3月15日
13:00頃病院に到着しました。周囲には民家もちらほらとしか見かけないような山間にひっそりと佇む病院ですが、院内に入ると職員さんや患者さん達がしきりに廊下を行き交い、活気があって明るい印象です。
本日は主治医による診察が40分程度ありました。夕食後には摂食障害者のためのミーティングが毎日1時間半あり、8名程の参加者に私も加わることになりました。かなり深刻な方からほぼ回復という方まで様々ですが、いずれの方からもお話を聞けたことは良いことでした。窮地に立ってもがいているのは私だけじゃないんだ、と少し安心したり、参加者の自信と余裕を感じる落ち着いた話し振りに刺激を受けたり・・・。ただ、私自身のことは緊張のあまりごく簡単に自己紹介するだけで精一杯でした。
3月16日
本日は、朝のミーティングはお休みでした。夕食後のミーティングに本日も参加しました。私はこれまで家に籠りがちの生活を続けてきたせいか、人前に出ることが苦痛で、他人と会話することもことごとく避けてきました。そんな私が自分の意見を人前で発表するのは高過ぎるハードルではあるけれど、ここでの治療はミーティングに重きを置いているので、避けていては回復への道のりが遠のく一方だと考え、勇気を出して少しだけお話しました。
今の自分がどうしようもなくイヤでたまらないのだけれど、このどん底の状態から抜け出る努力をして、自分に対して少しでも愛情を持てるようになりたい。というような内容のお話をさせて頂いたのですが、声はうわずってしまうし、要領を得ない話しぶりで不満足な出来でした。聞いている人はさぞ退屈でウンザリしたろうと思うと、自分の思いを吐き出してスッキリするどころか、かえって消化不良感が残り、後味の悪いものでした。
3月17日
今日は、朝夕のミーティングに加えて昼食の前後にもミーティングや嗜癖問題懇談会(ケースワーカーや看護師を交えた意見交換会のようなもの)があり、さらに主治医による診察等もあって、一日ほぼスケジュールが埋まっているような状態でした。主治医に、人前に出るのも話をするのも苦手な私がミーティングに参加することに果たして治療効果があるものなのかどうか、今の段階では疑問や不安のほうが大きいことをお伝えしました。私にとってはミーティングの時間が負担でストレスを感じることはあっても癒しや発散の場になどなり得ないような気がしたからです。先生はそれが普通の感覚で、今ミーティングで積極的に発言できている人達もかつては同じような不満を口にしていたのですよ、とおっしゃいます。現在同室になっている方に尋ねてみても、やはり同じような答えが返ってきます。その方は、治療をスタートしてひと月半くらいは、こんなこと続けていても無意味じゃないか、と治療方針に反発していたそうですが、ある日を境にミーティングの時間を有意義に感じることが出来たそうです。その後、僅かな揺り戻しはあるものの、以前のような強い渇望感に囚われることはなくなったそうです。話をしたり相手の話を聴いたりしているだけで心境がガラリと変化するというのは不思議としか言いようがないのですが、その感覚が少しでも理解できるようになるためには、必ず治すという強い決意とミーティングに参加し続けることがやはり欠かせないようです。
3月18日
入院時、私に同伴して3泊4日のショートステイを体験した母が本日帰宅しました。母が寝起きする部屋は私の病室とは別の建物で、離れているうえ互いの部屋を行き来することは禁じられていたので、めったに顔を合わすことはなかったのですが、院内で私の姿を目にする度に、母はうれしそうに顔をほころばせて近寄って来てくれました。自宅で父母と共に生活している時は、毎日のように小言を聞かされ、些細なことでかっとなっては衝突を繰り返してしまいました。放っておいてほしいのに何かにつけ干渉してくる両親の存在が疎ましく、目障りだと感じることもありました。これ程薄情で、親不考の限りを尽くして来た娘に対して全く揺るがない愛情を持ち続けられる両親はすごい人達だと今回改めて思いました。そんな両親を苦しませ続ける自分はこの上なく愚かな人間だと思います。
