◆日々の詩◆


   利根川の橋を渡る

 利根川に架かる長い橋を渡るとき
 五月の心は浮きたち思いは沈む
 両岸の断崖は深く切り立ち
 川は左右にうねりながら流れる
 赤城榛名の峰は真新しい緑をまとい
 武尊谷川の頂きに雪がまだらに光る
 水はあふれて緑の淵に深くよどみ
 浅瀬を走り白い波しぶきを上げる
 川は滔々と流れ
 すべては流れ逝きてかえらず
 時去ればみな幻想は消えゆかん
 時の流れはとどめ難く
 無限のかなたから流れきたり
 永劫の果てへと流れ去る
 岸辺をさすらった憂愁の影も今はなく
 孤独な魂のゆくえを誰も知らない
 監獄の長い煉瓦塀が時を忘れて立ち尽し
 高い梢を揺らす風が空を吹き過ぎていく



   バラの光

 柔らかな花びらのしとねにくるまれて
 ひそやかな夢をはぐくんでいるバラ
 きよらかな光がつぼみからこぼれて
 花となったいのちが輝いている

 冷たい北風にか細い枝をふるわせて
 厳しい冬の試練に耐えていたバラ
 あてどない季節のゆくえを追って
 たれこめた空の果てを見上げていた

 さわやかな五月の風に誘われて
 一輪一輪まどろみから目覚めるバラ
 まぶしい陽射しの愛撫を受けて
 ためらいがちにつぼみを開く

 バラの香る道で出会った二人が
 花のささやきに耳を傾けながら
 手に手を取ってゆっくり歩き出す
 バラの見た夢が未来へとつながっていく



   バラの苑のコンサート

 赤いバラはバイオリン
 白はオーボエ ピンクはチェロ
 黄色はフルートで
 青いバラはクラリネット

 第一楽章はアレグロ
 快活で軽やかに
 バラのアーチをくぐりぬけると
 はじらうように微笑みがこぼれ落ちる

 第二楽章はメヌエット
 愛らしく夢見るように
 花壇のすみで固いつぼみをふくらませ
 未来の光りを育んでいる

 第三楽章はアダージョ
 豊かにときに翳りを帯びて
 輝きの絶頂にきざす凋落の予感
 噴水のしぶきに崩れていく花の影

 終楽章はアンダンテ・カンタービレ
 ゆったりと歌うように
 重なり響き合う大輪のバラのシンフォニー
 芳醇な香りとハーモニーに心酔う

 アンコールはピアノのエチュード
 野バラがまがきに這う道を
 リズミカルに子犬が駆けまわる
 夕暮れの空へ消えていく余韻



   秋の光

 澄みきった秋の空から金色の光がふりそそぎ
 あらゆるものが色づき熟していく
 山は見慣れた稜線をくっきり描き
 川は解いた帯のようにゆったり流れていく

 堆積した時間の層が幾重にも折り重なり
 過去と未来と現在が光の中でひとつになる
 失われたものとまだ生まれないものが
 今を生きるものとひそやかな言葉を交わす

 穫り入れの済んだ野面は黒ずみ
 せき立てられるように冬支度が始まる
 まばらな林に鳥たちが鳴きかわし
 日の陰った道にひんやり冷気が降りてくる

 一日の終わりに悔恨のように空が赤く染まり
 夕映えの残照は大気の層を真珠色に輝かせる
 天球は鋭角に夜へと傾いていき
 やがてすべてが深い闇に沈みこんでいく



   挽 歌

 私たちより先に永遠の岸に旅立ったお前が
 くらい海をたったひとりで渡っていくのに迷わないよう
 天上の星々が明るく輝いて欲しい

 かくれんぼはとっくに終わったのに
 お前があんまり上手に隠れるものだから
 父さんも母さんもお前を見つけることができない
 母は途方にくれて迷子のようにその場に立ちすくんでいる

 私たちがここにいて お前がここにいない
 覚めない夢がいつまでもわだかまっている
 夕陽が沈むあの山の向こうに行けば
 お前に会うことができるだろうか
 水平線を越えて行くあの船に乗れば
 お前がいるかもしれない国にたどりつけるだろうか

