【病的賭博、家族のメッセージ 】  赤城高原ホスピタル

(改訂 02/01/05)


[ はじめに ] 

 「病的賭博」は、本人だけの問題ではなく、家族を巻き込み進行してゆきます。このページは、両親のギャンブル癖に巻き込まれ、悩み、苦しみ、しかし負けずにそこから立ち上がろうと努力している勇気あるひとりの女性のメッセージです。私(院長)は、たまたまこの女性の回復の過程に立会い、この女性の回復を見守っています。治療開始後1年目くらいのある日、彼女がある会合で、「ギャンブル問題、家族の体験談」を話されると聞いて、その原稿を見せていただきました。とてもすばらしいので、私の感動を当HPビジターの方々と分かちあいたいと思い、お願いして原稿をいただきました。ご本人の了解を得て、ここに収録することができましたことを感謝します。



[ 両親がギャンブル依存症の20代女性の体験談 ]

 子供時代の記憶にある両親はいつも笑顔で、私は自分の家庭は暖かくて幸せだと思っていました。今から思えば、父はこの頃からパチンコ好きで、仕事から帰るのがやたら遅いので、家庭ではあまり存在感がありませんでしたが、それでも両親は仲のいい夫婦でした。

 異変が現れたのは、私が高校を卒業して専門学校の頃からだと思います。父が母を叱る姿を見るようになりました。はじめの頃はあまり気にしていませんでしたが、だんだんエスカレートしてきました。父が不機嫌になったり、怒鳴ったりすることが多くなりました。両親に夫婦喧嘩の理由を問いただしましたがなかなか答えてくれません。

 そしてある日、とうとう父が母を殴り出しました。私が問い詰めたら、母がパチンコで多額の借金をつくっていて、しかもずっと前から繰り返しているという話でした。なんだか全然実感がわきませんでした。そんな事よりもすっかり逆上してしまっている父がすごく恐ろしく、いつもはやさしい父が母を殴ったり蹴ったりしているという姿と、殴られるまま否定もせず、「どうせ私が悪い、私だけが悪いんだ。死にたい」と泣き崩れる母がもう当時の私にはただただ信じられなくてショックでした。

 いちばん悲惨な思い出は家を売ったときの事です。母の借金が思っていた以上に大きくなっていて、しかもどうやら借金を返そうと焦るあまり整理屋か紹介屋に騙され、さらに借金がふくらんでしまったのです。親戚や職場など、いろんなところに取立ての電話がいっていたようで、そこらじゅうからどうなっているんだと家に電話がかかってきます。サラ金からの取立ての電話もかかってきます。それより何よりその電話が鳴るたびに父が怒鳴り始めて、すごい形相で母に暴力をふるいます。電話のベルがなる度に血の気がひくのを感じました。電話が鳴るのがあんなに怖いと思ったことはなかったです。

 私と妹が育ったあの家は、父が若い頃、苦労をして、自力で建てた家でした。家族の歴史が刻まれた家。それを売ることになった父はすっかり自暴自棄になっていました。父の逃げ場所はパチンコでした。父の金遣いも、ますますひどくなりました。あったはずの家のお金がなくなり、父が、人格が変わったように、妹に「金を貸してくれ」とつめよったりします。その感じが危なそうなので、妹が探偵のように父の尾行をしたこともありました。

 家を売って借金が一度落ち着き、家に本来の穏やかさが戻ってきた頃、私自身をパニック発作が襲いました。漠然とした、それでいてものすごい不安が、私を急に金縛りにします。いつまた起きるかわからない父と母のやりとりにおびえ、いろんな音に異常なほど反応してしまいます。真夜中でも、ちょっと父の声が聞こえると目が覚めてしまいます。見知らぬ封書が母宛に届くと不安でたまらなくなり、勝手に封をあけてしまいます。

 あれからどうなったのと聞いてみても、何も答えない母。借金やギャンブル、家の経済状態など、関連がある話題に触れたがらずどんどんパチンコにはまっていく父。表面的には笑顔がかえってきた家族に、私だけ取り残されて気が狂っていくように感じられました。「その笑顔はなんなの、ほんとうの笑顔なの なんで笑っていられるの」

 私や父の知らないところでまたいつどんな借金がふくれているかわからない・・・。そして私はこれから先、一生、この問題から逃れられないんじゃないかと思うと気が遠くなりそうでした。不安が限界まで来た私は、市役所やいろんな所に相談に行き始めたり、債務整理に関する法的な勉強を自分でしてみたりしだしました。でも相談に行っても「本人が来ないんじゃねえ、あなたの気持ちはわかるけど」と言われるだけです。確かにそうだけど、でも、何かできることはないの?