母は、帰る時間が近付くと私の手を握って「がんばるのよ」と励まし、涙を流しながら去って行きました。すぐに又面会出来るというのに大袈裟だなと私は苦笑しました。でも同時に、泣く泣く別れを惜しんでいる母のうしろ姿がいじらしくて思わず涙があふれて来ました。前に母に手を握られたのはいつのことだったか記憶にありません。化粧や服装で若作りしていても、手のほうは皮膚が薄くなってシワシワしていて、すっかりおばあさんになってしまったのね、と思いました。しかし、その手のやわらかさが愛おしくて手が離れた後もその感触の余韻をしばらく楽しんでいました。いつか、私のほうから母の手を握り「これまで苦労を掛けてごめんなさい」と言うことができたらいいのですが、やっぱり照れて出来ないような気がします。
3月19日
こちらで入院治療をスタートして以来、出席するように指示されたミーティングには一応参加していますが、人前で話をするということに対してとにかく抵抗感が拭えません。憂鬱な気持ちのままミーティングに参加するのですが、話した後でも不全感ばかりが残り、又他の人と比較してしまって、劣等感も強まる一方です。心が拒否反応を示していると、それに伴って体の調子が狂ってきてしまいます。毎日体が鉛のように重くてだるく、座っているのもつらいので横になってみるのですが、泥の中に身を沈めているような寝心地の悪さを覚えます。気分転換に読書でもしてみようかと本を開いてみても、本の内容が頭に入らずあきらめて又布団にもぐり込んでみても、頭をよぎるのは否定的なことばかり。私にとってここに来るという選択は正しかったのか、果たしてこの治療法が私にとって最良の方法と言えるのだろうか。しかし、早々に治療を断念し、逃げ帰ってしまったのでは更生の為の道筋を示して下さった弁護士さんや両親に対して会わせる顔がないと思い、ドロップアウトだけはなんとか思い留まっています。ミーティングに参加しているメンバーは、皆さん自分のことをよく分析されているし、気負わずリラックスして話されている様子なのに言葉が溢れるがごとくに饒舌なので、私はただただ圧倒され感心しっぱなしです。ミーティングの場こそが自分の居場所だとおっしゃる方もいて、何故そんな心境になれるのか、今の私にとっては別世界のことのようで不思議としか言いようがありません。
3月20日
昨日の夕方、院長先生の診察がありました。私が嗜癖を悪化させてきた経緯や現在の状況等をお話しさせていただきました。先生がおっしゃるには、私の依存の度合いはかなり深刻なので、最低1年間は入院治療してほしいとのこと。意見書を書いて頂いた段階では6か月以上となっていたので1年間もミーティングが繰り返される日々を思うと、一瞬気が遠くなりました。でも考えなおすと、この先の長い人生を考えると瞬く間に通り過ぎてしまうような短い期間とも言えますし、刑務所にトータル2年半入っていても全く治らなかった私が、1年で自分の行動や考え方を改めることが出来るなら、むしろ短いと思った方が良いのかもしれません。また、先生は、治療者の立場からは、重症な分それだけ治し甲斐があるし、あなたのような人に立ち直ってもらって、将来、回復者のメッセンジャーとしてこの病院に来てもらえたら、治療者として誇らしい、とも言われました。楽しそうに微笑んでおられる先生を見ながらそんなことは今の私には想像も出来ないことだけれど、もし実現すれば夢のようなことだと思いました。意欲をもって取り組めば必ず回復するから、とも強く言われる様子には余裕まで感じられて、これまでずっと抱き続けていた不安感が少し癒えたような気がしました。そのせいかどうかは分かりませんが、昨日まで1日中気持が塞いで体調も悪かったのが今朝起きたらウソのように解消していました。ちょっとした気持ちの変化が体にまで作用することの神秘を感じました。ミーティングに対する拒絶感も少し軽くなったような気がする1日でした。
3月21日