 ああ 鳥の群れが大空を渡っていく
 その一番後ろを遅れがちに飛んでいく鳥が
 ひょっとしてお前の生まれ変わりだったら
 できるなら鳥になってついて行きたい
 けれど それはかなわぬ願い
 ・・・飛びたちかねつ 鳥にしあらねば

 いのちはどこから来てどこに帰っていくのか
 体がなくなりたましいだけになったいのちは
 すきとおる青い空をつきぬけて
 はるかな高みに昇っていくのだろうか

 夜になると無数の星々のささやきが
 静かにひっそりと聞こえてくる
 遠い波のさざめきのように聞こえてくる
 流れ星がひとすじ地上に向かって落ちる
 どこかでまた新しいいのちが生まれたのだろうか



   風のゆくえ

 風はどこからやってくるのか
 雪の三国山脈をやすやすと越え
 赤城榛名の裾野の間を吹き抜ける
 利根川の水をさざ波立てて
 橋の上の人を前かがみにする

 風が通る道はどこにあるのか
 街路樹の葉を落とし尽くし
 裸になった枝でフルートを鳴らす
 舗道の落ち葉とワルツを踊り
 枯れ野の原を気ままに駆けまわる

 風は夜も眠らないのか
 街の灯りを宝石のようにきらめかせ
 寝静まった家々の屋根を踏みつける
 夜空にまたたく星座をかすめて
 オリオンの足元まで吹きつける

 風はどこへと去っていくのか
 夜通し広い平野を走り続け
 朝日の昇る太平洋にたどり着く
 カモメと船に挨拶をして通り過ぎ
 波と一緒に遠い旅に出る

 風のゆくえを誰も知らない



     ワンスケに

 ワンスケという名の犬がいた
 本当の名前はチャッピーという
 茶色のメスの雑種だったが
 お行儀が悪くていたずら好きで
 おしとやかとはとても言えず
 ・・・片足を上げてオシッコをする!
 いつの間にかワンスケになってしまった

 ワンスケは散歩が好き
 軽井沢に連れて行ったことはないけれど
 家の近くの田んぼ道をよく歩いた
 虫や蛙を追いかけて
 干からびたミミズをパクッと食べた

 ワンスケは鳥の骨が好き
 フライドチキンの骨をやると
 バリバリ噛じっておいしそうに食べた
 本当は肉のついたのをやりたかったが
 人間の食べる分までやれなかった

 一度仔犬を六匹産んだが
 人に譲ったり死んだりして
 散りじりバラバラになって
 いつか仔犬を産んだことさえ忘れてしまった

 ワンスケとともに十年の歳月が流れた
 ワンスケをもらってきた息子達は
 学校を卒業して家を離れた
 ワンスケは大人しい静かな老犬になった
 近所の小さな子供達に可愛がられたが
 かつてのように体がいうことをきかなかった

 十二月のある寒い朝
 ワンスケはひとりぼっちであの世に旅立った
 僕が退院して家に帰って間もなくのことだ
 ワンスケが僕の身代わりになったのか
 庭の隅にお墓をつくって椿の一枝を供えた
 小さな石を置いただけの粗末な墓
 時々妻とワンスケのことを思い出して話す

   あるじなき庭に今年も椿咲く



     夏の終わりに

 夏の終わりに見る夢は
 思い出のように湧き上がる入道雲
 遠い山並みは青くかすみ
 落葉松の林の奥にどこまでも続く小径

 夏の終わりの旋律は
 白樺とすすきの高原を吹きわたる風
 なつかしい面影を追って道をたどれば
 忘れかけた詩の一節がふとよみがえる

 さようなら 夏の日
 坂道をあえぎ昇ったのは昨日
 今日ひまわりの花は朽ちて
 賑やかだった蝉の声も絶え
 秋草の野に虫の音が洩れる

 さようなら 夏の日
 幕を落とすように暮れる黄昏に
 逆光の中で見失った君を見つけられない
 一つの季節が終わっただけなのに
 心の谷間を淋しい風が吹き抜けていく

