ー今日の読書−
群馬文学全集第五巻萩原朔太郎より

1/1

詩の表現の目的は軍に情調のための情調を表現すること
ではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時に
またある種の思想を宣傳演繹することのためでもない。詩
の本來の目均は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に頭
動する所の感情そのものの本質を凝硯し、かつ感情をさか
んに流露させることである。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理
學である。
すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの
出來ない一種の美感が件ふ。これを詩のにほひといふ。
一人によつては氣韻とか氣稟とかいふ一にほひは詩の主眼
とする陶酔的氣分の要素である。順つてこのにほひの稀薄
な詩は韻文としての憤値のすくないものであつて、言はば
香味を鉄いた酒のやうなものである。かういふ酒を私は好
まない。
詩の表現は素榛なれ、
詩のにほひは芳純でありたい。
私の詩の讃者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や
「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのも
のに感鰯してもらひたいことである。私の心液「かなし
み」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他一言葉や文章では
言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩の
リズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リ
ズムは以心傳心である。そのリズムを無言で感知すること
の出來る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に封して人は容
易にその理由を説明することができる。けれども『どうい
ふ工合にうれしい』といふ問に封しては何人もたやすくそ
の心理を説明することは出來ない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、
同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のもので
あつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと
思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉
は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりで
あろう。

(詩は美しい言葉でつづり、その言葉に酔う。一見これこそ詩という感じはするが、
朔太郎は美しい言葉より真実の言葉を大切にした。というより、詩と音楽が
優先させられる場合もありうると言っているようだ。いずれにしても
人の感情を率直に表現できるのは朔太郎の詩的表現の特質ではないだろうか。)


1/2
中學の校庭
われの中學にありたる日は
艶めく怖熱になやみたリ
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寝ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して熱く帽子に照りぬ。

(この詩を読むと私も校庭で涙滲ませた切ない高校時代を思い出してしまう)

1/3
波宜亭

少年の日は物に感ぜしや
われは波宜亭の二階によりて
かなしき情歓の思ひにしづめり。
その亭の庭にも草木茂み
風ふき渡りてばうばうたれども
かのふるき待たれびとありやなしや。
いにしへの日には鉛筆もて
欄干にさへ記せし名なり。
(意外に鉛筆で書いた字は残っているものである。またその頃の子供らしい拙い字に懐かしさがこみ上げてくるものである。)

1/4
二子山附近
われの悔恨は酢えたり
.さびしく蒲公英の董を噛まんや。
ひとり畝道をあるき
つかれて野中の丘に坐すれば
なにごとの眺望かゆいて消えざるなし。
たちまち遠景を汽車のはしりて
われの心境は動せり。
(朔太郎のさびしさの表現はさすがに巧みである。「われの悔恨は酢えたり」「なにごとの眺望かゆいて消えざるなし」
の表現は朔太郎の独特で何とも言えない青春の挫折と心のさびしさが的確で哀愁に充ち満ちている気がしてならない。)


1/5
才川町
-十二月下旬-

空に光つた山脈
それに白く雪風
このごろは道も悪く
道も雪解けにぬかつてゐる。
わたしの暗い故郷の都會
ならべる町家の家拉のうへに
かの火見櫓をのぞめるごとく
はや松飾りせる軒をこえて
才川町こえて赤城をみる。
この北に向へる場末の窓窓
そは黒く煤にとざせよ
日はや霜にくれて
荷車巷路に多く通る。
(才川町は現在ないそうであるが、朔太郎が見た才川町となると群馬の大詩人がこの地で大正時代の様子を描いたと思うと感極まる所である。)

1/6
小出新道
ここに道路の新開せるは
直として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家並の軒に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。
いかんぞいかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
(暗鬱、伐られたり、叛きて行かざる道に、などの朔太郎の心の噴出する言葉が
私の小さな弱き心にやたら突き刺さる。)



1/6
新前橋騨
野に新しき停車場は建てられたり
とびら
便所の扉風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に彊しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に來りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰まむとして責る店を見ず
ばうばうたる奏の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酢え
心はげしき苦痛にたへずして放に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘡犬のごとくして欄れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の埜は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき歩廊の上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき感情の軋りつつ來るを知れり


1/7
大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣杜の村より直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒蓼たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自転車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
塵のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤濁の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや涙のごときもの浴れ出で
につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑柄なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の平野の空は暮れんとす。
(大渡橋、今も現存する。多分橋の下で、一人苦しき心をいやしていたのだろう。若い頃私も近くの橋の下で、朔太郎のような心情で橋を眺めていたと思う。
ただ、私は朔太郎のようにその感情をそのまま冷静に表現をすることができなかった。やはり朔太郎は日本を代表する詩人の一人だけのことはある。)




1/8
廣瀬川

廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸幅は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼にもとまらず。

(こくな身近な詩ながら、朔太郎の望郷の魂が全部入り込んでいるような気がする。文語体の語調が一層切実に郷愁に駆られてやまない。)

1/9
利根の松原
日曜日の昼わが楡快なる諧謔は草にあふれたり。
芽はまだ萌えざれども
少年の情緒は赤く木の間を焚き
友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。
ああこの追憶の古き林にきて
ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす
いづこぞ憂愁ににたるものきて
ひそかにわれの背中を触れゆく日かな。
いま風景は秋晩くすでに枯れたり
われは焼石を口にあてて
しきりにこの熱する唾のごときものをのまんとす。
(朔太郎としては穏やかな詩で、松原に寝そべって冗談を言い
女友達のいる友達を羨ましがって、淋しく空を眺める、といった
感傷的な若いときありがちな光景が目の前に見えそうだ。)

1/10
公園の椅子
人氣なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば故郷のひとのわれに辛く
かなしきすももの核を噛まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光りて
麦もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲けりわらふ声は野山にみち
苦しみの叫びは心臓を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の土を踏み去れよ。
われは指にするどく研げるナイフをもち
葉櫻のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。
(朔太郎に対し故郷の人はそれほど辛く当たったのであろうか。少なくても感情激しい朔太郎には
冷たく感じたのであろう。人の嘲る声に心臓が破裂する思いで、ナイフで復讐の文字を刻むとは
尋常な心ではなかったのだろう。朔太郎の大きな叫びが聞こえる詩である。)

1/11
帰郷
昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて
故郷に婦る

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔ほは平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の灰暗き車燈の影に
母ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何処の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろヘ
暗澹として長なへに生きるに倦みたり
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は廣野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。
妻と離別し二児を抱へて故郷に婦る男の切々たる心が強烈に伝わってくる。
過去も淋しく未来も望みもなく仕方なく家族のため生きていく哀れな男が
あてもなく故郷へ帰るときー汽車は廣野を走り行き、汽笛は闇に吠え叫び
自然の荒寥たる姿に人の憤怒を烈しく感じるー
この詩は詩の好きでない人にも朔太郎のそのときの哀れな淋しい心が
強く感じるものがあるであろう。
私は好きな朔太郎の詩の中でも最も好きな詩で゜ある。)


1/12
家庭

古き家の中に坐りて
互に駄しつつ語り合へり。
仇敵に非ず
債鬼に非ず
「見よ!われは汝の妻
死ぬるとも尚離れざるべし。」
眼は意地悪しく復讐に燃え憎憎しげに刺し貫ぬく。
古き家の中に坐りて
脱るべき術もあらじかし。
(敵でも鬼でもなく最愛の妻に意地悪く見つめられ旧き時代の家での葛藤は「脱るべき術もあらじかし」全くその通りであろう。)



1/13
鉄橋橋下
人のにくしといふことば
われの哀しといふことば
きのふ始めておぼえけり
この市の人なになれば
われを指さしあざけるか
生れしものはてんねんに
そのさびしさを守るのみ
母のいかりの烈しき日
あやしくさけび哀しみて
鐵橋の下を歩むなり
夕日にそむきわれひとり
(多感な朔太郎にとって、鉄橋の下でたたずんでいると
人の噂と風は厳しく感じたのであろう。
「鐵橋の下を歩むなり  夕日にそむきわれひとり」の表現は
朔太郎の深い悲しみがまさに的確そのものである。)



1/14
春日
恋魚の身こそ哀しけれ、
いちにちいよすにもたれつつ、
ひくくかなづるまんどりん、
夕ぐれどきにかみいづる、
柴草の根はうす甘く、
せんなや出窓の董さへ、
光り光りてたへがたし。
(春の日の長閑さ光りの耀きさが感じ取れる。)


1/15
遠望
さばかり悲しみたまふとや、
わが長く叫べること、
煉瓦の門に入りしこと、
路上に草をかみしこと、
なべてその日を忘れえず、
いはむや君が來し方を指さし、
かの遠望をしたたむる、
あはれ、あはれ、
わが古き街の午後の風見よ。
(遠くの景色を見ているといろいろなことが浮かぶ。
「あはれ、あはれ、わが古き街の午後の風見よ」の表現がこの詩をしき締め格調高くまとめ上げている。)



1/16
利根川の岸辺より
こころにひまなく詠嘆は流れいづ、
その流れいづる日のせきがたく、
やよひも櫻の芽をふくみ、
土によめなはさけびたり。
まひる利根川のほとりを歩めば、
二人歩めばしばなくつぐみ、
つぐみの鳴くに感じたるわが友のしんじつは尚深けれども、
いまもわが身の身うちよりもえいづる、
永日の嘆きはいやさらにときがたし、
まことに故郷の春はさびしく、
ここらへて山際の雪消ゆるを見ず。
我等利根川の岸辺に立てば、
さらさらと洋紙は水にすべり落ち、
いろあかき魚のひとむれ、
しねりつつ友が手に泳ぐを見たり。
(室生犀星氏に)
(「こころにひまなく詠嘆は流れいづ」という表現が素直に流れ響く。
次から次へと川の流れのように前の言葉の韻を踏みながら
淡々と犀星との散歩のようすと故郷の春のさびしさを描いている。)


1/17
幼き妹に、
いもうとよ
そのいぢらしき顔をあげ。
みよ兄は手に水桃をささげもち、
いつさんにきみがかたへにしたひよる、
この東京の日くれどき、
兄の恋魚は青らみてゆきて、
日毎にいたみしたたり、
いまいきもたえだえ、
あい子よ、
ふたり哀しき日のしたに、
ひとしれず草木の種を研ぐとても、
さびしきはげに我等の素脚ならずや。
ああいとけなきおんみよ。
(妹に対する優しさ、愛おしさが切々と伝わってくる。)


