【 プソイドエフェドリンと覚せい剤密造 】
(改訂 10/06/10)
[はじめに] ついに日本でも、本格的な覚せい剤密造事件が発覚しました。2010年6月10日、エフェドリン化合物入り風邪薬を用いた覚せい剤密造事件です。神奈川県相模原市の住宅屋根裏部屋で覚せい剤を密造していたとみられるイラン人2名が警視庁に逮捕されていることが、2010年6月10日、TVや新聞で報道されました。赤城高原ホスピタル院長、竹村は、事前にいくつかのマスメディアからの取材を受け、同日のNHKおはよう日本、「覚せい剤密造の疑い 市販薬の成分を原料に使用か」で若干の解説をしました。これを機会に当院HPの「覚せい剤」ページの1項目であった「プソイドエフェドリンと覚せい剤」記事をこのページに移転し、記事を更新追加しました。
プソイドエフェドリン(pseudoephedrine、以下PSE)は、交感神経興奮作用の一つであるα1作用による血管収縮作用を持ち、鼻粘膜の充血やはれをおさえ、鼻づまりを改善します。後述するPPAに代わって、近年、アメリカ、西洋諸国や日本で鼻炎治療薬のエースとして使用されるようになりました。
2000年11月、米国食品医薬品局(FDA)は、フェニルプロパノールアミン(PPA)が脳出血の副作用を起こす危険があるとして、フェニルプロパノールアミン(PPA)を含有する医薬品の米国内における自主的な販売中止を要請しました。
日本でも、同年11月に、使用上の注意の改訂による適正使用の徹底等の対応を取りました。さらに2002年7月に、フェニルプロパノールアミン(PPA)を鼻炎用内服薬及び鎮咳去痰薬の製造(輸入)承認基準から削除し、PSEを鼻炎用内服薬製造(輸入)承認基準に収載しました。
このように、アメリカでも日本でも、PSEは鼻炎治療上重要な薬剤となっていたのですが、その一方で、アメリカでは、近年、PSEについて厄介な問題が持ち上がりました。それは、この鼻炎治療薬を原料にして覚せい剤を製造する密造業者の出現です。
アメリカでは、1980年代後半までは、西海岸と南西部に限られていた覚せい剤乱用が急速に東海岸に広がってきました。そしてこの活発な需要を背景に覚せい剤の密輸業者が増えてきました。これらは、化学合成されたエフェドリンを原料にしていたので、覚せい剤取締りの観点から、エフェドリンの大量販売が問題になりました。そして、1988から1993年にかけて、覚せい剤原料としてのエフェドリンの販売規制が厳しくなったために、密造業者は規制がないPSEに目をつけ始めました。現在、アメリカ国内での覚せい剤合成は塩酸PSEを原料とするものがほとんどです。
PSEから覚せい剤を製造する原理と技術は簡単で、小さな小屋があれば製造可能だし、製造装置ごと車に乗せて移動することも可能です。一方で、製造過程では有毒物質を扱い、ガスバーナーで高温に熱することが必要なので、安全性への配慮が欠けるこのような密造工場では、火傷や爆発、火災などの事故が付き物です。製造過程でひどい悪臭が発生するので、人里はなれた場所でないと隠れて製造することは困難です。密造所が米国中西部の人口が少ない地域に多いのはこのためです。日本で密造事件が起こらない理由のひとつはこのことにあります。また、これとは別に、PSEの製造時に大量の有毒廃棄物が発生することも危惧されています。
また、上記の安価なアンフェタミン製造方法では、無水アンモニアを大量に使用するため、近隣地域の化学肥料が盗まれることが問題になっています。これを防止するために、『グローテル』(GloTell)という薬品が開発されました。この薬品の入った無水アンモニアに触れたり、これを使って製造されたメタンフェタミンを使用すると手や体がピンクになるのだそうです。
アメリカでは、1990年代半ばにPSEの大量販売が制限されはじめたため、覚せい剤密造業者の一部はPSEを含む市販の鼻炎治療薬、スーダフェド(Sudafed)錠を買いあさり、あるいは盗み、密造を続けています。他の業者たちは、規制のゆるいカナダに移動しました。2003年にカナダでも、PSEの大量販売が制限されるようになると、今度は、メキシコに製造拠点を移し始めています。メキシコには、アジアから大量のPSEが流れこんでいます。
アメリカのDEAは、ミズーリ州をトップとしてアメリカ全土で、2003年だけで7千の密造工場を発見したと報告しています。オクラホマ州では、2004年4月、密造業者に3人の警察官が射殺されたことを契機として、PSEをスケジュール5の規制薬物に指定しました。これにより同州の密造業者は8割減少しました。
このような事態を背景に、2004−2005年、アメリカ中のスーパーや薬局で、PSEを含む風邪薬の販売制限が広がっています。そしてその制限が徐々に厳しくなっています。一度に購入できる風邪薬を制限したところ、密造業者やその手先が、車で片っ端からスーパーを廻って、風邪薬を買いあさる現象が生じました。PSEを買いあさる人のことを、pseudo-runners といいます。とくに規制の甘い州にそのような業者が集まり、在庫がなくなり、本当に必要な人が入手できなくなる事態が生じました。2005年末の風邪シーズン、多くの州では、スーパーの店頭に並べられている風邪薬は、わざわざnon-pseudoephedrineと書かれたものだけになり、PSE入りの風邪薬は薬局のカウンターにしか置かなくなりました。写真付きの身分証明書を提示しなければ購入できない地域もあるようです。製薬会社も風邪薬製造ラインの見直しに動いているようです。一部の製薬メーカーでは風邪薬の成分を、PSEから、メタンフェタミン(覚せい剤)の製造には使えないフェニレフリンなど他の成分に切り替えています。これは「スーダフェドPE」という名前で販売され始めましたが、評判はいまひとつのようです。
