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芽衣のページ(点頭てんかん闘病記)
各種制度について


平成18年1月3日

2005年11月10日から入院して16日〜18日にかけてMST(軟膜下皮質多切術)をしました。平成18年1月3日現在、神経病院に入院中です。


平成17年3月3日

3月1日に退院しました。

 3月3日に今回の検査入院の結果と今後の治療方針について清水医師の説明を聞きに行ってきました。

 脳梁離断術(全離断)により左右の脳が分離されたため、脳波が独立して出るようになりました。芽衣ちゃんの場合は左の脳からのてんかんの波が強く出ている様子がはっきりとわかりました。右側の脳は左側の脳に比べると比較的安定している様子が分かりました。

 転倒発作を起こすような左右同期性の波はほとんど見られませんでした。実際、手術後、転倒発作はありませんでした。

 これからの手術の予定は、平成17年10月ごろです。

 今回の検査の結果、左に焦点が集中しているのがわかったので今度の手術は左の脳のMST(軟膜下皮質多切術)をすることになりました。新皮質と古い脳が響きあって、てんかん波が出るので、古い脳の1部を切除することも同時に行うそうです。


平成17年2月20日

入院は病院の都合によって2月15日になりました。その日の様子です。


平成17年1月14日

 芽衣の入院日が決まりました。2月14日月曜日です。午前10時までに病院に入って下さいとのことです。


平成16年11月9日

 午前7時40分ごろ、初めてねじれる発作が出ました。朝食時、硬直をしながら頭だけが時計方向にゆっくり正面から90度まで回りました。脳梁離断術から137日目のことです。硬直は60秒ぐらいでおさまりましたが、通常の受け答えができるまでさらに60秒くらいを要しました。

 今回の発作は、脳梁離断術後、左右の脳が分離されたため、頭が回転する方向と逆の側の脳に発作の震源地がある可能性が高いことを示しているようです。

 主治医からは脳梁離断術後、180日程度たたないと術後の症状は安定しないといわれています。その間の症状についてはいろいろなことがあるので一喜一憂することのないようにと注意もされています。

 脳梁離断術は発作の震源地を突き止める1段階だと理解はしていましたが、今までの経過が比較的よかったので今回はちょっとがっかりしました。


○平成16年10月20日(水曜日)現在

 写真は10月2日に行われた。高崎市立養護学校の運動会での一場面です。リレーの選手に選ばれてバトンを受け取って走り出したところです。6月25日の手術から3カ月しかたっていませんがこんなに元気になりました。手術前と比べて言葉もはっきりして、情緒的にも安定してきています。以前よりも素直になった気がします。発作もほとんどありません。


 8月2日月曜日退院しました。

 25日は芽衣ちゃんの右ひざが1時間に4回も痛むなど以前と変わった様子がでました。1番ひどかったのが25日の16時から17時までの3回でした。19時ごろから痛み出した痛みはしばらく続いたので電車で病院に戻るのをあきらめました。タクシーで病院まで行きました。タクシーは東小金井の駅前で、拾って、アパートまで来てもらいました。運賃はちょうど2500円でした。


 7月24日は午後から外出をしました。8時30分に外出から帰ってくると外泊の許可が出るようなので早速許可をもらって廣太のアパートに行きました。25日は廣太のアパートでダラダラと1日を過ごしました。


 7月23日金曜日夜は木村睦がおばあちゃんの代わりに付き添いをしました。次の日の24日付き添いをしようと思いましたが芽衣ちゃんの病室は女性のための部屋なので男性は泊まることができないという話を聞きました。


 7月22日木曜日おじいちゃんとおばあちゃんがめぐみちゃんの代わりに、付き添いをしてくれました。めぐみちゃんが、具合いが悪くなって付き添いができなくなったためです。














 7月21日水曜日芽衣ちゃんとめぐみちゃんと廣太と和子さんと明子さんで西国分寺北口のパスタレストランで食事をしました。


 7月14日西国分寺北口のパスタレストランで食事をしました。メンバーは、廣太、奈々子ちゃん、和子さん、めぐみちゃん、芽衣、私の6人です。先に和子さんと奈々子ちゃんがいっていて席を取っておいてくれました。


