燕のススムくん

   薄紫色の大きな家がありました。家の窓には『マンスリー空室あり』という張り紙がしてあります。家の前に門番らしい人が立っています。ちょっと、こわそうな門番です。燕のススムくんは、しばらく考えた末にその門番らしい人に聞いてみることにしました。

  「すみません。お尋ねしますが、ここはどんな家なんですか。」実を言うと、ススムくんはこれから住む自分の家を探していたのです。それでこの家に興味をもった訳です。門番はまるでコンピュータのような不思議な顔をして答えました。

  「こ・こ・は・未・来・と・夢・の・家・で・す。引・越・し・の・心・配・い・り・ま・せ・ん。食・器・か・ら・家・具・か・ら・生・活・に・必・要・な・も・の・全・部・そ・ろ・っ・て・い・ま・す。」しゃべり方までまったくコンピュータのようです。

  「楽・し・く・て・一・度・入・る・と・9・7・%・出・た・が・り・ま・せ・ん。」 具体的な数字まで出されて、一度入ったらもう楽しくて出たいと思わない、と自信をもって言われたものですから、この家はそれはそれはきっとすばらしい家に違いないとススムくんは勝手に思い込んでしまいました。決めた。ここをぼくの住む家にしようっと。

   門番に案内されて入った家の中はおどろくほどひっそりとしていました。そうだ。何はともあれご主人に会って、ご挨拶をしておかないといけないな。ススムくんは5階にあるというこの家の持ち主の部屋に行ってみることにしました。
 
   恐る恐るドアを開けてみると中にいたのは小さな小さな、たぶんウナギでした。たぶん、というのは顔がなんだかウナギそっくりだったからです。

  「アハハ、ウン、マア、ガンバッテヨ。イヒヒ、コミュニケーションヨ。ウン、ソウ、カンガエルヤツハ、アホネ。ウオホホ。」ウナギは不思議なしゃべり方をしてススムくんを迎えました。なんだろう、このへんてこりんな奴は。素手のまんまでゴルフのクラブも持たず素振りの練習をしているウナギをみながら、ススムくんは自分までウナギになってしまったようないやな感じを味わっていました。

  「ヤチン、ヤチン。ハラエバ、ナンデモアリ。9カイ、イマカラ、カスヨ。」一瞬借りることをやめようかと思いましたが、家賃の安さに負けてススムくんはその部屋を借りることにしてしまいました。

   9階から見える景色は最高でした。遠くには真っ青な空に濃紺の浅間山が見えています。ススムくんはもっこり浮かんでいる山を眺めて、ほっと一息ついていました。「門番も家主もなんだかとってもへんてこりんだけれど、まあ、いいや。部屋もまあまあきれいだし、なにしろ、景色が最高だもの。よかった。よかった。」

   お茶でも飲もうかしら。そう思って台所に行ってみてススムくんはびっくりしてしまいました。「な、な、なんだこれは!」なんと洗い場は食器の山。おまけにカビだらけではないですか。「ヒエー、これじゃあまるで廃屋だ。おばけ屋敷だ。たまんねえやこりゃあ。」

   ススムくんは、ちょうどその時そこに出てきたゴキブリさんに尋ねました。「ねえ、ちょっとゴキブリさん。あなたのお家はどうなっているの。ちょっとこれを見なさいよ。これはちょっとひどすぎるんじゃないの。」ゴキブリさんはひげをもそもそさせてススムくんに言いました。

  「おれに言わないでおくれよ。もうすぐ、おれはこんな家でていくんだから。そういうことはあそこにいるトドムさんに聞いてくれないかね。」ゴキブリさんの指差した方を見渡していると、机の下でオタマジャクシがマンガ本を読んでいる姿が見えました。ススムくんは腰を曲げオタマジャクシに尋ねました。

  「すみません。あの、トドムさんというのはあなたですか?」オタマジャクシは、さも迷惑そうな顔をして、ちらりとススムくんの方を見るとまたマンガ本を読み始めてしまいました。ススムくんはそれにかまわず尋ねました。