1/18
國定忠治の墓
わがこの村に來りし時
上州の蚕すでに終りて
農家みな冬の閾を閉したり
太陽は埃に暗く
棲而たる竹藪の影
人生の貧しき惨苦を感ずるなり。
見よ此処に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無櫛の眠りたる墓は立てり。
ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。
久遠に輪廻を断絶するも
ああかの荒蓼たる、平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び尽くせり。
いかんぞ残生を新たにするも
冬の粛條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。
(朔太郎が国定忠治の墓に来て、このような忠治像に迫る描写しているとは思わなかった。
上州の有名人として何か荒蓼たる、平野の中で吹きさらしにあって、さびしさが募り
ふたり共有なものを感じたのだろうか)


1/19
猫町

ロマン
旅への誘ひが、次第に私の空想から消えて行つた。昔は
ただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他國の町々や
を、イメーヂするだけでも心が躍つた。しかるに過去の経
験は、放が軍なる「同一空間に於ける同一事物の移動」に
すぎないことを教へてくれた。何慮へ行つて見ても、同じ
やうな人問ばかり佳んで居り、同じやうな村や町やで、同
じやうな単調な生活を繰り返して居る。田舎のどこの小さ
な町でも、商人は店先で算盤を弾きながら、終日白つぼい
往來を見て暮して居るし、官吏は役所の中で煙草を吸ひ、
書飯の茱のことなど考へながら、來る日も來る日も同じや
うに味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行
く人生を眺めている。旅へのい誘ひは、私の疲労した心の影
にとある空地に生えた青桐みたいな、無限の退屈した風
景を映像させ、どこでも同一性の方則が反覆してゐる、人
間生活への味氣ない嫌厭を感じさせるばかりになつた。私
はもはや、どんな旅にも興味とロマンスを無くしてしまつ
た。
(朔太郎の数少ない小説のひとつ、やはり慣れてなくぎこちないが、巧みな詩的解釈文章はさすが日本を代表する詩人である。しよう切)
1/20
久しい以前から、私は私白身の燭特な方法による、不思
議な放行ばかりを続けてゐた。その私の旅行といふのは、
人が時空と因果の外に飛翔し得る唯一の瞬問、即ちあの夢
と現實との境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な
世界に遊ぶのである。と言つてしまへば、もはやこの上、
私の秘密に就いて多く語る必要はないであらう。ただ私の
場合は、用具や設備に面倒な手敷がかかり、且つ日本で入
手の困難な阿片の代りに、簡軍な注射や服用ですむモルヒ
ネ、コカインの類を多く用ゐたといふことだけを附記して
おかう。さうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私
の旅行した國々のことについては、此所に詳しく述べる除
裕がない。だがたいていの場合、私は蛙どもの群がつてい
る沼澤地方や、極地に近く、ペンギン鳥の居る沿海地方な
どを徘徊した。それらの夢の景色の中では、すべての色彩
が鮮やかな原色をして、海も、空も、硝子のやうに透明な
眞青だつた。醒めての後にも、私はそのヴイジョンを記憶
して}り、しばしば現実の世界の中で異様の錯覚を起こし
たりした。
(朔太郎の小説の描写は詩より具体的で分かりやすい。
「それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮やかな
原色をして、海も、空も、硝子のやうに透明な眞青だつた。」
と言う表現は特に色彩感も強く鮮やかである。)
1/21
薬物によるかうした旅行は、だが私の健康をひどく害し
私は日々に樵悼し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱
んでしまつた。私は自分の養生に注意し始めた。そして運
動のための散歩の途上で或る日偶然、私の風愛りな放行癖
を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。私は警師
の指定してくれた注意によつて、毎日家から四、五十町
一三十分から一時問位一の附近を散歩してゐた。その日も
やはり何時も通りに、ふだんの散歩厘域を歩いて居た。私
の通る道筋は、いつも同じやうに決まつて居た。だがその
日に限つて、ふと知らない横丁を通り抜けた。そしてすつ
かり道をまちがへ、方角を解らなくしてしまつた。元來私
は、磁石の方角を直賛する感官機能に、何かの著るしい鉄
階をもつた人問である。そのため道のおぼえが悪く、少し
慣れない土地へ行くと、すぐ迷子になつてしまつた。その
上私には、道を歩きながら瞑想に耽る癖があつた。途中で
知人に挨拶されても、少しも知らずに居る私は、時々自分
の家のすぐ近所で迷見になり、人に道をきいて笑はれたり
する。かつて私は、長く佳んで居た家の廻りを、塀に添う
て何十回もぐるぐると廻り歩いたことがあつた。方角観念
の錯誤から、すぐ目の前にある門の入口が、どうしても見
つからなかつたのである。家人は私が、まさしく狐立化か
されたのだと言つた。狐に化かされるといふ状態は、つま
り心理學者のいふ三半規管の疾病であるのだらう。なぜな
ら學者の説によれば、方角を知覚する特殊の機能は、耳の
中にある三半規管の作用だと言ふことだから。
(この辺の文章は詩的作風が入り込んでおり、徘徊している
朔太郎らしい描写が面白く興味を惹く。)

1/22
除事はとにかく、私は道に迷つて困惑しながら、當推量
で見當をつけ、家の方へ帰らうとして道を急いだ。そして
樹木の多い郊外の屋敷町を、幾度かぐるぐる廻つたあとで、
ふと或る賑やかな佳來へ出た。それは全く、私の知らない
何所かの美しい町であつた。街路は清潔に掃除されて、鋪
石がしつとりと露に濡れてゐた。どの商店も小椅麗にさつ
ぱりして、磨いた硝子の飾窓には、様々の珍しい商品が拉
んでゐた。瑚排店の軒には花樹が茂り、町に日蔭のある情
趣を添へてゐた。四つ辻の赤いポストも美しく、煙草屋の
店に居る娘さへも、杏のやうに明るくて可憐であつた。か
つて私は、こんな情趣の深い町を見たことが無かつた。一
鵠こんな町が、東京の何所にあつたのだらう。私は地理を
忘れてしまつた。しかし時間の計算から、それが私の家の
近所であること、徒歩で半時間位しか離れて居ないいつも
の私の散歩区域、もしくはそのすぐ近い範園にあることだ
けは、確實に疑ひなく解つて居た。しかもそんな近いとこ
ろに、今迄少しも人に知れずに、どうし一てこんな町が有っ
たのだらう?
(「しかもそんな近いところに、今迄少しも人に知れずに、
どうし一てこんな町が有ったのだらう?」という一般小説家に
ない、どちらかというと素人感覚の文章が奇異で興味深い)


1/23
容疑者Xの献身
東野圭吾著  文藝春秋刊

午前七時三十五分・石神はいつものようにアパートを出た。三月に入つたとはいえ、まだ風は
かなり冷たい;フラーに鍵を埋める占つにして歩きだした。晋に出る前に、ちらりと自転車
置き場に目を向けた;こには数台並んでいたが、彼が気にかけている緑色の自転車はなかつた。
南に二十メートルほど歩いたところで、太い道路に出た。新大橋通りだ。左に、つまり東へ進
めば江戸川区に向かい・西へ行けば日本橋に出る。日本橋の手前には隅田川があり、それを渡る
のが新大橋だ。
石神の職場へ行くには・このまま真一直ぐ南下するのが最短だ。数百メートル行けば、清澄庭
園という公園に突き当たる;の需にある私立高校が彼の職場だつた。っまり彼は教師だつた。
数学を教えている。
石神は目の前の信号が赤になるのを見て、右に曲がつた。新大橋に向かつて歩いた。向かい風
が彼のコートをはためかせた。
(読点が多く、歯切れの良い文章で場面等が明確に伝わってくる。現代的な文章である。)

1/24
「あの、ゴキブリが……」彼女は思いついたことを口走っていた。
「ゴキブリ?」
「ええ。ゴキブリが出たものですから、その・…-娘と二人で退治しようと-…・それで大騒ぎしち
やったんですL
「殺したんですか」
こわぱ
「えっ……」石神の問いに、靖子は顔を強張らせた。
「ゴキブリは始末したんですか」
「あ……はい。それはもうちゃんと。もう大丈夫です。はい」靖子は何度も頷いた。
「そうですか。もし私で何かお役に立てることがあればいってください」
「ありがとうございます。うるさくして、本当に申し訳ありませんでした」靖子は頭を下げ、ド
アを閉めた。鍵もかけた。石神が自分の部屋に戻り、ドアを閉める音を聞くと、ふう1っと大き
く吐息をついた。思わずその場にしゃがみこんだ。
背後で襖の開く音がした。続いて、おかあさん、と美里が声をかけてきた。
靖子はのろのろと立ち上がった。炬燵の布団の膨らみを見て、改めて絶望を感じた。
「仕方……ないね」彼女はようやくいった。
「どうする?」美里が上目遣いで母親を見つめてくる。
「どうしようもないものね。警察に……電話するよ」
「自首するの?」
「だって、そうするしかないもの。死んじゃった者は、もう生き返らないし」
「自首したら、おかあさんはどうなる?」
「さあねえ……」靖子は髪をかきあげた。頭が乱れていたことに気づいた。

(極秘な行動がいきなり隣人に見破られてしまう。そんな入り方が
興味を惹く。)

1/25
草薙は脩いた。彼のいうとおりだった。彼の自供内容が嘘であることを証明できないかぎり、
流れにストツプはかけられない。警察のシステムとはそういうものだ。
「君にひとつだけいっておきたいことがある」湯川はいった。
なんだ、というように石神が彼を見返した。
「その頭脳を…その素晴らしい頭脳を、そんなことに使わねばならなかったのは・とても残念
だ。非常に悲しい。この世に二人といない、僕の好敵手を水遠に失ったことも」
石神は口を真一文字に結び、目を伏せた。何かに耐えているようだった。
やがて彼は草薙を見上げた。
「彼の話は終わったようです。もういいですか」
草薙は湯川を見た。彼は黙って頷いた。
行こうか、といって草薙はドアを開けた。まず石神が外に出て、湯川がそれに続いた。
湯川を残し、石神だけを留置場に連れていこうとした時だった。通路の角から岸谷が現れた。
さらに彼の後から一人の女がついてきた。
花岡靖子だった。
「どうしたんだ」草薙は岸谷に訊いた。
「それが三、の人から連絡があって、話したいことがあるということなので、それで、たった
今、あの、すごい話を・-…」
「一人で聞いたのか」
(話の流れが川の流れのようにスムーズに流れていると思うと時々大きな石が出てきて
波乱含みな流れになる。その辺が布石となり思わぬ展開に興味を持つことになる。)


