杉千絵詩集「石の魚」より「原っぱ」
目隠しされてしまった
川に沿って
流れるように下ると
ベンチもブランコもない
小さな原っぱに出た

すっかり忘れられ
日暮れ近くなっても
子どもはひとりも来ない

向こうの三角山で折り返してきて
重なりあい 混ざりあって
時には空さえへこませてみせた
声はない

あの声のひと握りを思い出しては
息を吹きかけ
ポケットにしのばせているのは
わたしだけなのだろうか

固く握りしめている
ポケットの中の掌をひろげてみる

この原っぱで
どの歌よりも優秀だった
「七つの子」
のメロディが
細々と早春の草の上にこぼれはじめる

雨の匂いがしてくる


第1聯。「目隠しされてしまった/川に沿って」というのは、ちろちろ流れる水路のような小川に蓋がされてしまった暗渠の状態のことでしょうか。それとも「目隠しされてしまった」で一旦文章が切れると考えるべきでしょうか。両方の意味が含まれているように私には思われます。
「流れるように下る」ということによって「川に沿って」いるということが強調されるとともに、ある速さを感じます。
その川に沿っていくと「ベンチもブランコもない/小さな原っぱ」に出ました。

第2聯。以前だったら、子供たちが遊んでいた原っぱですが今は「すっかり忘れられ」「子供はひとりも来ない」場所になってしまいました。

第3聯。どの位昔のことだろうか、「時には空さえへこませ」るほど子供たちの声が空を突き抜けていたのに。「三角山」がどこの山のことか、ちょっと見当がつきません。赤城山とか遠くの山まで行ってしまうと、小さな原っぱとは不釣合いのような気がします。地元の小高い古墳のような山のことだと考えておきましょう。「空をへこませる」というのは空がポコッとへこんでしまうほどその声に元気があったということでしょうか。「へこむ」という言葉には精神的に落ち込む、という意味がこめられているかもしれません。

第4聯。その声の「ひと握りを思い出しては/息を吹きかけ/ポケットにしのばせている」。「息を吹きかけ」る行為には、生命力を持続させようという意図が感じられます。それを「ポケットにしのばせている」のは肌身離さずに大事にしているということでしょうか。

第5聯。第6聯。その手をそっとポケットの外ではなく、中で開くと、「七つの子/のメロディーが」こぼれてきました。「七つの子」はたぶん童謡でいうところのカラスの七匹の子供という意味ではなくて、七才の子どもという意味ではないでしょうか。はっきりしたことは言えませんが正樹くんは7歳の頃、ガンを発病したはずですから。「七つの子/のメロディ」とは元気な正樹くんの姿なのではないかと私には思われます。

第7聯。早春の草の上に「雨の匂いがしてくる」。雨には涙が混じっているのかもしれません。たぶん、この原っぱで幼い正樹くんはその昔、元気いっぱいに遊んでいたのに違いありません。