 そんな時、インターネットで赤城高原ホスピタルのホームページを見つけ、「病的賭博」の記事を読み、「これだ」と思って、竹村先生を訪ねました。先生は「本人が来ないのじゃねえ」とも「本人を連れてきなさい」とも言われませんでした。代わりに私をギャンブル家族の自助グループに紹介してくれました。自助グループに通い、仲間の話を聞いているうちに、濃霧が晴れていくように、いろんな事が見えてきました。

 私の母は若い頃に母親を亡くしました。長女だったので、自分自身が母親代りになり、父親と妹や弟の面倒をみて、自分をずっと犠牲にして生きてきました。そんな母はきっと父の愛に飢えていたのに違いありません。でも父は母を支えることができず、母の束縛から逃れてギャンブルにふけるようになりました。母は子供たちの世話焼きに生きがいを見出していたのでしょう。そして子供たちが成人すると、次の目標を見つけることができなかったのだと思います。たまたま父のパチンコにつきあった後、あっという間にギャンブル依存、借金癖になってしまいました。

 そして、中学生の頃から私に起こるパニック発作の原因もどうやら家庭の問題と関係がありました。母は、自分の子供時代のことを、私たちによく話していました。長女の私は母から「私だっていつ死ぬかわからないのよ」と言われつづけながら育ちました。母が辛そうにしているのを見ていると、不安が私の心を凍らせました。

 私は幾分かは家庭の出来事が冷静に見られるようになりました。それでも、不安は消えません。目の前で母本人の借金が、増えて、ふくれていくのを見るたびに、母の表情が険しくなっていくたびに、気にしないでいようと思いつつも不安な気持ちがふくらんでいきます。いつ父にばれるんだろう、いつ父が暴れだすんだろう。両親の会話やいろんな物音に、耳をそばだてている自分がいます。

 自分のしている事が正しいのかどうか、わからなくなってきます。借金の立替はしないと両親には伝えました。家計の管理も今では私がやっています。自分が眠るときには自室のドアを閉めて、バッグにカギをかけます。でも実際に母の借金の話を聞くと、父が怒り出すのが怖くて、結局、少しずつイネイブリングしてしまいます。

 母に治療につながって欲しいと直言したら、「それよりお金を返すのが先だ、治療のお金だってないんだから。自分の借金を自分で払えばいいんだろう」と言い返されました。半ばヤケになってる感じはあったけど、でも自分で返そうと思ってくれただけでも少しは効果があったのかな、と私が自分に言い聞かせていたら、これが自己満足に過ぎないとすぐに思い知らされます。

 また新しい借金の取立ての電話がきます。妹のお金も盗まれているようです。家具や金目の物が何故かなくなっています。「あっ、またやられた」
これは変な表現だけど、こんな事件に慣れてきている自分がちょっと怖いです。

 今はただ祈るばかりです。「神様、助けてください。どうか両親が自分たちの問題に気付いてくれますように。そして私自身、もっと強くなれますように。両親の問題は両親に返して、はっきりと問題を手放せる勇気を私にお与えください」

 でも考えてみると、親のおかげで私は多くの仲間につながり、自分自身の心の問題にも気付く事ができました。そういう意味では、世間の人よりはちょっとはお得だったかもしれないですね。まだまだ私自身にも問題はたくさんあります。世の中、悪いことばかりではありません。

 現在私は、「今年こそは家を脱出」作戦をたて、そのためお金をためています。私は負けません。見守っていてください。

 ご清聴ありがとうございました。


[ 追加 ](以下、最近彼女からいただいたメールです。上記の会合から数ヵ月後です。)

最近、家が少し穏やかです。でも、何が裏で起きてるかは相変わらずわかりませんが・・・

やっぱりたまに返済が追い付かないという事で立替をせまられ、母にお金を貸してしまいます。母は、「必ず返すから」という条件で貸すのですが、いつも返ってきません。きっとサラ金に返す前にパチンコで増やそうとして結果、負けてしまうんでしょう。でも、少しは気がとがめるのか、最近たまに母が自助グループに出るんですよ。

父の方は、変なことに、たまにパチンコに勝ったりするので、その勝ったお金のおかげで生活がやりすごせる事もあったりして、やっかいです・・・(^^;)