1/26
「いえ、班長も一緒でした」
草薙は石神を見た。彼の顔は灰色になっていた。その目は靖子を見つめ、血走っていた。
「どうして、こんなところに……」眩いた。
凍り付いたように動かなかった靖子の顔が、みるみる崩れていった。その両目から涙が溶れて
いた。彼女は石神の前に歩み出ると、突然ひれ伏した。
「ごめんなさい。申し訳ごぎいませんでした。あたしたちのために……あたしなんかのために
……」背中が激しく揺れていた。
「何いってるんだ。あんた、何を……おかしなことを……おかしなことを」石神の口から呪文の
ように声が漏れた。
「あたしたちだけが幸せになるなんて---そんなの無理です。あたしも償います。罰を受けます。
石神さんと一緒に罰を受けます。あたしに出来ることはそれだけです。あなたのために出来るこ
とはそれだけです。ごめんなさい。ごめんなさい」靖子は両手をつき、頭を床にこすりつけた。
石神は首を振りながら後ろに下がった。その顔は苦痛に歪んでいた。
くるりと身体の向きを変えると、彼は両手で頭を抱えた。
ほうこう
うおううおううおう獣の胞嘩のような叫び声を彼はあげた。絶望と混乱の入り交じった悲
鳴でもあった。聞く者すべての心を揺さぶる響きがあった。
警官が駆けつけてきて、彼を取り押さえようとした。
「彼に触るなっ」湯川が彼等の前に立ちはだかった。「せめて、泣かせてやれ……」
(サスペンスでありながら、男と女の不思議な深い情愛を心おきなく表現している。
この辺が東野ファンが急増している要因であろう)

1/27
内藤忍の資産設計塾

∴.資産設計の目的は
「購買力の維持・向上」にある
100万円の預金が100万円のままでも、物価が2倍になれば、そ
れは預金価値が50万円に下落したのと同じことになります。これ
がインフレです。インフレになると「名目」元本は減らなくても
「実質」元本は目減りするのです。つまり購買力が落ちるわけで
すから、買えるモノが減ってしまうことになります・
日本国内ではここ数年、デフレがキーワードでした。デフレは
インフレの反対で、モノの値段が下がっていく状態です。ユニク
ロ、ファストフード業界といった新しい企業や業態が、価格破壊
によってデフレの象徴になりました。確かに過去においてモノの
値段が下がってきたのは事実ですが、問題はこれからです。
中国などでの需要拡大に伴う原油価格や商晶価格の上昇によ
り、原料など未加」1産物である第・一次産品の価格が急騰していま
す。H本の消費者物価への影響はまだ明確には見られませんが、
物価.ト昇率は今までのマイナス基調からほ樹黄ばいに変わりつつ
あります
(この手の本は極めて分かりやすし、実用的である。f)

1/28
1外貨運用もrやらないリスク」がある
「円高になると為替差損から元本がマイナスになる可能性があ
る」との理由で敬遠する人が多いのが、外貨預金などによる「外
貨運用」です。外貨運用に使うべき商品の選択方法についてはポ
イント9(P.52)で取り上げますが、実は、外貨運用は「やるの
がリスク」ではなく「やらないのがリスク」です。その理由を脱
明します。
資源に乏しい日本は貿易立国です。原油、食料品、答種の第・
次産品などを輸入し、工業製品を輸出しています。ところがH本
の食料白給率(2002年度)は何と40%弱に過ぎません。つまり毎
日食べている食品の60%は輸入品なのです。それらの輸入品は、
すべてとは言いませんが外貨に連動して価格が変動するのです。
ヨーロッパのブランド品がユー口高で値上がりするのを見ればわ
かりやすいと思います。
円安になることを考えてみましょう。例えば1ドル=100円の
時に輸入して売っていたモノの値段は、1ドル=200円になると2
倍に値上がりします。これが円安による輸入インフレです。円安
になると日本人の外貨のリスクは、実は円高リスクではなく円安
リスクなのです。そしてそれは外貨資産を持たないことによって
発生するリスクなのです

(外貨運用は「やるのがリスク」ではなく「やらないのがリスク」です
という言葉が面白い。一般的には逆の考えが多い。
リスクを考えないと利率0、外貨投資をすると100万円投資して
月5000円も利息がつく。もうすこし日本の人たちはリスクに関して
真剣に考えた方がよい。)

1/29
1いつまでにいくら必要かを決める
いくら必要かという「目標金額」と、いつまでに必要かという
「目標期日」の設定がないと、これからの資産設計の具体的プラ
ンも立てられません。つまり資産設計で一番重要なことは、
<1〉人生の夢・目標をはっきりさせる

<2〉今の資産がいくらあるかを把握し、「いつまでにいく
ら」必要かを計算する

<3〉それを実現する具体的運用方法を考える

という3つのプロセスを白分で考えてみることです。
人生の夢・目標の見つけ方は資産設計の範囲を超えたテーマで
す。しかしそれを明確にしないと「いつまでにいくら」必要かを八
体化することができません。その金額と期問が決まってはじめて、
戦略的な運川方法を決定することができるのです
このプロセスの具体的な方法は第3章で詳しく説明します。ま
灘ずは人生の夢・[標をはっきりさせるということ・そのためのi伐
略をbてることによって、今までとまったく異なる運用方法がH∫
能になるということを知っておいてください

(投資に関してはこんないい本はないだろう。
この人の言うとおりにしていれば絶対間違いないと思う。)



1/30
恋愛と投資
突然ですが、恋愛と投資は似ていると
ころがあると思います。例えば株式投資
に失敗する3つの理由として、感情に涜
されてしまう、他人のカモにされてしま
う、リスクを取り週ぎて続けられなくな
ってしまう、といったものがあります。
これは恋愛にも当てはまることではない
でしようか。
人の相手に人生を棒げてしまうと失恋し
た時の痛手は計り知れない。二股、三股
はお奨めできませんが、リスク管理が重
要なのは恋愛も同じです。
こうやって書いてみるとドライな考え
方だと思われるかもしれませんが、恋愛
は熱い想いの中にクールな視点を共存さ
せることが重要だと思うのです。
1惚れ週ぎると自分を見失い
恋愛も感情に流され過ぎてはいけませ
ん。株式の銘柄に惚れて、そればかり追
いかけて投資すると失敗するように、恋
愛でも相手に惚れることはあっても相手
に溺れてはいけないのでず。常に目分の
感情をコントロールし冷静に考えること
が必要です。
恋愛の世界でもカモにされてしまう人
がいます。相手にもてあそばれてしまう
「都台のいい女」「便利な男」です。投資
の世界では勉強しなければカモになって
しまうのと同様、恋愛の世界でもカモに
ならないためには目分を磨くしかありま
せん。
(面白い。恋愛と投資の共通点を見いだし、なるほどと思わせるところは心憎い。)



1/31
リスクを忘れない平常心
そしてリスクを取り過ぎてはいけな
い、というのも恋愛の世界でも同じです。
投資に分散が必要なように、恋愛でも1
しかし一方で、恋愛と投資は似ている
けれど違うところがあります。それは恋
愛は理想を求めて、その理想の人と巡り
逢うまでは誰とも付き含わない、という
選択はあり得ますが、投資は完全な金融
商品が存在しないとしても、何も投資し
ないでただ漫然と時を週こすというわけ
にはいかないという慮でず。
完全な投資商品が無いから投資をしな
いで元本保証商品だけに置いておく、と
いうのは「投資をしないリスク」
(P.24)を取ることになってしまいま
す。それぞれの商品の長所・短所を理解
した上で資産全体をできるだけ理想の投
資に近づけるという妥協が必要です。恋
愛の世界には妥協は禁物です。本当に自
分が納得できる相手を最後に】人だけ選
ぶ…。
恋愛と投資は似ているようで違う部分
もあるのです。
(どんなものでもリスクがある。日本人はリスクを
怖がりすぎると思う。リスクに向かえば向かうほど
リスクが遠のく気がしてならない。)




2/1
笠智衆
まるで生き仏みたいな役者
やまだようじ
山田洋次(映画監督)

あれは、『夢』が完成した後の黒澤明
ざんの誕生日のお祝い会でのことだった
と思う。その会場に笠さんが来られてい
ると聞いたので、控え室に挨拶にうかが
うと、笠さんは私の顔を見るなり、居住
まいを正して真顔でこうおっしゃった。
「山田さんにかねがねお願いしたいこと
がございました。私の役は出番が少ない
ので、山田さんがいつか忘れてしまうの
では荏いかと気が気でありません。どう
ぞ、(『男はつらいよ』の)脚本をお書き
になる際は私の役もお忘れなく」
こんなこともあった。ロケーシヨン先
のか店で上等荏ステーキを出してくださ
った。笠さんはそれを食べながら「あ
あ、何年ぶりでしょうか。こんなおいし
い。お肉をいただくのは」と言われるの
だ。・僕は健康上の理由で控えておられる
のかと思って、「お医者さんに禁じられ
ているのですか」と訊いた。だが、返っ
てきた答えは、「いえいえ、私のような
つまらない役者はこんな上等なものはい
ただいちゃいけないんです」というもの
で一僕は驚いたものだ。世界的な名声が
あるにもかかわらず、どこまでも謙虚な
人だった。
(だからこそ、笠智衆である。その控えめこそが
いぶし銀の持ち味で感動させられるのである。)


2/2
岡本太郎
「ついにビカソを越えた」の自負
いけだたつお
池田龍雄(画家)

何か新しい芸術の研究会が開かれてい
る、友人からそう聞いて、東大赤門の前
にあった喜福寺を訪れると、そこが「ア
ヴァンギャルド芸術研究会」で、花田清
輝の横に座っていたのが、当時三十代の
岡本太郎だった。その半年前、銀座三越
で開催された二科展で偶然彼の絵を認
め、けばけばしく荒っぽい色彩に激しい
衝撃を受けた覚えがあった。
ミ,えながら太
郎さんはまくし立てていた。歯切れのい
い言葉がポンポン飛び出す。その頃か
ら、太郎さんは、合理と非合理、美と醜
など、相反する両極にあるもの、その双
方に足を踏ん張って生きていくという
「対極主義」を唱えていた。太郎さんの
弁舌は八方破れで矛盾に満ちていたが、
言い方に妙な説得力があり、反発しなが
らもつい引き込まれてしまう。
それから、上野毛にある太郎さんのア
トリエに出入りするようになったが、当
時の生活はつつましいものだった。まだサ
ントリーの角瓶が高級品で、小さなカッ・
トグラスで飲むのが通例だった。その酒
をつぐときにこぼすと勿体ないので、酔
った私たちには瓶を触らせなかったこと
を覚えている。太郎さんのまわりは活気
があり、楽しかった。一般の常識、良識
であろうと因循姑息なものには猛然と噛
み付き、歯に衣を着せぬ発言をするが、
その天衣無縫にも見える無邪気さのおか、
げで、誰からも嫌われたり憎まれたりし
なかった。
(太郎さんらしさがうまく表現されている。
というより、誰が書いても特徴ある人なので
上手に捉えることができのかもしれない。)

2/3
大山康晴
〃鉄人名人〃が震えた瞬間
かわぐちとしひこ
河口俊彦(将棋棋士)

