◆日々のつぶやき◆

   2018・11・12

 安吾全集第11巻の口絵写真は長崎浦上天主堂の壁一枚だけ残った廃墟の前で腰に手を当て茫然と(?)たたずむ安吾の姿だ。切支丹モノを書くため戦前に訪れた長崎を昭和26年に再訪したもので、「新日本地理」の長崎編は甚だ感銘深いものになっている。安吾がグラウンドゼロの浦上の空に見た意外な「明るさ」についての記述が印象的だ。


   2018・11・8

 村上春樹「騎士団長殺し」を図書館で借りて読む。村上春樹は久しぶりだが、思えば長い、それほど濃くはないが、付き合いになった(読者として)。学生で演博のあたりをうろついていた頃、先輩から勧められ「風の歌」とか「ピンボール」とかを手にとったのは、まだ時代と文学が重い鎧のような影を引きずっていたころ、それでも既成の文学に満たされないものや違和感をかんじていた者たちにとって、自分たちの空虚感をいくらかでも満たしてくれる稀有な存在だった。サブとかポップとか形容詞付きで扱われた時代もあったが、当時からみると世の中も文学も大きく変わった。ある意味、時代を先取りしていたということか。その村上春樹氏が母校に資料を寄贈するというニュースが静止画で伝えられた。


   2018・10・27

 新潟市の旧市長公舎を改装した安吾の資料館「風の館」を訪ねる。万代橋を渡って繁華街の大通りが左に曲がるところをそのまま真っ直ぐ進むと、道は細くなってあたりは落ち着いた文教地区のような雰囲気になる。突き当たりの坂を登りきったところを右に少し下がると目指す資料館はあった。背後の崖の向こうにはもう砂丘と海が広がっているのかと思われた。風が木々を大きく揺らし、空には日本海の灰色の雲が垂れ込めて、冬が間近いことを感じさせた。安吾の生家はその近くで今は神社の敷地や道路になっていて何も残っていないという。資料館では安吾が晩年に書き継いだ「新日本地理」の企画展をやっていた。ゴルフのスイングをしている安吾の大きな写真が玄関脇の小部屋に掛かっていた。和室の卓に並べられた資料の中に桐生の「安吾を語る会」がつくった冊子をみつけて思わず手にとってみた。ほかに来館者が二人いた。今読んでいる安吾全集は第10巻まできた。半分を超えたところだが、読み終えたあとのことはまだ考えられない。


   2018・10・20

 人類の歴史を自由の発展の歴史と考えた哲学者がいたが、彼は楽天的に過ぎたのだろうか。しかし彼は自由があり得るのはこの地上のごく限られた場所だけと限定をつけるのを忘れなかった。自分と他人の自由を尊重する人間が集まっているところにのみ、それも恵まれた条件があって初めて自由はあり得る。そういう意味では哲学者の洞察は真理を突いているに違いない。


   2018・9・20

 夏の終わりは一抹のもの悲しさを感じさせたものだが、今年はいつのまにか夏が終わっていた。稲穂が垂れた田んぼの畦に彼岸花が鮮やかだ。


   2018・9・8

 このところ災害列島という言葉が浮かんでくるような状況だ。忘れた頃にといって忘れて生きる知恵もあるかもしれないが、やはり備えあればという方が賢明ではないか。フェイルセーフ、安全第一という考え方がある中で、今回の空港の危機管理、電力供給の仕組みは課題を露わにしたというべきだろう。生産性、効率性は過度に追及すると正反対の結果をもたらしがちである。


   2018・8・17

 シルクロードの東の端の国には、世界中からいろいろなものが伝えられて、吹き溜まりのように、それが生まれた地でとうの昔に滅んでなくなった後まで残されているということがよくある。舶来の新しいものを尊ぶ気風と、伝えられたものを十年一日のごとく「道」として墨守する頑なさと、八百万の神の如く矛盾を矛盾として徹底的に排除する一神教的な合理主義の欠如など、われわれの血や細胞に受け継がれたDNAそのものがしからしめたと言えるだろう。


   2018・8・15

 戦没者を追悼し、その犠牲の上に築かれた今日の平和と繁栄に感謝する。そのことは間違いなく大事だけれども、平和と繁栄にはまた別の幸運と条件があったろうことを思う。感謝と願いだけでそれらが達成されるほど世界史は甘くないと見るべきだ。東欧諸国や朝鮮半島、ベトナムなどを見れば、73年間の平和は奇跡と言わざるを得ない。その奇跡をもたらした条件や要因に思いを致すべきだろう。そうすれば今後われわれが進むべき針路も自ずから定まるだろう。


