杉千絵詩集「石の魚」より「虫」
熱いものを吐きつくし
彩の残り香を片付け終った
夏の葉たちが俯き
目を閉じている

不意に
風の掌が
葉たちの裾をめくる
葉の裏側だけ食べる虫が
秘所を見られて手足を早送り
葉脈の陰にかくれてこっちを睨む

(あら あなたも 裏側に? なぜ?)
(かみさまにきいてくれ)

虫は頭を横にながぁく振りながら
通りぬけたり帰ってきたりする

そういえば
神さまは
いきものの振る
白旗である

虫も
手早いところで切りすての
旗を振った

それだけのことではあるのだが

第1聯。夏の葉たちは「熱いものを吐きつくし/彩の残り香を片付け終わった」。熱いものとは何でしょう。彩とは何でしょう。精一杯の青春。精一杯の命の発散。そのようなものを夏のイメージに結びつけたのではないかと思います。それを吐きつくし、残り香までも片付け終わったということは、もう秋を迎える段階が迫っているということでしょうか。あるいは、そこまではいかないで、夏の熱い一日が終わろうとしているそういう時間帯を描写しているのかもしれません。後者でしょうか。
「夏の葉たちが俯き/目を閉じている」。暑さに疲れきって休息に入ろうとしているようなイメージが感じられるところです

第2聯。「不意に/風の掌が/葉たちの裾をめくる」。夕暮れになって少し風が吹いてきたのでしょう。「裾をめくる」と「秘所」という言葉がかすかなエロスを醸し出しています。するとそこに虫がいた。「葉の裏側だけを食べる虫が/秘所を見られて手足を早送り」する。たぶん、小さな青虫のような虫ではないかと思います。手も足も区別がない。手足全部まるごと必死に動かして逃げるのでしょう。そして「葉脈の陰にかくれてこっちを睨む」。

第3聯。「(あら あなたも裏側に? なぜ?)」と聞いたのは杉さん。「(かみさまにきいてくれ)」そう答えたのは、葉の裏側だけを食べる虫に違いありません。

第5聯。「そういえば/神さまは/いきものの振る/白旗である」。人間は、本当に苦しい時、自分の力ではどうしようもないような時に神様を持ち出します。神様は、考えようによっては降参する時の白旗のようなもの、そう杉さんは言っているのでしょう。

第6聯。「虫も/手早いところで切りすての/旗を振った」。切りすての旗ってどういうことでしょうか。何を切りすてる、というのでしょうか。「虫も」というからには虫でないものも想定されています。「手早いところ」。「切りすて」。早過ぎるあきらめ。

最終聯。「それだけのことではあるのだが」。葉裏に虫がいて、逃げ場がなくて降参した様子だ、というただそれだけのこと。降参の旗を杉さんもあるいは正樹くんも振ってしまったのだろうか。ただ、それだけのこと。