 7月13日病院の外出許可が下りたので、西国分寺駅まで行ってきました。腕時計やネックレスを買ってもらいました。投薬のひとつが減りましたクロナゼパム系です。言葉も突然出るようになりました。あくびを頻繁にします。疲れてくると余計に出るような気がします。絶えずあくびをしていますそれも声を出して。



平成16年07月11日(日曜日)現在


 手術以来、体重は4キロも減って、手足も細くなってしまいました。

 7月6日に抜糸をしてからは、病院の売店で買ったバンダナ風のをかぶりものをしています。食欲もだいぶ出てきました。おばあちゃんの差し入れしてくれる、ゆで卵とポテトサラダにはかないませんが、病院が出してくれる食事もときどき、食べられるようになりました。


 7月6日からは頭が痛み出しました。特に朝は大声で泣きました。看護婦さんが心配して様子を見にきたほどです。お昼ごろに、痛みになれた分、落ち着いてきますが、イライラした様子はずっと続き、痛みを伴っていることが、はたで見ていて分かりました。

 このような状態が9日の金曜日まで続きました。

 言葉は理解していて、首を縦に振ったり横に振ったして自分の意志は伝えることができます。ただ、自分からしゃべることはなく、言葉は1日、一言出ればいい方で、一言もでない日もあります。


 10日土曜日、お昼から11日日曜日のお昼まで、おばあちゃんに付き添ってもらいました。大好きなおばあちゃんと一緒なので、リラックスした分、言葉をしゃべるかと期待しながらおねがいしました。


 次の日の午後、付き添った様子を聞いたところ、朝、ビデオのスイッチを入れてもらうために 「ビデオ」 とひとこと言ったきりで、あとは無言だったそうです。


 7月8日からはリハビリのプログラムも始まり、体力は日ましに付いてきています。11日、日曜日の午後は、小走りもできるようになりました。


○平成16年07月05日(月曜日)現在


木村芽衣の様子について

 1日に集中治療室から戻ってきて、現在は病室のベッドの上で過ごしています。7月5日、月曜日現在、点滴のチューブもはずれ、食欲も若干出てきたようです。

 5日朝、リハビリを兼ねて歩く練習をしていたところ、3人いる主治医のうちの1人とナースステーションの前で出会ったとたん、へたりこんで大泣きをしてしまったそうです。

 3日の午前中、その主治医から傷口の消毒治療を受けたときの痛みがひどかったのでそれを思いだしてそういうことになったようです。

 このような様子を見た主治医の説明によると、この手術によって術後は感受性が強くなる傾向があるので、今まで以上に本人に気を使って病気のことを説明する必要があると言っていました。

 全般的に今までのところ、食欲をはじめ、他のことに対しても無気力感が支配しているようで、覚醒はしていてもぼーっとした時間が多く、言葉もほとんどしゃべりません。

 このことについて、主治医は、この手術の術後の一定期間はこのような状態が続き、ある時期が来ると突然元に戻るので大丈夫だ。ということでした。

 個人差があるので何とも言えないが、年齢が低ければ低いほどその時期は早まる傾向にあり、芽衣の場合は年齢的に見て、あと1週間もすれば元に戻るのではないかと言っていました。

 10日以上もベッドの上にいたので、手足の筋肉が衰えてしまいました。手術前に履いた手術用ストッキングも緩くなってしまったほどです。これからは、本人の意識の回復に合わせて体を元へ戻す機能訓練が治療の主体になると思います。


○平成16年07月01日(木曜日)現在


6月21日都立神経病院に再入院
6月25日脳梁離断の手術を受けました。

手術当日の朝の様子です。


○平成16年05月24日(月曜日)現在

 5月24日都立神経病院に入院しました。(6月11日退院予定)