でも、これもやっぱり、イネイブリングに入るんですよね・・? はぁ。自分の共依存の虫を早く完ペキに追い出したいなぁ。


[読者からのメール](2001/04、読者の方からいただいたメールです。)

 病的賭博、家族のメッセージを読ませていただきました。私は現在23歳ですが、小学生の頃から父親のギャンブルに悩まされてきました。気分屋な父に一喜一憂し、借金の心配ばかりしてきました。大学生の時には何回も借金の肩代わりをしました。

 最近ギャマノンという自助グループにつながり、私自身共依存症であることに気付きました。しかし若い女の方で、親のギャンブルに苦しんでいる人はいませんでしたので、このメッセージを読ませていただき、同じような境遇の方がいらっしゃり、頑張っておられることを知って大変勇気づけられました。

 私はまだまだ回復の途中で悩み苦しんでいる最中ですが、自分を大切に、焦らず行こうと思います。この方も幸せになられますように。

(上記の方から追加メール)

  今日ちょっと気付いたことががあり、勝手に吐露して申し訳ないですが書かせて頂きます。

 私は今までずっと父のギャンブルを責めて、泣いてきたのですが、最近それではだめだと思い、もう父の行動を見て悲しんだり、辛くなるのは止めよう、平然としているのが良いことだ、そして新しく自分の人生を生きていこうと頑張っていました。メールを送らせて頂いた日もそう思っていました。

 でもそう努力してから私は、泣いていた日々とはまた違う重苦しさに沈みがちでした。今日カウンセリングを受けて先生に言われ気付くことができたのですが、親のギャンブルに対して私が悲しんだり、気に病んだりするのは当たり前のことだと。自分の親がギャンブルに依存しているのを気に病むのはちっともおかしくないと。

 私は共依存という言葉を知り、そこから抜け出すために、親のことで気に病むことを気に病んでいたと言いましょうか、悲しんじゃいけないんだ、心揺るがされちゃいけないんだ。ここで平然としなければだめだと思ってきました。今までの辛かった思いも無理矢理なくそうとしていました。私が必要異常に神経質になっていただけかな、私がおかしいのかな、親のことを悪く思いすぎかな。そんなことは早く忘れて、自分の人生を楽しんでいこうと思っていました。しかも親との関係に向き合わずに。(私の共依存に対する理解が不十分だからかもしれません。)

 しかし、そんなことは到底無理でした。私は辛かった過去をまだ自分の中で消化しきれていませんし、親がギャンブルをしたときは辛く、悲しいです。それを平然としていようと無理していたので私の心は麻痺しかけていました。悲しむことさえできなくなりかけていました。そして今までも悲しむことを悪いと思う気持ちは、どこかにあったのかもしれないと思いました。

 悲しい時は悲しんで良い。悲しむこと事態は悪くもなんともない。ただ、悲しんでいるだけではだめで、そこからはまたこれから考えますが、とりあえず、悲しんでもいいんだと思って、悲しむことさえできなくてがんじがらめだった心がちょっと楽になりました。


[その後―ご本人が治療に登場されました]

 詳しいことはお伝えできませんが、ギャンブル依存症本人(上記若年女性の親)が治療に登場されました。すでに自助グループに参加し、現在は自分のギャンブル癖から目をそむけず、問題に向き合って努力されています。20代女性の相談がスタートしてから1年以上2年未満です。


[読者からのメール](2002/01、読者の方からいただいたメールです。)

 はじめまして。ギャンブル依存症の検索をして、このメッセージを見つけました。私の父の場合はギャンブル・アルコール依存症ではないかと思われます。負債総額は一千万円を超え、退職した今でも行動はエスカレートするばかりです。
 母は、なんとか離婚せず家計をまもり、がんばっていますが、神経症と狭心症を併発しています。2人いる私の兄は、幼少の頃から父とは険悪な仲です。そのうちに責任が私に降りかかることが怖くて私は家を出ています。時には、早く父が死んでしまえばいいのにと思ってしまいます。
 このメッセージを読んで、私と同じようにギャンブル依存症の親を持ちながら前向きに取り組んでおられることに感動しました。これからは、私もこの問題から逃げるだけではなくて、自分にできることをしていこうと思いました。ありがとうございました。(24歳、女性)


ご連絡はこちらへどうぞ ⇒address
または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148

AKH 文責:竹村道夫(初版:2001/03/23) 


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