ミーティングにはなんとか毎日欠かさず参加できています。私以外の参加者はその場で思いついたことを心のままに打ち明けておられるようですが、私の場合、頭が悪いうえに緊張してしまうので全くのアドリブでは言葉が即座に出てきません。だから、毎日どんなことを話そうか考え、事前にネタを作って出掛けます。ミーティングが始まる時間の大分前から何を話そうか考えているので、余暇時間も他のことがあまり手につかないのですが、この考えることが私にとって大事な時間になっている気がします。これまでは、自身のことを突き詰めて考えることは、気の滅入ることなので避けてきました。でも、今考えることで、過去のどんな出来事がきっかけで自分の歪んだ心が形成されてしまったのか、又、私の価値観のどんなところが異常なのか、少しずつですが心の整理が出来て今まで見えていなかったものも徐々に見えてくるような気がします。院内での日常生活の中からも何か話題になるものが転がっていないか、アンテナを張っている状態なのでボーっと時間を持て余すようなことがなくなりました。今回の入院は期限付きの短期のものなので、回復の期待は持てませんが、次回の入院に備えて土台作りだけでもしっかりしておこうと思います。
3月22日
夕べ洗濯物を干そうと外に出てみたら夜の冷気の中で雪が舞っていました。4月を目前にしたこの時期に雪を見られたことが意外だったし、夜空に雪の白さが映えて、素晴らしくきれいでした。しばらくその場に留まって、粒の大きなものを手のひらで受け止めたりして雪の冷たさを楽しんでいました。体が冷えてきたので部屋に入り、布団にくるまると、ほんわかと温もりが伝わってきて、その温もりに包まれることの幸せを感じます。
今日の昼食で久し振りにパンを口にしたのですが、ご飯に飽きていたせいか、ただの食パンなのにとてもおいしく感じられたことも幸せだし、そのパンに付いていたマーガリンを取っておいて、夕食のご飯の上にのせてしょう油を垂らしたら、素っ気ないご飯がたちまちごちそうに変化することも幸せだし、院内の大きな湯船に浸かりながら手足を思いきり伸ばした時も幸せです。
院内の周囲は雑木林と畑ばかりだし、部屋にテレビを置くこともパソコンをインターネットに接続することも出来ないので、本当に娯楽の少ない環境なのですが、何故か家でテレビをつけっ放してどっさりと買い込んだ食料品に囲まれて生活していた頃より心は満たされていて心地良いのが不思議です。
3月23日
保釈されてからこの病院に来るまでの間に、3回ほど過食してしまったのですが、こちらに来てからは出された食事以外のものはあまり口にしないようにしています。今は目標を持って治療に取り組めているせいか、治療の方に集中出来ていて、食べたい欲に気持ちを奪われることがあまりないのです。そのおかげで心を平静に保てているのでしょうか。食べ物の虜になって食べることに支配されていた日々が過去のことのように思えます。抑え難い食欲の呪縛からようやく解放されつつある状態なのかな、と回復の期待をしかけたのですが・・・。今日同室の方からもらいもののレモンケーキを分けて頂いて、それを口にした途端ムラムラと食欲が沸いてきて、あぁこの場に同じものが30個つみ上げてあったら、きっと一気に食べてしまうだろうな、と思いました。これまで食べることに対する強い渇望感が起こらなかったのは、回復したせいではなくて、病院の食事に食欲を刺激するようなものがあまりなかったせいかなと思います。こう言うと毎日一所懸命作って下さっている方に失礼かと思うのですが、病院食のメニューは基本質素で味付け薄目のヘルシーメニューなので決して不味くはないけど過剰に美味しすぎないために、欲が抑えられていたに過ぎないのだろうと思います。
17年間も付き合ってきた嗜癖から離れるには長期戦覚悟で挑まなければならないのであって一朝一夕にはいかないものと思わなければなりません。早く治そうとあせり始めると思い通りにならないことにいら立ちを感じ、かえって悪い方に陥ってしまうこともあると思うので、まあそんな日もあるさ、と思うことにします。刑務所にいたときは強い食欲が起きた時は、お腹の皮をつねったり引っ掻いたりしながら痛みで気を紛らせるように努めたものですが、今日は飴を1つ口に放り込んで院内を歩いているうちにやり過ごすことが出来たので、少し良い徴候が出始めているのかなという気もします。
3月24日
昨日、主治医の先生と面接したところ、日記を書くなら過去の自分を思い返しながら書くのが良いでしょう、と言われたので、私が成長と共に人付き合いを避けるようになったのは何故か考えてみることにしました。