大山康晴の途方もない強さは、なによ
りもその数字にあらわれている。生涯勝
敗(一四三三勝七八一敗)、タイトル獲得
と優勝回数(獲得期八十)、名人位通算
十八期など、大山が残したものは不滅の
大記録ばかリ。まったく、二れほど長
く、多く勝った棋士はいなかった。
私が将棋界に入ったのは昭和二十七年
で、奇しくも二十九歳の大山が木村義雄
を破って名人になった年だった。以来四
十年あまりにわたって、勝負の場での大
山の姿を観つづけることになった。
名人になったころの大山は、気さくで
明るい人柄だった。それが三十をすぎた
ころから、年々人間が厳しくなっていっ
た。異常なほどプライドが高く、普段の
生活からすきを見せなかった。勝負は盤
上の指し方だけでなく、・人間の総合力で
勝つものだと悟ったようである。
大山全盛期のタイトル戦で、記録係だ
った生意気盛りの私は、局後の感想戦で
口を出し、変化手順を言った。大山はそ
れを盤上に並べ、「これ誰が言ったの?」
と私を見た。「芹沢(博文)八段です」
と答えると、「それじゃ、この手はダメ
だよ」とはきすてるように言った。自分
の後ろに芹沢が立っているのを知ってい
て、そう言ったのである。

(不敵な人である。後ろに立っている人に
苦言を呈する大山さんは将棋も相手を
見る目も超名人級であると思う。)

2/4
開高健
「同甘同苦」の大きな貼り紙
谷口博之

膨大な知識と鋭い筆先。旺盛な冒険心
と細やかな心遣い。明高偉は昭和を代表
する作家にして、誰からも愛された器■
人だった、世界各地の夫魚を求めて旅を
燥り返し、一違の「オーパ!」シリーズ
を書き残したが、谷口氏はその旅の同行
料理人として長年行動を共にした。開高
氏は谷口氏を「教授」と乎ぴ、その料理
の腕を賞賛してやまなかった。
晩年のことですけど、先生から度々お
電話をいただきました。とぼけた口調で
「よれよれの開高です」とかかってくる
から、うちの子どもたちは「よれよれさ
から電話だよ」と取り次ぐんです。ー略ー
二人でいるときははやはり料理に関する
話が多かったです
ね。古今東西のあらゆる食材に通じてい
るのはもちろん、想像力が本当にたくま
しくて……。たとえば、初めてアラスカ
のべiリング海にオヒョウを釣りに行っ
たとき、オヒョウは大柄で動きが鈍く、
たえず海の底でじっとしているから「身
は引き締まっていないはずや。大味やか
ら寿司、刺身はあかんやろ」って。実
際、釣り上げて調理してみたらその通り
なんです。水分が多くてすぐに歯ごたえ
がなくなる。感想は正直で、「こら、あ
かんな」という具合でした。
(魚好きなおおらかな開高健が偲ばれる)


武田鏡村著「般若心経」 日本文芸社刊“.........

2/5
お釈迦様の出家と悟り

万物が「空」であるという仏教の悟りと中道の教え
お釈迦さまは紀元前四六三⊥二八三年頃、イ
ンドの釈迦族の太子に生まれた。生まれ落ちた
ときに、七歩歩んで、右手で天を指さし、左手
で大地をさして、「天上天下、唯我独尊」と語っ
たという。これは聖者の出現を称える伝説であ
るが、長じると悩みの多い若者となった。
お釈迦さまは、人間はなぜ、老・病・死とい
う、生まれてきたものの、すべてが等しく苦し
みを絡験しなければならないのか、という問題
に悩んだ。この悩みを解決するために、妻子と
分かれて出家した。二十九歳のときである。
はじめは身心を統一して瞑想に専念する修行
に励み、「ものにとらわれない境地一無所有処一」
と「思うことにも、想わないことにも、とらわ
れない境地一非想非非想処一」に達した。だが、そ
れは想念のことであることから、やがて苫行
の修行に身を投じた。
お釈迦さまは、断食と坐禅の修行に励んだ。
六年の苦行の末に、快楽と苦行はいずれも両極
端にとらわれた生き方である。また物質や現象
は実体のないもので、それにとらわれていては
生老病死をはじめとする、もろもろの悩みや苦
しみの解決にはならない。
いずれにもとらわれない「中道」の生き方と、
万物が「空」であることを知ることで、迷いの
世界から悟りの世界に到ることができることを
悟ったのである。三十五歳のときである。
以来、お釈迦さまは自らが得た悟りを人びと
に教え広めた。そのため、お釈迦さまは、釈迦
牟尼世尊一釈尊一、釈迦牟尼仏とも、覚った人を表
わす仏陀一雲窒迂とも呼ばれて尊敬されたので
ある。
(お釈迦様の偉さが未だ分からないので、この本を
じっくり読んで良さを吸収していきたい)

2/6
お釈迦さまの悟りの世界

仏教の教えを説いたお釈迦さまは、「人間の真
実」「世の中の真実」について深く悩んだ末に悟
りを開いた。
それは何かというと、私たちもそうであるが、
「人間とは何か」「真実とは何か」などの根本的
な問題を考えることなく生きているが、いった
ん病気や失恋、死の恐怖に直面すると、それを
真剣に考えざるを得なくなる。
お釈迦さまも一人の人間として、これらの問
題に苦しみながら、ついに四諦という四つの真
実をつかんだのである。
お釈迦さまは、人間と世の中の真実は、苦諦・集
諦・減諦・遵諦の四諦一四っの真実一にあると悟った。
苦諦とは、この世や人生は「苦」であり、人
間は苫しみに満ちた存在である。この「苦」は
乍苔病死というものに築約されているが、こう
した「苦」を克服するためには、「苦」となる原
因を考えることである。
それが集諦である。この世と人間が苦である
のは、私たちの物事にたいする妄執や執着、あ
るいは私たちがかかえている煩悩や無智といっ
たことが原因である。
これらの原因を滅することが、滅諦である。
では、どうすれば苦の根本原因を滅することが
できるのか。
その実践的な方法を説いたのが、道諦である。
この道諦には、八正道という八つの苦を取り除
く方法が示されている
『般若心経」にある「無苦集滅道」とは、これ
らのことを指している。ここに「無」とあるの
は、苦しみが無いということで、その原因を取
り去ることができることを、示しているのである.
(難しい言葉があって理解しづらい面もあるが、
「人間とは何か」「真実とは何か」と追求した姿は
はっきり捉えられる)

2/7
八正道と「空」の真実
この世の真実の姿をとらえ、悟りにいたる八つの道

八正道とは、悟りにいたる八つの道のことで
ある。この道は「般若」と同義で、真実の悟り
の智慧となるものである。

@正見-縁起・無常・無我などの正しい道
理を見る。
A正思-正しく思考する。
B正語-正しい言葉を使う。
C正業-正しい行為をする。
D正命-正しい生活をする。
E正精進-正しく努力する。
F正念-正しく念じる。
G正定-正しく心を統一する。
八正道は、いずれも「正しい」ことが前提にな
っているが、では「正しい」とは何であろうか。
それは、省、行無常、諦法無我、浬繁寂静の
《色即是空》
三法印といわれる、この世の真実の姿をとらえ
ることである。ちなみに、一切皆空を加えて四
法印とも呼ぶ。
まず、この世のあらゆる存在と現象は、つね
に生成死滅の変化をくり返していることが、諸
行無常である。それはなぜかというと、存在や
現象一色一には永遠に固定された実体という「我」
のない状態一空一、諸法無我であるからだ。
ところが、この世が無常で無我であることに
気づかずに執着するから、一切が苦として迫っ
てくる。だが、一切が無常であり、無我である
という真実に立てば、一切一色一が空であると観
じ、真実の悟りの境地の浬梁寂静にいたること
ができるのである。
これが『般若心経」で説く根本的なところで
ある、

(正しいとはこの世の真実の姿という。
八正道を全うすることは我々凡人が
なせる技ではないが、少しでも
正しさを認識して実行する意思が
必要と思う。)

2/8
あらゆるものは空である
色即是空
この「色即是空」と、それに続く「空即是色」
の対句は、まことに深遠な真理を示している。
弘法大師空海は、
「色をはらむものは空なり」と説き、また、
「色牢本より不二一一体のこと一なり」
ともいっている。
色一物質・事物・現象一と「空」は、表裏一体で
あるということである。
この「色即是空」を、「いろごとは空しい」と
か、「物欲は空しいものだ」と解釈する人もいる。
それは必ずしも間違ってはいない。
なぜなら、性欲も物欲も、その対象となるも
のは、すべて実体のない「空」なのだからだ。
目の前にどんなに素敵な人がいても、大金が
あったとしても、それは実体のないもの、ある
いばなくなっていくものだからである。
どんなに美しい人でも、やがて老いて亡くな
り、どんなお金持ちでも、あの世にお金を持っ
ていくことはできない。
すべては「諸行無常」であり、「諸法無我」で
ある。あせることも、怒ることも、こだわるこ
ともない。ただ、この世のあり方の真実を知る
ことである。
諸行無常とは、すべての行いは虚しいという
ことではなく、この世のありとあらゆる存在と
現象は、つねに生成と死滅という変化を繰り返
しているということである。
それはなぜかといえば、それぞれの存在や現
象には、永遠に固定された実体というものがな
いからである。
つまり、実体という「我」のない状態、すな
わち諸法無我であるからである.、
(般若心経で私が一番印象深い言葉が
「色即是空」である。色ごと、物欲を含めて
この世の中は全てむなしいものである、
ということが実感として捉えられるような気がする。)


2/9
聖徳太子の「和」と「般若心経」
太子の三つの義疏には『般若心経』の影響がある
一玄装三蔵がインドから持ち帰った多くの経典
のうち、『般若心経』の翻訳ができたのは唐代の
六四九年である。
それ以降、『般若心経』は中国で広く普及する
が、それが口本にいつもたらされたのかは不明
である。
しかし、すでに五〇年ほど前、聖徳太子が活
躍する時代には、梵語の写本が法隆寺にあった
ようで、また鳩羅摩什の訳したものが日本には
伝わっていたようである。
梵語の写本は、六〇七年に中国に派遣された
遣随使の小野妹子がもたらしたというが定かで
はない。聖徳太子が『般若心経』に触れたのは、
おそらく鳩羅摩什訳のものであろうか。
聖徳太子は仏教の教えをもって、日本の国の
あり方の基本にすえようとした。太子は『十七
条憲法』の第二条で、
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧なり」と
仏教の普及をはかっている。
また、自らも『勝髪■経義疏』『維摩経義疏」
『法華経義疏』という一二つの経典の注釈書を書い
たとされている。
この三つの義疏の中には『般若心経』をふま
えたものがある。太子は般若の智慧の教えをう
けていたのであろう。
太子はよく「世間虚仮、唯仏是真」と語って
いたといわれる。世のあり方を「空」と見て、
仏の悟りの境地のみが真実であるというもので
ある。
仏教にひたすらやわりぎとうとなり
慈悲心の表現としての「和をもって貴しと為す」
『十七条憲法』第一条)が示されたのである。
(やはり、世のあり方を「空」と見て、
仏の悟りの境地のみが真実であるというもので
ある、ということが仏教の根底にあるものだろう。)


