杉千絵詩集「石の魚」より「長電話」
呼び出され
受話器を握ると
産まれたばかりの死が
白い山脈を超えてとどく

九十三歳だから
涙はいらない
と言いながら
肉親だからできる
後を引いた喧嘩
夜店での掛け引きの達者ぶり
が語られる

だから
悔いはないと思うわ の
さまざまが色付きで
押し合いながらわたしの中に
移し替えられてゆき
ほんとにね とか
まあね とか
他人事のあいずちを打つうち
寒さも横からすべりこんで
底の方で
とぐろを巻きはじめる

死とは
とぐろを巻くんだ
思わず口をすべらせてしまった



第1聯。「産まれたばかりの死」という表現に、つい今しがたまで呼吸をし、生きていたという実感があります。「白い山脈を超えた」ということは新潟あたりになるのでしょうか。

第2聯。「九十三歳だから/涙はいらない」。亡くなったのは杉さんのお母さまだろうか。「肉親だからできる/後を引いた喧嘩」。喧嘩は電話の向こうで話しをしている杉さんのお姉さん(?)との喧嘩のことでしょうか。

第3聯。93年も生きられたのだから「だから/悔いはないと思うわ の/さまざま」。こういうこともあったのだから悔いはないはず、こういうこともあったのだから悔いはないはず、と確かめるそのひとつひとつという意味で「・・・の/さまざま」としたのでしょうか。「ほんとうにね とか/まあね とか」まるで他人事のように相づちをうつ。相づちをうちながらも、そのひとつひとつが「・・・色付きで/押し合いながらわたしの中に/移し替えられて」ゆく。それもそのはずです。杉さんのお母さんですから、杉さんには杉さんの思いがあるのです。
しかし、暖房のない電話口です。寒さも手伝って、杉さんは、もういいではないの、よくわかったわ、ちょっとくど過ぎるわよ、という思いをもってしまったのです。

第4聯。「死とは/とぐろを巻くんだ/思わず口をすべらせてしまった」というのは、そういうことなんだと思います。