杉千絵詩集「石の魚」より「こいのぼり」
子供の日を前に
病院の庭で
白衣にかこまれ
こいのぼりを上げる子供たち

風に乗れない
鯉の泳ぎにあわせ
口をパクパクやっているのは
多分
鯉の気持ちになっているのだろう

近寄ると
ひとり背を向け
西の空にぶつぶつ言っている子がいる

最後に口をパクパクやって
こいのぼりになる
それだけのことだよ

十代にして
同病の子がつぎつぎに消えるのを
見過ぎてしまった
黒い鯉が
いっぴき いる


第1聯。「病院の庭で」病気の子供たちが、お医者さん、看護師さん達にかこまれて、こいのぼりを上げています。

第2聯。「風に乗れない/鯉の泳ぎにあわせ/口をパクパクやっている」という表現には、入院している子供達が病気と闘っているイメージが重なっています。なんとか鯉を風に泳がせようとして、必死に口を「パクパク」動かしている子供達。健康で明るい「風に乗れない」もどかしさを感じます。

第3聯。他の子供たちがみんなこいのぼりを見上げて口をパクパクしているのに、「ひとり背を向け/西の空にぶつぶつ言っている子がいる」。正樹くんです。東の空ではなく、西の空に向かってぶつぶつ言っているというところは「西方浄土」のイメージが重なって象徴的です。

第4聯。その彼が「最後に口をパクパクやって/こいのぼりになる/それだけのことだよ」と言い捨てます。「最後」とは勿論、臨終の時のこと。同病の子供達が次々に死んでいったのを見て、自分のそれほど遠くない未来の姿を予見しています。「こいのぼりになる」とは魂の抜け殻になってしまうということでしょう。

第5聯。「黒い鯉が/いっぴき いる」というのは一見すると突き放したような表現ではありますが、手助けしようにも何もできない杉さんの悲しい思いがあふれた表現である、と私には思えます。