   2018・8・11

 ツクツク法師が鳴き出した。油蝉の声を今年は聞かなかった気がする。ヘリコプターの爆音が空に鳴り響くとどうしても昭和60年の日航機の事故を思い出してしまう。またしてもたいへん痛ましい事故が起き言葉がない。


   2018・8・9

 何故、坂口安吾はキリシタンの(迫害の)歴史に興味を持ったのだろうか。芥川の切支丹ものの影響や三好達治の示唆があったにしても、精力的に古い文献を調べ、繰り返し作品化を試みたのはどんな情熱のしからしめたわざだろうか。長崎のキリスト教会の真上にキリスト教国の原爆が落とされて73年になる。これも人間の業であって神のわざではないということか。


   2018・8・6

 例年にない猛暑が続き、いつもの年のように甲子園が始まって、今年もまた原爆の日を迎えた。何故罪とがのない子供も含め、多くの市民が殺傷されなければならず、そのことについて、何ら道義的にも批判追及されないこと、日本人であるかどうかはさておいて、それは人類の思考の歴史において問題になることではないだろうか。ヒトラーの思想、「ガス室の思想」への批判は蓄積と厚みがある。しかし「原爆の思想」への批判はそれに比べてどうか。その思想は批判されないまま世界へと拡散している。思考停止に陥っているいわゆるエリートたちには期待できない。


   2018・7・27

 金子みすゞ展を見て、この「薄幸」の童謡詩人について、今まであまりに漠然としか知らなかったことを省み、歴史に埋もれた詩人を再発掘した矢崎氏の尽力がなければ今日われわれの目に触れることはなかったろうことを思い、その「薄幸」について、遺品となった自作の全ての詩を書きつけた古い手帳(複製)などを見るにつけ、深く思いを致した。


   2018・7・24

 猛暑、酷暑、大暑ー聞くだけで暑そうだが、39度、40度という気温が続くと30度という温度が涼しく感じる。しかし直射日光を受けたアスファルトやコンクリートの上では50度近い所もあるのではないか。正に命の危険に関わる暑さ(熱さ)だ。原則、屋外の運動禁止といいながら、高校野球の県予選が全国的に行われている。選手も応援ももっといいコンディションでやりたいだろう。何とか工夫できないものか。


   2018・7・23

 何故あのような「無謀な」戦争を避けられなかったのか。国民と国土に未曽有の災厄をもたらしながら、国民に対し責任を負っていないため、国民から何ら責任を追及されなかった指導者たち。政府に批判的な意見が封じられ、戦災が自然災害であるかのように論じられる風潮。いつも国民、庶民の方を向いていない官僚。


   2018・7・18

 中軽井沢の内村鑑三を記念する教会を訪れる。無教会主義の内村を記念する教会というのも何だが、平日にもかかわらず、結婚式を挙げる人がいて見学は慌ただしかった。軽井沢は今や外国人と犬を連れた人で溢れている。


    2018・7・16

 尋常でない暑さ。被災地の惨状は目を覆うばかり。人は予期せぬ災害にどこまで備えることができるのか。


   2018・7・10

 高崎シティホールでトン=コープマンのチェンバロを聞く。典雅な響きにしばし外界の喧騒を忘れる。2曲のアンコールの後、CD購入者にサイン会が行われ長い行列ができた。サインは諦め、雷雨の中、家路を急ぐ。


   2018・7・7

 活発な火山、急峻な山、深い谷、急流となって流れ落ちる川、軟弱な低地。日本列島は自然災害に脆い。人間から見れば災害だが、自然の歴史から見れば、造山と浸食と風化の過程だ。扇状地も河岸段丘も沖積平野もそうしてできた。自然への畏敬と怖れが失われるにつれ自然災害に関する知恵や伝承も蔑ろにされてこなかったか。


   2018・7・1

 都会のマンション住まいではわからないだろうが、田舎暮らしでは夏は雑草と虫との戦いだ。雑草という草は本当はないらしいが。そういえば某局の朝ドラでわたらせ渓谷鐵道の駅がロケに使われていたが、冬枯れの背景に蝉の声や夏のドレスはやや季節感がなさすぎる感じがした。ロケに使ってもらえるのはありがたいが。


   2018・6・29

 6月のうちに梅雨が明けた。観測史上最も早いらしい。日中外に出ると熱風に包まれるようだった。そういえば今年は桜が咲くのも散るのも早かった。秋や冬が来るのも早いのだろうか。


   2018・6・23

 どうしてわれわれの社会は幼い小さな命を守れないのだろうか。法律をつくっても、役所が通達を出しても、それで(それだけで)済む問題ではない。われわれ一人ひとりに守ろうとする意志や気持ちがなければ何にもならない。誰かのせいにしたり、見て見ぬ振りをしたり、ごまかしやまやかしはもうやめようではないか。