私には今友人と呼べるような人はひとりもいません。学生時代は、普通よりむしろ付き合いは良いほうでした。下校途中には必ず友人宅や店など、どこかに寄って帰るので家に着く頃はいつも真っ暗でした。休日も家で一日過ごすようなことはほとんどなく、高校、短大時代はアルバイトにも励み、体はアクティブに動き回っていたけれど、それなりに充実した日々を送っていました。短大の頃は1年生の途中まで寮生活をしていましたが、同室の仲間達を誘い出して、夜遊び興じることもありました。懐かしい思い出です。寮の仲間との関係はとても良好だったのですが、門限が早いせいでアルバイト可能な時間帯にも制限が加えられてしまうことが嫌で、私はアパート生活に変えました。
独り暮らしを始めてから、暫くして、食べて吐くダイエット法があることを知り、試してみたら成功だったので、それから体重をキープするために食べ吐きを繰り返し、次第にその行為自体にのめり込むようになりました。万引きをするようになったのもその頃です。盗るもののほとんどは食料品でした。食べることの虜になって、没頭するあまり、楽しかったはずの友人達との時間に次第に魅力を感じなくなり、遊びの誘いが来ても、バイトがあると断って、多くの時間を食べることに費やすようになりました。短大卒業後、私は実家に身を置いていましたが、中学、高校時代の友人6人とは、短大卒業後も交流がありました。その友人達から連絡があれば、体面上断りきれなくて、なるべく会うようにはしていたのですが、女同士が揃うと、必ず食事になってしまうのが嫌でした。高カロリーのイタリアンやファーストフードを口にした後は、早く家に帰って吐き出さなければ消化吸収されて太ってしまう、というあせりの気持ちからソワソワしはじめ、早く帰りたいけれど、帰りを急ぐと気まずくなるし、楽しそうな顔をして相手に調子を合せていても頭の中はうわのそらでした。ようやく家に帰りついて吐こうとしても時間が経ち過ぎて上手く吐き出せない時は本当に友人を恨みました。
昔はその友人達と一緒に過ごすのが本当に楽しい時間で、昼から会っているのに、いつまでも離れ難くて気がついたら夜中まで喋っていた、なんてことがざらだったのですが・・・。気が合うからこそ付き合っていた筈なのに昔のように会話が楽しめず、上辺だけ繕って興味のない話題にもいちいち反応し、終始演じていることに疲れるようになりました。会社を辞めてフリーターになってからも、なんとか交友関係は保てていましたが、家で過ごす時間が多くなると、食べ吐きをする時間以外も常にチョコチョコ何かを口に運んでしまう癖がついてしまって体重をキープすることがままならなくなってきました。自分の容姿が太って醜く変化してきていることに加え、会社勤めをしてまっとうな社会人としての生活を営むことが出来ていないことのコンプレックスも加わり劣等感を日増しに増大させていました。一方、友人達はといえば会う度ごと着実に成長を遂げていて、中には結婚し、子育てをしながら勤めにも出ている人もいて、責任ある立場に立って、しっかり地に足をつけ自立した生活を送っている姿がまぶしくて、昔のような対等な立場ではなくなったことをまざまざと思い知らされました。敗北感に満たされて会う度に重く沈んで帰宅している自分に腹が立ちました。
それまでは、友人の1人もないというのは恥ずかしいことだと思っていましたが、友情を保つことが自分にとって何の利益も生まない以上、世間体だけで付き合いを続けていることがばかげていると思えてきました。友達と付き合うことは義務でもないのだし、もう一切拒絶しよう、と決めて、その後メールが入っても年賀状が届いても無視を続けました。今では、私のような者の相手をしてくれた数少ない友人に対して、無礼なことをしてしまったと思いますが、その頃は正直なところ、足枷が取れてスッキリしたと感じていました。孤独というのは周りに人が居ながら人の輪に入れない時や、信頼していた相手から見放された時には強く感じますが、始めからひとりきりで誰とも接触がない場合は孤独を自覚する境界線のようなものがなくなります。両親に対しても例外ではなく、かけがえのない大事な存在ではあるのですが、一緒に生活しながらふたりの言動にいちいち反応して、無駄に怒ったりイライラしたりするよりは、互いの存在を意識しない生活の方が心乱されることがなく良いような気がします。
