杉千絵詩集「石の魚」より「沈黙」
だれかにみつめられている
気配で目がさめる

地球の向こう側からとどいた
映像の中で
涙もみせずに
(わしはあなたになりたい)
と 言ったシーラちゃんの
煙った瞳の中でこの夜を
眠っていたのだった

人生の五・六割がたは
自分以外の力で
流されていると思っているわたしでも
遺伝子や原罪の
苦い味も知らぬうちに
傷ついたこころを隠すことを覚えたが
やっと見せた少女の本音には比べようもなく
甘いものだった

どこでもよい
他の国のあなたになりたい と
眠りの中でも
めざめても
ただ みつめられているうしろめたさ
何かうまいなぐさめの声をかけて
疲れすぎる夜と
手を切りたいのだが
ここはすでに現実から出はずれた
シーラちゃんの瞳の中
うかつに
沈黙を破ることができない

第2聯「地球の向こう側からとどいた/映像の中で」というのは空間的な向こう側の意味ではなくて、時間的な向こう側の意味かもしれません。ただ、時間的な向こう側というのはなんとも説明しずらいイメージですけれどもね。

「(わしはあなたになりたい)」と言った「シーラちゃん」って誰でしょう。「わし」と言っているところから判断すると、シーラちゃんはおじさんかおじいさんあるいはおばあさんかもしれないと考えたりもしますが、「ちゃん」ですからね。なんとも言えません。「シーラ」という言葉からはシーラカンスのシーラの響きも感じられます。

「煙った瞳」とはどういう瞳と理解したらいいでしょうか。「涙もみせずに」煙っているということですから、涙よりもっと悲しいもので煙っているのかもしれません。シーラちゃんが仮に正樹くんのあだ名であるとすると、どうして「わし」という言葉を使うかわかりません。(わしはあなたになりたい)と言ったのが仮にシーラちゃんであり、それが第3聯の「少女の本音」につながるとするならば、シーラちゃんというのは正樹くんではなくて、一人のどこかの少女であると言わざるを得ない気がします。

私は、シーラちゃんはもしかしたら杉さん本人のことではないかと考えています。私の解釈が正しければ、前の詩「カリフラワー」で杉さんは、自分が正樹くんの体を蝕む憎き癌細胞を食べてしまいたい、そういう思いを書いていらっしゃいました。(わしはあなたになりたい)というのはその思いの延長にある言葉なのではないでしょうか。できるものなら身代わりになってあげたい。それが杉さんの本音なのだと思います。

通常の人の何倍も早く年をとってしまう病気というのが世の中にはあるそうです。自分をそれと似たような状況に置いて杉さんはこの詩を書いている、そう解釈してみたらどうでしょうか。シーラちゃんは杉さん本人です。外見的にはおばあさん。でも心は少女のまま。少し強引すぎるでしょうか。

第4聯「どこでもよい/他の国のあなたになりたい」というのは、正樹くんの置かれている世界を自分には分からない「他の国」と捉えての言葉。第1聯で「だれかにみつめられている/気配」と言い、ここでも「ただ みつめられているうしろめたさ」と言っていますが、みつめているのは誰でしょうか。私ははじめ第2聯「シーラちゃんの/煙った瞳の中でこの夜を/眠っていたのだった」ということから判断して、「だれか」とはシーラちゃんのことかもしれないと考えていましたが、どうもそうではないらしい。やはり、みつめているのは正樹くんなんだと思います。そして見つめられているのがシーラちゃんである杉さんご本人。そう解釈すると、最後の「ここはすでに現実から出はずれた/シーラちゃんの瞳の中」という言葉に深い意味が感じられると思うのですが、いかがでしょうか。