2/10
空海と「般若心経」と密教
『般若心経』を密教の根本経典とした空海
聖徳太子の後も『般若心経』は、仏教の根幹
として受け人れられ、奈良時代の仏教を総称す
る南都六宗では、『法華経』『仁王経」などとと
もに国を守る経典とされたのである。
やがて中国で密教の奥義を学んだ空海が登場
して、『般若心経」に密教的な生命を注ぎ込むこ
とになる。
密教は、いま生きているこの身そのままで仏
となるという即身成仏を説いている。これは
『般若心経』が説き示すものと同じである。空海
は『般若心経」を仏教の原点となる経典とし、
さらに即身成仏となる経文としたのである。
空海は『般若心経秘鍵』という偶頒一経典を称
える詩一の中で、人間は即身成仏できる身である
ことを『般若心経』で説かれていることから示
している。
「それ仏法、遥かにに非ず、心中にして、すな
わち近し……迷悟、我にあれば、すなわち発心
すれば、すなわち到る」
また『般若心経』の功徳を、
「この甘露を濯いで、迷者を霜す。同じく無明
を断じて魔軍を破せん」
この経文で説かれる真実の世界は、甘露とな
って迷う人びとを救い、無明の悪鬼を打ち破る
ものであると説いている。
空海は密教を仏教の最高の法であるとし、『般
若心経』を密教の根本経典としたのである。こ
の空海の教えは、のちに真言密教の教学の基本
となり、さらに一般にも厄災を払うお経として
普及した。弘法大師空海の遺徳をめぐる四国八
十八力所の巡礼では、『般若心経」が読まれてい
る。
(仏教の力では厄災を払うことができるのだろう。
その力がお経や空海にはあるのたろう。
その時代にはそれだけのせっぱ詰まったものがあったのだろう。)


2/11

厄災を払う「般若心経」の流行

怨霊の崇りを鎮めるために読まれ、
お守りの護符としても流行した
『般若心経』の霊験に対する信仰は、早くから
普及したようで、平安時代の初期には病気にな
った平城天皇が『般若経』の講説をうけて快癒
したという。
さらに疫病や天災は、怨霊の崇りとされて、
それを鎮めるために『般若心経」が読まれたり、
お守りの護符として流行していったようである。
『今昔物語』には、病気の平癒などの『般若心経」
の霊験的な奇跡語が収められている。また『日
本霊異記』には、美声で『般若心経』を詠んで
いた女性が亡くなって地獄にいったが、その美
声のために生き返ることができたという話をの
せている。この話は、『般若心経』の読経は、人
を地獄から救うと人びとの間に広まっていたこ
とを示している。
のちになると『般若心経』の功徳は修験道や
民衆にも取り入れられて、『心経奉讃文」が唱え
られるようになる。
「そもそも般若心経と中し奉る御経は、文字の
数二百六十余文字にして……一切経より選び出
されたる貴き御経なれば、神前にては宝の御経、
仏前にては花の御経なり。まして家のため、人
のためには祈祷の御経なれば、声高々と読み上
れば……諸天善神大谷族に到るまで、哀懸納
受して、我等の所願を成就せしめ給うべし。謹
んで読諦し奉る」
『般若心経』は、一切のお経の中から選び出さ
れた最も貴いものであり、それを読めば、一切
の神仏が、その願いをかなえてくれるものであ
る、と断言している。
あらゆる経典の中の最高のお経として、『般若
心経』は民衆に受け入れられたのである。
(長い間、般若心経民衆の心から離れないのは
『般若心経』は、一切のお経の中から選び出さ
れた最も貴いものであり、それを読めば、一切
の神仏が、その願いをかなえてくれるものであ
る、という認識が浸透しているからであろう。)

2/12
良寛禅師の無所有の生き方と一般若心経一
含修行寺・岡山円通寺の石塔や漢詩に綴られた『般若心経』のこころ

経文を石や石板に書きつけることは、中国で
は古くから行なわれていた。経文を永久に残す
と同時に、その功徳に授かろうというものであ
る。
江戸時代の曹洞宗の禅僧・良寛が修行した岡
山県の玉島の円通寺には、「石書般若塔」が残っ
ている。この石塔は、良寛の師匠となる国仙が
発願したもので、『大般若経」六百巻、字数千万
字を一字ずつ碁石大の小石に書いて、塔下に埋
めたものである。
円通寺には、ほかに「石書法華経塔」もある
が、これは良寛が修行する前のものである。国
仙が勧めた「石書般若塔」には、おそらく良寛
が書いた文字も多くあると思われる。
良寛には、直接『般若心経』にふれたものは
残っていないが、その教えをふまえたものが漢
詩に綴られている。
「誰か謂う、名は実の賓と、この言、古より伝
う。唯、名の実に非るを知るも、実の根なきを
かえoしたがすへから五すか
省みず。名実は相関せず、縁に随って、須く白
ら怜るべし」
名は、その表わす対象そのものではなく、そ
の対象となるものも実体のないものである。名
と実質とは互いにかかわりがないことを、それ
ぞれの縁に従って悟ることである、と『般若心
経』の「空」の思想に立脚して説いている。
また経文については、
「古仏の教法を留めしは、人をして白ら知らし
めんが為なり。もし人、自ら知了せば、古仏も
何の施すところぞ一略一」
良寛は、白隠と同じように、白らの仏心を知る
こと、そのための経文であることを示している。

(良寛は「般若心経」を行動によって示した
素晴らしいお坊さんだったようだ。)

2/13

文藝春秋
日本の常識44
【熟年離婚】
いけうちみ
池内ひろ美
(「東京家族ラポ」主宰)

熟年の妻から申し出る離婚をひと言で
表すなら「貧乏がイヤか、夫がイヤか選
ぺ」という究極の選択だった。熟年離婚
をすることによって妻は家を出て行かな
けれぱならず・、厚生年金はその全額が別
れた夫のもとに入り、専業主婦だった妻
には基礎年金のみ。したがって、熟年離
婚が表す意味は、生活レペルの低下であ
り、経済苦と再就職の困難、生活保護と
の背史回わせである。ときには、数十年
前に出た実家に出戻りお荷物となること
ですらあった。だからこそ彼女たちは我
慢に我慢を重ね、夫が死ぬのを待ち追族
年金を当てにするしかなかったのであ
る。
ところが風向きが一気に変わったかに
思えたのは昨年のことだ。
昨年放映のテレビ朝日『熟年離婚』
は、定年退職を迎えた夫に妻が離婚宣告
をするドラマで最高視聴率21・4パーセ
ントを数え、木曜ドラマ枠でも歴代一位
の平均視聴率19・2パーセントを記録す
る犬ヒツトとなヶた。その背景には、熟
年の妻たちが夫を棄てるヒ回イン松坂慶
子に我が身を投影して視聴したことがあ
る。
「私も解放されたいんです」
このセリフに共感したのが彼女たち
だ。そして迎える二〇〇七年。今までの
人生の恨みを晴らすかのごとく、そのと
きから熟年離婚の嵐が吹くだろう。
世間ではドラマの影響で熟年離婚が市
民権を得たとされているが、離婚相談を
行う現場では、それは〇一年から始まっ
ていた。〇一年は厚生労働省が厚生年金
の分割制度の検討などを始めた年であ
り、妻たちはそのときから密かに勉強し
,準備を始めていたのである。〇七年四月
一回から施行される年金受給権分割を首
を長くして待つ妻たちは想像以上に多
い。その証拠に、それまで増加を続けて
きた結婚二十年以上の熟年層の離婚件数
が、〇二年をビークとして一気に減少に
転じている。今は〇七年を待つ、息の前
の静けさだといえる。
(このところ、男の立場が弱くなってきたようである。やはり、それに対するには、
男は自分のビジョンを持ち、たとえ独りでも堂々とやっていけるそぶりがあれば、
女性も突いて来るであろう。)


2/14
「民営化」
東谷暁
(ジャiナリスト)
目本の常饒44

民営化は世界的な流れだと論じる人は
多い。だから、日本も遅れてはならない
というわけだ。しかし、まず「民営化」
とは何を意味しているのか。また、どれ
くらい「世界的」なのか。そして、本当
に「流れ」なのか。
たとえぱ、道路公団民営化でも郵政民
営化でも、民営化とは所有移転つまり株
式上場のことだと信じて疑わなかった人
は多い。しかし、株式を完全売却すると
いう民営化など、サッチャー政権の昔は
ともかく、もはや先進国では次第に行わ
れなくなっている。
英国では戦後、労働党政権が力を持っ
たこともあり、つぎつぎと公益事業を国
営化していった。これは日本が戦時体制
から脱して電力などを民営化していった
のと好対照をなしていた。サッチャー政
権が株式上場の民営化を目指したのは、
その反動にほかならない。
しかも、この手法には大きな弊害があ
った。一つは、公営巨大独占を単に民営
化しても私営巨犬独占が誕生するにすぎ
なかったこと。もう一つは、株式売却額
が事業体の価値を上まわらず、国家の資
産を安く叩き売る緒果となったことだ。
やがて、芙国人も懲猛から醒めて、メジ
ャー政櫓ではPFI(民間資金活用)が
導入され、プレア政権ではPPP(官民
協働)という視点から、民営化が見直さ
れるようになった。公益事業を活性化す
る手法は、何も株式上場だけではないの
である。
(民営化への動きは強いようであるが、其れを成功に導くには
徹底した会社献身主義であると思う。命をかけるぐらいでないと
名前が変わっただけで中身が変わらないことになる。)


2/15
【首都直下型地震】
かまたひろき
鎌田浩毅
(京都大学教授)

