夢七夜


  夢をみました。私は音楽学校を受験する受験生。受験生の数はものすごい数でした。その一人一人が個性ある存在であったかどうか、それはよくわかりません。たぶん、夢の中ではそれなりに個性のある存在だったのでしょうが、目覚めた今はただの群集でしかありません。かなり脚色してしまうかもしれません。ちょっぴり感動した小さな夢についてのお話です。

  たくさんいる受験生の中でもチェロ科の受験生の数は20人程度でした。科ごとに受験生はいつも一緒に行動していましたから、だいたいの数はわかります。受験科目は実に雑多です。絵画、マラソン、楽器、そして最後に論文試験です。

  試験は朝早くはじまりました。最初の試験は絵画です。試験委員の人が教室に姿をあらわしました。まわりがざわついている中、小さい声で短い話をはじめます。
「これからチェロ科の試験をはじめます。まず、絵画の試験です。テーマは何でも構いません。机の上にある画用紙に好きな絵を何でも描いてみてください。一応時間は2時間とします。できたら机の上に置いておいてください。えーと、それから、終わったら忘れないで裏に絵の題名と受験番号、氏名を書いておいてください。隣の人と話をしても、外に出ても構いません。それでは始めてください。」
それだけ言うと試験委員は教室から出て行ってしまいました。私は周りの受験生の様子をしばらくじっと伺っていました。何しろ知らない人達ばかりです。早速、隣の受験生と話をはじめる受験生もいます。しかし、大方の受験生はじっと何かを考えている様子です。

  受験生の中に女の子が5名ほどいました。その中のショートカットの女の子に私は関心を持ちました。テーマなんてそっちのけで私はその女の子を観察していました。よく思い出せないのですが、どうも私もその女の子と変わらない位の年齢だったように思います。もしかしたらこの子と結婚するのかなあ、なんて思っていました。翌朝、妻にそれを話すと「それは私のことよ。」だそうです。そう言われると、なんだかそんな気もしてくるから不思議です。

  さて、この絵画の時間に早速、脱落者が一名出ました。試験が始まって30分もしないうちにその受験生は突然立ち上がりました。
「俺は、絵画の勉強をするためにこの学校を志望したんじゃない。」
そう言うと、その受験生は教室から出ていってしまいました。私は、結局、何も描かずに真っ白のままの画用紙の裏に受験番号と氏名だけ書いておきました。

  次の試験はマラソンです。どんなにゆっくりでもいいから歩いてはいけない、そういう条件がついていました。紅葉がきれいな公園の中をみんなで走りました。どこまで行ってもなかなか折り返し地点まで着くことのできないような、それはそれは本当に広い公園です。折り返し地点まで行く間に、一人また一人と脱落者が出ました。汗びっしょりになった受験生の中の何人かは、足が痛くて痛くてもうこれ以上走れない状態になってしまったのです。中には涙ながらに棄権していった人もいました。私はなんとかこのマラソンもクリアーできました。ショートカットの女の子も顔を真っ赤にしてゴールしました。

  そして、次は楽器です。それぞれの人がそれぞれの楽器を選んで演奏しました。ショートカットの女の子はピアノを弾きました。バッハの平均律。私は涙がでるほど感動して、それに聴き入っていました。ドラムを叩く人、口笛を吹く人、サックスを吹く人、実にいろいろな楽器が演奏されます。私はギターをチェロのように立てて演奏しました。ギーギー変な音を立てて、やっとのことでギターを弾きました。

  「いやいや、それでいいんだよ、これからチェロをやろうっていうんだからへたでもいいんだ、やる気がでているかどうかが大事なんだよ。」
音楽学校の在校生らしき人が私に声をかけてくれました。それを聞いて私はなんだかとても安心しました。ここでもやっぱり脱落者が出ました。何だかよくわかりませんが、音楽のことで受験生が口論をはじめたのです。
「こんな考えの学校なんかには入って欲しいと頼まれたって俺は入らないぞ。」
そう言って席を蹴って出ていった受験生が何人かいました。

  最後の論文試験もとても変わっていました。何しろ誰と話をしてもいいのです。本を見ても構わないし、その日の真夜中までどれだけ時間がかかっても構わないのです。「自分が今一番したいこと」それが論文のテーマでした。回りの受験生の間では、先ほどの受験生の口論のことがまだ話題にのぼっていました。私もその輪の中にいて、この学校の先生達の考えとか、試験科目の内容がどうだとか、どうしてこの学校を選んだのか、そういうことについて真面目に議論を戦わしていました。

  半ば、こんな学校に入るのは馬鹿げているからやめようかと心に決めかけていたとき、私はショートカットの女の子がひとり黙々と一所懸命に論文試験に挑戦している姿を目にしました。そーと、女の子に近づいて、その論文を盗み見した私は驚いてしまいました。

  そこにはその女の子の音楽に対する情熱が切々とつづられていたのです。この世に生を受け、死ぬまでの間に、自分は自分の存在の悲しみや苦しさや楽しさを音楽を通じて表現したい、それが自分の生きている意味であり、それ以外に自分の生きる道はない、そういうようなことが論文用紙にびっしりとつづられていました。

  それを見た私は、正直、大変なショックを受けました。自分が音楽に真正面に向かい合っていないことを恥じました。大事なことは、自分にとって音楽が何であるかということであり、誰がどうの、学校がどうのということではない、そういうことに気がついたのです。

  できれば、もう一度夢に戻って、その女の子といろいろ話をしたい、そんな気持ちの朝でした。