人と係わることなく生きていきたいという願望は、一種病んでいるような状態なのか、そうじゃなくて本来の自分はそもそも友人なんて欲しくはなかったのだけれど、世間体が友人を必要としていたに過ぎなくて、その世間体を捨てたことで願望を叶えることが出来たのか自分にもよく分かりません。
3月26日
私は体を動かすことが苦手なので、こちらの病院に来てからも病院の敷地から外に出たことがありませんでした。でも、ミーティング仲間に外を歩いてみたら気持ちいいよと勧められて、またこんな自然いっぱいの環境なのに院内に籠もりきりというのはもったいないような気がしてきて、散歩に出てみることにしました。赤城高原は気候的にはまだ冬なので周囲の木々は寒々しい姿をしていますが、よく見ると梢に新芽が芽吹き始めているのが確認出来て、遅めの春の到来を感じさせます。落ち葉が厚く積もった上を歩いていると、小気味よい音と共に柔らかさが伝わって来て、足の裏が喜んでいるな、と感じました。半時間も歩けば体がほこほこ温まって来て、散策中降り始めた雪が顔に落ちてきてもその冷たさが気持ち良いくらいでした。途中梅園の梅が小さな可憐な花をほころばせている姿にうっとりしたり、牛舎を覗いて牛の大きな顔に見入ってみたり、そぞろ歩きを楽しみました。雪を頂いた穂高連峰は、山を覆う雪が太陽の光を跳ね返し、山そのものが発光しているように見え、その雄大な姿には感激しました。30分程で帰って来る予定で出掛けたのですが戻ってみると1時間40分も経っていました。私はかつて田舎の不便な暮らしに魅力を感じたことは一度もなかったのですが、この病院に来て、不便だけど自然に寄り添える生活のほうが自分には合っているかも知れない、と感じるようになりました。
私は、いつでも物が手に入る環境に身を置いて、欲を刺激されてしまうと、押さえが効かなくなり際限なく欲しくなってしまうようです。自宅の室内はどっさりと買い込んだもので溢れ返っているにも拘らず、それでもまだ足りないような気がしてしまうし、少しでも減るとまだストックがあるのに落ち着かずすぐに補充してしまいます。そんな日常に慣らされている私が、物のない、しかも直ぐに手に入れることが叶わない環境の中で落ち着いた心持ちで生活できる訳がない、とずっと思っていました。ところが、今ここでは、身の周りには必要最小限のものしかありません。スーパーもコンビニも視界に入って来ない自然豊かな土地で過ごすうち、日ごとに雑念が薄れ、頭がクリアになってきているような気がします。私はこれまで自分の旺盛過ぎる食欲を恨み、食べたい欲望から解放されたいと願う一方、食べることを生き甲斐にしてきたので、楽しみを奪われてしまったら何を目的に生きていけばいいのかわかりません。このように食べ物に対しては愛憎入り混じる感情を抱いて来ました。万引きに対しても似たような感情を持っていて、盗りたい衝動にかられたら、その場では思い止まることが出来たとしても、一度高まってしまった欲求をどこで吐き出したらいいのかわかりません。なので、本当にどうしても抑えがつかなくなったら盗るけど、その場で死ぬ覚悟で挑もうと思って、物騒な話になりますが、服役中受刑者仲間に銃はどうやったら入手できるのか相談してみたこともありました。
前刑の裁判の際、精神鑑定を担当された医師に「生き甲斐になるようなことが見つかれば、万引きも過食もきっとやめられるよ」とアドバイスをいただいたのですが、この悪癖以上に自分の心を満たしてくれるものなどこの世に存在しないので、私の場合、他の事で気を逸らすというのは実現不可能な事だと思いました。しかし、環境を変えてみることで、物事に対する視点が変わり、これまで興味の持てなかったことの本当の良さに気付き始めるということもあるのでしょうか。生き甲斐というのは、探し求めることをしなくても案外身近に転がっているもので、本人の捉え方次第で心地良くもなるし、悪くもなるものなのかな、という気がしてきました。そのためには、まず、なにより生活の拠点を変えてみることが大事で、現に今の私は、家から遠く離れて、買い物もせずミーティングや読書や日記にあけ暮れる毎日を送りながら、過食も万引きもせずに心穏やかに生活出来ています。次回こちらに来る時は、1年くらいの長期入院になりますが、この恵まれた自然の景色の中で、四季の移ろう様子を楽しんでみるのも良いかな、と思えるようになりました。
