柳君を偲ぶ       

























若き日野球一筋に、交通ポランテイア、花作り
                                         柳 寛一
 北野君はじめ役員の皆様には大変お世話になっており感謝しております。小学校3年の小さい頃、私の家の近くに時計を造るセイコー社の会社がありました。その会社の広場で三角べース(野球)をしたことがきっかけになり、野球をすることが楽しくなり、六年のときは先生もまじえて皆さんとソフトボールを励んでやっていました。中学で野球部に入って、いずみの会の友の鈴木(明)、中川、小川君達と練習に励み、三年の時には春と秋に桐生大会で優勝したことを覚えています。二十才の頁、中学の先輩に野球チームに誘われて、いろいろなチームと試合をして楽しい青春でした。もちろん、その時から桐生市町内対抗野球の選手として張り切ってやっていました。
 二十四、五才頃だと思います。皆若かった。頑張った。勝ち抜き、決勝までいきました。旧新川球易で惜しくも準擾も準優勝でした。裏のページに載っているのは小梅町会の記念写真です。写真の右下にいる人は当時新二小梅町会長でした我がいずみの会の金子みつ子(旧姓岩下)さんのお父さんです。
 結婚をして子供たちも小学生になり、育成会の野球の指導を任せられ、町内野球と共に四十六才まで野球が出来たことは幸せだったな-と恩います。地城杜会に一つでも長く役に立つことはないかと始めた桐生交通センターの役員となって今年でで38年になります。地元の南小学校の登校の時間に合わせ、学校の近くの交差点に立って、交通補導を月に数回役員の人たちと交代でやっています。地元の役員さんと話し合っていろいろな場所へ出かけるときもあります。例えばニューイヤー駅伝が桐生で走るようになって、第一回大会から毎年出て、ランナーに触らないようにポランテイアとしてつとめています。
 六十六才で仕事をやめました。二十年前より家の庭で四季の花作りを楽しみにしています。いろいろ花を咲かせています。特に菊にはカを入れています。ここ五、六年、上位入貰しています。これからは体が一番大切です健康であれば楽しみもあります。頑張ります。
                                  (いずみ五十五周年記念誌より)

  私の心の支え「歳月人待不」の色紙
                                          柳 寛一
「歳月人待不」この文の色紙は小学校を卒業して第一回いずみの会、一月二日に稲葉(旧姓松村)先生から皆さんに贈られた色紙でした。私達のいずみの会、早くも二十五年という歳月になり記念すべき会になりました。一年もかかすことなく一月二日には皆さんと楽しく過せる事は本当に素晴しい事と思います。小生の人生はいりくんだ時もありました。先生から頂いた色紙はいままで大切に心のささえでもありました。そういう意味で小生染色の仕事をしていますので「歳月人待不」を染めてみました。皆さんに頂いて下さったら幸と存じます。
 二十五年前の小学校時代のアルバムを一頁一頁めくってみるとあの時の事がしみじみとよみがえってなつかしい思いです。今は皆さん、お父さん、お母さんになり子供の事や何かと忙しく過していらっしゃる事でしょう。小生の家では長男小学一年、長女幼確園と妻、父母の六人家族です}今年のお盆は先生の家で正月だけでなく、お盆にも桐生へ帰る方もあるという意味もありまして先生の家で会をもってみました。年に二回皆さんと過せたら、この上なくまた素晴しい「いずみの会」になると思います。これからも「いずみの会」三十年いや四十年と長く長く皆さんと歩んでまいりたいと思います。                      (いずみ二十五周年記念誌より)

 


柳くん、さようなら
           さとうゆきお

また元気の姿を見に行くのを楽しみにしてたのに
またカラオケにいこうといってたのに
またみんなで旅行に行こうと言っていたのに
師走の薄ら寒い朝あなたは旅立ってしまった
あなたは誰よりもいずみの会を愛していた
あなたが作ったのれんはすばらしい
あなたは誰よりも菊作りがうまかった
あなたは誰よりも菊を愛していたからだ
あなたに菊の育て方を教わったのに
同じ苗で天地ほど違う
これからどうしよう
柳君さようなら、やすらかに眠ってください
また、カラオケに行きましょう
また旅行に行きましょう
また菊の育て方教えてください
柳くん、x
さようなら






柳君の想い出

さとうゆきお

柳君をお見舞いに行ったときに、よくなったら「カラオケに行こう」
と私たちも柳君もそう思いながら語り合ったのに、
それから数日後かえらない人になってしまった。
温厚でいずみの会を愛した柳君の葬儀や通夜には、
多くの同級生が参列して涙した。
普段の生活の中でもいずみの会に対しての愛着が強かったので
清めや法事にも家族の方が私たち同級生を呼んでくれた。
私と柳君のふれあいの始まりは小学生の時、
柳君が自宅や呼んでくれて手ぬぐい加工の仕事を見せてくれたり、
私にも少し体験させてくれたのを覚えています。
また私が会の幹事をしているときに連絡等積極的にやってくれました。
同級生に親しい人も多く仲介的な役割を果たしてくれました。
また25周年記念には私たちの卒業記念に松村先生が書いてくれた
「歳月人待不」を柳君は自分の家で布に染めてくれました。
それがこのページの上右にある写真です。
また25周年の時記念誌を作ったのですが、
それを母校の図書館においてもらう手配などしてくれました。
また菊作りは特殊の技術を持ち近く菊花大会では常に最上位の入賞をしていて
昨年は総理大臣賞をももらった程です。
私も柳君から菊作りを教わって5年になるのですが
同じ苗で全然違うのです。
私の菊花は花も小さく葉も艶が悪くね
柳君の菊花は花も大きく形も良く葉にも艶があるのです。
私だって私なりに頑張っていると思うのですがどこか違うのです。
柳君は毎日菊と語り合うようにしてその菊に合う対処しているそうです。
日中菊の事を考えているそうです。
私などとてもやれるものではありません。
私からみれば一流のこだわりをもつプロの技術者で
人間的にも厳しさと優しさを持つ素晴らしい人だったと思います。
柳君、どうぞこれからも千の風になって
一緒に旅行にいったりカラオケに行ったりしましょう。

このページのBGMは楽譜から音をとったものですこしぎこちないのですが
柳君が好んで歌っていた「赤いランプの終列車」を挿入いたしました。