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城上フルーツパーク の ルーツ
初代 城上 頭首 佐藤 万太郎 (明治13−昭和26)1880−1951

明治十三年二月 現中之条町山田 佐藤家 本家 「佐藤久四郎・いゑ の三男として」生まれ、
尋常小学校を卒業後一年間の温習科を卒業、教科は、理科、地理、語学、漢文、論語、
孟子、等を修得、母を失いたるに依り、婁風波起。
長兄 幾太郎と共に農業に励み 余暇積雪中は炭焼きなどなし 家業に励む。
明治三十年 十七才の年、川戸の大川医師の下僕に入り英語を習い三月 大川医師が
病気となりたる為 当家を辞し、 本村 町田庄蔵氏に下僕す。』
明治三十三年(二十歳)旭川 歩兵第二十七連隊 入隊、その折りに 余市でリンゴが
栽培されているのを見たのが、後のリンゴ栽培の切っ掛けと成る。
身長五尺二寸四分、諸器官完全にして相当なる学力有るに依り、歩兵甲種合格
推戴第十六番にて現役に編入せらる』。
当時の兵役は三か年なるも 学力極めて低く従って合格率も低かったが
其の中でも沢田全域の学校として
山田地区に最初に設置された沢田尋常小学校の 前身である花園学校は学力の程度も
相当高く、近辺でも有数な教育がなされたとの事であった。明治三十五年十一月任伍長
満期除隊。 三十七年(二十四歳)日露戦争に出兵、その実を上げ、任軍曹 。
同三十九年 叙勲賜 功七級金鵄勲章(終身年金百円)及び青色桐葉章。
徴兵検査 甲種合格
明治四十年二十七歳の時に『みち』明治十七年 平村八十四番地生れ二十三歳 現在の中之条町平
「 父 小淵良平 母 みやの長女」と結婚 翌年1キロ程離れた現在の城上に分家初代をなし、
澤田村名誉村民、在郷軍人会澤田村分会長等に
推挙され、村の重役として親交を暖めその地位を築いた。
昭和三年沢田尋常小学校第一文教場も老朽化を理由に新築することになり二カ年かかり、
昭和五年四月から新しい校舎を使う様になり、旧校舎は万太郎が買取りその春に解体して
現在の城上の地に移築して平成12年までの住居として使われたが老朽化に伴い新築に至った。
しらかみの語源は 山田城址の南方200メートル(城の奥)に我が家が有り地域の人達から 城 の上
城上 と呼ばれる様になり、我が家の 屋号に成りました。


万太郎の 長男(清一)、次男(久男)共に幼年時に病死
沢田尋常小学校にて 前列左から2番目が初代城上 万太郎、
5番目は兄の幾太郎。後ろの建物が後の我が家です。
前左から 万太郎、姑 みや、 妹 たみ後列左から末娘 みさ
次女 ふじと娘 万里子、長女 けい、、三女 けん、長男 耕太郎
城上フルーツパークの語源である 城上の 山田城址の概要について。
吾嬬山 薬師岳連峰の東北にのびた尾根上にあり 山田花曽根の吾嬬神社附近の標高差
100メートルの台地の上に築かれた城館址である。土居、堀切、帯曲輪、水の手曲輪などが
認められ、東方からの攻略に備える城郭であり、東吾妻の主城である岩櫃城とは尾根続きであり、
岩櫃の鬼門に配置された重要な支城であったことが想定される。
永禄3年(1560)上杉謙信が関東出陣の折 「関東幕注文」(上杉家文書)には、
山田氏は岩下衆の旗頭である岩櫃城主と同紋であり、城主の一族であると記されている。
永禄6年、岩櫃落城の折、山田氏は越後に落ちて行く斉藤越前守の倶をして国境まで行き、
嵩山城に拠る末子城虎丸のことなど後事を托されている(加沢記)山田城(古城)の城主は
山田源太左衛門と伝えられており、岩櫃城主と同族である。
斎藤氏没落後の状況は明らかでないが、江戸時代に活躍した山田一族は
山田城の城主であった山田氏が下山田に帰農した子孫であろうと思われる。
町指定 中之条町 教育委員会

二代目 城上 頭首 佐藤 耕太郎 JF1JZP (大正5−平成10)1916−1998

万太郎の 三男 佐藤 耕太郎 大正五年生まれ
昭和八年中之条農学校卒業と同時に父万太郎が数本植えた りんごを見て育った事も有り
県内の先駆者としてリンゴ栽培に取り組み、又青年団や 県内の短歌の槐会、山と川の会等の
活動に若い力を注ぎ、昭和十四年 国の派遣で満州へ義勇隊の慰問等に行き、
昭和十六年(二十五歳)、あきと結婚、十七年十月に長女誕生。
昭和十八年四月 第二次世界大戦(太平洋戦争)で東部南海派遣一九三二部隊入隊、
六月ニユーギニヤへ上陸。二十一年一月マラリヤに侵されながら数少ない帰還兵として凱旋し、
長男 弘(園主である私)、次女 、三女 の四人の子供に恵まれた。

以後 地域の各役職を勤め 私達子供と家族7人でアマチュア無線家として活動し
夫婦そろって 明治会やその他の無線家の交流会に積極的に参加させて戴いていました。

ニューギニヤ戦記 著者 佐藤 耕太郎 全233頁 公開 −−無断転用禁止
−−−−−−−−ニューギニヤ戦線に出兵した 耕太郎 が書き綴った体験録です。
耕太郎結婚 左から 姉 けんと悦子、妻 あき、けんの夫 本雄、父 万太郎、姉 けいの夫 榊、耕太郎、姉 けい、妹 みさ。 戦友会

三代目 城上 頭首 佐藤 弘 JE1DBV (昭和21−)1946−


現 城上フルーツパーク 園主 で このホームページの管理者 私 です
耕太郎の 長男 弘 昭和21年生まれ
父の母校である県立中之条高等学校農業科を卒業後 昭和五十一年 すみ子、明和短大卒 と結婚
二女、一男 に恵まれ、昭和61年 三十九歳でいち早くパソコン(PC−9801VM2)を導入
ソフトは 管理工学のデータベース桐を主に 顧客管理、財務管理を中心に使用しています。
200アールのりんご園を 年齢と共に130アールに縮小して経営しています。
ブルーベリー等栽培しながら、地域の沢田農業協同組合の役員として6期18年努め
平成17年5月退任し 家業に精励しながら 平成20年7月中之条町農業委員に就任し
26年7月より3期目の活動をしています。
又 妻 すみ子は中之条町民政児童委員として平成19年11月より活動 25年12月より3期目の活動をしています。

四代目 佐藤 耕輔 7K1AQP (昭和56−)1981−


弘の 長男 昭和56年生まれ 国家公務員