3月28日
昨日、摂食障害者のミーティングに参加した折、仲間のひとりが「今は吐くことを止めているが、このまま止め続けていると、際限なく体重が増えていきそうで怖い。吐くことが苦しいからやめているけれど、苦しみから解放される筈なのに、やっぱり苦しいままだ。」と発言していて、心の中で大きくうなずきながら聞いていました。今の私は吐くことが完全に止まっている訳ではないけれど、ピーク時には1日3〜4回吐いていたことを考えると、回数ははるかに減っているので、回復途上といえば言える気もします。しかし、食に対する執着は相変わらずで、お腹の皮がつっぱるまで食べないと気が済みません。私の好物だけでお腹を満たそうとすればとんでもないカロリーになるので、吐かない代わりに多量の水分とオートミールやこんにゃく、もやし等カロリーの少ないもので腹八分くらい満たしておいてから、仕上げに好きな物を口にするようにしています。そういった工夫をしてみても塵も積もれば・・・といった具合で体重増加は避けられません。時々は吐いていてもこんな調子だから、完全に吐くことをやめてしまったらどうなるのでしょう。以前テレビ番組で太りすぎて家から出られなくなった男性がレスキュー隊員に救出されている様子が海外のニュース映像として紹介されていましたが、私は将来の自分の姿を見るようでゾッとしました。
吐くことは確かに苦しいことだけど、それをやめることと引き換えに見るもおぞましい姿になるのなら、回復しないままのほうがまだましです。吐くことが止まって、尚且つ食欲が正常にならないことには、私にとっては回復とは言えません。ひとつ悩みが取り除かれても、又新たな悩みに直面するのは嫌です。ホスピタルでの入院生活では、就寝・起床時間・食事の時刻・量が決められているので、自然に体を慣らすことができます。このことは、入院患者に正しい生活リズムを身に付けさせる上で役立っていると思います。実際、私はこの病院に来て、はっきりと体調が良くなったことを自覚しています。入院前のような抑えが効かない程の食欲が沸くこともありません。しかし、この改善は実は見せかけで、今自分は治療中の身であるという緊張感が食欲の入り込むスキを与えないでいてくれているだけかも知れません。ここで身につけた、ボリュームもバランスも適当な食生活を、退院後、緊張の抜けた生活の中でも実践できるでしょうか?家に帰ったらたちまち元の生活パターンに戻ってしまわないか、と心配です。
多くの人が指摘するように、私自身が他人を見る時は、外見なんてその人を識別するための記号のようなものでしかない、と思えるのですが、逆の立場からは同じようには考えられません。自分については、中身が足りない分、外見がそれなりでないと存在価値を認めてもらえない、という思いが捨てきれないのです。過食嘔吐からの離脱に成功した人というのは、ただ我慢して食べ吐きをしないでいるだけなく、食欲をコントロールすることに成功した人なのでしょうか。いつか聞ける機会があれば聞いてみようと思います。
3月29日
夕べ見た夢の中に、昔仲良くしていた友人が出てきました。私は、夢の中で友人から見離されて泣いていました。そして目が覚めたら本当に涙が出ていました。その人は友人の中でも一番打ち解けて話ができて、誰より信頼出来る、私の中では特別な存在でした。でも、もう8年以上連絡をとっていません。年賀状を出すこともやめています。それでも先方からは未だに欠かさず年賀状が送られて来て「連絡待っています。」と書き添えられています。しかし、今の私の醜く太った姿を友人の前に晒すことは、考えるだけでも恥ずかしくて、会うことができません。それに、もし会えば当然「最近何しているの?」と聞かれる筈ですが、正直に答えるとしたら、「家に引き籠っているか、刑務所にいるかのどちらかです。」と言うしかありません。嘘を付いて作り話をしてもぼろが出ることは目に見えています。好きな人に対して、その場を取り繕うためだけの嘘をついて、本当の自分を覆い隠しながら接していても、苦しくなるだけだから、今彼女がどんな生活を送っているのか、気にはなるけれど、これから先も当分会うことはないと思います。
