳に慎みたいものです。
2日後、FAXで返事がありました。以下に貼り付けました。
湯澤十三男様
ファックスいただきました。電話ではなく時間をかけてまとめてくれた文章での反応は、うれしい限りです。御礼申し上げます。さて、湯澤さんの「私見」について、文の流れにそって私の弁明を記させていただきます。
まず、2段落目。「利用者本位のルールをつくること」が(私の)意図するところ、と述べられていますが、誤解です。道くさでは最後のほうに「規則の運用を見直す」と書きました。ルールそのもでなく、その使い方を問題にしてたつもりです。
導入部での禁煙車両の話ですが、これは、私の体験ではありません。1段落の最後に「この話を思い出した」と書きましたが、自分の体験にこのような言い回しを使う人はいないと思うのです。この点も誤解です。
まして、「禁煙車でも状況が許せばたばこを吸うのはかまわない」とも書いておりません。禁煙車の例は、「こういう考え方もある」と紹介するために「導入」としてだけ使っただけなのですから。
湯澤さんのような反論があるのを覚悟で、なぜ、導入に禁煙車の例をもちだしたのか、との問われたなら、あくまでも、「ホールの利用規則の運用」の問題に注目してほしかったから、と答えます。
単純に禁煙問題とホール利用率問題を比べるなら、はるかに、前者のほうが読者の目を引く話題です。自分が訴えたい内容に、読者の目を引き付けるために、禁煙車を導入に使いました。
ルールの厳格な運用に対して、個々の利用者に応じて柔軟な運用を図るべきだと、ホールの問題で訴えたのです。状況倫理というべき範疇の問題ですが無論、ホールで訴えたことがそのままあらゆるルールにあてはめられるわけではないと思っています。
以上が3段落目までの私見に対する私の答えです。
最後の2つの段落で、「『100人でも200人でも禁煙車でも周りに人がいなければタバコは吸えるんだ』と思うったらどうでしょう」と書いてありました。繰り返しますが「煙草を吸ってもかまわない」とは書いてないので、その心配はないと思います。
万一、誤読された方がいたとしてもその心配はないでしょう。読者はそれほど単純ではないと思います。まして、拡大解釈云々以降は、普通の日本人のメンタリティーの持ち主なら、まず考えないでしょう。その恐れがあるのは、子供か社会のルールをはなから無視して生活している方々だけでしょう。
誤解や誤読という言葉を使ってしまいましたが、私の文章の拙さが原因かと思っております。もっと、分かりやすい文章を心掛けます。
誤字脱字があやもりれませんが、お許しください。
この件に限らずご意見がありましたら何なりとお寄せください。
注)下線部は入力ミスでも変換ミスでもありません。入念に校正いたしました。
このような意識の人がジャーナリストでございます。などと大手を振って歩いている我が群馬県、県民であることが恥ずかしい。
ニコチン中毒者・愛煙家を気取る人・たばこ嫌いの方、ご意見をどうぞ。拝聴します。