   2018・6・22

 家の周りの田んぼに水がようやく入って田植えになった。夜暗くなると蛙の大合唱があたり一面を轟かす。朝、外が白み始めてカラスの声がし出すと蛙はパタッと鳴き止む。ゴミの収集日はカラスの声が一段とうるさいようだ。


   2018・6・17

 太田で群響のブラームス、ピアノコンチェルト第2番を聞く。第2楽章の途中で聴衆の携帯から突然、緊急地震速報が一斉に鳴って騒然とする中、ホールもいささか揺れ演奏も止まった。しばらくざわついた後、指揮者の指示のもと、中断したあたりからリハーサルの一場面の如く何事もなかったように演奏が再開され、ピアニストもオーケストラも確固たる音の世界を紡ぎ出した。プロフェッショナルのわざを感じた。


   2018・6・16

 徳冨蘆花「不如帰」が途中読みかけのままだったので、この折にと読みつぐ。明治30年代の言文一致の前の小説なのでいささか読みずらいが、筋が見えてくるとドラマのように興に乗って読み進められる。伊香保が出てくるのは初めだけだが、上州の山河の描写はそれらしく、帝都山手の邸や湘南の保養地、日清戦争の海戦の描写なども美文調にかかわらず興味深い。結核など不治の病いで大事な人を喪うモチーフはその後も連綿と続き「風立ちぬ」などその代表だろう。


   2018・6・15

 痛ましい事件事故が続く。「誰でもよかった」というのはやりきれない。かといって狙い撃ちがいいわけはない。闇討ちも敵討ちもあった時代、自分の身は自分で守るのが当然なサムライの時代がかつてあった。トランプ氏は一方だけ武器や凶器を持っているのは不公平だといった。映画ではないが西部劇の時代に逆戻りだろう。かといって空港の手荷物検査のようなことをあらゆる場所でするのは困難だ。安全安心はただではできない。ホッブズのリアリズムが想起される。


   2018・6・12

 内村鑑三は河上徹太郎の「日本のアウトサイダー」にも(中心的な人物として)出てくるが、安吾や太宰ら無頼派は何故か出てこない。萩原朔太郎も初めの方で出てくるのだが。


   2018・6・10

 雨の中横浜まで行って狂言を見てくる。昼は元町で西洋料理を食す。ついでに山手を散策しキタムラで買い物をする。ちょっとした贅沢だ。  


   2018・6・9

 図書館で正宗白鳥全集を借りて内村鑑三について戦後書いた随想を読む。内村鑑三の評伝はいろいろあるが、白鳥のは自然主義作家らしい自らの「実感」に基づいた装飾なしの人物像が描かれていて興味深い。  


   2018・6・4

 市の図書館で坂口安吾の全集を借りて読む。小説とか随筆とかジャンル別でなく、発表創作の順ー編年体で編集したものとのことで、編集者の一人が柄谷行人だという。安吾論を出しているのでこれも借りて読んでみた。安吾が東洋哲学を学んだことは聞いていたが、フランス文学に親炙していたとは知らなかった。  


   2018・5・5

 旧足尾線、わたらせ渓谷鐵道に乗って足尾まで行き、さびしい町並を歩く。トロッコ列車は満員だった。漱石の「坑夫」が高校以来読みかけのままだったので、この機会にと読み通す。まだるっこしく、今から見ると「差別用語」満載でとても名作とは言えまいが、一種の紀行文としておもしろく読んだ。  


   2018・4・28

 六本木の新国立美術館で印象派展を見て、帝国ホテルの昼食バイキングを食す。青山表参道をぶらつきカフェテラスで一杯千円以上するコーヒーを飲む。典型的なお上りさんツアーだ。


   2018・4・25

 桐生の名物はソースカツ丼とひもかわうどんだという。いつからそうなったのか。昔は普通のうどんとか鰻とか寿司とか聞いたような気がする。  


   2018・4・9

 定年まであと2年というところで桐生に転勤になった。坂口安吾の古い文庫本を引っ張り出して読み返してみた。学生時代の旧友のことを思い出した。  


    ◆更新情報◆

  2018. 2. 4 「掌編小説」を掲載
  2017.11.12 「掌編小説」を掲載
  2015. 8. 29 「掌編小説」を掲載
  2015. 7. 5  「日々の詩」を更新
  2015. 5. 2  「日々の詩」を更新
  2015. 4. 3  「日々の詩」を更新
  2015. 1. 30  「日々の詩」を更新



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