病室にて(都立神経病院7階小児病棟)
隣接した公園にて

○平成16年05月18日(月曜日)現在

 都立神経病院への入院が5月24日10時からと決まりました。外科手術のための検査入院となります。期間は3週間程度となる予定です。母親も近くに下宿して面倒を見る予定でいます。

平成16年5月2日群馬の森

○平成16年04月05日(月曜日)現在

 花岡先生の勧めで平成16年3月18日に府中病院に行ってきました。担当医師は東京都立神経病院脳神経外科 清水弘之先生です。診察の結果、脳梁離断術(転倒発作を消失させる手術法)を受けるための検査入院をすることになりました。日程はまだ決まっていませんが4月の中旬か下旬になる予定です。



○平成15年12月2日(火曜日)現在

 現在の治療はてんかんの薬の処方についての調整をしています。やり方は縦軸に1日の生活時間軸を取り、そこに発作の種類と量を記入して横軸に薬の種類と処方の量を書き入れて薬の効き具合いを確認するというものです。この方法は家庭においては家族全員の協力が必要ですし、学校においては先生方の協力がなければ成り立ちません。神経を使う作業ですが子供が少しでも良くなればという気持ちが後押しをしていてなんとかできているような状態です。

 入院の原因となった重積発作の後は、それ以前の状態になかなか戻れません。薬の処方によって、てんかん発作の回数が減ったり増えたりすることも重要ですが、てんかん発作が多少あっても子供自身が元気に1日を過ごせるような状態に早くなるように願っています。

平成15年11月24日群馬サファリパークにて

○平成15年11月15日(金曜日)現在

薬の調整中に重積発作(発作が発作を誘発してなかなか収まらない状態)が起きてしまって平成15年11月14日藤岡総合病院に緊急入院をしました。薬の処方を元に戻しても体の状態はすぐに元に戻らないので病院で様子を見ています。4日〜5日で退院できる見込みです。
なお、現在の主治医は今年からお世話になっている国立精神神経センター武蔵病院の花岡先生と国立のぞみの園臨床心理内科の吉田先生です。

平成15年11月15日藤岡総合病院にて

○平成15年2月5日(水)現在
 平成12年12月から平成13年3月まで国立療養所西新潟中央病院にて入院治療。平成13年7月から再入院をして平成13年11月まで入院治療をしました。

 入院治療の間、点頭てんかんに対するいろいろな薬の組み合わせを試しましたが、決定的な薬が見つからないので、退院後は国立療養所西新潟中央病院に(現在まで定期的に)通院しながら、家庭にて経過観察をするということになりました。

 てんかんの発作の状態は相変わらずで
@突然の大きな(小さな音であっても本人がびっくりしたときの)音に反応する発作(点頭)が日常的に起きる
A毎朝、寝起きの時にシリーズの発作(失立、けいれん)が30分程度続く
B本人が疲れているときは、昼間でもシリーズの発作(失立、けいれん)が続いた後、30分くらいの深い眠りに落ちることがある。
C発作(失立、けいれん以外のもの)が起きているとき、意味不明の行動をとったり奇声を上げることがある。

 以上のような状態が続いているので、子供の安全や管理の問題から、地元の中学校の特殊学級に入学させることを断念して、発作の危険性の認識があり、子供の安全管理面に重点を置く、親として安心できる高崎市立養護学校中学部にお世話になり、現在、1学年に在学しています。


20010208芽衣の入院についての近況報告

 国立療養所西新潟中央病院に入院してちょうど2カ月がたちました。現在は薬の調整をしている段階ですが頻繁に失立的な発作がおきます。発作は朝寝起きと寝る前が多く、その他ちょっとした物音に反応して倒れるなど四六時中監視が必要な状態です。具体的には1日平均5〜6回で、その中に前かがみになった後突然仰向けに倒れるなど危険な発作が1〜2回程度含まれます。発作がひどくなった平成12年10月ごろから小学校を休ませ家庭内で発作の監視と危険の予防を家族ぐるみで行っていましたが、国立療養所西新潟中央病院に入院後は病院内の養護学級に出席しているとき以外は母親が常に付き添って発作の監視と危険の予防をしているという状態です。