 さようなら 夏の日
 いつかまた君に会えるだろうか



     三十年後のキャッチボール

 線路際の四畳半二間の古アパート
 電車が通るたび家全体が貧乏揺すりした
 窓の隙間から昭和の冷い空っ風が吹き込んだ

 夕暮に風呂の煙突からいぶい煙が立ち昇り
 お勝手からまな板の音と鍋の匂いが洩れる頃
 工場帰りの親父がランニングシャツになって
 子供達が去った路地で親子のキャッチボールが始まる
 「いいかケンイチ 球は相手の胸をめがけて投げるんだ」
 親父の投げる弾丸のような球はグローブの手を強く撃った
 電信柱に灯がともる頃 路地に夕闇が迫り
 キャッチボールは終り 次は明日か明後日か
 その次が来ない日がいつかくるとは知らず
 親父に返すボールは永遠にこの手に残された

 ・・・三十年後 僕は父親になっていた
 人生の半分を形にローンで建てた家の周りは
 火急の用事を載せた車が忙しなく行きかい
 団地の中の公園はボール投げ禁止
 やっと見つけたスペースは小学校の校庭の隅
 サッカークラブが公式練習する脇で
 居候のように肩身の狭いキャッチボール
 「いいかコースケ ボールは相手の胸をめがけて投げるんだ」
 今度は同じセリフを僕が言う番だ
 小さい息子の後ろにランニングシャツ姿の大きな親父が見える
 無口な親父の笑い顔の意味がやっと分かった
 ボールに込められた言葉にならない思い
 親父の投げたボールは三十年後の僕の胸にずしんと届いた
 親父から受けたボールを小さな息子へそっと投げ返す
 あの時のグローブの手の痛みがよみがえる気がした



     片付ける

  届かなかった思いを片付ける
  広げ過ぎた風呂敷を片付ける
  並べたままの御託を片付ける
  自分の生きた痕跡を片付ける

  ーー僕は片付けるのが苦手だ
  捨てていいものと いけないもの
  大事なものと 大事でないもの
  その区別がうまくできない
  あげくに何でも引き出しに突っ込んで
  しまいにあふれさせてしまう
  本棚はがらくたでつぶれそうだ

  幼い言葉で綴った日記帳
  恋と青春の古めかしいテキスト
  粗雑に描いた夢のデッサン
  出さなかった(出せなかった)ラブレター
  書きかけの遺書ーーのようなもの
  つらい思い出に混じった楽しい思い出

  どうして片付けることができるのだろう
  遠く離れた友と語り合った希望
  あの子に言えなかったひとつの言葉
  むしろ簡単に片付けたくない

  五十年の人生をうまく片付けられなくて
  読みかけの小説と 書きかけの詩
  聞きかけの音楽と かじりかけの哲学
  作りかけの笑顔と 生きかけの人生がある
  生まれかけたときから もう
  死にかけているのかもしれない

  皮一枚 管一本でつながった命であれば
  時計の針がいつ止まるとも知れず
  風船の糸が切れて飛んでいく前に
  せめて身辺だけでも整理したいけれど
  何も片付かないで今日も一日が暮れていく

  一日の終わりにそっと引出しを開けてみる
  なつかしい風景と なつかしいうたがある
  優しい顔と 優しい声がある
  五十年かけて集めた宝物を
  片付けるなんてできない
  できるなら終わりまでもって行きたい



    五月の風に吹かれて

  五月の風に吹かれて
  光の中をゆっくり歩いていこう
  空は青く雲は流れ
  山々の緑は目にまぶしく
  雪解け水は川をふくらませる

  五月の風に吹かれて
  大地は命の力をとりもどす
  青い麦の海原は波立ち
  バラのつぼみは木陰で微笑みかけ
  ハナミズキはそっと背伸びをする

  五月の風に吹かれて
  かすかによみがえる遠い日の夢
  小さな過失の思い出は苦く
  今とは違うもう一人の自分が
  別れた友のように立ち止まっている

  五月の風に吹かれて
  どこまでも歩いていこう
  凍えた冬の記憶を脱ぎ捨て
  縮こまっていた身体を伸ばして
  新しい季節に再び出会うために