しゅとちょっかがたじしん“ある目突
然、都心の直下で発生し、壌滅的な被害
をもたらす大地8のことをいう。発生掲
所が狡りきれず、予知がたいへん甦し
い。
首都圏の周辺には、プレートと呼ばれ
る岩盤が四枚もひしめいている。このプ
レートの内部が割れたり、プレートとプ
レートの境界が一気に滑ることで様々な
地震が発生する。これに加えて地下には
未知の活断層が隠れている。これらが一
気に岩盤を割り、震度六を超えるような
大揺れを起こすのだ。
国の中央防災会議は具体的に地震を想
定し被害を予想している。たとえば、東
京湾北部地蟹は、地震の規模を表すマグ
ニチュド(M)で七二三の大きさをも
つ。この地震が起きると、湾岸を中心に
首都東部の下町が震度六強の揺れに見舞
われ、次のような甚大な被害が生じる。
!死者数.最大一万一千人、けが人
数.最大二十一万人、全壌および焼失す
る家屋の数人十五万棟、帰宅困難者・
六百五十万人、総被害額・百十二兆円。
まさに一九九五年に起きた阪神・淡路
大震災を超える被害が発生するのだ。
この他、東京西部にある立川断層帯の
引き起こす地震(M七ニニ)を筆頭に、
都心東部直下地震、都心西部直下地震、
さいたま市直下地震、横浜市直下地震
(いずれもM六・九)など十八パターンの
地震が惨事をもたらすと想定されてい
る。
首都直下型地震は、今後三十年間に七
〇パーセントという高い確率で起きる。
しかし、その圓時を前もって予知するの
は、現在の地震学では全く不可能であ
る。必ず不意打ちに遭うことを覚悟しな
ければならず、まさに回シアン・ルーレ
ットの状況にあるのだ。
(「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉が重みを増してくる。
真剣に首都直下型地震に備えあらゆる体制を敷くべきである。
少人化対策の失敗を繰り返さず、大切な問題は長い時間
真剣に取り組まないと成果が期待できない。)



2/16
地上デジタル
上杉隆

地上デジタル放送(地デジ)への完全
移行日(二〇一一年七月二十五日)がい
よいよ見えてきた。昨年末からは、電器
店や家電量販店などの商品テレビは、地
デジ対応か否かのステッカーを貼った上
での販売が推奨されている。高画質、高一
音質、データ通信双方向性を調い、NH
K、民放を問わず、テレビ各局は盛んに
地デジの効用を宣伝している。バラ色の
新技術ど調われる「地デジ」-、だが
その本質が語られることは少ない。
もともとは一九九七年、旧郵政省が設
置した「地上デジタル放送懇談会」で、
この巨大利権構想はスタートした。地デ
ジ構想を敢えて「利権」と呼んだのには
理由がある。ひとつには、不況から抜け
出せない日本経済への景気浮揚のための
起爆剤として、ふたつめには、国費四百
億円を投入した上に頓挫したアナログ・
ハイビジョン放送の穴埋めとして、政府
は地デジ計画を「国策」と位置づけ、推
策に関しては、翌九八年、懇談会が提出
した報告書に動かぬ証拠が残っている。
「地上デジタル放送の導入によって、今
後十年間に投資・売上七十六兆円、経済
波及効果二百十二兆円、層用誘発効果七
百十一万人が見込まれる:…・」
また約四百億円の国費を投入してまで
推進したアナログ・ハイビジョンの失敗
は、不況で苦しむメーカー各社に打撃を
与えた。各メーカーが、開発費や試験放
送用の高額なハイビジョンテレビを無償
で提供したが、結局それらは海外のデジ
タル方式との規格競争で敗れ、無用の長
物となったからだ。その補填の意味合い
もあり、政府.自民党には新たな「公共
事業」が必要だった。
そこで小渕内閣、森内閣と引き継がれ
た「IT政策」の中で目をつけられたの
が地デジだった。なぜ地デジに期待がか
けられたのか。その答えは、地デジ導入
という国策で潤う業界を、ひどつずつ検
証していけば明らかになる。
(一般国民がいい画像が見られ、テレビ関係業者が
潤えばいいことであるが、イマイチ国民に理解が浸透しない。
もっと期間を短縮して切実感を持たせることも必要ではないか。)


2/17
政冷経涼
上村幸治
しかし、〇五年十月には小泉首相が靖
国神社を参拝し、もはや小泉内閣での日
中関係改善は不可能となった。
、するど翌十一月、買慶林・全国政治協
商会議主席は、圓中友好協会の平山郁夫
会長に対し「日中関係は『政冷経熱』状
態だが、『政冷経冷』(政治も経済も冷た
い咀閑係)になる可能性がある」と述べ・
対目牽制を強めた。
さらに翌月、中国国営の新華社通信
は、小泉首相の靖国参拝で日中関係は厳
冬期にあると指摘し「政冷経熱」の関係
が、すでに「政冷経涼」(政治は冷たく
経済も冷ややかな関係)に変化しつつあ
ると指摘した(皮肉にもこの月、日中貿
易額は前年同月比三二・二%の驚異的な伸
びを記録している)。
新華社論評は「経涼」の根拠として、
中国にとって対日貿易の比率が二〇〇〇
年の.一七.五%から〇四年には一四・五
%に低下、過去十一年間、中国にとって
最大の貿易相手だった日本の地位は、欧
州連合(EU)に取って代わられたと強。
調した。
もっとも中国は、〇四年にかけて日中
貿易の量が急増しているから「経勲」だ
と説明してきたのである。ム慶は、その
同じ時期の貿易の動きを理由に「経涼」
だと言日うようになった。
中国共産党指導部にとっては、もはや
どちらでも良いのだろう。日本の次の首
相が靖国参拝をやめさえすれば「政熟経
熱」になるし、やめなけれぱ「政冷経
涼」「政冷経冷」と言うだけのことだ。
「政冷経涼」はすでに、中国による目本
への脅し文句になっている。
(本当のところ、政治がもっとうまくいっいれば
経済の方ももっとうまくいくであろう。
政治家は自分の主張を主張するだけでなく、
ときには不本意であろうが妥協することも
国際関係を円滑にやっいくほうほうであると思う。)


2/18
「韓流、嫌韓流」
呉善花
明らかに「犬人向け少女回マンチシズ
ム」の世界である。宝塚から少女漫画へ
の流れのなかで日本に根付いてきたジャ
ンルで、韓国にはかつてなかったもの
だ。目本では一五歳以下向けの少女漫画
を大人の女性たちも読む。しかしそれが
そのまま、二〇代後半の大人たちを登場
人物とするテレビドラマとなることはな
かった。ところが韓流ドラマはこれをや
ってのけたのである。
韓流ファンに共通していえる。
韓流作品のなかに「懐かしさ」を感じて
いることである。しかも「失われた日
本」を感じたという人は数多い。なぜ
「懐かしい日本」が韓流ドラマから感じ
られるのだろうか。それは韓流が実は圓
本化を受けた韓国大衆文化であるからに
ほか恋らない。
韓国の犬衆文化は、その
実名を隠された日流によって形成され、
月流の発展を韓流の発展として歩んでき
た。韓国の四〇代半ばくらいまでの世代
は、目本の大衆文化にどっぷりと浸って
育ってきたのである。
彼らによって和製を手本にした技術的
な進歩が重ねられ、韓国テイストが加え
られ、目本消費社会の高度な感覚に耐え
られるレペルが獲得できれば、目本市場
で十分受け入れられる「感覚商品」の誕
生となっていくのが道理である。科学技
術分野での家電製品などと同様の・アジ
アかち目本への「ブーメラン効果」と同じ
こと。韓流プームはそのように、ジャパナ
イゼーシヨンを受けた韓国犬衆文化の流
入によってもたらされたブームである。
目本の大衆文化なしに韓国の犬衆文化
の発展はなかったし、目本の経済・技術
協力なしに韓国経済の発展はなかった。

(日韓はやはり共通点が多いようである。
もっと相互の思い入れを理解すれば
もっと仲良く慣れるはずである。y)


2/19
【人権擁護法案】
さくらい
櫻井よしこ
(ジャーナリスト)

「人権擁護法案」は名実共に邪な法案で
ある。人権を擁護すると見せかけて実は
人権を弾圧する内容であり、同法案推進
の背景には理想としての人権擁護より
も、同法案をダシにした利書得失の計算
が透視される。
まず、人権の定義が甚だしく暖昧であ
る。同法案第二条には「人権侵害とは、
不当な差別、虐待その他の人権を侵害す
る行為をいう」とある。「人権侵害とは
人権を侵害する行為」というのであり、
拡大解釈は如何様にも可能である。
第三条には「人権侵書」の事例として
「侮辱、嫌がらせ」「不当な差別的取扱
い」これらを「助長し、又は誘発する」
ことなどが挙げられている。
だが、何を以て不当とするのか。侮辱
や嫌がらせをどう判断するのか。そもそ
も特定の言動を悔辱或いは嫌がらせだと
感ずるか否かは、一に心の問題、感情の
問題である。それを客観的に判断し、。法
律で規定するのは不可能で。ある。だから
こそ、他の先進諸国での人権擁護法に
は、人権や人権侵害をこのように暖昧に
規定している事例はない。いずれも人
種、性別、貧富などによる差別を具体的
に個別法で禁ずるにとどまる。
にもかかわらず、同法案ではこの暖昧
な定義に基づいた"人権侵害。摘発のた
めに、全国に二万人を上限とする人権擁
護賛を配置すると定めた。賛に国籍
条項はなく、在日外国人も就任可能だ。
彼らの集めた人穫害の情報は人権賛
会に報告される。同賛会は国家行政組
織法三条に基づく委員会として、これま
た三条委員会である公安審査委員会同
様、強い権限と独立性を有し、人権侵害
の疑いありとなれぱ、裁判所の令状なし
で特定の人物又は組織に対して、出頭命一
令、事情聴取、家宅捜索、資料等の差押
えが出来る。
(私はこういうことは法律よりも相手を思いやる
人間愛が必要であると思う。)




2/20
「孤食」

岩村暢子



現代家庭の食卓を調査し始めて八年を
経たが、このように家族が「一人用」テ
ーブルに代わる代わる出入りするように
して食べる姿が無視できなくなってきた
のは、二〇〇三年頃からである。四人が
けのテーブルがあっても、ゲーム・宿
題・化粧品やドライヤー・携帯電話など
が常時散乱していて全員が揃って座れる
状態ではなく、その一角で一人ずつ食べ
る家庭や、全貝が座ることのできないミ
ニテーブルしかない家庭さえ出現してい
る。現代家族の孤食化は、食事用テiブ
ルさえ変え始めているのだ。調査では、
既に三割以上の家庭で、このような家族
の「孤食」を前提としたテーブル使用
が、日常的に見られるようになっている
(ADK「食DRIVE」調査)。総じて
食卓は小型化してきているようだ。
「子供のひとり食べ」がマスコミに取り
上げられ、「孤食」という言葉が私たち
の目に付くようになったのは、一九八○
年代初頭のことだった。あれから四半世
紀たち、「孤食」は一部の子供たちの
「寂しい」姿とは言えなくなってしまっ
た。親も子も、同じ家の中に居ても自分
の都合で食事時間がバラバラ、たとえ同
時に食卓に着いても好みや気分で食べる
モノがバラバラ、それはもうどの家庭で
も目常茶飯となっている。.それを「孤
食」「個食」ではなく、「バラパラ食」と
私が乎ぷことにしたのは二〇〇〇年のこ
とであった。
(孤食が家族の絆を弱め、社会の連携を弱める
要因の人でないかと思う。)