夢の中では、私が関係を切られる側だったけれど、実生活では、連絡を絶ったのは私のほうです。申し訳なくは思っていますが、罪悪感を持つと余計に苦しくなるので、考えないようにしてきました。何故今になって彼女が夢の中に現れたのか、よく分かりません。何か彼女に対して捨てきれない思いを抱いているからかもしれません。夢と言えば、日頃から強く意識していることは夢に見やすい、と言いますが、私の場合、確かに万引きして捕まる夢や、食べ過ぎて後悔する夢はよく見ます。夢の中で食べている時は、大好物のオンパレードなのですが、全く美味しく感じられないのが残念なところです。
3月30日
今日も快調。治療の成果を感じています、と言いたい所ですが、どうしたことでしょう。ここに来てスランプに陥り始めているようです。今日までを振り返ると、入院してから5日間は気持ちが滅入って仕方なかったのですが、6日間頃から急に気持ちも体も軽くなり始めて、もしかしたら、自分はもうすっかり回復していて、もうとっくに無くしてしまったと思っていた人間らしい感覚を取り戻し始めているのではないか。更には、これまで私に取り憑いていた悪い憑き物が落ちたのかな、などと突拍子もない考えをめぐらしていましたが、そうではないと思い知りました。というのは、昨日から急激に調子が落ち始めたからです。ミーティングに参加していても、他人と自分を比較して羨んでしまう悪い癖が出てしまいます。ミーティング参加者の多くはコミュニケーション能力に長けていて、話し方も理知的で、常識感覚も充分備わっているので、生きにくい現代社会でも、この人達ならきっとうまく立ち回っていけるだろうし、言葉のチョイスを誤って、他人から嫌われたり、誤解を招くような失敗をしたりということもまずないだろう。それに比べて、この私は人付き合いが下手で、話すことが苦手で・・・、などと考えてしまうのです。ご自身を卑下される言葉を聞いても、なんだか日本人特有の謙遜でしかないように思えて、白けながら聞いてしまいます。そんなふうに違い探しばかりしているので、患者同士を仲間と呼び合うことにも何だか違和感を持ってしまいます。もしかしたら自分はとんでもなく場違いな所に紛れ込んでしまったのではないか。自分と他の参加者とは対等な関係ではないのでは?
主治医と面談をしていても、穏やかな笑顔で私の話を聞いてくださる先生は実は心の中では、犯罪者である私に侮蔑の目を向けているのではないか。気休めに、「ミーティングに出続けて頑張っていれば・・・」と言いながら、本音は、刑務所暮らしを2度も経験しながら立ち直れないような人間にミーティングの効力は期待できないだろう、と思ってらっしゃるではないか。そもそも先生は、医師という立派なお仕事に就かれている方で、だからもちろんずっとエリートコースを走ってきた方で、しかも美人で欠点なんてまるでない。きっと常に周囲から褒めそやされて生きてきた方だろうから、社会から弾かれた人間の気持ちなんて理解できないのではないか、などと疑いの気持ちが頭をもたげます。自分の今の状態を言葉にして伝えようと思っても、不安の原因が特定されている訳でもなく漠然とし過ぎているので、言葉にできないもどかしさを感じています。そんな思いで主治医と面談をしているので、不甲斐ない自分への怒りも加わって、後味の悪さだけが残ります。
