杉千絵詩集「石の魚」より「コバルト色の花」
コバルト色と言えば
空と海が
燃えたあとの余熱に咲く花の色

いつからか決めていた

色も正体もよくわからない
コバルトが
近頃
ひとの身体の中で切れっ端を光らせ
花だ花だと
幅を利かせるようになった

どおという命ではない が口癖のひとも
どおという命かどうか わからないものも
命さんのためには言い訳も拒否もなく
身体をひらいてコバルトを通す

こうなったら曲り者だからって
遠くに避けてもいられない
若すぎるいのちなら尚更である
身体の中に咲く
コバルト色の花に水をやりたくなる

第1聯。コバルト色とは、緑色を帯びた濃い青色のこと。「空と海が/燃えたあとの余熱に咲く花の色」。空と海が燃えたというのは、どのようなイメージでしょうか。原子爆弾が爆発したあとのようなイメージでしょうか、それとも、夕焼け空が赤く染った後の夕暮れのイメージでしょか。

第2聯。「コバルト」という言葉はよく耳にしますが、実態はよくわかりません。そこで、簡単に「コバルト」について調べてみました。天然に存在するコバルトは、全てコバルト59と言われるそうです。原子炉内部でこれに中性子を照射することによって、コバルト60が人工的につくられます。このコバルト60から、強力な放射線(ガンマ線)が放出されます。コバルト60は、腫瘍を取り除くいたり、生体の内部構造の検査、殺菌のためにも使用されているそうです。ここでは、コバルト60のこうした医療分野への応用のことが言われているのだと思います。

「色も正体もよくわからない/コバルトが/近頃/ひとの身体の中で切れっ端を光らせ/花だ花だと/幅を利かせるようになった」。コバルトが放射され、それが、身体の中で花のように光っている様子を言っているのでしょう。「幅を利かせ」ているということから、杉さんはあまりそれを好ましく思っていないようです。

第3聯。普段命を粗末にするようなことを口にする人もそうでない人も「命さん」のために、コバルトを身体に通す。ここでただの「命」と「命さん」とを区別しているように思います。「命さん」と言うと、個人個人の生存とは別のところ、あるいは人智を離れたどこか別の次元にある何物かのように表現しようとしているのではないでしょうか。普段はただの「命」でも、いざとなると「命さん」になる、そういうことかもしれません。

第4聯。「こうなったら曲り者だからって/遠くに避けてもいられない」。こうなったら、というのはどうなったということでしょうか。病状が行きつくところまで行きついてしまったら、ということでしょうか。「曲り者」はたぶんへそ曲がりな人のこと。「身体の中に咲く/コバルト色の花に水をやりたくなる」。ここを読むと、「コバルト色の花」というのは癌細胞を照射した後の、癌細胞にやられ疲れきった正常な細胞のこと、とも思えてきます。