杉千絵詩集「石の魚」より「子守りうた」
(大部屋って楽しいよ)
手振りを交えながら
つめたい
田舎まんじゅうを頬張る
きみ にみとれている

ときには薬と殴り合い
頭を丸め
二年という日をかけて
やっと病気を眠らせたのである

面会室で会う
わたしの胸のうちを
子守うたが流れている
こんなに身を入れ
しかもふざけながら
途切れそうな子守りうたを唄ったのは
はじめてのことだ

(半月だ)
ときみが空に
ゆっくり円を描くまんじゅうから
ほかほかと
湯気がたつのがみえてくる

もっと芯のある
あったかい子守うたを唄わないと
湯気に
きみの体温を連れだされる

心配になってくる


第1聯。個室か小部屋から大部屋に移ったのでしょうか。病状がある程度、好転した時期のようです。「つめたい/田舎まんじゅうを頬張る/きみ にみとれている」。ああよかった、だいぶ元気になってくれた、その明るい様子に杉さんはつい「みとれて」しまうのです。「きみに みとれている」ではなくて「きみ にみとれている」としたことで「きみ」への思いがより一層強く表現されていると思います。

第2聯。「ときには薬と殴り合い」までしてというのは、薬の副作用との格闘のことでしょうか。「頭を丸め」も薬の副作用のことではないかと思います。「二年という日をかけて/やっと病気を眠らせたのである」から思いはひときは強い。元気そうな正樹くんの様子にふっとみとれてしまう杉さんの気持ちがよくわかります。

第3聯。杉さんは正樹くんと病室ではなくて面会室で会っています。「わたしの胸のうちを/子守うたが流れている」。子守うたは、正樹くんに唄っているのではありません。正樹くんの身体の中にある病気に対して、どうかこのまま眠ったままでいてくれるよう、祈るように唄っているのです。「こんなに身を入れ」というのは病気に対しての真剣な思いがあるからでしょう。「しかもふざけながら」というのは、そんな子守うたで病気がどうこうなるもんではないことを杉さんがよくわかっているからではないでしょうか。
「途切れそうな」子守うたであるというのがつらいところです。

第4聯。面会室の窓の外には半月が見えています。「つめたい」はずの田舎まんじゅうから、「ほかほかと/湯気が立つのがみえて」いるというのは、どうしてでしょう。表面は冷たくなっていても、中身はあったかくて、それで湯気が出ていたのではないかと思います。湯気は、あたたかい希望の象徴、命の象徴。表面は冷たくなっても、中は人間と同じように温かさを残していたのだと思います。
「(半月だ)/ときみが空に/ゆっくり円を描くまんじゅう・・」。というところは、素直に、正樹くんが湯気の立っている食べかけのまんじゅうを手に、ゆっくり空中に円を描いている様子、と考えていい思います。「半月の丸さ」です。それが「半分」の「丸さ」というのが何とも象徴的です。半月とまんじゅう。その丸さがイメージとして微妙に重なり合う場面です。

最終聯「もっと芯のある/あったかい子守うたを唄わないと/湯気に」体温をもっていかれてしまう、というところから考えて、湯気は正樹くんの生気のようなものとして捕らえられています。表面は冷たいけれど中身があったかいまんじゅう。それは、人間でもあるわけです。