  「ねえ、トドムさん。ちょっとお聞きしたことがあるんですが、あの、ここは本当に未来と夢の家なんですか?門番がぼくに確かにそう言ったんです。ねえ、どうなんでしょうか?知っていませんか?」

   オタマジャクシはプッと笑い出しました。「ああ、あれね。あれは、うそ、うそ、みーんなうそ。門番はウナギの主人に命令されてそれしか言えんのよ。かわいそうじゃいねえ。」オタマジャクシはそっけなくそう言うと、またまたマンガを読み始めてしまいました。

   ススムくんは、それを聞いてもう黙っていられません。「ねえ、ねえ、じゃあ、97%住み続けるっていうのはどうなんでしょう。門番が確かにそう言っていたんだけれど。」

   オタマジャクシはようやくススムくんの方にきちんと顔を向けると、硬直した顔で言いました。「だから、みんなうそだって言ってるでしょう。門番はウナギの主人の言いなりなんだよ。ぼくもそれでだまされた。あそこにいるゴキブリもそれでだまされた。みんなだまされてこの部屋にいるんですよ。」オタマジャクシは吐き捨てるように言いました。

  「今までにぼくの知っているだけでも20人近い住人がここに来たけれど、みんなウナギの主人とけんかして出て行ってしまったんだ。」オタマジャクのにゅるにゅるした顔を見ていて、ススムくんはなんだかオタマジャクシってウナギに似ているなあ、なんてどうでもいいことを考えていました。

   ススムくんはオタマジャクシの話を聞いて、しばらくじっと考え込んでしまいました。どうしよう。こんなところは早く出て行ってしまった方がいいのかもしれない。ああ、どうしよう。前家賃でもう1ケ月分の家賃は払ってしまったし、ああどうしたらいいんだろう。

  「ねえ、トドムさん。あなたは、ずっとここにいるつもりなんですか。」ススムくんはいちおうオタマジャクシに聞いてみました。

   するとオタマジャクシは、「うん。ぼくはそのつもりだよ。確かにだまされたけれど、それなりにここは快適だからね。何しろ家賃が安いし、のんびりマンガを読んでいても誰にも文句言われないんだから。まあ、ぼくにとってはいいところだと思うよ。」と結構のんきなことを言っています。

  「それより、君はどうするの。今来たばかりでもう出て行くのかい?」逆にススムくんが問い詰められる始末です。「どこへ行ったってさ、似たり寄ったりじゃあないの。うそはこの社会じゃ空気みたいのものだし、なにもそうかりかりすることもないんじゃないの。」

  確かに社会はそんなに甘くはない、でも、こんなひどいうそをつかれて、平気で住み続ける訳にはいかない。入居したその日からススムくんはずっと、この薄紫色の家をどうやって出ていくか真剣に考え始めておりました。でも、うそをつかれたから出る、とか、未来と夢の家ではないから出る、とか、ただいやだから出る、というのではなんだか自分でもとことん納得ができません。

  ぼくが頑張れば、今はダメな家でも、もしかしたらそのうち未来と夢の家になるかもしれない。そんな風に考えたりもしたのです。そう思いながらもあのウナギの主人のことを考えるとなんだかとても暗い気分になってしまうのでした。

  ススムくんがその薄紫色の家を出たのはそれから半年ほどしてからでした。その間、ススムくんは自分なりに、未来と夢の家づくりのために精一杯の努力をしてみました。ごみの山のようだった部屋の中もきれいに掃除しました。台所の食器は洗剤できれいに洗いました。窓も拭きました。机の上の整理もしました。しかし、ウナギの主人の前ではススムくんの努力も無きに等しいものでした。なにしろやっぱりそこはウナギの主人の家だったからです。

  家を出るとき、ススムくんはあの門番に会いました。本当は門番に嫌味のひとつも言いたいところでしたが、やめました。考えてみれば、この門番も実はもうひとりのぼくなのかもしれない、ススムくんはそんな風に考えたのです。気のせいか門番の顔が少し青白くて元気がないように思われました。さようなら門番さん。門番さんにあいさつをするとススムくんは次の家を探しに出かけていきました。