私は普段から食い意地が張っているのですが、気力が萎えると一層食欲が増してしまうので、昨日あたりから特に空腹感が強くなってきました。その空腹感を押さえ込むために、多量の水分を取ったり、飴やガムを口にいれてみたりするのですが、ちっともお腹は満たされず、飢餓状態のように食べ物を欲してしまいます。今回私は、ここにダイエットに来た訳ではないのですが、ここの食事は1日に必要な栄養素と熱量は満たしていますから、三度の食事をきちんと摂っていれば間食は必要ないので、口寂しい時は飴かガムでしのぐようにして、他のものはほとんど口にしないようにしていました。しかし、どうにも居ても立ってもいられず、そのまま手につけずに持って帰ろうと思って、スーツケースの奥に目に触れないように仕舞ってあったお菓子とお汁粉を引っ張り出してきて食べてしまいました。さらには、誰かが廊下に落としていったらしいクッキーが1枚目に止まったので拾い上げ、誰にも見られていないか確認してから口に放り込み、床に食べ物が落ちていたのだから、ごみ箱にも何か食べられそうな物が捨てられているのではないかと、開けて覗き込んでみました。野良犬並みに卑しさ剥き出しの行動が何のためらいもなく出来てしまう自分は人の姿をした餓鬼なんじゃないかと思えてきます。これまで自ら課してきたルールを守ることで、毎日順調にコツコツ積み上げてきた成果を破綻させてしまったことによって、たちまち振り出しに戻ってしまったような気がします。
3月31日
昨日の日記は、実は今日になって、前日のことを思い出しながら書きました。昨日はどうにも気力が沸かなくて、書くことが出来なかったのです。でも今日になって、こんな気分の時もあったということを記録しておきたかったので、書いておきました。これまで私はミーティングで発言する時には、治療に対して意欲的であることを強調してきたのですが、今朝はどうしても前向きな言葉が出て来なくて、治療に対する不信感やミーティングの効果に対する不安など、終始愚痴をこぼしてばかりになってしまいました。私の否定的な発言を不快に感じられた方も多いのではないかと案じていましたが、ミーティングの終了後にまだ知り合って日も浅い仲間達が口々に、「自分も初めはそうだった。」とか「苦しい時はいつでも言って頂戴」といった励ましの声を掛けてくれました。温かい言葉に本当に勇気づけられました。
こんなに親身になってくれる人達を羨んで卑屈な感情を抱いてしまった自分は、本当に子供じみていたと気付かされます。今日ミーティングで話したことを、例えば、他の依存症を抱える人に話してもなかなか伝わらなかったかも知れませんし、励ましの言葉もこれ程心には響かなかったかも知れません。摂食障害や窃盗癖という同じ苦難を経験した人達が身近に居ることの心強さに、ここにきてやっと気付かされました。
これまで私はミーティングの最中も、他のメンバーと同じ空間に居ながら独り蚊帳の外に置かれたような違和感を持ちながら参加していましたが、今日は、仲間との距離が少し縮まったような気がしました。これが、ミーティングの醍醐味なのかもしれません。
今日の午後には、主治医が私を見掛けて声を掛けて下さいました。私のことを気に掛けて下さっていることに感謝しなければならないのに、性悪女の私は、又々愚痴ばかり並べたててしまいました。お気を悪くされたのではないか、と心配になるほどでしたが、先生は、「あなたは最初から頑張り過ぎたから少し気疲れしちゃったのかな。」と優しくおっしゃいました。先生の見立てによると、私の治療経過は悪くはないそうです。治療者の立場としては、患者さんが治療に全く抵抗感を持つことなく、何時でも順調、と主張されると、逆に不安になります、とのことでした。回復への道は常に前進あるのみ、というよりは、時々足踏みしてみたり、少し後退することもあったりしながら、長い目で見てちょっとずつ前進していくもののようです。
私は単細胞なのでしょうか。2日半くらい悩みを続けていたものがミーティングの仲間や先生から少し励ましや助言をいただいただけで、随分気持ちが軽くなったようです。あ、それと、院長先生にこの日記を読んで頂いたところ、「あなたには文才があるよ。内容も表現も素晴らしい。」と身に余るお言葉を頂きました。過剰に褒めちぎっていただいたことに、気を良くしたせいもあるかも知れません。なにはともあれ、すっかり元の悪い自分に戻ってしまったような落胆ムードから、今日は、何とか持ち直すことが出来て、ホッと胸をなで下ろしています。[TOP]
→日記は、第2部に続きます。
文責:竹村道夫(2010/04)