7月某日施設福祉会議(私、総務課長、特養の相談員、看護主任、介護主任それに管理栄養士が月1回集まり様々なことを話し合う運営会議)で、1人に仕事を集中させない、弁舌巧みな職員の意見が正しいとは限らない、下手な言い方でも正しいこともあるので良く聞くように、様々な会議で決まったことは守る以上3点を申し伝える。

7月某日在宅介護支援センター準備委員会そして日を違えて群馬県老施協理事会が開かれたので出席する。在会センターの今後をどうするか一定の方針が決まったので理事会に報告するためである。老施協理事会もきちんと開催されるようになった。良いことである。
7月某日顧問社会保険労務士が退職者の年金と就業について説明するため来訪する。今年度定年退職者が2名出るために退職後のことを決めるが最大の目的である。年金改正によって60歳からの年金支給額が大きく減り働かざるを得ないことが良く分かる。それでも女性は男性に比べ減額実施時期が3年遅れるのでまだ良い。60歳は心身共に健康なので社会との接点を取り続ける意味からも働ける内は働いたほうがよい。
7月某日
霧ヶ峰高原を縦走する予定が日和って霧ヶ峰湿原を一周するだけになってしまった。もう少し山歩きをしたかった。

7月某日車椅子のタイヤチューブ交換を業者の方が来て修理している。今の車椅子は2代目であるが、知らず知らずの内にチューブが摩耗し空気が抜けてしまっていた。

7月某日入居者が退院することになったが、この方は看取り希望である。数年前から施設で最期を迎えたいという方が出てきている。昨年度からこの看取りが加算されるようになり当施設でも昨年2名が看取りにより施設で亡くなった。徐々に増えていくのであろう。

7月某日
昼食は特養はお好み食である。鰻重8,玉子丼5,天ぷらそば・うどん4,山菜そば・うどん3,親子丼2,カツ丼2,盛りそば・うどん2,天ざるそば・うどん2,後は一個ずつ8種類合計30,550円である。

7月某日新潟県柏崎沖を震源とする強い地震があり、震源地付近では震度6強の強い揺れを感じたという。私はこの地震を知ったときから原子力発電所は大丈夫かと咄嗟に思った。何しろこの地域には7発もの原発があり別名「原発銀座」と言われるくらいだから、緊急停止はしたのか、緊急炉心冷却装置は有効に作動したのかと思った。学生の頃、静岡県浜岡町にある中部電力浜岡原発が断層上にあることが問題になり、駿河湾大地震の発生と絡み良く浜岡町に行ったり原発について学習したことが思い出された。結果として冷却装置は有効に作動したようだが、炉心の温度が100度を下回るまでの間、作業員は手に汗を握るほどの緊迫した数時間を過ごしたようである。温度が下がらなければ原子力発電所の炉心部は原子分裂が進み、ロシアのチェルノブイリやアメリカのスリーマイル島と同じ悲惨な状況に陥るわけである。安倍首相が直ちに原発に入ったのも頷ける話である。選挙戦への計り知れないダメージを受ける。日本は、国土がのっているプレートがユーラシア、北米、太平洋、フィリピン海と4つも有り、地震が頻発し地層が安定している所はない。このような不安定な日本に原発を作ること自体が無謀なのであるが、電力問題を考えるとやむを得ない面もある。その分耐震度を高めた構造になっているのだが、今回の揺れは想定を超えた大きな揺れであった。今のところ炉心内部を含む駆体部分は問題ないようだが、駆体以外の設備や構造がかなり被害を受けた。不意を突かれたと言うべきだろう。
 新潟県はここ数年、地震、豪雨、豪雪そして今回の地震と踏んだり蹴ったりの状況である。そして一番被害を被るのが災害弱者と呼ばれる高齢者や乳幼児である。どこの介護施設や福祉施設もこれら災害弱者の臨時避難先として機能している状況である。職員は休みも取らず日夜奮闘している。しかし福祉に向けられる予算は年々減らされている。政治家や役人よ、自分の保身のみに走るのではなく、これら弱者と呼ばれる人たちへの配慮を災害が過ぎれば忘れるのではなく、いつまでも持ち続けて欲しい。

7月某日地震などの災害が起きたときに最も重要なのがライフラインの確保である。当施設ではどうなっているのか。水は貯水槽と水道直結の2系統有り直ちに水が出なくなることはない。また非常用に水と食料品は3日分確保されているし毛布等も十分備蓄されている。電気とガスは24時間業者と連絡が取れる態勢ができている。いずれにしろ非常時では当施設は地域の避難先として十分機能することが可能である。

7月某日知事選投票日である。大沢候補が小寺候補らを破り東毛地区から初めての知事となった。またこれに続く参議院選挙は民主党大躍進自民党惨敗となり選挙の年も終わった。国会も緊張感はふれる議論の場となろう。良いことだ(群馬県知事選挙と参議院選挙を考える)。

