杉千絵詩集「石の魚」より「1996年夏」
なにもしないのに
とつぜん
瘤の上からねじれてしまった木

あわてて薬を塗り
水をたっぷりやる

ちぢれた葉は
なんとか元に戻りそうだが
性悪の瘤は夏の花の
豊かな未来を
横に断ち切っている

なにもしないのに
なにもできないで
危うさをくぐってきた一年

見ていたのに
見えなかったものが
押さえようもなく芯から育っていく

ぼくのようだ
なんて決して言わない
このごろ
ありがとうをたくさん言う
少年と
いっしょにいる 夏


第1聯「瘤」はガンを思わせます。「なにもしないのに/とつぜん/瘤の上からねじれてしまった木」。それは正樹くんでもあるでしょう。ただ、「瘤の上からねじれてしまった木」はたぶん本当にどこかにあったのだと思います。病院の近くのいつもの散歩道でしょうか。それとも自宅の庭でしょうか。第2聯「あわてて薬を塗り/水をたっぷりやる」ということから推察すると、あるいは、盆栽のようなものと考えてもいいかもしれませんし、あえて、正樹くんのイメージを心の中で強調した部分にすぎないと読んでもよいのかもしれません。

第3聯。葉っぱはなんとか元に戻りそう。でも「夏の花」の「豊かな未来」はすでに「横に断ち切」られてしまっている。葉っぱなんとかなるけれども花を咲かせること無理だろう、瘤のために木は、ガンのために正樹くんはそう言う状態にあるということだと思います。

第4聯「なにもしないのに/なにもできないで」という文は、繋がりが非論理的でそれが「危うさ」を際立たせているように思われます。「なにもしないのに・・・」「なにもできないで・・・」と時間をあけて読むべきところかもしれません。

第6聯「ぼくのようだ/なんて決して言わない」。正樹くんもこの木を見ています。いままでだったら言いそうなのに、「ぼくのようだ」とは言いません。逆に「ありがとうをたくさん言う」。周りに目がいくようになった、やさしい正樹くんの心が無性にいじらしく感じられます。