杉千絵詩集「石の魚」より「桜ごろ」
書店の
二段目の棚のすみに
桜の花弁が いちまい
はかなく置いてあった

だれの肩に乗ってきたのだろう

 棺に入るには
 まだはやい

伸びあがって
本を選ぶ車椅子の少年の
背もたれを押さえながら
国語辞典を開くと

「小康」は
今日も
焼香と
昇汞
に挟まれて
うつむいている

焼くこともならず
毒消しにもならず

 棺に入るには
 まだはやい

花弁をそっと挟んで帰る



第1聯。桜の花弁が「書店の/二段目の棚のすみに」いちまい「はかなく置いてあった」。「二段目」は下から二段目ということだと思います。一番下まで落ちないで「二段目」に花弁があったということが暗示的です。また、落ちていたのではなく「置いてあった」というところから考えて、その花弁にある意図的なもの、人為的とは限らずとも、大自然をも含めた、場合によっては神様のようなものをも含めて、ある意図を感じたのではないでしょうか。

第2聯。「だれの肩に乗ってきたのだろう」という一文から、時間の流れ、社会とのつながりを感じます。

第3聯。突然、「棺に入るには/まだはやい」という文。これは花弁に触発されて、ふと心に浮かんだ言葉とみてよいと思います。誰に向かって、あるいは何に向かっての言葉でしょうか。自分自身でしょうか。あるいは正樹くん?もしかしたら桜の花弁かもしれません。

第4聯。「車椅子の少年」は「伸びあがって」本を選んでいますから、たぶん花弁には気づいていないでしょう。杉さんは、車椅子を押さえながら、近くにあった国語辞典をそっと開いてみます。最後「国語辞典を開くと」で一行空けてあるところは、ほんのわずかな時の流れを感じます。ため息もあるかもしれません。

第5聯。「「小康」は/今日も」とあるところから、国語辞典を開いたのはその時だけではないようです。小康状態が続いている正樹くん。そう言えば「小康」ってどういうことだったかしら、と前に国語辞典を開いたのかもしれません。そしたらそこに、小さな不吉な発見がありました。「小康」が「焼香と/昇汞/に挟まれて」うつむいていたのです。「焼香」は死後の儀式。「昇汞」は自殺を想起させる劇物、毒消しとしても使われるようです。「小康」はその間に挟まれて、なんとなく元気がないように見えました。別の国語辞典だったらどうなのだろう、と祈るような気持ちで開いたのかもしれません。別の場所に書かれていますように。別の場所に書かれていれば、なんとなく希望が持てるのに、そんな気がしたのではないでしょうか。

第6聯。「小康」は「焼くこともならず」、「毒消しにもならず」、なんとも中途半端な状態だということでしょうか。「焼くこともならず」という表現、私には少々過激すぎます。

第7聯。第8聯。「棺に入るには/まだやはい」というリフレーンの後に、「花弁をそっと挟んで帰る」と続く。そこに置いたままにはしておけなくて、助けるような気持ち、慈しむような気持ちで「花弁」を挟んだのだと思います。