2006年、オーストラリアでは、PSEは、コンビニ店やスーパーで扱われなくなり、薬局のカウンターの後ろに置かれ、購入は、対面販売に限られ、販売記録を残すことが薬局に義務付けられました。
米国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどより遅れましたが、英国でも、薬局でPSE入りのOTC(市販薬)を購入し、メタンフェタミンの密造を行うという同様な事例が報告され2007年3月、英国MHRA(医薬品医療用製品規制庁)は、PSEが含まれる薬局用医薬品について、流通販売規制を検討していることを明らかにしました。
ただアメリカでは、多くの地域で、対面販売や一度に購入できるPSE製剤の量を制限するような規制をしていますが、覚せい剤製造業者は、多数の購入担当者たちが(合法的に)買い集めたPSEを買い上げるといった方法で機制を逃れていると言われています。今のところ一番確実な方法は、PSEを処方箋なしには購入できない医薬品(prescription-only
drug)にしてしまうことです。
2006年7月、オレゴン州では、PSE製剤を prescription-only drug とする規制を導入しました。これはアメリカ全土で最も早い抜本的な規制です。その結果、同州では、既に覚せい剤密造事件が激減しています(2010年現在)。
2010年6月までに、ミズーリ州の多くの郡では同様の条例が導入されました。しかしオレゴン州とは違い、州単位の規制でないために、覚せい剤密造業者に雇われた購入担当者たちは、その種の条例がまだ施行されていない郡に押しかけています。
2010年現在、アメリカの多くの州では、PSE製剤を prescription-only drug にすべきかどうか検討中ですが、オレゴン州は例外として、同州のような規制がアメリカ全土に急速に広がる可能性は、現在のところ、なさそうです。その理由は以下の通りです。アメリカでは、元来、医療費がやたら高いので、通常、風邪や鼻炎程度では、一般人は医者にはいかず、薬局やスーパーマーケットなどで、OTCを購入して治療します。それが不可能になり、風邪や鼻炎でも、処方箋をもらうために受診して医師の診察を受けなければならなくなるとしたら、薬代以外に高い医療費がかかるため大問題です。医療保険に加入していない人もいるので、「そのような医薬品の販売規制は、経済的弱者いじめだ。なぜ善良な市民が、一部の覚せい剤乱用者の犠牲にならねばならないのか」、という意見があるからです。
日本では、覚せい剤密輸入はあっても、密造はないとされてきていましたが、2010年6月、ついに本格的な覚せい剤密造事件が摘発されました。PSEを原料とする覚せい剤密造事件です。密造現場の屋根裏部屋では、イランから持ち込んだPSE製剤とともに日本製のPSE製剤など原料が発見されています。これと共にビーカーやガスバーナーなど化学実験器材の他、数百個の風船が見つかったということです。覚せい剤製造の際に発生する悪臭をこの風船に閉じ込め、別の人気のない場所に運んで捨てていたと見られています。このため、住宅街の屋根裏部屋で覚せい剤を密造することができたようです。
これまで、日本では、オウム事件以外には、本格的な覚せい剤密造事件はないとされてきていました。少なくとも発覚していませんでした。そのため、PSE製剤の販売規制がほとんどないという、先進国の中では例外的な状況でした。これからは、欧米に倣って、機制をする必要がでてくるかもしれません。
一方、PSEは、脱法ドラッグのひとつとしても、注目されてきています。PSE自身に弱い覚醒作用があると主張する人もいて、乱用者もいるようです。
[プソイドエフェドリンとドーピング]
WADA(The World Anti-Doping Angency、世界ドーピングの防止機構)の2010年の禁止表(2010 Prohibited
List)に、PSEが再び掲載されました。
PSEは2003年まで、尿中25μg/ml以上は禁止とされてきましたが、2004年からは the Monitoring Program(監視プログラム)のモニタリング物質に緩和されたことから、使用は一応可能でした。この規定が6年ぶりに改訂されたのです。WADAでは、これに先立つ5年間PSEの監視活動を続けてきましたが、尿中の検出量が増えているなど、いくつかのスポーツやいくつかの地域で明らかな乱用が認められること、科学的にもパフォーマンスを高めることが分かったことから、再び禁止物質にすることに決めたのです。
これにより、2010年1月1日からは、尿中に150μg/ml以上のPSEが検出されるとドーピング違反となります。
WADAではPSEを含む医薬品が少なくないことから、関係者に以下のように呼びかけています。
@運動選手は競技会の少なくとも24時間以内にはPSEが含まれた医薬品は服用しないこと
A競技期間中に、治療目的でPSEが含まれた医薬品を使用する場合は、治療目的に使用に係わる除外措置(TUE)の申請を行うか、医師に相談し使用が可能な他の成分を使用すること
BPSE240mg/日を服用した場合の検出量として禁止ラインが設定されているが、60mgのPSEが含まれた錠剤3錠を1日量として1回で服用すると禁止ラインに達する可能性があること
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⇒ TEL:0279-56-8148
文責:竹村道夫(初版:2005/08)
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