杉千絵詩集「石の魚」より「小児病棟」
ちいさな
―君がちょろちょろしない
どうかした
と聞くと
退院した
 の声がふたつみつ
それからジーンと
みんなで蝉になる

ここでは
死んで帰っても
治って出ても
退院した
 その
先には触れない

白樺の倒木みたいな夏の
安静時間のベッド
にとまる蝉たちは
気分のよい順に
つまらない を唱えはじめ
蝉の合唱になる

二重のカーテンが引かれた病室は
元気や空元気の蝉だらけです

泣けないから鳴くのですね
なんて言ったら
気味わるそうに見つめられて

のぞけば底までみえる過去と
霧の向こうの未来が
時の橋を往復する ここは
仮の家族の
蝉館です


第1聯「ちいさな/―君・・・」。「―君」としているのは名前を伏せる意味もあるのかもしれませんが、小さな声で話しをしている様子、ともとれそうです。小さな声で「どうかした」と聞くと、病室の中の子ども数人が「退院した」と語尾を延ばすように軽く答えた。「それからジーンと/みんなで蝉になる」とはどんな様子でしょうか。蝉は第3聯で「白樺の倒木みたいな夏の/安静時間のベッド/にとまる蝉たちは/気分のよい順に/つまらない を唱えはじめ/蝉の合唱になる」とあることから推察して、小児病棟に入院している子供たちのことと思われます。一匹一匹ではミーンミーンと鳴いたり、ツクツクホーシと鳴いたりしているのに、蝉の鳴き声が重なると、全体としてはジーンと聞こえます。子供達の声が重なり、それぞれの声が区別できない状態、それを「ジーン」と表現したのではないでしょうか。

第2聯は解釈はとくにいらないでしょう。

第3聯「白樺の倒木みたいな・・・」は本来「夏」にかかるのではなくて、「ベッド」にかかるとみたほうが良いでしょう。子供達を蝉にみたてると、ベッドが白樺の倒木のように確かに思えてきます。ただ、「白樺の倒木みたいな・・・」をそのまま「夏」にかかると考えてもイメージは膨らみます。その辺をおそらく考慮して、あえて「白樺の倒木みたいな/夏の安静時間の/ベッドにとまる蝉たちは」と区切ることをしなかったのではないでしょうか。

第4聯「二重のカーテンが引かれた病室」とはどういうことでしょうか。本当に二重のカーテンが引かれているとみるべきでしょうか。そうかもしれませんが、そうではなくて、物理的なカーテンと心のカーテンとを想定してもいいのではないかと思います。

第5聯「泣けないから鳴くのですね」。「泣けない」のはなぜでしょう。子供たちは、自分達のおかれている状況がまだよくわからないから、それで「泣けない」のではないかと思います。本当は泣いてもおかしくないのに「泣けない」から「鳴く」。鳴いているのが泣いているように杉さんには思えたのかもしれません。第1聯の退院したという「―君」との関係もあるのかもしれません。

最終聯「のぞけば底がみえる過去」というのは、それほど生まれてからの時間がわずかだということでしょう。「霧の向こうの未来」。病魔に侵されてしまっている子供たちの未来には霧がかかり、よく見えません。
「ここは/仮の家族の/蝉館です」。「仮の」というのは本当の家族ではなくて「仮」に過ぎないんだという面よりも、子供たち同士が、まるで本当の家族のように過ごしている、日一日を過ごしている、その掛け替えのない場所なんだ、と「家族」を強調したと見るべきではないでしょうか。
「蝉館」。蝉はほんのわずかの時間、数日を地上で鳴いて死んでいくそうです。その儚い蝉のイメージがこの詩の基調をなしていて、なんとも切なく感じます。