杉千絵詩集「石の魚」より「待つ」
木の下でもつれあっていた
半腐れの実を片付け終わる と
こだわった杏との縁が
すーっ と切れた

終ったわ
馬鹿さわぎ
くたびれもうけでした

今年も無事ってことだから
ま いいじゃないか

おとこのことなかれ主義が
やれやれと椅子の背で伸びをする

冗談じゃない
身づくろいしなおして
わたしは待っています

この木にくるはずの
心臓の形をした実
噛めば
心臓の味のする赤い実




第1聯「木の下でもつれあっていた/半腐れの実」。この実は最終聯では、「この木にくるはずの/心臓の形をした実」になるはずだったと言われています。しかもその実は「噛めば/心臓の味のする赤い実」です。心臓の味?どくどくしていて、生暖かい血液の味?確かに、杏の実は、心臓の形をしていると言えば言えなくはないような、心臓の味と言えば、そう言えなくもないような気がします。杉さんは杏を育てようとしたが、うまくいかなかった。きちんとした命の象徴でもある心臓の形にはならず、小さいまま「半腐れ」の状態で終わってしまった。
「終わったわ/馬鹿さわぎ/くたびれもうけでした」とここまでは、まあ、杏の植育ものがたり、ということで片付いてしまうかもしれません。

ところが第3聯で「今年も無事ってことだから/ま いいじゃないか」という言葉がきます。今年も無事?何が?やっぱり、正樹くんのことでしょうか。「おとこのことなかれ主義が/やれやれと椅子の背で伸びをする」。「ま いいじゃないか」と言ったのは誰?杉さんののご主人、正樹くんのおじいちゃんなのではないでしょうか。「おとこのことなかれ主義」。確かにおとこの方が一般に和を大事にするような気がしますから、そういう面はあるかもしれない、と納得してしまいます。

なんとか育てようとしていた杏。その「実を片付け終る と/こだわった杏との縁が/すーっ と切れた」。杏がうまく育ってくれれば正樹くんの病気も完治する、そういう風に杉さんは縁起をかついで杏を育てていたのかもしれません。それを知ってかご主人は、杏はだめだったけれど、正樹は車にのって「今年も無事」。だからいいじゃないか、と言ったのかもしれません。しかし杉さんは、「冗談じゃない」と思う。ま、いいじゃないかじゃない。よくない。絶対よくない。今度はなんとしてでも杏の実をつけさせるんだ。きちんと心臓の形をした、心臓の味のする赤い実をつけさせるんだ、とまた決意を新たにして待つ。「身づくろいしなおして」とはそういうことなのではないでしょうか。