2/21
・【官製談合】
きじまこういち
■鬼島紘一
(文筆業)
かんせいだんごう11
公共工事入札で、
受注する業者のみならず、覧注する側の
国や自治休の口口もかかわって、■箭に
落札する祉を決定する行お。昨年、■路
全国紙(日経、読売、朝目、毎目)の
過去の記事を丹念に詞べてみると、「官
製談合」という言葉が初めて紙面に現れ
たのは、一九九四年九月二日の毎圓新聞
の朝刊だ一た。その撃は、下水道棄
団の嚢設備発注を巡り嚢九社が素
団の主導で受注を決めていたという祉の
で、「官製談合が初めて発覚した」「これ
まで建設業界などで、ひそかにうわさに
のぼっていた」とある。
この記事が示すようK、建設業界では
以前から「官製談合」というものが存在
しており、「天の声」と乎ぱれていた。
「天の声」には大きく分けて二つのタイ
プがある。政治家が介入する場合と、介
入しない場合である。前者のタイプは業
者に口利きを頼まれた政治家が、官公庁
のトップや発注権限を持つ幹部に圧力を
掛けて、その業者に発注させるというの
が典型的な椅図である。一九九三年、自
民党の有カ者だった金丸信が脱税で逮捕
されたことを契機に、この図式が白回の
下にさらされた。犬手ゼネコソ,が中央の
政治家や地方の首長に賄賂合戦を繰り返
し、工事を受注していたのだ。
(役所はもっと民間のように調査して、もっと安い金で
良い仕事をして貰えるように工夫するべきであろう。)


2/22
【平成の大合併】
かたやまよしひろ
片山善博
(鳥取県知事)
へいせいのだいがっぺい11財政基田の菌
化や、地方分桁を邊げて、平成十一年よ
以国が促遣している市町村合併の醐き。
明治二十二年の「明治の大合俳」、昭和
三十年代の「晒和の大合併」に次ぐ、三
慶目となる。
(322)
「平成の犬合併」も一段落した。総務省
によれぱ、平成十一年三月三十一日当時
日本の常識44
ミ月末には千八百二十一まで減少するこ
とが確定している。
ここまで合俳が遣κだ背景はなにか。
もちろん政府があの手この手で強引にこ
とを運んできたからではあるが、自治体
の側に政府の政策を受け入れざるを得な
い事情が存在していたからでもある。そ
れは財政事情だ。昨今、ほとんどの自治
体の財政が極度に忍化している実情を踏
まえ、これを解消するには財政の効率化
を図らなけれぱならず、そのためにも自
治体の規模を犬きくする必妥があると政
府は主張していた。自治体が財政破綻寸
前の状態に立ち至っているのは確かだ
し、膨大な借金の返済に四苦八音してい
る事情は全国の自治体に共通なのだ。
ではなぜ自治体は借金の山を私み重ね
たのか。それはバプル崩壌以後の政府の
政策に起因する。政府は景気対策の一環
として自治体に対し公共事業の上積みを
懲湿ないし強要した。その際、当面の財
源は取りあえず「有利な起債」で賄われ
た。有利とは、その償還財源が地方交付
税の算定を通じて上乗せされるので自己
負担が僅少だということだ。そこで全国
の自治体は安心して借金をし、犬量のハ
ード事業を実施したのである。

(私の町も合併したが、した方もされた方も
「いいところはない」と嘆いている人がおおい。
大きくなると暖かみが消えて、個人情報等理屈が先走り、
形式的な行政が多くなるようだ。それには
暖かく思いやりのある行政を優先させるべきと思う。)

2/23
「燃料電池」
中野不二男
ねんりょうでんち…水素を大気中の饒鶉
と■気化学的に反応させて発するシス
テム。アメリカの宇闇岨で初めて使用さ
れ、,近は自助草で、ガソリンや竃油に
代わるクリーンなエネルギーとして期待
されている。
燃料電池の時代は、確実に近づいてい
る。しかし自動章に燃料電池の時代は、
本当にくるのだろうか。
周知のように燃料電池は、水素と酸素
の反応により電流と熟と水を生み出す、
実にクリーンな電源である。酸素は大気

かと厄介なのである。
燃料冨池章でガソリン・エンジンのク
ルマ並みの航続距離を実現するには、体
積の小さな液体水素を使うのがペストな
のだが、マイナス253℃という極低温
は、とても維持できる温度ではない。セ
カンド・ペストの圧緒水素ならどうにか
なるが、タンクの容積が後部座席を占領
するほどに大きくなるのが欠点である。
補欠として、水とスポンジの関係のよう
に水素を吸収する水素吸蔵合金をタンク
に詰める方法もあるのだが、これではあ
まりにも重くなる。
もっともこうした技術的な問題は、い
ずれブレイク・スルーが見つかるだろ
う。問題は、水素供給スタンドである。
試験的にはすでにいくつかできてはいる
が、これが現在のガソリン・スタンド並
みに全国展開することはあるだろうか。
そもそも水素をどのように保管するの
か。また、どうやって水素を生産するの
かが問題である。
(外気を汚さず安価な燃料となると、難しいことであろう。
ガソリンに変わる強力で安全で安価な燃料は
今の段階ではかなり難しいのではないだろうか、)



2/24


「自由診療」
関岡英之

官僚的発想あるのみで、国民にとって医
療はどうあるべきか、医療の質をどう確
保するかといった視点は欠如している。
それを外野から後押ししているのが財
界だ。労使折半となっている健康保険料
の負担を軽減したいとい・つ一点で財務省
と利害が一致する。かくして「医療費削
減、公的医療縮小」の大合唱が沸き起こ
り、患者、とりわけ高齢者の自已負担の
増大や、病院・診療所の収入引き下げを
当然視する情報操作が横行している。政
府と企業の負担軽減の詰め腹を、国民と
医療機関に切らせようというのだ。それ
だけでばない。
公的医療の縮小を目論む動きには、
「自由診療」の拡大というもうひとつの
狙いがある。自由診療という用語には確
たる定義はなく、保険外診療とか私費診
療などとよぱれることもある。公的健康
保険がきかない、全額患者自已負担の診
療や処方薬投与のことである。自由診療
には国の規制が及ばず、価格も医療機関
が自由に決められる。自由診療とは要す
るに市場原理による医療である。では医
療費が安くなるのかといえばその正反対
なのだ。
一米国は先進国で唯一、自由診療中心の
国である。国民皆保険制度は存在せず、
公的医療保険は国民の四分の一ほどしか
カバーしておらず、診療報酬も薬価も政
府が統制していない。その結呆米国の医
療費は、国民一人当たりでも、総医療費
の対GDP比率でも世界一だ。薬価も世
界一高い。自由診療中心の米国では、型
薬業界、ヘルスケアサービス関連業界、
民間保険業界にとって、医療は収益性の
高いビジネスそのものなのである。
OECDの調査によれぱ、米国は世界
一高い医療費を費やしながら、平均寿
命、乳児死亡率いずれも先進国で最悪で
あり、WH0報告でも米国の医療制度の
評価は世界第十五位ど無惨である。米国
医療の実鰻は、医療に市場原理を導入す
れぱ、国民経済全体にはむしろ高負担・
低福祉をもたらすことを明白に示唆して
いる。その米国をモデルに、世界に冠た
る日本の医療制度を「構造改革」すると
いう世紀の愚行が、いま推し進められて
いる。
(何でも米国のマネをするのはよくない、
日本は日本らしい医療が必要なのだ。)


2/25

個人情報】
やなぎだくにお

柳田邦男
(ノンフィクション作家)
二じんじょうほう11個人O穀保竈法の定
竈によると「生存する個人に関する冊報
であって、当咳何報に含まれる氏名、生
年月目その他の肥述等により特定の個人
を竈別する二とができるもの」となる。
個人情報なるものを、法律まで作って
厚いぺールで覆ってやるということが、
社会の歴史の中でどんな意味を持つこと
になるのか。確かに、犯罪被害者等基本
計画が閣議決定される前から、事件や事
故の被害者について讐察の匿名発表が多
くなったことに対し、新聞などは、享
件・享故の真相解明を困難にすると批判
する記事を書いてはいる。しかし、より
突っ込んだ考豪をした見解は示されてい
ない。
私の結論はこうだ。個人情報保護法
は、地域共生社会を楼築しようとする努
カに致命傷を与え、共生社会を崩壌させ
る決定打となるものだーと。
事態を名目以上にゆがめるのは、役人
や讐察官の自已防衛本能やめんどうなこ
とにかかわるまいとする責任回避本能
だ。一例を挙げる。阪神淡路大戻災の被
災者のための仮設住宅でのこと。孤独死
防止の支援活動をしていたポランティア
活動家が、ある独り住まいの初老の男性
の部屋の様子が変なので、替祭に調査を
依頼した。しかし讐祭はプライバシーに
)
かかわることだとの理由で、動こうとも蜘
しなかった。その男性がウィスキーの瓶(
を持ったまま死体で発見されたのは、死
後二ヶ月も経ってからだった。プライバ
シー擾先を名目に救命努力をさぼったの
だ。
(個人情報重視は結局「個人情報保護法
は、地域共生社会を構築しようとする努
カに致命傷を与え、共生社会を崩壌させ
る決定打となる」そのものだと私も思う。)



2/26
個人情報】2
やなぎだくにお
二〇〇四年夏、督、新潟、福井など
各地を襲った豪雨災書では、犠牲者の大
部分は高齢者だった。床上没水の中で、
疲たきりの夫を二階に避難させようと、
妻が二時間も格闘したがカ尽き、自分だ
セ蒔蟹岬帖ぷ舳宗で、漆洞流.
に呑まれた。情報が仁わらずに浸水地域
に取り残された障書者も少なくなかっ
た。こうした悲劇を防ぐには、災害弱者
の存在を地域がきめ細かく把握して、い
ざという時に互助活動による避難.救助
が不可欠だ。だが、個人情報保護の大波
は、地域の防災組織による災害弱者のリ
ストの作成を不可能にしつつある。
小中学校の児童・生徒の家族の個人情
報保護のために、クラス全体の住所録の
作成を取りやめ、緊急違絡網は班別の亀
話番号のみなどの対応をする学校が急
増レている。子ともの親たちは、相互
の親密な交流よりも、自分の子の利益
にのみこそこそと行動する傾向を強め
ている。
大事故や災害の発生時に、収容した負
傷者の氏名を本人または家族の同意がな
けれぱ発表しない方針を決めた病院が増
えつつある。《もしかして大事准人が》
榊と心配する関係者は確置もなく不安
のをつのらせるぱかりという事態が常態化
眺するのは避けられないだろう。緊急事熊
下での優先順位は何なのか。
極めつきは、警察による事件.事故の
被害者の匿名化だ。性犯罪などでは被害
考の個人情報保護は当然だ。しかし、凶
悪犯罪などまで被書者が匿名化される
と、どういう人がどういう状況なり事情
で被書を受け、事件・事故の真相と教訓
は何なのか、メディアによる検証取材は
いよいよ困難になる。
官庁や公的機関の幹部の履歴なども伏
せられ、天下りやお手盛り人事の実態が
隠蔽されつつある。
(何か狂っていると思う。個人情報法は結局は
各個人の幸せに繋がらない。人にやさしいようで
実は自分勝手が通用し、社会の共存性が
薄まると思うのである。)