7月某日京都に行ったおりに山崎にある大山崎山荘美術館に行ってモネの「睡蓮」を見てきた。夏本番だというのに多くの愛好家が見入っていた。この美術館はアサヒビールの山荘を改修して美術館にしたもので建物と庭園も一見の価値がある。「睡蓮」は安藤忠雄設計による建物に置かれている。

7月某日平均寿命が発表になり男性は79.0歳、女性は85.21歳だという。当施設の入居者の平均年齢は男性が77.9歳女性は84.2歳である。

8月某日朝礼の朝の一言で職員が、ガソリンの値段が高くなって節約する方法について述べた。その方法とは重量を減らす、タイヤの空気圧を適正に、急発進急ブレーキをしないことだという。しかし物の値段が上昇気味なのにデフレ基調とはどういうことなのか。一気呵成にインフレになるのか予断を許さない経済状況である。

8月某日4ヶ月に1回の頻度で入居者の金銭収支報告書を家族に送っている。ちょっと気になるケースとしてお金をたくさん保有している人、お金がない人そして家族が利用している人がある。入院を考えると30万円ほど通帳にあると良いのだが。

8月某日群馬県の高校卒業生の進路状況が発表になった。大学43.7%、短大進学6.8%、専門各種学校26.5%、就職17.8%、その他5.2%である。77%の高校生が進学していることになる。日本の少子高齢社会を考えると単純労働や重労働は誰が担うのか、心配である。

8月某日この日日本の最高気温が塗り替えられ、40.9℃を熊谷と多治見で観測した。気象庁は、今年の夏は暑くなると予想し、7月に気候が不順になり暑くはないだろうと訂正、結局この暑さである。地球規模の気象変動には過去の経験もスーパーコンピューターも形無しである。二酸化炭素やメタンガスによる地球温暖化の影響は計り知れない速度で進んでいるようだ。当施設でも最大需要電力が昨年8月の129KWが今年は140KWとなり基本料金で月額16,720円年額にして200,640円のコスト増になった。困ったものだ。
 

8月某日介護事業者トップ企業、コムスンの不正問題でグループ会社以外に譲渡されることになったが、当法人も群馬県内の訪問介護などの在宅サービス部門譲受けに応募した。訪問介護事業は収支とんとんであるが、伊勢崎市内にコムスンの事業所が3カ所もあることが応募した主な理由である。

8月某日群馬県特養増床700床、内伊勢崎市は100床であるが、これには資金の問題、職員の確保それから採算に乗るか疑問符が付くので応募しなかった。多額の資金が必要な事業はしばらく様子見である。

8月某日特養納涼祭の日である。60名の入居者中32家族58名以上の家族が訪れた。今までの中で一番多かった。余興有り、職員演奏あり、スイカ割り有りそして花火有りと夏の日の一時の夕べを楽しく過ごした。

8月某日ホームヘルパーの募集広告を2週連続で出稿したがたったの1名の応募だけであった。人材確保は困難を極める。まいった。介護を支える人がいないことは介護保険制度そのものの崩壊につながる。何とかならないのか。

8月某日
中国での生産物(Made in China)の品質の劣悪さに各国が悲鳴を上げている。今年3月中国産ペットフードを食べたアメリカの動物が死んだことから次から次へと問題が発覚し、鉛が含まれていたり発ガン性が指摘されている添加物が含まれていたりで、各国とも中国政府に善後策を採るよう要請しているが、なかなか埒があかない。中国品質監督局の報道官の弁舌が滑稽であった。「品質に関しては中国は発展途上国であります・・・」と言う弁解には笑ってしまった。発展途上て済ませるほど事は単純ではない。アメリカで「A year without chinese product」という本が売れていると言うが、中国製品無しで1年間を過ごそうと努力した家族の体験を綴った本であるが、結局は諦めたという。これほどまでに中国製品が世界に隅々までに行き渡っているのだから発展途上国で片づけて欲しくない。

8月某日ケアハウスに大正琴を教えに来ていただいている馬場さんのグループがデイサービスの慰問に訪れた。ケアハウス入居者何人かもグループに参加し大正琴の演奏に加わった。同じ建物の中に元気な人が入居しているケアハウス、ちょっと介助が必要なデイサービス、たくさん介助が必要な特養と3つの施設があるのも何か不思議な感じがする。


8月某日訪問介護部門の月1回の研修は今月はトランスファー(ベッドから車椅子等への移乗、移動)である。たゆまない研鑽を積み3歩前進2歩後退の精神で訪問介護技術を高めていって欲しい。

8月某日食器を全面的に買え変えた。主菜、ご飯碗、汁碗、小鉢等で機能的にも優れたものを取り揃えた。磁器陶器類を使っている施設も多いようだが、機能面や重さを考えると化成品も捨てがたい面がある。







     群馬県老施協ホームページhttp://www.jsgunma.jp



                                          
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ロータスヴィレッジの出来事と施設長日誌