 平成13年1月31日に今後の治療方針について国立療養所西新潟中央病院の主治医に問い合わせをしたところ、平成13年3月末まで薬の調整期間を取り、その後については薬の調整がうまく行かない場合には外科的な療法も視野に入れた治療を行う可能性もあるということでした。

 薬の調整期間が平成13年3月末までとなった理由は、主治医が北小学校において新しい学年の始まりを迎えさせることは子供にとって好ましいと配慮してくれたことによります。
 3月末までに薬の調整がうまくいかない場合においても余程のことがない限り、一度退院となりますので、新学期より北小学校に復校できる見込みです。


2000年12月病院内の体育館にて終業式の模様

20001207芽衣の入院についての現況報告               

○入院の期間について

平成12年12月4日に入院、その後検査入院として2〜3週間、その後引き続き3カ月の治療及び検査の予定です。

○病院の所在地

〒950-2085 新潟市真砂1-14-1 国立療養所西新潟中央病院   TEL:025-265-3171, FAX: 025-231-2831

○付き添い(木村めぐみ)アパート所在地

〒950-2072新潟市松美台15-19 ライトコートMARUWAU1階103号室


○学校の籍について鬼石町萩原壽雄教育長にお願いしたこと (平成12年12月7日11時、鬼石町教育委員会教育長室にて、教育長、教育委員会事務局、木村睦以上3名)

入院が長期にわたるために新潟県立はまぐみ養護学校(かがやき学級)に在籍期間が長くなりますが、子供が退院してきたときにスムーズに元の学級に戻れるようにご手配をお願いしました。申請書類として区域外就学承認申請書および学齢簿の写しを教育委員会事務局からいただいてきましたので、それを新潟県立はまぐみ養護学校(かがやき学級)に提出の予定です。


20000225芽衣のことについて

 あるとき、同年齢の子供と話をする機会があったのですがその子供はとてもしっかりしていて普通の子供の成長ぶりに驚きました。普段は芽衣にばかり気を取られてほかの子供との比較をあまりしたことがなかったのでその差の大きさには驚きました。芽衣は現在四年生ですが親の感覚では小学校就学前の児童のように感じられます。

 子供を育てるというのは親も子供の成長に従って一緒に成長の過程を自分自身でたどっていくことだと思いますが芽衣の場合はその度合いが遅く、いつまでたっても親も成長することができず、いつまでも幼稚園児の親のままでいたためにその差の大きさに気がつかなかったためだと思います。

 さらにこの先成長してゆき、ただ体だけが大きくなって、外見だけが大人になっていったときにその内面とのギャップを,他の大人たちがどう受け止めるのかと考えるとまた不安な気持ちになります。
 本当は子供なのに外見だけ大人になっているということは普通の一般社会の人々にとっては異質な人間であると思われ、疎外される可能性があるからです。子供の心と外見が一致している間はそういうことは思いませんでしたがこれから芽衣ちゃんが思春期を迎えることを思うと一層その感が強くなります。今までは考えなくてもよかったことがいろいろと頭に浮かんできます。

 こういう不安は芽衣がなんとか独り立ちできる環境が世の中にあればないわけですが、少なくとも私の見える範囲には、なさそうに思えます。親の目の黒いうちは芽衣を保護してあげることができると思っていますがそれから後のことをつい考えてしまうのです。
 普通の子供たちよりも、子供時代が長い分、親から見ると手が掛かって親の子供を保護する本能に訴える時間が長い分、そういう意味でかわいい子供ですからふつうの子ども以上に芽衣の行く末のことを考えてしまうのでしょう。

 人生の中で,芽衣と出会えたことは幸せなことでした。他の人から見ると、そうではないように見えるかもしれません。事実一般社会でこのような障害児を持った家庭のことを哀れんだりするのを陰で聞いたりもしますが、実際は障害児を持った家族の中ではその子供は他の普通の子供たちと比べて成長がちょっと遅い子供くらいな感じでその家庭内では普通に扱われているものなのです。だから障害児をもった家庭でも普通の子育てが行われているのです。ただその子育てが,親が死ぬまで続く可能性がある,だけなのです。