2/27
個人情報】3
やなぎだくにお
姓名は人格の象徴。人格を潜めないと
生きられない社会こそ問題だ。しかしこ
の国は今、個人情報の"過保護。により
恐るべき匿名化社会に突入しつつある。
それは人間関係がスカスカになり、相互
に貴任を持ち合わない「人の砂漠化」を
もたらし、「共生社会」を崩壌させる決
定打となる。
拒すぺきことが逆転しているのだ。社
会的弱考や事件・享故・災書の被書者が
偏見や差別を受けずに、地域の中で堂々
と顔をさらして生きられる「共生社会」
を作ることこそ優先課固ではないか。学
校こそ教師と親たちが裸になって協力
し、子どもたちがのぴのびと遊び学ぺる
地域づくりに取り組む場ではないか。讐
備ム蓬に頼むなとという他人まかせで、
自分たちは何一つ変わろうとしないとい
うことでいいのか。
個人情報保護法を作った者は、憲法が
証う「公共の福祉」とは何かを読み直す
ぺきだ。保守派の政治家はかねて言って
きたではないか。いまどきの日本人は公
徳心が欠けている、と。そして小泉政権
は、これからは「公助、互助、自助」の
時代だ、と。にもかかわらず、誰しもが
持つ《騒がれたくない》という気持ちを
くすぐって、個人情報、過保護。の社会
を作るのは、「互助、自助」の社会づく
一りをぷち壌す以外の何物でもない。
(昔は高校大学の合格の発表が公然と行われた。
新聞を見てお祝いに来た頃の暖かさ、共存性が
懐かしく感じられる。)



2/28
「デイトレーダー」
三村雄太
デイトレードで儲けるためには、ある程
度は経験が必要です。だから初心者は、
まず儲けることよりも損しないこと、つ
まり生き残ることを考えてください。
また、然中しすぎないことも大事。な
ぜなら正しい判断ができなくなってしま
うから。損しても儲かっても常に冷静に
相場を読み、マウスやキーポードを駆便
して、仕事をしている感覚で売買してく
ださい。デイトレードは、精神面の強さ
が非常に大切なんです。
ところで、ポクはデイトレでこれだけ
稼いだわけですけど、「ジェイコム」で
儲けて有名になった個人投資家さんは、
資産が百億円だそうですね。世の中には
上がいるものだと思い知らされ、少しプ
ルーになりました★でも「負けた〜」
とか「もっと儲けなきゃ」と焦ると回ク
なことがないので、すぐに気を取り直し
ました。今のポクの目標は、ライバルが
荒稼ぎしているときでも、ライプドア.
ショックみたいに回経平均が下げている
ときでも、コンスタントに利益を出すこ
と、です☆
(今、パソコンに向かうだけで株を買うことができる。
利息ゼロの時代ではそのくらいの冒険をしなければ
波乱がなく面白くないと思う。)


3/1
【公務貝人件費削減】
いとうあつお
伊藤惇夫
(政治アナリスト)
二うむいんじんけんひさくげん…腋しい
国家財政のもと、国や地方自治体の公務
貫の人件豊抑制が求められている。沿与
水準の引き下げ、組鴛の整理涜合、人貝
削減、特殊手当の見直しなどが検酎され
ている。
「日の丸家」の年収は五百万円ほどしか
ないのに、年間の支出は約八百万円。不
足分は借金で賄う。そんな生活が何十年
も続いた結呆、借金の総額は八干万円に
近づきつつある。ところが、両親は「何
とかしなくては」と口にはするものの、
借金生活から抜け出せる見通しはまった
くない。子供の小遣いはクラスメートた
ちよりかなり高額なのに、「家計が苦し
いなら、小遣い減らしてもいいよ」など
と言い出すそぶりはまったくない。
日本国を「日の丸家」に、公務員をそ
の子供たちに例えると、こんな構図が浮
かんでくる。平成十八年度の一般会計予
算での国債発行額は五年ぶりに三十兆円
未満となる見通しだが、収入の四割近く
を借金で賄う赤字体質にほとんど変化は
ない。国と地方の長期債務(借金)は昨
年末で約七百七十兆円。国にとって財政
再建は、いまや最大の課題となってい
る。
現在、国家公務員の平均年間給与は約
六百三十一万円、地方公務員のそれは約
七百二十八万円である。対して民間サラ
リーマンの平均は国税庁のデータによる
と四百四十四万円(平成十五年)に過ぎ
ない。

(公務員が民間よりも高給でそれなりの仕事を
していれば言うことはない。ただ国が借金で生活している
状態では公務員の給与を
思い切って下げるより、国が黒字転換にはならないであろう。)


3/2
【学カ低下】
かげやまひでお
陰山英男
(尾道市立
.土堂小学校校長)
がくりょくていか11児■生徒の学カが低
下していること。当初は大学生の学力に
ついて問題担起され、やがて児童生徒の
学刀低下が現実に起きているか否かをめ
ぐる諭争に発艮した。O二年の「ゆとり
教育」以降に私立学校志向と学習塾依存
が高まり、「学カ低下」を理由とするゆ
とり教育の見直しも進められている。
学カ低下について、いまに至る教育界
の犬論争が巻き起こったのは、九九年六
月に出版された『分数ができない大学
生』がきっかけだった。「これだけ学生
の学カが落ちているのに、さらに内容の
三割を削減する新学習指導要領(ゆとり
教育)は大問題。実施を中止すぺきだ」
という論調が強まったのだ。
しかし、文部科学省が学力童視の姿勢
を示し教育現場での弾力的な運用が期
待されるなど、一時はゆとり教育批判が
鎮静化していった。そして、新学習指導
要領は〇二年に予定通りスタートし、論
議は峠を越したかに見えた。
ところが、学力低下論議は再燃する。
経済協力開発機構(0ECD)が実施し
た〇三年の国際学習到達度調査で、前回
一位だった数学の力が六位に落ち、また
読解力も八位から十四位と大きく落ち込
んだためだ。この結呆は、「目本の学カ
はもはや世界のトップクラスではない」
との認識を決定的にした。そして、ゆと
り教育の反動から、競争原理の強化、や
みくもな詰め込み学習の復活などが叫ば
れるようになった。
この風潮に、私は少なからず危機感を
おぽえる。それは、学力低下の原因につ
いて、一般とは異なる見方をしているか
らだ。
(ほんとうの学力とは知ろう、問題を解決しよう、と
言う意識を植え付けることだと思う。
知識が増えただけでは駄目、自然に触れたり、
自分で考えて解決させたりしないと
ほんとうの学力は身に付かないと思う。)

3/3
【MOTTAINAI】
とくおかたかお
徳岡孝夫
(ジャーナリスト)
もったいない"昨年来目したノーペル平
和賞受賞者でケニア副環境相のワンガ
リ・マータイさんが環境保竈を訴える竈
竈で、日本語の「もったいない」を世界
語にしようと呼びかけて注目を浴ぴた。
言葉は生き物だから時代と共に、また
使う人によって意味が変わる。変身.変
容しながら歴史の中を泳いでいく。「も
ったいない」も例外ではない。
慶長年間(十七世紀初頭)に長崎で出
た『日葡辞書』には昌◎一邑■巴がちゃ
んと入っている。ポルトガル語で書かれ
ている訳は「耐えがたい、また、不都合
な」となっている。織田信長に馬盟で酒
を飲ませられた明智光秀は、きっと「も
ったいない」と煮えくり返る憤怒を抱い
たのではないか。現代人には「もったい
なかったから本能寺を襲った」と言った
ら意味不明、全く通じない。
もっと古い話。その昔、越後で獲れた
鮭を紐に通して馬の背に積み、はるばる
京の都へ運ぶ運送屋がいた。粟田口で三
条通りに出たところで、馬に寄り添うフ
リをして素早く二尾ばかり抜き取り、懐
に隠した悪ガキがいた。目ざとく見つけ
た馬方と返せ返さぬの争いになり、人だ
かりがした。若い男はとうとう素っ裸に
され、盗られた鮭は無事に戻った。
(「もったいない」というニュアンスの言葉が
世界に少ないし、日本はその言葉によって
経済的にも文化的にも成長してきたのだと思う。)

3/4
「ES細胞」

黒田勝弘
女性にとって卵子採取はきわめて苦痛
が伴う。そして売買を含めその入手、利
用は各国では規制が厳しい。しかし韓国
でその規制ができたのは昨年のことであ
る。責教授のE,S細胞研究はいわぱ"卵
子野放し状態。で進められていたのだ。
MBCテレビの間題提起のきっかけも
「卵子入手疑惑」からだった。
ES綱胞研究など生命科学には不可欠
の倫理問題もそうだ。韓国はキリス十教
信者が多く、カトリックの金寿換枢機卿
などが批判を語っていたにもかかわら
ず、愛国熟狂に動かされた世論は生命倫
理には無関心だった。これも隙間であ
る。
国際的に隙間をついてペンチャー精神
による短期決戦で世間をアッと驚かせる
成果を挙げる1これが現代の翰国精神
だ。経済では成功したが今回は一犬勇み
足になってしまったということだろう。
(韓国がこのような研究が多いのは
世界に注目させようとする意識が国民全体にあるからであろう。)

3/5
【方言ブーム】
きんだいちひでほ
金田一秀穂

(杳林大学
外国語学部教授)
ほうげんぷーむ11東京・渋谷の女手商生
たちがつかいはじめたことから、方言や
地方なまりが一躍プームに。テレピ香組
では芸能人が出身地の方言を蜻すコーナ
ーが人気を乎ぴ、女手中高生の約六割が
会話やメールで方言をつかっているとい
う嗣査詰果もある。
渋谷は若者文化の発信地ということだ
から、マスコミは渋谷で遊んでいる若者
たちを取材し、そこで流行しているもの
を取り上げて大々的に報道する。影響力
があるので、全国のいくらかの若者もそ
れに倣う。すると一時的にでも、流行す
ることになる。したがって、この方言ブ
ームがいつまで続くものなのか、些か疑
問でもあるのだが、流行する必然性がな
いわけでもない。

(都会化が進み、方言があまり使われなくなってきているが、
地方を見直す意味で生活に即した方言がもっと見直されるべきであると思う。)