 私も齢を取り、子供の面倒や行く末を見られなくなる時が必ずやってきますが、その時の不安は自分のかわいい子供が親を亡くした独りぼっちの悲しい姿を、想像することです。もし仮に、私や妻のどちらかが欠けてもその影響が子供に出るのではないかという不安もあります。
 国の施設やボランティア団体の施設でさえ、親の代わりにはならないでしょう。そのとき芽衣がそういうことを理解して、乗り越えて行けるようになっているかどうかが現在の私の不安を解消できるかどうかにかかっていると考えています。


19980408   学級担任がきまりました。

 芽衣の担任がお兄ちゃんの廣太が6年生の時担任だった、N先生に決まりました。N先生は障害児教育の経験があり、その教育の方針や、基本的な考え方も、いろいろな意味で柔軟性をもったものの考え方のできる先生なので、私たち親の立場や、こどものこれからおかれるであろう環境について、適切なアドバイスをいただけるものと思っています。
 ただ心配なのは、芽衣とN先生の相性がいいかどうかということです。せっかく経験の豊富な先生に巡り会うことができたのですから、親としても、なんとか芽衣の気持ちを盛り上げて、先生のことを好きになってほしいと思っていますが、こればかりは本人が決めることですので、なんとも難しい問題です。しかし、幸いなことに、お兄ちゃんの廣太はN先生のことを気に入っていて「N先生が担任になっていいなあ」と芽衣に、心からいってくれているので、なんとかなるのでは、とも思っています。
 心配はつきませんが、とりあえず学級ができたということを素直に喜んでいます。これからも宜しくお願いします。


 19980319 

 平成10年4月から、芽衣は鬼石北小学校の3年生特殊学級に編入になることになりました。もともと北小学校には特殊学級そのものがなかったので、新規に学級を開設していただいたため、たった一人の児童です。 
 特殊学級に編入のことについては芽衣本人には説明していません。小さな学校ですので、親としても本人は特殊学級に籍は置いても、実際には通常の3年生の同級生と同様の学校生活がおくらせていただけるのではと思っています。
 こんどの担任は今の時点では、どなたがなってくださるのか、わかりませんが、鬼石町の教育長や、北小学校の校長先生のお話では、新任の先生ではなく、芽衣の入学当時から芽衣のことをよく知っている先生の方がなにかと都合がよいだろうし、また芽衣のためにもなるのではないか、という考えのようですので、今現在、在任の先生のうちのどなたかが担任になってくれるようです。
 芽衣も特殊学級に新入生ですが、親も父兄としては、新入生ですので、新たな気持ちで出発できるこの春の始業式を今から楽しみにしています。


19971020

病気と現在の状況について 芽衣は、平成2年生まれで現在、鬼石北小学校の普通学級に在学中です。生まれてから約6ヶ月目に、「点頭てんかん」と診断され即入院(群馬県立小児医療センター)、約60日。その後、抗けいれん剤がなかなか合わなかったために再度入院、約50日。その後も一進一退のまま今日に至っています。 現在の症状は、一瞬ビクンと前屈みになるような発作で、芽衣の場合は寝起きや就寝前などの意識がもうろうとしているときにおきやすく、その瞬間、苦痛を伴うらしく、不機嫌になったり、泣き出すこともあります。まだ体力も十分発達していないことと、病気が原因で疲れやすく、授業途中で寝てしまい、担任の先生にご迷惑を掛けることもあるようです。 また、この病気は知能の発達障害も併せ持つ病気らしく、小学校1年生就学前の、知能検査では、あまり成績はよくありませんでしたが、地域の中でともに育ち合う関係が必要ではないか、という親の考えから、現在の小学校にお世話になることになりま した。現在2年生になりましたが、国語、算数などは、他の児童とは同じについていけないようです。家庭では、幼稚園のときの、もと担任の保母さんのご厚意にあまえて、週一回程度、個人的に指導をしていただいています。